徒然あずちょも
道誉くんがユニコーンになった。
地面から背中まで二メートルはあるでっかい白馬だ。足も太いし首も太い。胸も張っていて堂々とした体躯だけれど、真っ白な体毛は日が当たる角度できらきらして優雅だった。ただ白いたてがみには黒やら赤やらが混ざっていて、それにおでこから生えるぶっとい角と相まって、ユニコーンの道誉くんは結局幻想的な生物というよりは、筋肉でできた戦車みたいになっていた。頭の刈り上げもたてがみに反映されていたから、なんと言うか全体的に治安が悪いのだ。ユニコーンなのに。
道誉くんがユニコーンになったのは手入れ部屋のバグが原因だった。そういうときはバグが治るまで同派や由縁のもので輪番で世話ををするのが通例だったけれども、今回ばかりはそういう訳にはいかなかった。まずうちの一家が全滅だった。ユニコーンといえば処女だが、究極の男所帯で発生したバグは対人粘膜接触経験者をもれなく全員非処女認定した。セックスですらない。おれと日光くんなんてまだキスしかしたことないのに、道誉くんはおれが半径一メートル内に入っただけで、フレーメン反応を起こして泡を食って逃げだし、うっかり後ろから近づいた日光くんは鋭い蹴りを喰らいかけた。こんのすけの翻訳によると、道誉くんからしてみれば、おれたちからは物凄い臭いがするらしい。その臭いを嗅いだだけで、錆びたぶっとい鉄の釘で脳髄を掻き回されて頭の中をしっちゃかめっちゃかにされるような不快感に襲われるのだそうだ。なるほどそれはきついだろう。一文字とかブランドとかどんな銘があるだのないだの、おれは道誉くんのこだわりには興味ないし、そういう話をしに絡んでくるときの道誉くんをウザいとすら思っているが、ユニコーンになった叔父貴には心の底から同情してしまった。なにしろユニコーンの厄介な生態は本刃にも適応されてしまっていた。
まず、道誉くんには粘膜接触する相手がいる。爛れた関係じゃない。ちゃんとお付き合いしている。交際を全く隠していないくせに場を作ってうちの連中に紹介もしないので、おそらく本気の本気、本気と書いてマジと読ませるやつだ。一家のどうこうに巻き込んで逃げられては敵わないと思っているに違いない。そのくらい惚れ込んでいる恋人がいる。つまり、ユニコーンの定義でいうところの「非処女」である道誉くんは、地獄のような不快感を伴う臭いを常に自分から発する身の上になってしまっていた。そりゃあずっと川に浸かったままにもなるし、暇があったら砂浴びするようにもなるだろう。
「大丈夫でしょうか」
道誉くんの恋人がおろおろと|牧場《まきば》を見つめている。道誉くんはびしょ濡れのまま草地を駆けていた。角が邪魔になりそうなものだが、走る姿は軽快だった。濡れたたてがみから水滴が散り、きらきらと軌跡を残していく。どかっどかっという重く低い足音さえ気にしなければ麗しい光景だった。遡行軍の大太刀相手でも蹴り殺せそうとかついつい考えてしまう。
「元気そうだけどぉ?」
「それが全くエサが減っていないのです……」
「あー……」
んしょの手元にある、中身がたっぷり詰まったままの飼い葉桶を見下ろす。馬用のエサは耐え難いらしい。道誉くんだって東北の大飢饉を経験しているはずなのに、贅沢なことだ。
「おれたち刀だし、しばらく食わなくてもいけんじゃない?」
「一週間もですか? いま顕現が解けてしまうと、あの姿で固定される可能性があると聞きました」
道誉くんが飢えるのは自己責任だが、ずっとユニコーンのままなのは可哀想だ。本丸からすれば明らかな戦力低下だ。それに目の前にいる叔父貴の恋人が心の底から悲しむだろう。そう、おれはんしょのことを気に入っていた。身内としてはあの叔父貴と付き合ってくれるだけで御の字だし、きっとあのひとにはこのくらい愛情深いひとが必要なのだろう。
「まじぃーね」
「ええ。食べさせないといけません」
その声は決意に満ちている。んしょは確かに心配性すぎるところがあるし、不意打ちを食うと割と取り乱すけれど、落ち着いているときは頼りになる。ふたりがどんなやり取りをするのか気になって、牧場に出ていくんしょにおれも着いていった。
んしょは素早く風向きを確認すると、道誉くんを呼んだ。道誉くんはすぐに柵のところまで駆けてきて、おれたちは風下に立った。道誉くんは慎重に距離を取っていたが、それでも前脚で落ち着かなさげに地面を蹴っている。人恋しいのだろう。なにしろ古馴染みは軒並みユニコーンの習性に引っかかっていた。京極ゆかりの刀たちですらだめだったのだ。水の入手が困難な戦場だったのでしかたなく、舌を使って目ん玉に入ってしまったまつ毛を取ってあげたのだそうだ。
んしょは単刀直入に切り出した。
「食べてください。でないとずっとこのままですよ」
道誉くんの耳はへたっていた。ヒヒンと甲高くいななく。
─ノォー! こんなの食べ物じゃない!
幻聴だったが、そんなに間違っていないはずだ。んしょは眉間の皺を深めると、重々しく言った。
「分かりました。それなら私も一緒に食べましょう」
「は? 正気?」
「桑名江は土を食べます。土が食べられて飼料が食べられないということはないはずです」
「あれは食べてんじゃなくて土の味を見てるんだってぇ」
「ひとりきりで草を食べろと言われたら、食欲が減退するのも致し方ありません」
とても思いやりのある刀ではあるのだ。たぶん道誉くんもそこに惚れてる。でも必要なのってそれなのだろうか。
んしょは柵の向こう側に飼い葉桶を置くと、とうもろこしから作られた飼料を一掴みした。どうすんの道誉くん、んしょ本気だよ。マジで恋人に動物のエサ食わせんの? おれがじっとり睨みつけていると、観念した道誉くんは飼い葉桶に頭を突っ込もうとして、角が柵に突き刺さった。さすが非実在生物。生き物としての出来が悪い。
角から柵を抜くどさくさに紛れて、んしょの手にあった飼料ははたき落とし、最終的に道誉くんの口元にスコップでエサを差し出すことでことなきを得た。道誉くんは沈鬱な顔をむっしゃむっしゃと口を動かしていたが、エサやりをしながら恋人が色々話しかけてくれるので、気分転換にはなるようだった。食べ終えて水浴びに行く足取りがさっきより軽い気がした。
道誉くんが人の姿を取り戻したのは、変身してからちょうど一週間後のことだった。「お姫! ダァだよ! 寂しがらせてしまったようだ!」と飛び付いてくる道誉くんはやっぱりムリだったけど、ユニコーンの寂しいいななきに比べればよっぽどマシだった。それに叔父貴の恋人が胸を撫で下ろしているのだ。日光くんですら、「雲生が安心したようで良かったです」と言っていた。多分、日光くんの中では叔父貴の配偶者兼弟分のような存在なのだろう。
さて道誉くんが人の形を取り戻して次の日のことだった。たまたまおれは山鳥毛と連れ立って歩いていた。うっかり同じタイミングであつきのところに顔を出してしまい、山鳥毛も加えて上杉の子たちとおやつにすることになったのだ。おれはどら焼きの乗ったお盆を、山鳥毛は二リットルのペットボトルを小脇に抱えていた。黙ったまんま廊下を歩いていく。おれたちはふたりきりだと口数が少なかった。それは未だにわだかまりが解けきっていないせいでもあるし、そもそも昔からふたりでいるとあんまり喋らなかったのだ。だから道誉くんも気づかなかったに違いない。
ダーリンと呼びかける道誉くんの低い声が耳に届いた途端、おれたちはふたりともぴたりと足を止め顔を見合わせた。それから物凄く慎重に、そろそろと曲がり角から様子を伺う。そのまま引き返すべきなのだが、好奇心が勝ってしまった。ちょっと姿を確認するくらい構わないはずだ。おれの上から首を伸ばしていた山鳥毛も同じ気持ちだったに違いない。
道誉くんたちは部屋の前で立ち話をしているようだった。そういやあそこ、んしょの部屋だ。立ち話のはずなのに距離が近い。おれと日光くんも付き合いだしてからは、スキンシップも増えたし距離が近くなったかなぁとは思うが、おれたちは別にいちいち腰を抱いたりはしない。道誉くんが鬱陶しがられた末にフラれたりしないか心配になってきた。
おれたちは抜き足差し足バックした。遠回りのルートを脳内で検索する。床板が軋まないよう細心の注意を払っているせいで、かえってふたりの会話がよく聞こえた。
「立派なユニコーンでしたね」
「もうこりごりだ……」
密やかな声。だが落ち着き払って、知的な印象を与える。絶対にここにおれたちがいることがバレてはいけない。これはおれたちに見せることのない、道誉くんの別の一面だ。さらに慎重を期したせいで、この場を離れるスピードが落ちる。恋仲なんだから部屋に上がり込めばいいのに、なんで立ち話なんてしているんだ。
「あなたに乗って遠駆けできたら楽しかったでしょう」
はっと道誉くんは息を吐き出した。軽やかな笑い声だった。
「ああ、本当に」
その続きは聞こえなかった。もしかしたら相槌を打っただけなのかもしれないけれど、おれは知らない。踵を返して全速力でもと来た廊下を引き返したからだ。
「なあ、姫鶴」
「なに?」
「祝儀を包むべきじゃないか?」
「ほんっとそーゆーところ……」
脇腹を小突いておく。
「黙って見守っとけばいい」
「……そうだな」
ちょっと言いすぎたかなとは思った。このひとは小豆との付き合いを、ちゃんとした場を作っておれたちに報告していた。だから長なんてやめとけって言ったのに。
「奴を揶揄うくらいはいいだろう?」
「それはいいんじゃない? おれもやろうと思ってたし」
叔父貴、お幸せにぃ。胸の内で手を振っといた。
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