徒然あずちょも
※セクシャル・ハラスメントの描写があります。
鼻歌まじりに廊下を歩く。道誉一文字は機嫌が良かった。則宗に誘われて飲んでいたのだ。良い感じにアルコールがまわり、追加の熱燗片手に厨から戻る道中も何とも愉快な心持ちだった。まだまだ冷えるが、窓ガラス向こうの梅はぽつぽつ花をつけている。じきに梅の香が辺りを漂い始めることだろう。
あんまり機嫌が良かったせいか、はたまた思っていた以上に酒精が体にまわっていたのか、狭い廊下をすれ違いざまバランスを崩してしまった。傾いたお盆を双方支えようとしたが、あえなく失敗、ひっくり返った熱燗は小豆の浴衣を盛大に濡らしながら床に転がった。
「オウ、ノォー!! すまなかった」
「きにしないで。よくあることなのだぞ」
陶器が落下するけたたましい音が聞こえたようで、道誉の部屋で待たせていた則宗も顔を出す。一目で状況を察したらしい。
「お前さん、火傷は大丈夫かい?」
そうだ、その可能性がある。
「着替えていけ」
「だいじょうぶだよ」
「ノォー! このまま帰すのは俺のプライドが許さん」
「いや、べつに……」
腕を掴んでそのまま部屋に引っ張り込む。こいつに借りを作るのは面白くない。
「ほんとうにだいじょうぶだから……!」
「道誉の言う通りにしておきなさい」
「御前もこう言っている」
「いや、だから」
有無を言わさず、後ろから襟首をむんずと掴んで引き下ろす。で、絶句した。
「ずいぶんお熱いことじゃないか」
則宗の揶揄も聞こえていなかった。小豆の肩口から背中にかけて、それはもうおびただしい数の引っ掻き傷が残されていた。浅黒い肌の上でもなお鮮やかな赤い筋に、付けられて間のないものだと察する。
「ひとにみせるものではないのだぞ」
今度こそ小豆は気分を害した顔で道誉を振り払った。体の前面は前面で、鬱血痕やら歯型やらが至るところに散らばっている。
「山鳥毛がネコなのか?」
「のーこめんと!!!」
手早く着物を直すと、小豆は出て行った。
「そら小豆も怒るだろう」
「ご存じで?」
「あいつらの閨のことなんか僕が知るわけがない」
「一家の長ですよ? それが長船の刀に抱かれているなど……」
則宗と目が合った。にやにや笑っているが、この大きな瞳を見ていると吸い込まれそうになる。今更ながら、道誉は自分が衝撃を受けていたことを悟った。
「驚いただけです……」
ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜる。いくら則宗の前とはいえ、ショックを露わにするとは情けない。そうだ、道誉はショックだったのだ。仮にも自分の上に立つ刀が、他刀派に抱かれてよがっているなど思いたくなかったのだ。これが山鳥毛でなければ道誉は毛ほども気にしなかっただろう。たとえ則宗が|そう《、、》だったとしてもだ。
「驚いただけですよ」
言い聞かせるように繰り返した。道誉は一文字の山鳥毛しか知らなかったし、それ以外の側面を知ろうとしたことすらなかった。山鳥毛が長に立ってからはなおのことだった。
「お前さんが長に成り代わるかい?」
「物騒なことを言わないでいただきたい」
苦笑しても、則宗の表情は変わらない。
「御前はここを気に入って?」
「良いところだからな」
「俺は、色々なのと会う腹積りはしていました」
誤算は既知の刀の新たな側面も知ってしまうことだった。山鳥毛も一振りの、彼自身の固有の歴史を背負った刀だった。そういうことを否応なしに理解させられる。
「姫も気に入っていると。最初に釘を刺されましたよ」
本丸に顕現するとは、こういうことなのかもしれない。
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