徒然あずちょも
山鳥毛に拒まれた。
灯りを落とし、寝着に手を差し入れたら、やんわりと今夜は気分ではないと言われてしまった。まあそういう日もあるだろう。こんなのはお互い様だ。ところがひとりになりたいのだろうと離れたら、小豆の胸に潜り込んでくる。
「そういうひ?」
「そうだ」
それなら仕方あるまい。
師走の夜は静かだった。窓の外をひらひらと雪が舞い落ちていく。悲しいかな、越後の記憶が一番長いため、明日も雪かきかと思ってしまう。それでも、恋人を胸に抱いて見る雪はやはり贅沢だと思う。窓の障子ごしに月の光が差し込み、山鳥毛の首筋をうっすら照らし出す。つい指を伸ばしたら、水から上がった犬のようにブルリと震えた。密やかな笑い声が小豆の肌をかすめる。
「くすぐったいぞ」
「おきているようだから」
「考えごとをしていてね」
「道誉一文字のこと?」
「……そうだな」
それくらいしか思い当たる節がない。
道誉一文字は数日前に顕現したところだった。一文字での歓迎会もとうに済ませ、山鳥毛の帰りが午前様になったのも記憶に新しい。山鳥毛は思うところがあるらしいことをすぐに認めたが、小豆はもう少々誤魔化されると思っていた。姫鶴が来たときはもっと言いにくそうだったものだ。姫鶴と山鳥毛の微妙な雰囲気を見たときは、あんなに仲良かったのにと不思議に思ったものだった。だが仲が良かったゆえに、ほんの少しのボタンのかけ違いでぎくしゃくすることもあるのだろう。むしろふたりきりにすると少々ぎこちないくらいで骨肉の争いにまで発展していないのだから、小豆に言わせればあんなの不仲の内に入らない。
「きみのいえ、ふしぎだよねえ」
「そうか?」
「うちをみてみなよ」
「長船派は放任だからな」
「ひていはしないが。なに、もしかしてついになかのわるいあいてがきたの?」
馬鹿、と軽くこづかれた。そうだな、と山鳥毛は言葉を選びながら言った。
「道誉一文字は……あれは、一文字の中の一文字だ。則宗の次は彼だと思っていた」
「かとくなんて、よそうしていないところから、ころがりこんでくるものだよ」
「はは、確かに」
「やめたいなら、そうだんにはのるよ? うちはほうにんだからね。ちゃっかりひとふり、でもどってきてもきにしない」
「誰がやめるか。出戻る気もないからな。それに仲も悪くない。むしろ世話になったくらいだ」
確かに姫鶴に絡んでいるところを見る限り、情に厚い刀なのだろう。あまりの熱意に姫鶴は盛大にウザがっていたが。
「そのうち慣れる。跡を継ぐときに覚悟は決めたんだ」
山鳥毛はそれだけ言うと黙り込んでしまった。
その翌日に道誉一文字と出くわしたのは、偶然ながら計ったようなタイミングだった。小豆はちょうどおやつに出すぜんざい用に小豆を煮ていて、そこに内番上がりの道誉がやって来たのだ。小腹を空かせた刀が厨に立ち寄ることはよくある。おおかた彼もその口だろう。
「やあ、もうすぐおしるこができるところなのだ。たべていくかな」
「そうだな、頂こう」
道誉はそう言いながら、鍋の中身をかき混ぜる小豆のところにやって来る。意外だった。道誉一文字は料理に率先して興味を持つタイプには見えなかった。きっとぜんざいができるまで、そこのテーブルに座って出されるのを待っているだろうと思っていた。そういう刀はよくいるので、まずは自分で皿を出すところから仕込むのだ。
道誉は小豆のそばに立つと、真剣な表情でぐつぐつ煮立つ鍋の中を覗き込んだ。
「きょうみある?」
「初めて見るのでね。良い香りだな」
「そうだろう? きょうはとくにうまくにえたとおもうよ」
「君は山鳥毛の|これ《、、》らしいな」
小指を立てるジェスチャーをして道誉は言った。「そうだよ」と答えながら、そう言えば一文字の刀に直接確認されたのは初めてだなと思った。南泉には山鳥毛から伝えたようであるし、他の刀が来る頃には今のように同じ部屋で寝起きしていたから、わざわざ確認されるまでもなかった。
道誉の視線は鍋から小豆に移る。視線の圧が強い。穴が開きそうだ。それにしてもまあ、値踏みしていることを隠さない刀だ。
「どういう仲なんだ?」
「どういうって、こいなかだね」
「君は上杉謙信の愛刀だったとか」
「そう。山鳥毛とはそのときの縁でね」
いよいよ尋問じみてきた。
「山鳥毛もお姫も君とのことについて何も教えてくれないんだ。特に山鳥毛なんて伴侶だとしか言わない」
伴侶の話は小豆も初耳だ。そんな紹介の仕方してたの。わたしも今度からその言葉使おうかな。
「ひめごとだから、くちかずがすくないだけなのだ。わたしも山鳥毛もしゃいなのだ」
「シャイ? 君が? そんなはずはないだろう。あんな派手な逸話を持つのに」
道誉の目が好戦的に輝いた。
「一文字はブランドなのだよ。山鳥毛はそのバリューを体現している。あの健全無比の重花丁子の刃文だぞ。五億円の国宝という肩書きもついている。あれを損なうような相手は困るのだ」
汁粉はそろそろ頃合いだろう。静かにガスを止めた。さて、どうしたものか……
「どうしてきみたちが山鳥毛をちょうにえらんだのか、ふしぎにおもっていたのだ。わたしにとってかれは、兼光のたちなのだ。白井の長尾憲景が謙信公におくったかたなだ。そのとき、いっしょにつきげの放生もおくられてね、このうまが川中島で信玄の目の前までせまったのだ。山焼亡は、上杉家があいした、長船派の、わたしのまごのだいのかたななのだ」
殺気が小豆の肌を刺した。ずっと空気が重くなる。部屋中に電気が走っているようだ。
小豆も多少怒らせるつもりで言いはしたが、ここまで苛烈な反応を引き出せるとは思っていなかった。小豆を見下ろす瞳には燃えるような怒りが宿り、その反面、表情は彫像のように冷たかった。口元は笑みを浮かべているものの、酷薄さが滲んでいる。山鳥毛、君の親戚怖すぎないかな。
「おいおい、本丸内は私闘は禁止だぞ」
漏れ出る殺気に駆け込んできたのは則宗だった。後ろには山鳥毛もいる。そういえば、今日はこの二振りで手合わせだったのだ。
「お前さんら何をやっているんだ?」
則宗の声が固い。道誉は静かに答えた。
「こいつが山鳥毛を兼光の刀だと言うものですから」
山鳥毛と則宗に目線で非難された。まさかこんなに怒るとは思っていなかったんだって。
山鳥毛は腕組みをして笑った。
「そう極められていたのは事実だな。銘がないんだ。そういうこともあるだろう」
「君を一文字以外にどう判断しろと言うのだ」
空気はまだマシになったが、それでも声に怒気が滲んでいる。
「人の願いは理屈を超えるものだ。そうだろう、ご隠居?」
「お前さんの場合は人の都合ってやつじゃないか? 家祖が兼光ってことにしちまったなら、子孫はそう伝えるしかないさ。愛は慈しみもするが損ないもする」
「結果的に私が健全な状態で残ったのは秘蔵されていたからだからな。道誉一文字、君も私に初めて会ったとき、喜んでくれただろう?」
「情でほだそうとしないでくれ」
長とご隠居のふたりがかりなら道誉も引く気になるらしい。分かった分かったと苦笑いして引き下がった。
則宗も小豆の隣にやって来た。
「煮えたのかい?」
「ちょうどできたところだよ」
「よし、じゃあ餅を焼こう。小豆のはぜんざいにすると特に美味いんだ。こういうときは甘いもん食って腹を満たすのが一番だ。空腹だと気分がささくれて良くない。ほら道誉、お前さんも手伝え」
則宗が無理やり道誉を手伝わせ戸棚から皿と餅を取り出した。ひとり二個換算で、八個の餅がトースターの中で熱され、みるみるうちに膨らんでいく。小豆は餅の様子をうかがいながら、壁際の道誉と山鳥毛が小声で話し合うのを聞くともなしに聞いていた。
「私は一文字一家の長だがね、それぞれの来歴も同じくらい大切だと思っている」
「長がブランドを貶めるのは感心しないな」
「むしろ高めただろう? そこは君も認めているはずだ。それに小豆も本気で私が長船派の刀だとは思っていないさ」
意味ありげに目配せされたら頷くしかない。小豆も言いすぎた自覚はあったのだ。ほらな、と道誉に笑いかける山鳥毛は穏やかで、楽しんでいる節すらあった。
チン、とトースターが軽い音を立てた。中の餅はどれもほんのり焦げ目がつき、いかにも美味しそうだった。
「私と道誉はふたりで食べることにする。積もる話もある。付き合ってくれるだろう?」
「もちろん、光栄なことだ」
「それならお前さんたち、餅もぜんぶ持っていきなさい」
「ご隠居、そんな食べませんよ」
「たくさん食って、存分に喧嘩してくればいいさ」
小豆はどんぶりを出して、そこにそれぞれ餅四つとたっぷりの汁粉を注いだ。ぜんざいの乗ったお盆を道誉に渡す。
「あじわってたべてくれるとうれしいのだぞ」
お盆と小豆を交互に見てから、道誉はふっと微笑んだ。
「……君のスイーツは本当に美味いのだろうな。山鳥毛が嬉しそうに言っていたんだ」
微笑は複雑な色あいに満ちていた。だが緩んだ目尻にはもう警戒心はなかった。
山鳥毛と道誉を送り出すと、則宗は再度餅を取り出して焼き出した。
「悪かったな、勝手に餅をやっちまって」
「いいのだ。それにしても、かほごなかたなだねえ」
「何を言われたんだい」
「こいびとが山鳥毛をそこなうようなのだとこまるって。それで山鳥毛が兼光のかたなだったころのことをもちだしたら、れっかのごとくおこりだすからおどろいたのだぞ」
則宗は大きな声で笑い出した。ばんばん肩を叩かれる。
「そりゃ怒るわけだ」
「みなしっていることだろう?」
「お前さんが言うから怒ったんだ。よりによって上杉ゆかりで長光で、今は伴侶ときたもんだ。はっ最悪だ」
「べつに山鳥毛を一文字からひきぬこうなんておもっていないのだぞ」
「お前さんはそうだろうがなあ、あれは生粋の一文字だから、長にも同等のもんを求めちまう。……本当は可愛がりたいんだろうに、賢いのも考えものだな」
ジジ……とうなるトースターを横目に則宗は茶を入れる。
「きみたちのいっかは、そうしないとまわらないようだが?」
「そう、だから隠居したんだ。隠居は気楽でいい」
「わたしはやつあたりされたのだぞ」
「どうせお前さんからも喧嘩を売ったんだろう。山鳥毛は自分の孫の代の刀だとか言ったんじゃないか?」
図星なので苦笑いするしかない。なまぬるい沈黙にトースターの澄んだ音が響いた。
「べつにいまさら山鳥毛を長船にしようなんておもってないのだぞ。さいかいしたら山鳥毛が一文字になっていたのはおどろいたが、かれのとうはなんて、どうでもいいことだよ」
「そうなのかい?」
則宗の問いかけは質問の形を取った催促だった。
「山鳥毛だって、わたしをえらんだのだ。あのころから、たくさんかわってしまったわたしをね」
「はは、惚気られたな」
「けんかをうるなら、こちらのほうでせめるべきだったとおもう」
「結局売るんじゃないか」
餅は四つ。則宗と食べるならふたり二つで十分だ。お椀をテーブルに並べる。
「しんぞくをあんしんさせるためには、あいしあっていて、いまとてもしあわせですっていうのがいちばんじゃないかな」
「そりゃあ間違いない!」
則宗は呵呵大笑し、美味そうに餅を頬張った。
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