緋色の暴君 2nd(スパイパロ)

 

前口上





 椎名ニキ、職業は料理人。兼業エージェント。
 本当は料理人一本のつもりだったけれど、生きていくために必要な労働として副業を請け負っている。働かざる者食うべからず。毎日しっかり働いて美味しいごはんにありつくため、ニキは今日も雇い主のために身体を張る。
「そこまではいいんすよ」
「なんやの急に」
「いつから僕の職業に『同僚のご機嫌取り係』が追加されたんすか? お賃金を要求するっす!」
「……。気持ちはよぉわかるで、ニキはん」
 モニターを覗き込みながらため息まじりに答えたのは『同僚』のうちのひとり、桜河こはく。チーム最年少なのに誰よりも老成しているからか、彼に苦労させられたことはない。今日は彼とコンビの仕事で助かった、というのが正直な気持ちだ。
「だってもぉ、今朝のHiMERUくん見た?」
「見た見た、ごっつい顔しとった」
「あれ大丈夫っすかね、なんからしくないミスとかしそう」
「せやからジュンはんが気ィ利かしてくれはって、今日はお留守番やって」
「ああ、そういうこと……」
 なるほど納得。巴の屋敷を出発する時に彼の姿が見えなかったのは、そういう理由だったのか。
「ん~……せやけど、」
 天井を仰いだこはくが、彼にしては珍しく歯切れ悪く切り出す。
「HiMERUはんがあないになるっち、誰も予想できひんやろ。『ハニートラップ』っちゆうんはこん世界じゃ珍しいことでもあらへんし……燐音はんは単独任務で何度も経験しとるんやろ」
「う~ん……今までも僕らに黙ってひとりで引き受けてたみたいっすからねえ……」
「それはそれ、これはこれじゃ。ちゃんと告白し合った~ち言うから祝福したろ思ってたけど、こない面倒なことになるんやったらわし、嫌やわ」
「……だよねぇ……」
 ニキも概ね同じ気持ちだ。今は張り込み中の車内でこはくとふたりきりだから、いけないとは思いつつもついつい愚痴っぽくなってしまう。
 要するに子供っぽいやきもちなのだ。ツンとして綺麗で敵に対しては情けも容赦もないあのHiMERUが、ハニートラップのターゲット(今回は女性)に対して嫉妬心を拗らせ、感情的になるあまり使い物にならなくなっていると、そういうわけだ。
「燐音くんも燐音くんで、知っててフォローしないんだからどうかと思うっす」
 そのせいでとばっちりを喰うのはニキかこはくなのだから。
 四人チームを前提として組んであるプランからひとり抜けるとなると、単純に残り三人の仕事量が増える。それだけならまだしも、不機嫌を隠しもしないHiMERUを宥めたり慰めたりする役割まで回ってくる始末で──いやこれ恋人の燐音くんの役目でしょ⁉ と何度思ったか。
「まあ、燐音くんは朝から斎宮くんのところに潜入用の衣裳を取りに行ってたみたいだし? 僕らしかHiMERUくんのそばにいられなかったっすから? しょうがないのかもだけど……!」
 それに、あのガードの堅いHiMERUが感情をあらわにするようになったというのは、きっと自分達に対する信頼のあらわれでもあって。出会った当初の鉄壁ぶりを考えれば、随分心の距離が縮まったものだ、と感慨深くすらある。
「機嫌が悪いとこ見せてくれるのはさあ、甘えられてるな~可愛いな~とかちょっと思ったりして、そんなに嫌じゃないかも? って思わなくもなくなくないんすけど……」
「どないやねん自分」
「嫌じゃない! っす!」
「さよけ……」
 こはくは呆れているけれど、これは間違いなく本心だ。
 なんだ可愛いとこあるじゃん、と気付く機会が最近はぐっと増えて(それは隣にいる彼に対してもだけど)、チームも悪くないなとようやく思えてきた頃なのだ。その矢先に社内恋愛(?)が原因でヘマして挙句の果てに怪我でもしたら、どんな顔をして『日和坊ちゃん達』のところに帰ればいいかわからない。
『あ、あ~……聞こえますかァ、俺っちでェす』
「! 来た」
 通信機に届いた音声にいち早く反応したこはくが素早くキーボードを叩く。ぱっと画面が切り替わり、先程まで劇場の外観を映していたモニターには建物内部のロビーが映し出された。
「感度良好。そっちはどないや?」
『オッケーオッケー、ばっちりっしょ。早速|標的《ハニー》も見つけたぜェ、早くお近づきになりてェもんだ』
 此度の潜入先は絢爛たるオペラの公演だ。燐音のターゲットはフリーの女スパイで、今夜この劇場で情報の引き渡しを行うとの調べがついている。
 取引の相手は彼女の雇い主であり、巴財団が占有している不動産を横からぶんどることに躍起になっているとかなんとか言っていた。こちらの男は日和に言わせれば「取るに足らない小物」らしいが、周りをうろちょろされて迷惑を被っていることは確かである。牽制しておくに越したことはないだろう。
 そしてスパイの方も、懇意になっておけば手札を晒してくれる可能性は高い。そちらは口八丁手八丁の燐音に任せて、劇場を出た男の方をニキとこはくで押さえる──というのが今回の計画だ。
(ていうかオペラの上演中に取引って……使い古された手口すぎて今時映画でもやらないっていうか。かえってバレないとでも思ったんすかね)
 任務の難易度は高くないが、油断は厳禁だ。何しろ相手の女もプロである。
「気を付けてね、燐音くん」
『ハッ。誰に言ってやがる、ニ・キ・きゅ〜ん?』
 機械の向こうから聞こえてくる声は弾んでいる。酒が入ってご機嫌なのだろうが、少々緊張感が足りないのではないか。
「オペラ鑑賞なんて慣れないことするんすから、もっと気を引き締めてほしいっす」
 ぷりぷりと苦言を呈すれば、『そいつはこっちの台詞っしょ』と鼻で笑われた。
『聞かせてもらったぜェ。世話かけて悪りィな』
「! どっ……こ、から……」
『はじめからだ。グローブボックスの奥、見てみな』
 言われて中を探ると、よく探さないとわからない死角に小さな箱状のものが仕込まれていた。慌ててこはくと顔を見合わせる。
「と、盗聴器」
『はァい正解。おめェらも気ィ抜きすぎ』
「うう、返す言葉もないっす……」
『へいへい』
 ケラケラと笑い、安心させるように口調を和らげた。
『まァあいつのことは心配すんなって。帰ったらちゃんとフォローすっから』
「むむ……」
 燐音がそう言うなら、外野の自分達が口を挟む道理はない。当事者同士でしか解決し得ない問題なのだから、信用して任せるしかないのだ。
「……わかった。そっちは頼むで」
『りょーかい。じゃ、後でな』
 至っていつも通りに告げて通信は切れた。途端、車内には長いため息が落ちる。
「うへえ~……無駄に冷や汗かいたっす」
「ほんまにな。ええ性格しとるわあ、あのおひと」
「それこはくちゃんが言う? ……まあいいや、僕らも仕事モードに切り替えましょっか」
 さて、雑談はここまでだ。
 開演は間もなく。舞台役者達と同様、ニキもこはくも燐音も、それぞれに与えられた役を完璧に踊りきるだけ。
「──さあいくっすよ、|《任務開始《ハニーハント》》っす」

 今宵も華麗なショーの幕が開く。

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