月の精は揚羽蝶に夢を見るか
【それからどうした】
「……そもそもの話なんだがなぁ」
「何だ、鶴丸国永」
無事下拵えの時間に間に合うよう厨へ送り届けたあの笊との会話から、更に数日後。相変わらず件の男からの接触は皆無である。振り向けばすぐに消えてしまう視線の方も、健在のままだ。まだ勇気が足らないらしい。
その日の大包平は手合わせを行う為、修練場に居た。本日の内番の相棒、鶴丸国永と竹刀で打ち合っていた、その合間の休憩時間のことだ。
それとなく、近頃の三日月の様子を聞いていたのだ。
最近変わったことはなかったか、と。
自分で聞きに行けたなら楽なのだが、当刃に避けられている以上は仕方のないことである。対話を試みるには、少しでも情報が欲しい所だった。するとその全身鶴の如き真白の着物に身を包んだ太刀は、気怠そうに竹刀でとんとん、と軽く肩を叩きながら徐にその口を開いた。
「君、何でそんなに三日月が気になるんだ?」
そりゃあ、気にはなるだろう。博物館に居た頃は特に何事も無く接していた筈が、此処で顕現し実体を得てから急に避けられるようになったのだから。此方としてはその理由が何なのか、知りたいだけだ。しかしその先の言葉で、大包平の思考はぴたりと止められてしまうことになる。
「君の『気になること』ってのは、果たして一年掛けてでも知るべきことなのかい?」
寝耳に水とはこのことか。
……というよりも、それまで考えもしなかった言葉を口にされたことで、何故こんなにも三日月が気になるのか、理由そのものがまるで分らなくなってしまった。何故己は、三日月に避けられていることをやたらめったらに気にしているのか。
兄弟刀の様に強い繋がりがあるわけでもない。
何か特別な関係があるわけでもない。それなのに、だ。
「三日月が君を苦手としてることは、君も知ってる。そして君自身も、三日月を良く思ってはいない。じゃあ、無理して関わる必要なんてないんじゃないか?」
言われてみれば、確かにそうだ。無理に話す機会を作る必要など、ないのかもしれない。しかしそれを指摘された途端、どうにも胸の内がもやもやして止まらなくなった。何かが喉に引っ掛かって取れない。すっきりしない、苛々するような、何とも不快な気分である。一年ずっと避けられていては、今更対話は困難なのかもしれない。しかしそれでも、どうしても話をしなければならない気がしてしまう。……しかしその理由は、自分でも全く分からない。
「……馬鹿を言え。仲が良かろうが悪かろうがあれも仲間だ。緊急時に連携が取れなくなるのでは困る。ただでさえ何を考えているか分からん爺なのだから、多少は意思疎通を図っておくべきだろう」
口から咄嗟に飛び出した言葉は、自分自身でも容易に分かってしまう程言い訳染みていた。
「おいおい、君一体この本丸に今何振りの刀が顕現してると思ってる? ざっと六十以上は居るんだぞ。その中で部隊を組むのは多くてもたった六振りだ。しかもこの本丸じゃあ、編成で刀種が被る機会そのものが滅多とない。それは杞憂って奴じゃないか?」
案の定、大包平の言葉は鶴丸によって容易く看破されてしまった。
……それもそうだ。刀種で固まって出陣する場所など、限られてくる。例えば京都。夜間戦闘が続くかの地は暗闇で視界も悪ければ裏路地や室内など戦いの舞台そのものが狭い場合が多い。よって攻撃範囲こそ狭いがその分小回りが利き不意打ちを狙いやすい短刀や脇差、一対一の白兵戦で真価を発揮する打刀中心の編成に偏りやすい。昼間の戦地であれば太刀も出るが、殆どの場合纏めて敵を叩ける大太刀や薙刀、相手の防具を無視して戦える槍の男士達と組んで出陣することが多い。なるべく多くの刀種をもって敵に柔軟に対応することに重きを置くこの本丸においては、編成で太刀同士が複数被るということ自体があまりないのだ。あれが意図的に避けていることもあろうが、大包平自身この一年で三日月と同じ部隊となった機会は然程多くはなかった。
「……まぁ、何だ。好きにすりゃいいとは思うが、そこまで追いかけるなら君自身がどうしてそんなにあいつに関わりたいかを考えてからでも、遅くはないんじゃないのか?」
思考に耽り押し黙ってしまった大包平に、助け船を出すかのように鶴丸は言葉を紡ぐ。この太刀は、三日月宗近とは同郷に近い間柄だったか。主同様にこの男も三日月の事情を知っているような素振りをしているが、やはり此方に話してはくれないのだろう。多くを語ろうとはしないこの男は、どこか己の兄弟刀に似ている部分がある。帝の持ち物はどいつも思考が似通ってくるのだろうか。
難儀なものだなぁ、と呟いた白い男のその言葉からは、此方を気遣いながらも三日月へも気を回しているような器用さが感じられた。
(分かってはいる。……俺はそこまで、器用にはなれん)
それがどうにも、己の余裕の無さを改めて突き付けられているように思えて、大層気分が悪くなった。
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