月の精は揚羽蝶に夢を見るか
「ああ、だめだよ大包平。ちゃんと加減してあげなきゃ」
大包平への理不尽は続く。迎え入れてくれた審神者に、何故か呆れたような溜息を吐かれてしまった。まだ何一つ事の説明をしていないのだが、何故真っ先に己が叱られなければならないのか。遺憾である。
畳張りの和室一面に所狭しと浮かぶディスプレイを避け、大包平は審神者の仕事部屋に足を踏み入れた。実物ではなく全て立体映像なのだから避ける必要はないと頭では分かってはいても、目に見えている以上どうしても避けたくなってしまう。これが実体の性なのだろう。刀の妖でしかなかった頃ならば、障害物など霊体であれば簡単にすり抜けることは出来た。しかし、今は仮初でも肉を伴った実体だ。顕現当初は何度鴨居に頭を強打して兄弟刀に笑われたことか。肉体を得るまでは、刀身が大きいというのは力強くて良い事なのだとばかり思っていた。が、時には大きすぎるのも考え物なのだということを、此処に来て初めて知ったのだ。そも太刀とは騎馬戦を想定した武器である。馬上で戦わない時に抜くには長すぎるのだ。それでなくとも太刀は儀仗、儀礼用の宝物としての役割が大きかった。そんな太刀が時代や戦闘の変遷と共に武器としての役割から降りていったのは、自明の理だ。すばしっこく本丸の庭や戦場を走り回る短刀の童達を見て「適材適所」という言葉の意味をしみじみと感じていた事が、懐かしい。
部屋一帯に浮かぶモニター群には各時代に出陣している部隊の現在位置や戦況、遡行軍の足取りの追跡状況など、様々な情報が表示されている。審神者の仕事部屋はいつでもそんな立体映像で満たされているのだ。昔からあるような日本家屋の一室に科学技術の粋を集めたディスプレイの山とは、なんともアンバランスな光景だった。何も和室に拘る必要は無いのでは、とこの部屋を訪ねる度に思うのだが、審神者曰く畳の部屋は適度にリラックスしながら仕事に集中できるらしい。些か緊張感は無いようにも思えるが、仕事が捗るならそれに越したことはない。
……否、今はそんなことはどうでもよいとして。
「主、なぜ俺の所為にする。俺はまだ何も言っていないぞ」
「三日月がそんな状態になるのは、貴方の前だけだからね」
面と向かってこのように気絶されたのは今日が初めての筈なのだが、それはどういうことなのだろうか。もしや度々己のあずかり知らぬ所でこの男は気絶しているのか。天下五剣を名乗る癖をして一年経ってもこれとは、いつまでも肉体に慣れない惰弱な男である。
審神者が押入れから引っ張り出してきた敷き布団へ、三日月を寝かせる。すると審神者は懐に仕舞っていたらしき扇子を取り出し、ぱたぱたと三日月の顔を扇ぎ始めた。曰く、三日月はただ逆上せているだけらしい。本丸の天候は審神者の術式と政府提供の空調管理システムによって四季を自在に再現できるようになっているが、いくら夏と言えど温度管理は適切になされている。現実世界の様に突然気温が上がることは無い。第一何故、大包平が関わることでこの男は逆上せてしまうのか。また一つ、謎が深まった。
「前にもこんなことがあったのか?主にはその理由が分かるのか」
「度々あるし、理由もまぁ分かるよ。けれどそれは、私から話すことではないな」
「…………こいつに理由を聞こうとしてこの有様なんだが」
大包平とて、三日月に対してこの一年何もしてこなかった訳ではない。どうにかして理由を聞き出そうと、何度も接触を図った。しかしこの男ときたら、内番から遠征、はたまた出陣までのらりくらりと大包平をかわし続ける。彼方が本丸内でもそれなりに刀達から好かれている為時折部隊が同じになっても必ず誰かしらが間に割り込んでくるのだし、昔はおしゃべりだった癖に内番でさえも私語は一切話さなくなった。勿論周囲の者からも、三日月の様子や避ける理由を聞いて回った。……何故か妙に生温かい視線と共に返ってくるその答えはどれも、曖昧なものばかりだったが。
「三日月は困ったひとだね。一年経ってもまだ、貴方に言えないでいるのか」
「……まだ、とは何だ?」
審神者の手にある扇子は規則正しいリズムで揺れる。それまでは熟れた林檎のように真っ赤な顔をしていた三日月だったが、主に扇がれたおかげかその顔色は少しばかりマシになっていた。相変わらず、目は覚まさないが。
「もう少しだけ、待ってあげてくれないか」
此方は一年も待ったというのに、まだ待てというのか。
いい加減、教えてくれてもいいだろうに。
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