月の精は揚羽蝶に夢を見るか
大包平と三日月の出会いは、およそ一年程前にまで遡る。当時まだ審神者に就任したてであった主が苦労の末大包平と大典太光世の顕現に成功し、本丸全体が徐々に活気づき始めた頃だった。政府による模擬演習の一環で行われる秘宝捜索任務での報酬として、大典太と同じく天下五剣の一振である三日月宗近を提示されたのだ。漸く基本的な戦力が整い始めたとはいえ、全体を見ればまだまだ力不足な本丸である。部隊の更なる戦力増強を図るべく、数は少ないながらも刀剣達は必死に任務をこなした。そして、各部隊の尽力もあって本丸待望となる二振り目の天下五剣が顕現したのだ。当時近侍を務めていた大包平は、今でもその降霊の儀を鮮明に覚えている。
時間遡行軍との大戦の為新たに誂えられたというその鞘は、欠けては満ちる神秘的な月の様が金の蒔絵で描かれた見事な出来栄えであった。元々からあった菊と五七桐紋を描いた糸巻太刀の鞘も素晴らしいものだが、此方もまた月の名を冠する太刀を収めるに相応しい絢爛豪華な鞘である。刀身は博物館所蔵時代から良く知る、細身なれど絶妙に均衡のとれた美しい造形だ。平安の刀は茎から鋩まで一貫して強い反りを持つものが多いが、三日月宗近という刀は少し変わっている。茎近くは反りが強いが、刀身の中ほどから鋩に掛けてはその曲線が直線へと変わっていくのだ。振るう者の力量を試すような難しい造ではあるが、それが歴史を重ねた三日月宗近の刀としての美しさだ。流石は天下五剣一の美と謳われた名刀、そればかりは大包平とて素直に賞賛できる。
そして人の型を現したその姿もまた、圧巻のうつくしさであった。例えるならば竹取物語における、輝夜姫を迎えに来た天月の使い。この世に在るとは到底思えないそれと、見紛うほどだ。大包平とは美の系統が大きく異なるが、この刀神もまた正しく美の化身であったと、認めざるを得なかった。
逸話の豊富な天下五剣の陰に長年隠れてきた大包平としては、天下五剣自体があまり好ましいと思えるような存在ではなかった。しかし三日月宗近に対しては、それと同時にほんの少しの親近感のようなものを覚えてはいたのだ。同じく『最も美しい』と称された名刀同士でありながら、この刀もまた他の天下五剣に比べ謎が多く逸話に乏しい。実戦に一度も出されることがなかった大包平とは違い、戦の経験が全く無い訳ではないのだろう。しかしそれでも繊細な美しさ故か、武器として振るわれる機会は極めて少なかったようだ。博物館所蔵時代、刀剣としての美しさなら断じて負けてはいない筈なのに何故彼方だけが選ばれたのか、と妬んでいた事は確かにあった。しかし、此度は共に戦う仲間となる存在である。戦において味方同士の連携は重要だ。そんなわけで「まぁ先輩として仲良くしてやらんこともない」という気持ちで、改めて自己紹介をしたのだったが。
『……すまんが主よ。失敬であることは承知だが、言わせて欲しい。どうかその男に、席を外すよう貴殿から頼んでもらえるだろうか……』
口を開いたかと思えばこの言い草である。三日月が大包平としっかりと目を合わせたのは自身が顕現した直後のたった一度きりで、以降男は一切此方を見ることなくその狩衣の大きな袖にすっぽりと端整な顔を隠してしまった。
無論、大包平は激怒したとも。「ふざけるな」と烈火のごとく怒鳴り散らした。近侍は新たに迎え入れられた仲間の世話係にもなる。大包平からしてみれば、男の言葉は一切の交流を拒んだも同然だった。まして大包平と三日月宗近は、特別仲が良い訳でもなかったが全くの無関係な刀同士でもない。失敬にもほどがあろう。
確かに大包平も三日月も、互いの人型を見とめたのはこの本丸が初めてだった。何せ人の形をつくるだけでも、我が身の霊力を大幅に消費する。今は人型の形成から肉体を伴って顕現するまでの霊力の大部分を政府の付喪神顕現システムとそれを制御している審神者より借り受けている為、少ない負担で人型になることが出来ているが、博物館時代にはそんな後ろ盾など当然無かった。付喪神の持つ霊力の源は、人の信仰心だ。妖や精霊といった神秘を信じ、見通す者が極端に減ってしまったこの現代では、人に化ける程の余力は無かったのだ。
その為、大包平は博物館に移ってからというもの、自分以外の付喪神が人の姿を模したところを見たことがなかった。しかし人型を目にしたことがそれまで無かったにせよ、三日月とは完全な初対面、という訳でもない。博物館に在った頃は、社交辞令程度ではあるが日に一言二言程度は言葉を交わしていたのだ。例えその霊体が人の姿を取っていなくとも、それが何に憑いた妖であるかの判別は付喪神であれば誰にでも付けられる。人が誰しも異なる人相や声質、体臭を持つように、付喪神等の妖も持ちうる霊力の性質が各々で全く異なるからだ。
確かに当時は気に入らないとも思ってはいた。しかし争う場でもなく、喧嘩を吹っ掛けられている訳でもない為に、表立ってそんな感情をぶつけたこともない。
『やぁ、大包平殿。今日の館内は随分盛況だな。異国の宝物達が訪れているからだろうか』
『むぅ、今日は雨か……。観に来る人が少ないのは、些か寂しいものだなぁ』
『貴殿の在った城はどのような所だったのだ? 俺の在った大坂の城は秀吉公の趣味故に、些か派手だったが……姫路の城は家康公の命で大改修されたと聞いているぞ。白鷺と例えられる程ならば、さぞや荘厳で美しい城なのだろうなぁ』
そうやってぽつぽつと会話した際の三日月はいつでも温厚であり、此方から特に気分を害させたような記憶も無かった。大体三日月とて、旧知の相手を無下にするような思いやりの無い男ではない。むしろあれは積極的に構われに来るような、妙に懐っこい男だった筈である。でなければ態々此方に話しかけてくることなどないだろう。そんなことは、いくら大包平にとって気に入らない相手であっても十分過ぎる程理解していた。二百年も同じ場所で保管されてきたのだ。一日で掛けた言葉が少なくとも、それが二百年積み重なればその男のひととなり程度は十分知ることができる。
この本丸に顕現して以来、三日月は今日のようにずっと大包平を避け続けている。その理由が、分からない。大包平には、まるで心当たりが無かった。
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