月の精は揚羽蝶に夢を見るか
前を行く男の天辺にある、ふよふよと上機嫌に揺れる双葉が憎たらしい。
「おい」
「ッ!」
大包平がその刀を呼び止めた瞬間、頭の上で暢気に揺れていた双葉はびくりと震えた。己のすぐ後ろに天敵が近づいていたことに、男は気付いていなかったらしい。能天気な奴である。心なしか、いつもはなだらかな両肩も不自然に上がっていた。
まるで壊れかけのからくり人形のようなぎこちない動作で振り返ったその男、三日月宗近の顔色は、大層悪かった。血の気が引いて、真っ青だ。
「な、なん、だろうか、大包平殿」
「貴様、一体いつまで俺から逃げているつもりだ」
「そ、そ、そんなつもりは、ない、……と、思うぞ」
当刃はそんなつもりはないと言っているが、あちらこちらに視線を泳がせている男の足は若干後ずさっており、逃げる気満々である。というか自分で避けておいて「ないと思う」とは何事か。大包平は所在なげにゆらゆら揺れている蒼い狩衣の袖を掴んで引き寄せた。
「逃がすか! 今日こそは俺を避ける理由、聞かせてもらう……ぞ……ッ?」
犬歯を剥き出しにして吠えた大包平だったが、声の勢いは途端に失われていった。引き寄せた三日月の身体が、そのまま大包平の胸に倒れ込んできたのだ。
……そんなに強い力で引っ張ったつもりはなかったのだが、声を掛けてみて倒れてきた理由が分かった。
「……三日月? お、おい! 三日月宗近! しっかりしろ!!」
胸板に凭れ掛かってきた三日月が、先程とは打って変わった真っ赤な顔をして何故か気を失っている。「ちか……ぃ……」という、意味不明なつぶやきを残して。ただ、袖を引っ張っただけだ。頭を殴るだとか、そこまで強い衝撃は一切与えていない。
何故だ。
(気絶するほど、俺が嫌いか……!!)
大包平の背中から、どっと冷や汗が噴き出す。身体を支える力を失って重みの増したその男神を咄嗟に俵担ぎすると、大包平は主に助けを求めるべく慌ててその場を後にしたのだった。
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