6-5 零番迷宮 後編
【途中報告】
From:最上一善
なるほど、どうあれ一ノ瀬濫觴としての信念を突き通すつもりだな。しかしどうして、信念だけで勝てるのなら、どれほど楽なことか。
この世で最も争いを好むものが何かを知っているかね。それは正義と信念だよ。信念を宿し、正義を行えと鼓舞するはペテンの常套句だ。
今さら信念の必要性は語るまでもないが、それは単なる主観であり、客観性はない。主観に呑まれれば自ずと視野は狭まる。視野が狭まれば次の一手を見失う。動機さえ主観的に正しければ客観的な結果を得られるというのは、ただの驕りでしかない。
重要なのは客観性を伴う信憑性だ。その信憑性の宿る覚悟とはただ、示すだけでいい。
一ノ瀬濫觴を騙る〝虚〟に〝実〟を持たせる。言動はそれとなり、行動もそれに伴う。亡霊たる生徒たちは歓喜のうちに君を一ノ瀬濫觴だと認め、迷宮もそれを覆さない。故にその信念は正義であると。君はひとつずつそれらを積み重ねてここまでやって来た。確かに良い判断だろう、迷宮を騙すには。
だが、僕を騙すには未だ及ばずだな。
神は細部に宿るとはよく言ったものだ。得てして〝それ〟は、君に神が宿らなかった証明でもある。僕は選択を誤らなかった。だから君は偉大にして暴虐なる神になどなれはしなかった。
問題は、その〝ピアス〟だよ。
君の偽称を完全なものにするなら、もっと完璧でなければならなかった。君は言ったね、たったひとりにだけ別れを告げて来たと。ピアスはその贈り物だったのかい?
所詮人間は神になどなれはしないのさ。一ノ瀬濫觴のものとは違うピアスを選んだのは、他ならない〝人間〟としての君だ。君自身の心だ。
覚えておくといい。勝算のない戦いにまで身を投じるのは一個人の勝手な自由だが、他を率いる先導者として行うのならばただの愚行だ。一ノ瀬濫觴としての声は遠くまで響けといきり立っておきながら、その目は身の回りしか見ていない。君は優秀な兵士だが、皆を率いる先導者には遠く及ばないな。
さて、クイーンポーンは依然として健在だ。
君がどれだけ本物だと宣おうと、こうして盤面には女王に成りすます歩兵がいる。そしてそれは僕の視界に入る君とて同じ。君がこの迷宮にて未だ存在しているという事実は、僕が君を見誤っていないことに他ならない。それは君が依然、クイーンポーンであることの何よりの証明だとは思わないかい?
ビショップをビショップの7へ。
さあ、証明したまえ。君が何者であるのかを。
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