ルート65537
ゆったりとしたジャズが流れるフロアの隅、座り心地のいい椅子に腰かけ、どこかそわそわとしながら男はグラスを傾ける。本当はここ最近評判がいいと聞いていたバーのモクテルを飲みに向かうはずだったのだが、生憎今日は満席だと断られてしまった。
仕方がない、と男はホテルを出て、他の夢境へ渡ってきた。黄金の時という煌びやかな明けることのない夜の中を歩きながら、どこか一人で入れそうな店はないだろうか、と飲食店の方へと歩いていく。そのうち、カクテルグラスを看板に掲げた店がひとつ目に入った。
だが――しかし。入ったことのない店、どこか重く見える扉、そしてそのドアの向こうから聞こえてくる緩やかなジャズピアノの音と談笑の声に、男はやっぱりやめておこう……、と尻込みして踵を返そうとした。「あれ? 入らないの?」と、その背に、男を呼び止めるように声をかけてきた少女の声を聴き、一度足を止めて振り返る。
そこに立っていたのは――そう、美少女、だった。
美少女、と一口に言ってもそのカテゴリは様々だ。男は少々、いやかなり面食いだったが、同時に酷く人付き合いが苦手だったため、そのどこか妖艶な雰囲気を持った美少女に声をかけられたのが自分であるとはじめ気が付かなかった。周囲をきょろきょろと見、自分ですか、とばかりに自分を指し示す。美少女は「他に誰がいるの?」ときょとんと首を傾げて見せた。その仕草さえ、二つに結った長い髪がしゃらんと揺れ、可憐で、筆舌に尽くしがたい、彼女だけが纏う美しささえ感じた。
彼女はまず姿勢がよかった。文字通りの意味ではなく、自分を魅せたい者として演出すべき立ち方を理解している、そう言う姿勢が身体に染みついているように見えた。身長は彼女の方が低いから、目を見て話す時は彼女はこちらを見上げ、こちらは彼女を見下ろすことになる。その視線誘導も完璧。彼女の髪は暗いトーンで、身に着けている服やアクセサリーは赤を基調にしているから、彼女の白く小さな顔がまっすぐに目に入る。首回りはすっきりと、デコルテ部分は美しく見えるように派手な装飾はないが、レザー調のチョーカーやストラップがその上を走り、色の対比がこの夜の中でもはっきりと見えている。ゆうらりと水中で薄い尾びれを揺らしながら泳ぐ金魚のように、可愛らしく、それでいて艶やかで、鮮やかで。この煌びやかな夜にも負けないほどに鮮烈に、魅力的に、男の目には彼女が映った。
「え、えっと、その」
「花火も丁度入ろうと思ってたんだ~。あなたは一人?」
「一人、だけど……」
「じゃあ一緒に入ろうよ。話し相手になってくれる?」
こ、これ、これってナンパってやつかな、と男は美少女から出てきた言葉に酷く動揺した。美人局を一瞬疑う。ピノコニーにも詐欺を働く者がいるので気を付けてくださいね、と感じの良いホテルマンが客室を案内してくれた際に教えてくれた。詐欺は宇宙の古今東西にいるな……と思いながらその話を聞き流していたが、まさかこれが……?
「んも~、別に美人局とかじゃないよ? 花火はただ、目当てのお店がいっぱいで~、ちょっと気分転換したかっただけなの。で、入るの? 入らないの」
「は、は、入ります!」
「んふふ。じゃあ行こ?」
体は密着させず、ある程度距離を保ったまま、手袋をした方の手で服を軽く引っ張るだけ。彼女は先に店のドアをカランをベルを鳴らして開け、それから、無人のままなり続ける店の小さなステージのピアノと宙に浮いたまま演奏を続けるサックスがよく見えるテーブル席を選んで腰かけた。
「あ、あの……。実は僕、お酒は飲めなくて」
「ん? ああ、好きなの選んでいいよー。花火もそんなに飲めないから」
顔立ちは独自の文化形態を持ついくつかの星に多い人種のように見える。特に江戸星――あの星の人間はアルコールに耐性がある遺伝子が多く酒豪が多いと聞く。きっと自分に合わせて答えた嘘だろうな、と思いながら、男はメニューにあるモクテルの中から気になるものを選んだ。美少女――先ほどから彼女は自身の事を花火、と言っていたか。彼女は口頭で、男の知らないメニューをオーダーしていく。
「お兄さんは、普段は何してる人? もしかして、何処かの国の王子様とか?」
「いやいやいや。そんな権威のある者ではありません。がっかりさせてしまうと思いますが、……ただの一介の研究者です」
「研究者?」
「はい。普段は宇宙ステーションで自由中性子の研究を専門に行っています。星外から打ち込まれる兵器を予め無効化したり、無効化の無効化をしたりする装置を作る研究ですね」
「へえ~。じゃあ、どーんって急に惑星にミサイルとか打ち込んでも、爆発しなかったりするの?」
「はい。主な動力が自由中性子であれば。磁場の影響で集まったデブリ帯の磁場を打ち消し、航路を整える目的で装置を使ったりもしますよ。実は今回のピノコニー行きは、その仕事が評価されて……多額の信用ポイントとピノコニーへの招待状が送られてきたんです。チームで行っていたことなので、僕一人が招待されるのは少し気が引けたのですが、十年ほど一日も休暇を取っていなかったこともあって、チームのみんなが行って来いと言ってくれたんですよ」
「十年? その間ずっと働いてたの?」
「あはは……。何かに没頭したりするのが好きなんです。あ、でも、仕事ばかりだったわけではありませんよ。趣味のプログラミングでちゃんと息抜きもしていました」
「何を作ったの?」
「え、えっと……」
話にただ耳を傾けてくれる人物と会話をするのが久しぶりで、男はもうその頃には、彼女がたとえ美人局でこの後いくらか金を巻き上げられようとかまわないな、と思い始めていた。なので、正直それをはっきりと彼女に伝えるのは少し気が引けた。あの、引かないでくださいね、と一度前置きをする。
「実は、僕、ゲームを作るのが趣味でして……。あ! 実際に自分で遊ぶのも好きです」
「ゲーム? ゲームなら花火も好きだよ」
「そうなんですか? 普段はどんなゲームをなさいます? パズルですか。アクション系ですか。それともシミュレーションゲーム? ロールプレイング……」
「んー……そうだなあ。スリルがある方が、花火は好き」
「スリル! ホラー系でしょうか。探索ホラーは僕も好きです。あ、すみません、僕の作ったゲームの話でしたね……。いろんなジャンルを作っているんですが、今丁度、作った事のないものを作ろうとしていまして……。恋愛シミュレーションゲームなのですが」
「恋愛シミュレーション?」
「はい! あ、えっとですね、知らなかったら申し訳ないです。主人公がですね、いるんですが、その主人公の前に、何人かのヒロインが現われるんです。そのヒロインの中から、気になる子を一人選び、仲良くなっていく……その子も次第に、主人公に心を開いていき、最終的には二人が恋人になって結ばれる、そういうゲームの事なんですが」
「ふうん……話は聞いたことがあるけど、花火はやったことないかも」
「あ、ですよね……。女性でしたら乙女ゲームの方がきっとお気に召すと思います! 乙女ゲームは主人公が女性で、攻略対象が男性なんですよ。……ハッ! す、すみませんこんな、べらべらと興味のない話を……」
「ううん。そんなことない。面白いよ?」
「そ、そうですか……?」
きっとドン引きされた、と男は怯えたが、美少女は特に気に留めた様子もなく、ただニコニコと男に向かって微笑んでいるだけだった。いつの間にかテーブルに運ばれてきていたカクテルグラスを手のひらで揺らす仕草も、少女は美しかった。あの、それで、と男はそっと口を開く。
「こんなことをついさっきあったあなたにお願いするのも、なんだか気が引けてしまうのですが……」
「ん? なあに?」
「実は……そのゲームの製作で、己の恋愛経験の少なさゆえに――ヒロインが……それに相応しいキャラクターというのが……全く思い浮かばなくて……!」
物心ついた頃には周囲に天才児と持ち上げられ他人との関わりより図鑑を開いていることの方が多くなっていた。それゆえ大学でも親しい友人はほぼ同じ研究室の同僚、その中に女性もいたが彼女らとそう言った関係になることは一切なかった。今の職場でも研究者である同僚の女性達に色目を使うことなど微塵も考えられずに研究第一で生きてきてしまった所為か、いざ作ろうと思いたったはいいが、攻略対象のキャラ造形がただの一つも進んでいないのだ。もうステージやシステム構築は済んでおり、UIも完璧に仕上げている。あとはテーマから抽出した要素をプロンプトに落とし込み、それを用いてキャラを作成し、ルートを作り、好感度システムと選択肢を連動させ、用意したエンディングにつなげるだけだと言うのに。
花火はううう、っと勢いよくテーブルに項垂れた男を見て少し驚いたような表情をしたが、次の瞬間にはにこにことその口元に笑みを浮かべていた。「そういう時はねえ」と男に言う。「誰かを真似してみればいいと思うの」
「真似……ですか?」
「そう。モデルにするんだよ。――ヒロインって、それこそこの世界に一杯、いるでしょ? 現実でも女の子の性格は複雑。フィクションなら観客――この場合はプレイヤーだね。プレイヤーにとって、この子はこんな子だ、ってはっきり分けられるほど、記号的なくらいでいいと思うな。それくらい大袈裟な方が、誰かにとってはヒロインを選ぶ判断材料になる。……クールだったり、人懐っこかったり、ドジだったり、真面目だったり、変なコだったり。そうやって、一旦大まかな人格をカテゴライズして、バランスを見る――それからそこにそれぞれ当てはまる人物に近いキャラクターを本格的に作っていく」
「それが出来たら苦労はしませんよ……」
「じゃあねえ……まず、要素を抜き出してみる。カテゴライズされた側面はあくまで大枠でしかないよね。その子のパーソナリティは人間と同じで、様々な微細な感情、経験、年齢や体格、環境、そういったものの積み重ねで作られているから、その性格になった理由が存在するはず。一旦大枠に当て込んだキャラクターをそこで分解して、別の要素を足したり引いたりしていくの。……シチューの材料は何? 人参、ジャガイモ、玉ねぎ、お肉。そのお肉の種類は? ジャガイモじゃなくてかぼちゃを入れたら? そんな風に大枠の中身を考える。そして、それらすべてが調和するように、【形作る】。ただ、料理にも得意不得意はあるでしょ? だから、お兄さんはそれを、誰かに教えてもらえばいいと思うの」
「誰か? ……作家さん、などでしょうか?」
「そりゃあ、作家も中にはいるんじゃない? でも、ここはアスデナ星域でしょ。人の憶泡、億質、夢――ピノコニーの夢境に入らなくたって、夢は簡単に億質に繋げられる――」
リン、と彼女はグラスを指先で弾き、楽器のように小さくガラス質のベルを鳴らした。はっとして、男は少女の顔を見た。彼女は先ほどの話をしていたとは思えない、ふわふわとした笑みを浮かべている。思わず話に聞き入ってしまっていたが、何も知らない美少女から出てくるには少し込み入った話だったように思えた。
「く、詳しいんですね……?」
「そんなことないよ? 花火はちょっと演技が人より得意なだけ。……今までいろんな花火になったよ。クールだったり、人懐っこかったり、ドジだったり、真面目だったり、変なコだったり。――だからね! その時の事を、あなたのそのゲームのヒロインに当てはめてみればいいと思ったんだ~。……んー、例えば、システムを先に構築した後、試しに、一度プレイヤーにキャラクター造形を委ねてみたら? 作ったら、ゲームは誰かに試してもらうんでしょ?」
「プレイヤーに……? あっ! なるほど。プレイヤーの億質から、予め設定しておいたキャラクターの要素に近い人物を選定し、そのビジュアルを借りてしまえば、キャラクターが用意できていない、という問題は解決出来る……!」
「それが終わったら、その人の億質を参考にして、それをモデルにキャラクターを作るのはどうかな~? ふふ。花火はゲームの事はよくわからないけど、なんだか楽しそう。――ねね。そのゲームってどんなかんじなの。花火、見てみたいな」
茶化したり、馬鹿にしたり、嫌悪されたり――そういう反応をされると思っていたから、男はその言葉に酷く舞い上がった。この黄金の時の上空に、大輪の花火がいくつもいくつも上がったような気分だった。舞い上がったまま、実はパイロット版はここにあって、と男は持ち歩いていた端末を取り出す。少女はそれを受け取り、へえ、すごいねえ、とどこか含みのある声で、楽しそうに目を細めた。
*
「お友達」
花火はにこにこと隣に座る男を両手で指し示す。へへ、っとその花火に紹介され、男ははにかんで笑っていた。穹は今、自分がとんでもない顔をしている、と自覚をもってぴくぴくと表情筋を何とか手懐けようとする。シヴォーンが席を外しており、尚且つ他に客もいなくてよかった。今きっと、サービス業にあるまじき表情をしている。
やっぱりグルだったじゃん、と穹は二人をじとりと見つめた。一件、男の――例のゲームを進めてきたヘルタの研究員には一切毒気がないように見える。可哀そうに。きっと、花火に騙されているのだろう。
「悪い事は言わないから、今すぐにこいつと縁を切った方がいい」
「えっ?」
「も~、葦毛ちゃんってば。人の交友関係にとやかく言っちゃだめなんだよ?」
「いや、本当に、これはばっかりはマジの忠告だぞ。悪い事は言わないから。そいつだけは、本当に、そいつだけは、絶対に友達になっちゃいけないタイプの女だぞ」
「こういう時って、心理学では実際に誰かを悪く言ってる人の方の好感度がさがるんだけど、葦毛ちゃんは知ってた?」
「くそっ、そう言う所だよ」
で、注文は、と穹はぶっきらぼうに尋ねる。男はよくわからないのでおすすめを、と言い、花火はまた長ったらしくどっちつかずの頭をひっかきまわすようなオーダーをしてくる。話半分にそれを聞いて手に取った瓶を適当に傾けることにした。今日は僕が出しますから穹さんもどうぞ、と男は促してくる。
「俺にも?」
「ええ。先日はパイロット版の試遊、ありがとうございました。いやあ、まさかバグが起きてそこから一切本来のストーリーに進まないとは思いもしませんでした。申し訳ありません。あの後自分でも試してみて、バグは既に修正しました。おかげさまで改善点が山のように……。確かに、考えてみれば恋愛シミュレーションゲームなのですから、授業のパートは精々ミニゲーム程度に落とし込むほうがよさそうです。ゲームをプレイするプレイヤーの億質から最適なパーソナリティを選出しキャラクターのビジュアルを借りる、というのは、ここアスデナ星域でしか使えない荒業でしたので、今度は今回のプレイ内容を生かして、もっと要素を分けたり追加したりしてヒロインの差別化を図りたいと思います」
「おう、そうだぞ。あれ、マジで知り合いだらけでめちゃくちゃ気まずかったんだからな」
「すみません……その点を全く考慮していませんでした。それはもうお一方からもご指摘いただきましたので、お二方のお知り合いには全く似ても似つかないビジュアルにするつもりです」
ん、と穹はその言葉にきょとん、として男に尋ねた。
「俺の他にも誰か、あのゲームのテストをしてたのか?」
「ああ、はい。今日、こちらでモクテルを御馳走するので、とお誘いしたんですが……――ああ! いらっしゃいました。【丹恒】さん! こちらです!」
「は?」
視線を向けた先に、手を振る男に気付きこちらに歩いてくる丹恒が――丹恒本人の姿が見える。丹恒があのゲームを? あの、恋愛シミュレーションゲームを? 穹は信じられない、と顔に書いたまま近づいてきた丹恒を凝視する。彼は穹のその視線に気付き、なんだ、と訝し気な顔をした。
「いや……。なんかこの集まり、労いっぽいんだけどさ。……丹恒、お前、恋愛シミュレーションなんて出来たのか?」
「出来るも何も。ただの試遊だろう。ゲームそのものをクリアする必要がないというから、ただ気付いた点をいくらかデバッグとして挙げただけだ」
「なんだよ、水臭いなあ。丹恒もやってたんなら言ってくれたらよかったのに」
ちく、っとその時何故か胸が痛んだ。クリアする必要がないとはいえ、出てきた知り合いたちの中で、彼がそんなことを考えた誰かが、いたんだろうかと。あのゲームを終えて数日、現実の丹恒に逢いに行って、自分の知る彼のままだと確かめて、ほっとしたし、同時に少し寂しくもなった。この気持ちをどうするのかについては、まだ答えが出ていない。そう急ぐものでもないしなあ、と悠長に構えているふりをして、実のところ、ただ今の関係が変容してしまうのが嫌なのかもしれない、と心の底ではわかっている。
「……ま、バグはあったけど、ゲーム体験はリアルではあったよな」
あの時重ねたくちびるの熱も、距離も、手の感触もまだ覚えているような気がする。平常心、平常心、と穹は自分に言い聞かせて氷をグラスに移した。綺麗な涼しいベルが鳴る。
お前は何飲む、と穹は自分のものも一緒に作ろう、とグラスを並べながら尋ねた。彼はなんでもいい、と答えて席に着いていく。穹は小さいグラスに適当に入れたモクテルをまず花火の前に出した。何故かにやにやと、彼女は何が面白いのか全く分からないのだが、少し気に障る笑みを浮かべている。何だよ、と尋ねながら、穹は彼女の隣の男にも作ったモクテルを差し出した。
「実はね~、葦毛ちゃん。同じ環境でゲームを動かすために、テストは前後一時間、ほぼ同じタイミングで起動させたの~!」
「……? どういうことだ?」
「ええと……ピノコニーの夢境と違ってドリームメーカーが作ったみたいな強固な作りではありませんから、あの作りでは、起動のタイミングで人によってゲームの細部が異なることがあるんですね。例えば、教室の雰囲気の文化圏が違ったり、制服が異なったり。そういう差異を失くすために、同時期に試遊をしてもらうことで世界観を統一したんですよ。その方が、人の夢と夢が結びついて強固な空間になりますからね。そういったことの違いでゲーム体験が異なることもありますし。実は、穹さんのプレイ中は花火さんに手伝ってもらい、ゲームの案内をお願いしてたんです。僕はその間、同じように試遊していただいていた丹恒さんのナビを担当していました」
「は?」
「……つまり?」
丹恒も、それは今聞いた、とばかりに尋ね返してくる。つまり、ええと、どういうことだ、と穹は思い当たった可能性に、急にばくばくと馳せ始めた心臓を、落ち着け、まだ決まったわけじゃない、と静かに一人鎮めようとする。にやにやと笑みを浮かべた花火の顔が今は酷く腹立たしい。
「つまり、お二方はゲームの中で、互いの友人のポジションで会っていたはずなのですが……気付きませんでしたか?」
ゲームプレイ中はメニューを開いた時しか意思疎通が出来ないので、どこで会っていたかは僕も把握していませんけど、と男は続ける。がしゃん、とグラスが落ちた。割れてはいない。中に入れた氷が大きく音を立てただけ。わ、大丈夫ですか、と男が尋ねてくる。声は右から左だ。
――まさか、まさか、……まさか?
穹は油を差し損ねた機械のように、ぎこちない動きで視線を丹恒の方に向ける。丹恒もまた、耳を真っ赤にして、口元を覆い、こちらに視線を向けていた。それを見て、あれれ~? と花火が揶揄うような声を上げる。
「二人とも、何で顔が真っ赤なの?」
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