ルート65537
「あーッ! いたーア!」
大声で叫んだ男が、ホテルのロビーにいた自分を指さしてくるので、穹は何事、と一旦自身の後ろを振り返った。だが、そこには誰の姿もなく、男は真っすぐに何故かこちらに近づいてくる。俺じゃないよな、と思いながら素知らぬ顔をしていると、男は探しましたよ! と迷うことなく穹の目の前で止まった。
「穹さん! よかったー! やっとお会いできました!」
「えっと……――誰?」
「え! あ! すみません! あなたの事は有名人なので僕は知っていましたが、僕のことを貴方が知らないのは当然でした……」
「何? サインくれって?」
「ああいやそうではなく」
なんだよ、とホテルのカウンターからペンを借りようとした手を降ろし、穹はきょとん、と首を傾げる。なんだかどこかで見た事のあるような顔をしている気がするが、どこでだっただろう。まあこのピノコニーのどこかで彼と以前すれ違ったことがあり、それが頭の隅に引っかかっていただけかもしれない。だが、その想像に反し、「僕は宇宙ステーション『ヘルタ』の研究員でして」と男は続けた。
「……ヘルタ?」
「ええ、そうです! といっても、お話したことはほぼありませんね……。いつも引きこもって研究をしていますから……。あ、それでですね、今日は穹さんに折り入ってお願いがございまして!」
「報酬は? いくら。それ次第」
「聞いていた通りしっかりしていらっしゃる……! ええもちろん、報酬はご用意しています。アーランさんにあなたが丁度ここにいると聞いてよかった……! では、依頼の内容をお話したいので、少し場所を変えませんか?」
まだ依頼を受けるとも答えていないのに、男は穹が依頼をうけてくれるものだと思い込んでいるように話を進めていく。まあ、丁度暇してたしいいか、と穹は特に何も考えず、VIPルームへ降りていく男の後に続いた。
彼は穹と共に、VIPルームへ繋がるロビーに設置されたバーカウンターに腰掛けると、「穹さんにはぜひ、僕が作ったゲームの試遊をしていただきたいんです」と答えた。ついこの間も似たようなことを頼まれたな、と仮面をかぶった知り合いを咄嗟に頭に思い描く。
「……試遊」
「はい! 実はですね、アーランさんからあなたがゲームをよくしていると耳にしまして……そして、このピノコニーに丁度星穹列車が滞在していらっしゃることも!」
「まあ、うん、そうだけど……? それが何だ」
「星穹列車といえば――ヘルタと友好関係を結んでいるではありませんか。アーランさんもきっとあなたであれば報酬次第でやってくれる、とご紹介いただいたんです。実はピノコニーに来る前から個人的にゲームを作って余暇を楽しんでいたのですが、少々思いついて組んだプログラムが、ピノコニーの夢境と大変相性がよく……できれば夢境の自由な想像力を使ってゲームの世界観の補強を行いたく」
「……ゲームゲームっていうけど、どんなゲームなんだ」
「はい。美少女を攻略して恋人を目指す、恋愛シミュレーションゲームです」
「恋愛シミュレーションゲーム」
思わず鸚鵡のように繰り返してしまった。男は初めて挑戦するジャンルだったんですが、と何一つ尋ねていないのに語り始める。
「製作が滞っている僕に、このピノコニーの地で天啓が訪れました……。思いついてからシステム時間で丸二日休憩も碌に取らずについ数時間前にパイロット版が完成したんです。それで、一度試遊をしてもらおうとアーランさんに相談したら、丁度穹さんたちがここにいることを教えていただいて」
「それで、俺の事探してたのか?」
「はい。そうです!」
男は碌に寝ていないからか酷くハイで、一旦寝たらどうだ、と言いたくなるほど目元に深い隈を作っていた。たまたま数日前にピノコニーで出逢った少女に助けられインスピレーションが、だとか、右から左へと男の話を聞き流しながら穹はずごごごご、と奢ってもらったジュースを勢いよくストローで飲み干す。あれよあれよという間に男の中で勝手に話しが進んでしまい、「では準備をして後ほどお部屋へお伺いします! それでは、よろしくお願いしますね!」と、颯爽と男が立ち去って行ってから、まだやるって言ってないのになあ、とぼそりと呟いた。
一応詐欺の類ではないことを確かめるため、穹はすぐにアーランに連絡を取り、今しがた探した男が、確かにヘルタの所属であり、アーランが彼が作ったゲームの試遊モニターに自分を推薦したことを彼に問い尋ねた。間違いなく、男はヘルタの所属で、今は十年分の有給消化として、数か月の休暇を取っている、と返事が返ってくる。彼に何故自分の事を推薦したのかと尋ねると、アーランは少し時間を空けて、他に思い当たる当てがあまりなかった、と少し気まずそうに、途切れ途切れの言葉で答えていった。
適当に相手をして、詰まらなかったらそれとなく理由をでっちあげてすぐに帰ってこようかな、と思っていたがその言葉で気が変わった。これは友人代表として自分を推薦してくれたアーランに報いるためにも、話に乗ってやらなければ、と。
考えてみればそうだよな、と穹は今更のように気付く。あの閉鎖空間でアスターの世話と防衛課の仕事を両立し、ペペの世話もし、同年代の友人は恐らくおらず、頼れるのはきっと自分だけだったに違いない。くうっ、と穹は目頭を押さえて、そうと決まれば、と自分の部屋に早足で向かっていった。
それから約一時間半ほど経って、男は漸く穹の部屋を尋ねて来た。かれは大層な荷物をいくつか部屋まで一緒に運んできて、てきぱきと早口の念仏のようにこれはどういった機械であるか、いまからどういったことを行うのかを事細かに説明してきた。その話の半分も頭に入ってこなかったが、要するに、「これは超・没入型VRシミュレーション装置で」、「脳波を管理し適切に電気信号で脳を刺激することで、ゲームの中で実際に五感を使っているような感覚を覚える、リアルな体験が出来る特殊な機械で」、「このピノコニーの地であれば、アスデナの億質の性質を用いてより豊かなゲーム体験が出来る」らしい。
へーそーなんだー、と棒読みで答えた穹に、男は漸く準備を終えたのか「はいでは横になってこれをつけてくださいね~」と勝手に部屋のソファに穹を仰向けにさせ、何が起きているのか、とよくわからない表情で天井を見上げていたところに、かぽ、っと視界をすっぽり覆う半球のヘルメットのようなものを被せてきた。は、と急に暗くなった視界に戸惑っていると、ではいってらっしゃーい、と軽い声と共に、何故か猛烈な眠気に襲われてしまう。さすがにこれはまたお前は、と怒られるパターン、と穹はうっすらと列車に居るはずの親友の事を思い浮かべた。
――ら、目の前にその親友が眠っていた。
「…………、――」
ぎょっとして穹はその場で固まってしまう。寝てるのに顔が整ってるな、だとか、間近で見ると睫毛長、だとか、瞼閉じてるとちょっと子供っぽいな、だとか、流れる前髪が邪魔そう、だとか、やっぱり寝る時はピアスは外すんだな、だとか、夜はパジャマにちゃんと着替える時もあるんだな、だとか、突然の至近距離の彼――丹恒に、動揺しながらそんなことを考えた。
頭の中の宇宙を閉じて、漸くここがどこかを次に考えようとする。穹は視界を動かし、先ほどの記憶では、急に暗くなったような、と直前の事を思い出す。なんで丹恒がここにいるんだ、と理解出来ずに疑問符を浮かべた。少し頭を上げてみる。どこだここ、と全く身に覚えのない部屋ますます何が起こっているのかわからないまま、なに、呟く。その声で意識の縁に手を駆けたのか、もぞ、っと目の前の体が身じろいだ。
「……ん、――……」
薄く瞼が開かれて、とろん、とした眸が覗く。数秒、丹恒はぼんやりとした表情でこちらを見て、続けて無言のまま手を伸ばした。なに、と自分の方へ伸びてくるその手に何故か思わず目を閉じてしまう。穹の首の後ろに回った手が、何かを探すようにぱたぱたと動いた。そしてその手に何かを握る。充電コードに繋がれた端末だった。
「……――あと三〇分」
「は?」
「寝れる……」
ごっ、と落ちてきた端末が後頭部に当たる。う、と思わず呻いて、なんだよもう、と起きたついでにこちらに背を向けるように寝返りを打った丹恒を睨む。「勝手に入ってくるな……」とまだ半分寝惚けたような声で彼は続けた。
勝手にってなんだ、と何のことなのか何一つ理解出来ないまま、穹はそのままもう一度眠ることも出来ずに、結局丹恒をその布団の中に残してそっと寝床を抜け出した。部屋の中をぐるりと見回す。今まで横になっていたのは、いつもの敷布団より少し厚みのあるマットレスだった。机と本棚、それにクローゼット、姿見、それらがそれぞれ壁に沿って置かれている。
資料室程広くはない。どこだここ、と全く思い当たる節もなく、穹はまた首を傾げた。ゲームって言ってなかったか、とあの男の話をぼんやりと思い出す。だがこの状況のどこにゲームの要素があるのか。部屋を見回していた穹の視界に、ふと、場違いなぬいぐるみの姿が目に入った。さっきまで何もなかったはずのところに、いつのまにかなんだか見覚えのある女の子を模った人型のぬいぐるみが座り込んでいた。
「……丹恒の趣味じゃないな。おい、そこの綿。聞こえてるだろ。飛んでみろ」
「…………」
傍から見ればぬいぐるみに話しかける頭の可笑しなやつなのだが、穹は今の状況が現実ではないと分かっていたから、そのぬいぐるみに対して雑に声を投げかけた。ぬいぐるみははじめ沈黙していたが、じっと穹が視線を逸らさずにいると、「も~」と、首をかくんと傾けて、今骨が入ったかのように、かくかくっと体を揺らし、立ち上がりぽてぽてと歩き出した。ぴょんぴょんとその場で飛んでみせる。
「ほら、これで満足~? 何も落ちてこないでしょ。葦毛ちゃんってばチンピラみたい」
「なんでお前がここにいるんだよ」
「ん~? え~? ひ・み・つ!」
「ひみつとかどうでもいいから。まさか……さっきのやつもお前か?」
迂闊だった。まんまと嵌められたのか? だが、アーランに聞いて裏は取った。あのアーランまで花火だとは思えない。彼女はぬいぐるみの体をこてん、と斜めに傾けた。
「何のこと? 花火知らなーい。――あ、そうだ。簡単にゲームの説明をするね。このゲームには数人のヒロインが存在します。そのヒロインとお話して、仲良くなって、エンディングを目指してくださーい」
「……あー、……なんだっけ。恋愛シミュレーションゲーム?」
「そうそう。お相手の子は葦毛ちゃんの夢や記憶領域から抽出した憶泡を同期させた憶質から、設定に一番最適なパーソナリティをそれぞれ選出して、ビジュアルを借りてるよ。攻略対象の他にも、役職や固有名詞を持つ登場人物は同様にビジュアルを借りている場合があるよ。好きな子を選んでルートを選択してね。エンディングまでいくと、ゲームクリア! 自動的にシステムがシャットダウンされて、元の場所に戻れるよ」
どうやら彼女がゲームのルールを説明している、と穹は気付いた。なんで花火なんだ、と疑問はかなりあったが、今はそれを突っ込んで話を横道に逸らさない方がいいだろう。彼女に珍しく真っ当にゲームの話をしている。要するに人と会話をして惚れさせれば俺の勝ち、ってことな、と頷いた穹に、そういうバトルじゃないんだから、と花火は少し不満げな声で言った。
「本来は好感度システムの達成度が分かるようになるはずなんだけど、今回はよりリアルな体験のためにそれらの機能をあえてオフにしてあります――だって」
「……じゃあこっちへの好感度がわかんないってことか」
「そうみたい。あ、舞台はある文化圏の星をモデルにした学校――ハイスクールで、葦毛ちゃんと攻略対象はそこに通ってる生徒や先生だよ」
「先生もなのか!?」
ということは、綺麗なお姉さんもいるということか。俄然やる気が湧いてきた。攻略するなら絶対に先生だな~、と思いながら、オーケーオーケー、と穹は軽く花火をあしらった。
「だいたいルールは分かった。要するに仲良くなってちゅーでもすればクリアだろ。前に銀狼がやってるの見たことある」
「銀狼――ああ、星核ハンターのハッカーちゃん」
「って言っても、誰とも好感度あがんなくて隠しルートに最速で入ってたけどな。お前が何でここにいるのかはわかんないけど、どうせこの前バーで遊んでくれなかったとか、そういう意趣返しだろ。最速でクリアしてやるから精々高みの見物してな」
「んふふ! なに~? 葦毛ちゃんってばそんなに恋愛に自信があるの?」
「したことない。けどヘルプ経験だけはめちゃくちゃ豊富だ」
それこそ、時空間長距離恋愛、寿命差・種族違い・転生・死者と生者なんでもござれだ。何故かはわからないが他人の恋愛事情に、定期的に傍観者として巻き込まれ続けている。ふうん、と花火はその返事ににやにやとした笑みを浮かべたような含みのある声で頷き、じゃ、がんばって~、と、ぽんっとその場から音を立てて消えてしまった。
その瞬間、背中を向けていた布団の方からけたたましくアラームが鳴り響く。目覚めの合図だったが、穹にとってはもはやゴングに近かった。
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