6-3 零番迷宮 前編
【途中報告】
From:最上一善
こうなることは、君から話を聞いた時点で覚悟していたさ。数多ある可能性のひとつとしてだがね。だがそれも、君がピアスを開けて来た時にほとんど確信に変わった。
問題は何故ピアスを開けたかじゃあない。〝どうしてピアスを開ける余裕があったのか〟だ。
チェスが打てないと言う君に、僕は棋譜を記したメモを渡した。全くの素人では二日で暗記をするなど不可能に近い62手もの棋譜をだ。
それを君は暗記したと言った。気合いでどうにか覚えたと言えば、それも有り得ない話ではないのだろう。しかし君はその間に服を揃え、髪を整え、ピアスまで開けて来た。一ノ瀬濫觴に成らんとしてだ。
だが、そんなことは土台無理なのさ。素人がキングズギャンビットなどという、最も激しい打ち筋の棋譜を、たったの二日で暗記してくるだなんてね。そも素人相手に打つとして、勝つ側の僕がわざわざ棋譜を記したメモなんて渡すと思うかい?
君が裏切る可能性は既に織り込み済みだったのさ。
何故なら君は初めて会ったあの夜から、ずっと何かを見ていたからだ。僕に協力を仰ぎながら、僕ではない何かに追い縋っていたからだ。責任だけではない羨望の重圧を背負う姿は、まるで枷を付けられた囚人のようにさえ見えた。
だから僕は君の助けになると覚悟を決めた。架空の一ノ瀬濫觴という幻想は〝僕たち〟の手で消すべきだと。何故ならば架空の一ノ瀬君の姿を求めていたのは、他でもない君だったからだよ。
であるからして、僕がここにいる。僕が君を見失わない限り、この迷宮で君が消失することは決して無いからだ。
そして僕は、君が悪であることを認めない。
絶対的な正義と完全なる悪とが存在するなら、人はもっと単純に生きられるはずだ。だがね、実際にあるのは主観的な善と主観的な否定のみなのだよ。
自身を善とし、そこに対立するものを否定すべき悪だと見倣した時、全ての温情や親和性は喪失する。
それは自身の自主独立性を過信し、恐怖を支配せんとする欲望の正当化だ。信念とは己の愚行を正当化させるための化粧ではない。
知恵は剣に勝るということを教えてあげよう。
僕は、ビショップでナイトを取る。
さあ、ここからは裏打ちなしの真剣勝負だ。
心置きなく全力で来たまえ。その枷を解いて僕が勝ってみせよう。それが君と交わした約束だったろう?
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