無自覚コミュニケーション
「ようやく自覚したか?」
サンジがにやにやとローの顔を覗き込む。周りを見ればこの場にいる全員がそんな顔をしていて、ただ一人、ローだけが片手で顔を覆って項垂れていた。
ワノ国で同盟を解消し、航路を別って数ヶ月。用があって麦わらの一味に連絡をしたらたまたま近くにいると言うので、最寄りの秋島で合流することになった。せっかく会えるのだ、麦わらの剣士を酒場に連れて行こうとサニー号に乗った途端、サンジとナミに拉致られ、いい加減自覚しろとローとゾロがどうとか聞かされて、この状況だ。
最初は何のことかまったくわからなかったが、ロビンの話で意図は掴めた。ロー自身に自覚はなかったが、麦わらの剣士とハートの船長は物理的な距離が近いらしい。なるほど、交流があるとはいえ、いつしか敵にもなり得る他船同士。麦わらの一味としては仲間と他船の船長との距離の近さを快く思っていないのかもしれない。そう思いながらフランキーの話を聞いていると、途中でじわじわと違和感が首をもたげ始めた。快く思っていないにしては、たとえが好意的だ。恋人だとか付き合っているだかいないだか、まるで二人が好き合っているかのように話している。
明確におかしいことに気づいたのは、なぜか混ざっているペンギンの話の時だ。自船での行動を改めて第三者から突きつけられ、ようやっとそこで彼らが何をしようとしているのか理解した。そして、とどめがサンジの話だ。
気持ちの整理をつけるべく、自分で振り返りながら話している最中なんて頬どころか、首から上が熱くて仕方なくて、比喩ではなく本当に顔から火が出るかと思った。要は、ローはゾロのことを好いているということだ。恋愛感情で。麦わらの一味の剣士を、ひとりの男として好いてしまっている。
彼ら曰くゾロもそうらしいが、実際どうなのかはわからない。あの距離感を許しているのだから満更ではないはずだ。恋愛感情に至っていなかったとしても、ローが押せば律儀な男のことだ、そちらの方向で考えてくれるだろう。
「……この場に麦わら屋がいないのは、あいつも気づいているということか」
そうよ、とナミが肯く。ローはさらに背中を丸めた。せめてルフィは気づいていないと思っていたのに。あんな恋愛感情のれの字もないような男にまで、自分の気持ちがダダ漏れだったことが恥ずかしい。
「そんくれェバレバレだったってこった」
「今日トラ男くんに自覚させる会開くって言ったら、自分からゾロを引き受けたものね」
「そうそう、ナミ達が何か言う前におれはゾロ担当だな! って、ゾロを甲板に連れて行ったんだぞ」
「ヨホホ、わかっていなかったのはゾロさんだけでしたねえ」
いつもいの一番に飛びついてくる船長が珍しくいないと思ったらこれだ。だが、この場にゾロがいなくてよかったと思っているのも、事実。本人がいればローの顔が発火するどころの騒ぎじゃない。きっと頭からも煙が噴き出て、憤死してしまう。
「しかし、いいのか」
「なにが」
「おれを自覚させるということは、ゾロ屋がおれのものになるということだぞ。お前らはそれで、いいのか」
「別にあんただけのものになるわけじゃないもの。たとえトラ男と恋人になったとしても、ゾロが麦わらの一味で、私達の剣士であることは変わらないじゃない。ルフィがいる限り、それは永遠に変わらないわ」
あんたには残念だけど、と一ミリもそう思ってなさそうな声色で、航海士はローを見据える。同じように隣に立つのはコックであり、船長の両翼の片割れだ。恐らく船長を除いて、剣士に関わる事柄の代表者が二人なのだろう。その後ろでこちらを見るのは狙撃手と船医だった。さらに後ろで、本人達曰くアダルト組が見守っている。ロー以外で唯一の部外者であるペンギンは、どちらにも属さない中立の立ち位置にいた。ここまで築いてきた麦わらとハートの関係を崩すのは得策ではない。しかし心情的にはロー寄りではあるので、あえてどちらにも属さずに見守る側に入るようだ。
「私達はね、トラ男。仲間には幸せになってほしいのよ」
「おれとしちゃマリモの幸せはどうでもいいが、ナミさんやロビンちゃんがこう望むからな。……わざわざ不幸になってほしいわけでも、ねェしよ」
「素直に幸せになれって言えないの難儀よね、あんた達。――つまりね、ゾロには幸せになってほしいの。私達の誰かであれば、簡単なことだったんだけどね」
「……よりにもよって、他船のおれだったと」
「そういうこと。まあ、好きになっちゃったもんは仕方ないわよね。いっさい他人に興味を示さないゾロが選んだのが、ルフィでもなくサンジくんでもなく、トラ男だったんだもの」
「なんでおれの名前が出てくるんです? ナミさん?」
どこか焦った様子のサンジを無視して、ナミはローに人差し指を突きつける。
「だからしっかり、ゾロを幸せにしないと許さないんだからね」
どうやら、本当にそれが一味の総意のようだった。ゾロに幸せになってもらいたくて、そうなるためにはローが必要だろうと今回の拉致に至ったわけだ。それならば、返事は一つしかない。むしろ、自覚したばかりのローにとっては願ったり叶ったりだ。
「当然だ。ゾロ屋を不幸にする気なんざ、端からねェ。おれは何があってもゾロ屋を離しはしないし、あいつ以外を見る気もない。おれ個人、ただのトラファルガー・ローは、すべてロロノア・ゾロのものだ」
真正面からナミを見返し、ローはきっぱりと言い切った。揺らがない視線にナミは及第点だと頷く。他のクルーも納得した顔をしていたので、試験は合格だったらしい。そもそもローを自覚させようの会だったはずだが、いつの間に試験会場になっていたのだろうか。
頭の端でそんな疑問がかすかに過ったが、爪の先程度だったので気にしないことにした。周囲に認められてしまえばこちらのものだ。あとはゾロの気持ちひとつだけ。
このままの勢いで告白をしに行かねばと、甲板にいるゾロの元へ行くべくローはドアに近づいた。ドアノブを掴もうと手を伸ばし、しかし空振る。外側から誰かがドアを引いたためだ。
バン! と一歩間違えば壊しそうな音を立てて開けた張本人が、至近距離にいたローに隻眼を見開いた。薄いグレーをしている目が、きらきらと光を放って星のように光る。
「トラ男、聞いてくれよ!」
ゾロがローの姿を認めて、懐っこく笑う。酒を呑んでいる時か機嫌のいい時くらいにしか見られない無邪気さを含んだ笑顔は、自覚したばかりのローにとって刺激が強い。ぐぅ、と呻く目の前の男の様子には気づかないまま、ゾロはさらに爆弾を放り投げた。
「さっき気づいたんだけどよ、おれ、トラ男のことが好きみてェだ!」
元気の良い告白だこと、と呟いたのは、果たして誰だったか。次の瞬間にはローとゾロの姿は消えていたので、確かめようもなく。
二人の代わりにごとりと音を立てて床に落ちたのは、コインが詰まった小さな宝箱だった。
powered by 小説執筆ツール「notes」