共に歩んだ軌跡に想いをこめて



 夜の帳が降りて久しい頃、部屋には静かな闇が広がっていた。窓の外ではまだ酔客たちの笑い声や、誰かが酒場の扉を開け閉めする音が小さく響いていたが、その喧騒すら、まるでこの部屋の静けさを引き立てるための演出のようだった。
 灯りは壁際のランプひとつ。炎が小さく揺れて、天井の木目をぼんやりと照らしている。照明のない部屋の隅では、黒がさらに深くなり、室内にはほの暗い陰影がやさしく満ちていた。

 ベッドの上には、新品の寝具が整然と敷かれていた。上等なリネン、ふわりと体を包む暖かな毛布。街でギルが買い揃えてきたもので、屑籠に放り投げてあった値札の数字を見たマーロンは思わず眉をひそめたが、文句を言う間もなくギルにベッドメイクをされてしまった。その清潔な寝具の香りと柔らかな肌触りが、緊張を和らげてくれている。まるで「今夜はおまえを大切に扱う」と言われているような気がして、それが逆に気恥ずかしさと昂りを与えていた。

 ふたりは微妙な距離をとって、ベッドの端に腰をかけていた。何かを言おうとしては、互いに口を閉ざし、しばし無言が続く。マーロンの肩がわずかに震えているのを、ギルは見逃さなかった。けれどそれは恐れや嫌悪の震えではない。一線を越えることに、戸惑いと高揚が入り混じった震えなのだ。
「おい、なんか言えよ」とギルが声をかけたが、マーロンは横目で睨みつつも「ちょっと黙っててくれ」と掠れた声で言った。

 しばらくの沈黙のあと、ようやくマーロンから声をかけた。
「……なあ、兄貴」
 その声は、どこか緊張で乾いていた。ギルは顔を上げ、少し間をおいて言葉を返す。
「……なんだ」
「ずっと、言いたいことがある。けど……言って、嫌われたらと思うと、怖くて……」
 マーロンは笑おうとした。けれどそれは笑みにはならず、唇が震えるだけだった。
「あんたに離れてほしくない。ずっと……一緒にいたい。けど、俺の思いが重すぎたらって……あんたを困らせたくない」
 ギルの指が膝の上で止まる。何も返せないまま、拳を握った。マーロンは続けた。
「俺はずっと、兄貴に憧れてた。兄貴に褒められたくて、追いつきたくて、笑ってほしかった。……それがいつからか、隣にいたくなって。もっと……近くにいたくなって」
 声はしだいに震え、けれどその目は真っ直ぐにギルを見つめていた。
「兄弟の誓いは、兄貴とだけだった。けど、それじゃ足りなくなったんだ。……もっと、ずっと、深く結ばれていたいって思うようになった」
 ギルはその場で微動だにできなかった。頭の奥で何かがざらつく。言葉にするには未熟で、不器用で、けれど確かに知っている感情——マーロンの願いは、わかる。自分だって、どれほどその存在に救われてきたか。誰よりも信じて、守りたくて、失いたくなかった。けれど。
(本当に、踏み込んでいいのか)
 これは友情ではない。兄弟の契りとも違う。一度越えてしまえば、もう戻れない。それでも、自分の想いは——
「……兄貴?」
 マーロンの声が小さく割り込む。ギルはようやく、顔を上げてマーロンと目を合わせた。
「……俺も、ずっと考えてた」
「……」
「マーロンがいなくなったら、俺はどうなるか……どれだけ……俺にとってお前が大事なのかって」
「……兄貴……」
「でも俺は……怖ぇんだ。もし、手を伸ばして、お前が離れてったらって……」
 言葉が喉に詰まり、うまく続かない。それでもマーロンは、そっと微笑んだ。
「それなら、俺から改めて……求めてもいいか?」
 ギルの目がわずかに見開かれる。
「兄貴に嫌われるのが怖い。でも、それ以上に……何も伝えずに終わるのは、もっと怖いから」
マーロンはそっと手を差し出した。
「俺は、兄貴と生きていたい。戦うだけじゃなくて、一緒に笑ったり、飯を食ったり、肩を並べて眠ったりしたい。……それが、だめか?」
 ギルは震えるようにマーロンを見つめた。そしてゆっくりと、自分の手を伸ばす。何かを決意するように、マーロンの手に触れた。

 ふたりは何度も命を懸けて背中を預けてきた。傷の痛みも、怒りも、喜びも分かち合ってきた。
だが、今から交わすものは、剣のやりとりとも酒の杯とも違う。男同士という境界を越え、心のもっと深いところに手を伸ばす行為。それは淫猥であると同時に、どこか神聖にも思えた。

「俺のほうこそ……こんな野暮な野郎で、本当に、いいのか?」
 ギルは掠れた声でマーロンに問いかける。マーロンの顔にいつもの余裕は消え真剣な眼差しがギルの心を突いた。ギルは彼の左目へと視線を落とし、そっと指を伸ばした。包帯の下に隠された傷跡——直接見ることを躊躇うように手が空中で止まる。それを察したのか、マーロンは静かに包帯を外した。
 そこには既に癒えた肌があった。だが、二度と開くことのない瞼が——大きく残る裂傷の跡が、かつての痛みを物語っているギルは恐る恐る指先を近づけた。その手をマーロンが優しく掴む。そして自らの左目へと導くように、そっと重ね合わせた。

「もうなんともねえよ」
 指先に伝わる微かな凹凸と肌から伝わるマーロンの温もりにギルは息を呑んだ。
「痛くねぇか?」
 ギルの低い声に、マーロンはわずかに笑みを浮かべた。
「もう痛みはねぇよ。でも——それでも、兄貴にだけは知っててほしいんだ」
「俺は、お前を失わなくてほんとによかった」
「兄貴……」
 マーロンは力強くギルの手を握る。その強さにギルの胸がぎゅうと熱くなった。傷跡をなぞるように指を動かした。慎重に、ゆっくりと。そこに刻まれた想いごと抱きしめるように。

 ギルの手のひらは、そのまま滑るようにマーロンの頬へと添えられた。男にしては綺麗な肌だが、こうして触れるとようやく判るヒゲの剃り跡。女とは違う男の感触に戸惑いながらも指先は離れなかった。震える指先が、ぎこちなく唇へと触れる。すっと距離が縮まり一瞬ためらうギル。しかしその迷いを見透かしたように、マーロンがさらに近づいた。そして互いの唇が静かに重なった。
 マーロンが身体を寄せるとギルは堪えきれずに彼を抱きしめた。舌が恐る恐る触れ合い、やがて絡み合う。呼吸が重なり、互いの熱が混じり合う。マーロンの手がギルの逞しい背中に周りしがみつく。その掌に力がこもり、震えているのがわかった。

「…ずっと、こうしたかった」
 懇願するような声に、ギルの理性が音を立てて崩れ落ちた。腕の中にいる男は、いつもの強気な姿ではない。頼りなげにしがみつき相手を求めている。ギルは息を荒げながらマーロンを押し倒した。絡みつく舌、唇を這わせるたびにマーロンの身体が震える。首筋を這う熱い吐息に、切なげに震えた。
「兄貴……ギル…ん、ぁ……っ」
 必死に誘うように喘ぐマーロンの姿に、ギルの中の雄が目を覚ます。もう後戻りなどできない。理性はとうに手放していた。だんだん荒くなる息と共にギルはマーロンの衣類を引き剥がした。ずっと思い焦がれていた肢体が目の前に広がった。

 同室で過ごしていたので着替え等でお互いの裸は見慣れてはいた。だがこうして間近で見るとマーロンの肌に大小様々な傷跡がある事に気付く。その割に顔には今回の大怪我を除いて傷跡は見当たらない。マーロン曰く「身体に傷跡があると女達は俺の男らしさに惚れ直すからな」と軽口を叩いた事があった。「小憎らしい奴」とその時は思ったが、その傷のいくつかはギルの護衛で付いた物だと気付いた。
 滑らかな肌にうっすら残る桃色の線や窪み。それらをひとつずつ確認するように撫で、そして唇を寄せ吸った。ピクリと肉体が動く。嫌そうなそぶりもなく、もっと接触を望むかのように肌を押し付けてくる。
徐々に汗ばむ肌にゆっくり手を這わせ……首筋から鎖骨、胸分へ滑らせ突起部分ににたどり着いた時に手が止まりその部分を指先で撫で摩り愛撫した。
「あ、あああっ……!」
 マーロンは思わず身をよじった。その体を逃さぬよう、ギルの太い腕がしっかりと腰を抱き寄せる。
その反応にギルの興奮はさらに高まり、指を離して顔を近づけ、熱く湿った唇でその乳首を吸った。敏感な突起はすぐに固くなり、ギルは唇で転がすように、甘く弄んだ。

 マーロンの息が荒くなり、最初は戸惑うような喘ぎ声も次第に快感を帯びた喘ぎへと変わっていった。ギルはその声にぞくりと背筋を震わせ、もう一方の手でマーロンの背を撫でながら、耳元で囁いた。
「お前の声、好きだ……俺だけに、もっと聞かせてくれ」
 ギルの低い男らしい声に心臓がマーロンの心臓が早鐘をうつ、瞼を伏せて羞恥を滲ませながらも、首を横には振らなかった。ギルはそれを合図と受け取り、唇を下腹部へと移動させていく──。
 マーロンの息が荒く、喉の奥でかすれた声を漏らす。目元は羞恥で潤い、どこか戸惑うようにギルを見上げた。

「……お、おい、ギル……そこ、ばっかり……」
言葉では拒もうとするが、肩に力は入らず、腰も逃げ切れずに甘く震えている。ギルは口元を歪めて低く笑った。
「そんな声も出すんだな……」
 いつもの小生意気な態度からは想像もできない、艶を帯びた吐息。それがギルを強く昂らせる。舌先で乳首を転がし、吸い、時にはそっと歯を立てて刺激を与える。
「ひっ……や、やめ……ッ、そこ……変になる……ッ!」
 マーロンの声が裏返り、体がぴくんと跳ねた。けれどギルは止めない。むしろ、そうやって反応するのを確かめるように、左右を交互に時間をかけて舐め、吸い、時に軽く噛んでじらしていく。
「だめだ……ギル、わかんねぇ……こんなの、俺……ッ」
「俺だって、どうすりゃいいかなんて、わかんねぇよ……でも、嫌だったら言ってくれ。止める」
 ギルの手が腰から背を撫で、やがて内腿へと滑っていく。マーロンの体はぴくりと震えるが、逃げようとはしなかった。拒絶の気配は、どこにもない。
「こんな、俺の荒れた手で……触れて大丈夫か?」
「痛くなんか……あるかよっ……むしろ……なんか気持ちよくて、堪んねえんだ……!!」
 羞恥と困惑と快楽も求める淫猥な気持ちが混ざり合い、マーロンはただ呻くしかなかった。ギルの低く熱を帯びた声が、肌の奥にまで染み込んでいくようだった。マーロンは震える唇を開きかけたが、言葉にはならず吐息だけがこぼれ落ちた。

 お互いの肌はじんわり汗ばんでいて、触れるたびに熱を伝えてくる。ギルはゆっくり体を重ね、腹と腹を密着させながら、自然と互いの昂ぶりが擦れ合うように動いた。マーロンが小さく声を漏らす。舌を噛んで抑えようとするも、擦れた先から伝わる快感が、理性を容赦なく溶かしていった。
「……ギル、ちょっと……待て……重……っ」
 息を詰めるように言うマーロンを見て、ギルは慌てて身体を浮かせながらも絶妙に肌を密着させ、そして額を重ねた。
「お前が近くにいると……抑えられねぇんだよ」
 声は低く、苦しげで、それでもどこか優しかった。マーロンも応えるように腕を背へ回し、無言で引き寄せる。拒むでも、媚びるでもなく、ただ自然に。まるでずっとこうしてきたかのように。

 唇がふいに重なった瞬間、マーロンの呼吸が止まった。最初はほんの触れるだけのキス──けれど、それだけでは足りなかった。ギルがぐっと唇を押し当て、角度を変えて更に深く重ねてくる。舌が割り込み、戸惑いながらもマーロンはそれを受け入れた。舌先が触れ合い、ぬるりとした感触が口内で絡む。互いの熱が溶け合い、吐息すらも混じり合っていく。
「……はっ……」
 マーロンがわずかに首を傾けると、ギルはそれに応えるように再び深く口づけた。唇と唇が啜り合い、舌が何度も探るように動き、唾液がわずかにこぼれて頬を伝う。ただの接触じゃない。欲望でも、慰めでもない。そこにあったのは、もっと素直な「確かめ合い」だった。ギルの大きな手がマーロンの後頭部を支える。逃がさないように、壊さないように。重ねられる唇の圧がゆっくりと強くなる。喉の奥から漏れる湿った音に、どちらのものかもわからない吐息が混じる。

「んくっ……ギ……ル……っ」
 マーロンが小さく呟いた名に、ギルの唇が微かに笑みを含む。けれどキスは止めない。むしろ、より深く──何度も、何度も唇を重ね、貪り、舌を絡め合う。やがて、どちらからともなく少しだけ唇を離す。細く繋がった唾液が、ゆっくりと糸を引いて切れた。
 マーロンは肩で息をしながら、ギルを見上げた。瞳は潤んでいて、ほんのり紅潮した頬が熱を語っていた。ギルもまた、頬を染めながら、そっと額を重ねて呟く。
「……これで、わかったろ。お前が、どれだけ欲しかったか」
 マーロンは言葉も返さず、ただ、もう一度唇を近づけてきた。──ふたりのキスは、それからもうしばらく、終わらなかった。

幾度も唇を重ね合い、お互いの名を囁き合った後──ギルの指がゆっくりと下腹部に滑り、ふたりの中心を自然に重ね合わせた。


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