共に歩んだ軌跡に想いをこめて


 無事ダンジョンの探索を終え地上に出た時には既に日が傾きはじめていた。

 近くの街道を走る乗り合いバスには乗り遅れ、すでに通過した後だった。仕方なく徒歩で森を抜け、拠点の村まで戻ろうとした。だが、思わぬ迂回と小川の増水で足止めを食らい、ギルは苛立ちを押し殺しながら地図を広げて言った。
「……このまま進んでも、途中で真っ暗になる。ここで野営するぞ」
「んー、まぁ仕方ないか。今日の戦利品を換金して豪遊したかったが、急いては事を仕損ずるって言うしな」
「よくそんな言葉知ってるな」
「ギルさんよぉ、もしかして俺をただのハンサムな脳筋だと思ってんだろ?失礼しちゃうぜ」
 マーロンは目の前に広がる小さな草地を見渡した。木々に囲まれた天然の広場のような場所で、空が開けている。天候さえ悪くならなければ、ここで一夜を明かすには悪くない。ふたりは無言で手を動かし、慣れた手つきで簡易テントを立てる。寝床の用意が済んだ頃には、すでに空が青黒く染まりはじめていた。

「よし、火を起こすか」
 ギルがマッチを擦り火種を作るついでにタバコに火をつける。乾いた小枝がパチパチと心地よい音を立てて燃えはじめた。
「こうしてたき火を囲むのも、イイよな」
 マーロンが言いながら火の前に腰を下ろした。ギルもその向かいに腰を下ろしとタバコをふかす。そして思い出したように背負い袋の中から小さな帆布の使い込まれたポーチを取り出した。そこには磨き上げられた金属の携帯用ミルと、頑丈な缶に入った焙煎豆が収められている。
「……コーヒーか」
「いるか?」
「ん、まぁ。ギルの淹れるコーヒー、めちゃくちゃ苦ぇけど……嫌いじゃない」
 ギルは無言でミルに豆を数粒ずつ丁寧に入れていく。その手つきは慣れていて静かで無駄がなかった。ミルのハンドルを回すと、静かな森にシャリ、シャリ、という豆を砕く音が小さく響く。夜の森のさざめきと共に聞こえるそれはやけに耳に心地よく、どこか落ち着くものだった。
「ほんと、手間かけるよなあ……」
マーロンは感心したように火を見つめながらつぶやく。やがて、挽きたての粉が香り立ち、コーヒー独特の甘くも苦い匂いが空気を染めた。
 テントの設営の合間に川で汲んできた水をポットにを入れて火にかけ、沸騰寸前の熱湯を注ぐために、ゆっくりと湯の温度を見極める。淹れ方は実に慎重で、臨時の野営中とは思えぬほど繊細だ。紙フィルターの代わりに布のドリップバッグを使い、挽きたての粉を入れ湯を回しかけると、ふわりと膨らむコーヒーの山。静かに湯を落としていくその姿に、マーロンはいつものことながら感心するしかなかった。

 しばらくして金属のマグに茶褐色の液体が満ちる。たき火の煙に交じってほろ苦い香りが漂った。
「はいよ、相棒。魔法の黒い汁、召し上がれ」
「その言い方やめろ」
ギルはもう一杯を自分の分として注ぎながら低く呟いた。マーロンは一口啜って目を細め、苦味に顔をしかめた。
「……んぐっ。相変わらず、舌が死ぬほど苦ぇな、これ」
「目は覚めるだろ」
「俺、最初に飲んだ時、ほんとに毒かと思ったからな?」
 マーロンはしかめっ面で文句を言うが、悪びれもせずもう一口啜り、ナッツと穀物を甘い蜜で固めた携帯食糧を口にした。ギルは黙って肩を揺らし笑った。無心にコーヒーを淹れ鼻腔と腹が満たされた頃には、帰還の失敗の苛立ちが嘘のように収まっていた。火の揺らぎと夜の虫の声だけが耳に届く。ふたりの間に漂う空気は、剣の応酬とは違う静かな信頼に満ちていた。やがてギルが懐から平たい鉄製のスキットルを取り出す。
「お前には、こっちのほうがよかったかな」
「……ギル、大好き。結婚しよう」
「馬鹿言え」

 マーロンは歓声をあげながらスキットルを受け取り、栓を開け中の酒をちびりちびりと飲み始めた。
「……この酒、よく飲んだよな。あの、湖のほとりの村。覚えてるか?」
「ああ。宿が取れなくて、漁師の倉庫を借りた夜だな。運良く釣れた魚を焼いて食べたら旨かった」
「後で村人に聞いんだが……あの魚、なんだった思う?」
「知らん」
「伝説級の魚『レジェンド』だってよ!」
「マジか」
「村のやつら、仰天してたよ。ああ…今思うともったいなかったぜ!せめて魚拓だけでも取っておけば……!!」
「今更知っても仕方ねえ……その時は腹が減って仕方なかったんだ」
 少しの沈黙の後、ふたりは堪えきれずに吹き出した。火を囲みながら、旅路を思い出し、酒を交わし、肩の力を抜いて笑い合った。

 空を見上げると、雲ひとつない夜空に無数の星が広がっていた。
「……すごいな。都会じゃ絶対見えないやつ」
「こういう夜のために、旅をしてるのかもな」
 ギルがそう呟くとマーロンは彼を見た。たき火に照らされた頬、静かに湯気を立てるコーヒーカップ、落ち着きのある所作。既に見慣れた風景となっていた。
「なあ、ギル」
「ん?」
「兄貴って呼んでいいか?」
「どうした、いきなり」
「んーなんとなく、ギルって兄貴っぽいだろ?」
「まあいいけどよ」
 時折マーロンから「兄貴」呼びされていた事もあり今更なお願いだったが、断る理由も無いのでの要望を受けれる事にした。
「これが、かための盃みたいなもんだな」
 マーロンから返してもらったスキットルに残った液体を一気に飲み干した。焼けつくような液体が喉を滑り落ちる感覚が、むしろ心地よかった。マーロンは「かための盃」と言われた事に少々驚いてギルを見つめていたが、目頭が熱くなり急いで顔をそらした。そんな彼を見てギルが問いかけた。
「どうした?嬉しくないのか?」
「……いや、なんでもない。今が、ちょっとだけ贅沢だなって思っただけ」
 ギルは返事をしなかった。ただ、たき火の火をじっと見つめていた。夜は静かに更けていき、たき火の炎もやがて小さくなった。ふたりはそれぞれの寝袋に身を沈める。冒険者の朝は早い。穏やかな時間の余韻を胸に抱きながら、やがて静かな寝息が森の闇に溶けていった。




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