ルール・ブルーに告げる



Ⅳ あんたじゃないと



   1



第八話 シーン3
【△△区 路上】

第一係メンバー数名で誘拐事件の現場検証中。警部補が飛び込んでくる。

警部補「おいお前ら聞け! 緊急事態だ。」
刑事A「緊急って。これからマルモクのお宅訪問なんですけど、それより急ぐことなんてあります?」
警部補「いいから黙って聞け。黒葛が逃げた。」
白幡「逃げた?」
警部補「さっき報告を受けた。巡回中、Bがトイレに行ってる数分の間にパトカーを盗んで逃げやがったらしい。(刑事Bから連絡が入る)ああ、Bからだ。……俺だ。」
刑事B「主任、続報! 乗り捨てられていた車輛を発見。○○区の駐車場です。」
刑事A「車だけ?」
刑事B「黒葛さんは逃走。足取りを辿れるものは全部車に残されてます。警察手帳も。今は二係に協力を要請中。私は防犯カメラをあたってみます。」
白幡「拳銃は?」
警部補「B、どうだ? 拳銃はあるか?」
刑事B「確認します(探す)……ありません。拳銃だけ持ち出されてます。」
刑事A「やばくないですか、主任。」
警部補「やばい、最悪だ。なんなんだあいつ。公安のスパイとかじゃないだろうな。」
白幡「それは違いますよ。」
警部補「何?」
白幡「組織のためとか、そういう役割だからとかじゃないです。あの人はもっと単純で熱くて、わかりやすい人間ですよ。人よりもちょっと厄介な孤独を抱えてるだけの、普通の人間です。」

警部補と刑事A、顔を見合わせる。

警部補「検問を敷く。急げ!」
刑事A「はい!」

警部補と刑事A、駆けていく。取り残される白幡。
(俯いて拳を握る白幡の表情アップ~後ろ姿に切替、場面転換)



   ◇


 周知の通り、天城燐音はアドリブ大魔王である。もっとも、彼のアドリブは場当たり的に見えて実際は計算づくなのだが、それは共演者にしか知られていない話。
 先日、黒葛の蒸発を阻止できなかった白幡のシーンを撮った際には、引きのうしろ姿を写すだけの場面でいきなり近くの塀を殴りつけたばかりか、〝なんで連れて行ってくれなかったんだよ、と切なげに呟く〟という即興を披露して現場が沸いた。当然そのテイクは採用された。
(ああ、悔しい。眩しいな)
 撮影を重ねるごとに俳優としての才能を開花させていく天城は、清々しいほどに憎たらしかった。けれどあの男の演技は並々ならぬ研鑚の上に成り立っているということも、俺は知っている。努力をひとに見せたがらないところは似た者同士だから、決して触れないけれど。
 ゆうべもオンエア済みの回の録画を夜遅くまで見返している場面に出くわした。照れ臭そうにしつつもソファの隣を空けてくれたから、俺もそこに収まって、並んで映像を眺めながらあれこれ言い合った。ここの台詞の言い回しが良かったとか、このシーンはもうちょっとテンポ良くできたはずとか、この人物は本当はこう言いたかったんじゃないかとか。
 天城と仕事の話をするのは、楽しい。負けていられないと己を顧みるいい機会になるし、充実していると感じる。そうしているうち俺の中に燻った火種がちいさく弱くなって、やがて消え失せることを期待した。でも上手くいかなかった。

 クランクアップが目前に迫る頃にも、俺は性懲りもなく天城に恋をしていた。逃れがたい夏の蒸し暑さが色濃くこびりついた、八月のことだった。

 
 
   ◇
 
 
 
第九話 シーン6
【○○区 路上】
 
通報を受けた一係メンバーが到着する。発砲事件の現場。
黒葛に銃を向ける白幡と、暴力団員の男に銃を向ける黒葛がいる。
 
白幡「銃を捨ててください。」
黒葛「命令か? 白幡刑事。」
白幡「だったら何ですか。」
黒葛「どのみち俺は懲戒免職だ、もう刑事じゃない。命令には従わない。」
白幡「ふざけんなよあんた。」
 
機動隊が到着する。白幡、警部補とアイコンタクトを取る。
 
白幡「待ってください。止めます。絶対に。」
 
警部補、無言で頷く。
 
白幡「あんたを人殺しにはさせない。銃を捨ててください。」
黒葛「捨てない。俺の人生の全部が、この瞬間のためにあったんだ。俺はこいつを殺して復讐を遂げる。あとはどうなったっていい。死んだっていい!」
白幡「許すわけねえだろ! あんたの妹さんが許さねえよ!」
黒葛「黙れ!」
 
黒葛、トリガーにかけた指に力をこめる。
(発砲音。二発重ねる)
白幡の発砲した銃弾が黒葛の脹脛を撃ち抜く。暴力団員の銃弾は足を撃たれた黒葛が姿勢を崩したために逸れ、側頭部を掠めている。
 
刑事B「黒葛さん!」
警部補「確保!」
 
血を流して倒れた黒葛に駆け寄る一係メンバー。白幡はその場に留まったまま。
暴力団員は逃走。
 (刑事Aが一一九番通報する声、機動隊員の話し声などが次第に遠ざかる)
(救急車のサイレンが重なり、F.O.)



   2



「やだっ、HiMERUちゃん大丈夫⁉」
 星奏館の自室で吐いていたところ、仕事を終えて帰ってきた鳴上さんに見つかった。今夜は遅くなると聞いていたのだが、予定が変わったのだろうか。
「げほっ……、おかえり、なさい。鳴上さん」
「はァいただいま! ……じゃないでしょ、どうしたのよォ?」
 そばに屈んで背中をさすってくれるのは有難い。有難いが、今はあまり近づいてほしくなかった。俺は今日も名も知らぬ男に抱かれてきたのだ。
「だいじょうぶ、です。けほ、」
「も~痩せ我慢しないの! ほら、お水飲んだ方がいいわ」
「いえ、ほんとにだいじょ、ゔぇっ……」
 胃酸で焼けた喉を震わせようとすれば、ざらざらとした不快感がまた吐き気を催す。こんな姿を晒すとは情けない。生理的な涙が滲んだ目尻を拭おうとすると強い力で手首を掴まれた。「擦っちゃ駄目」と幼い子どもを叱るみたいに言う。随分と昔にお別れをした母親のことを思い出した。
「してほしいことがあったらなんでも言ってね?」
「……」
 しばしの逡巡ののち、俺はぼそりと零した。
「天城には……黙っていてくれますか」
 一瞬目を丸くした鳴上さんは、すぐに安心させるように微笑んだ。
「お安い御用よォ。内緒にしといてあげる」
 プロ意識の塊である彼女には、俺の意図は正しく伝わったらしい。帰ってきたのが鳴上さんで良かった。これが南雲さんだったなら──彼は見て見ぬふりはできないだろうし──必要以上に心配して騒ぎ立ててしまうだろう。同室のふたりは隠しごとばかりの俺にも親切にしてくれるから、あまり迷惑を掛けたくはない。

 翌日も、その翌日も、俺は時間を見つけてはマッチングアプリで男を釣った。行為が終わるとこっそり胃液を戻した。おかしな癖がついてしまった。

 本当のところ、俺が男に抱かれようとするのは、己に罰を課すためだった。
 もしかしたら最初はシンプルに、若さゆえの好奇心だったのかもしれない。常習化したのは、弟が──要が、玲明学園であんなことになってからだ。
 俺は自分を責めた。欲を満たすためなんかじゃない。ひとより性欲が強いだなんて、事実でもなんでもない。そう思い込んで誤魔化してきただけ。無事でいる自分が許せなかっただけだ。
 タチよりもネコを好むのは主導権を相手に明け渡すことができるから。手酷く乱されることで僅かでも償いたかった。他人の情を利用しているのだ、そういう意味じゃ俺だって、あの小デブハゲのシャブ漬けレイプ野郎と大差ないクズなのかも。
 『HiMERU』になって以降は明らかに頻度が増えた。周囲の人間やファンを騙し続けることによって、俺の心には少なからぬ負荷がかかっていた。〝息をするように嘘がつける性分〟はそれ自体も虚構だった。
 苦し紛れに何度も神とやらを呪った。どうして俺を罪悪感も良心も欠落したアンドロイドとして産んでくださらなかったのですか。答えてくれる神さまはいない。だから俺は、神さまを信じない。
 それから、この先が重要。本来『俺』はスポットライトを甘受していい人間などではないのだと、定期的に思い知らなければならなかった。だって『ここ』は要のための場所で、一瞬たりとも俺のものではないのだから。勘違いしてはいけない、いずれ俺はすべてを手放す。
 自罰的な思考は今もまさに、男との行為に向かっている。俺は多少痛い目に遭った方がいい。そうすればここにいるのが楽しくて幸せだなんて、きっと思えなくなるはずだ。

「おめェな、いい加減やめろ、それ」

 また天城を怒らせた。不機嫌そうに歪められた碧色が、俺を睨めつける。
 ところで。〝しがらみの多い色恋沙汰には関心がない〟と言ったが、あれは半分くらい嘘だ。俺だって誰かにとっての唯一になってみたい、その程度の欲はある。ただ、そう望むことを世間に許されてこなかったから、諦めてしまっていたのだ。もしも許してくれると言うのなら望んでみたいさ、そんなもの!
 閑話休題。俺はESの階段で鉢合わせた天城と向かい合っている。俺が下る側、奴が上る側。
「──どれのことです?」
「隠せてるつもりかよ」
 怒気を孕んだ低い声が空気を震わせて、踊り場付近の気温を二、三度下げた。
「どこ行く気だ? わざわざ階段使って、ひと目を避けるみてェにして」
「どこでもいいでしょう。あなたには関係ありません」
 そう、何も関係ない。先月うっかり告白紛いのことをしてしまってから、俺は変に勢いづいたのか、かえって絶好調だ。失敗知らずの優秀な『HiMERU』に戻ることができた。その代償として自傷行為がやめられなくなっているわけだけれど、だとしても、この男にとってはどうでもいいことではないのか。何しろ仕事は完璧にこなしているのだから、文句をつける理由がない。
「関係ねェだァ? あんなことがあったのに?」
 がん、と階段の手摺に拳が叩きつけられた。アイドルの手に傷がついたらどうする。
「おめェに危ねェことしてほしくねェって言ってるだけっしょ、俺っちは」
「……ああ……」
 ──成程、我らがリーダーさまは、メンバーのプライベートにまで干渉したいらしい。日頃構われ倒している椎名を哀れに思っていたが、今度は俺にお鉢が回ってくるとはな。
「余暇をどう使おうとHiMERUの勝手でしょう? 絡みたいのなら椎名がいるじゃないですか」
 ここで言い合っていても埒が明かない。俺は身体の向きを反転させ、天城の横を通るルートを回避してひとつ上の階からエレベーターを使うことにした。
「待てよ。おまえは、」
 男が唸る。短い台詞は、しかし俺の足を止めさせるにはじゅうぶんだった。
「俺を好きなんじゃねェのかよ……!」
「……」
 数段低いところから見上げてくる天城を見下ろしてすぐに、振り向いたことを後悔した。
 なぜそんなに傷ついたような顔をして、縋るような目をして、俺を見る必要がある?
「──、あなたは……」
 言葉を紡ぎながら、意味もなく指先を握ったり閉じたりしている。はやくここから逃げたい。
「『俺』を好きには、ならないでしょう」
「……っ、俺は、」
「わかるでしょう? 俺は男しか好きになれない、あなたはそうじゃない、住む世界が違う。あなたの世界に、俺は俺のままいられない」
 あの公衆トイレでの告白以降、天城が正体をなくすほど酔うことはなくなった。自然と同じベッドで朝を迎えることもなくなっていた。俺たちの間に横たわる距離は、以前よりも遠い。
「だから……あなたではないひとに会いにいく。あなたに、それをやめさせる権利はないのですよ。俺にとってのなんでもないあなたには」
「メルメル……っ」
「──おやすみなさい、天城」
 今度は振り返らなかった。できるだけはやく、彼の目の届かないところに行きたかった。





 また嘘をついた。
 俺にとってのあいつは、なんでもないと言うには目立ちすぎる。かと言って俺と彼との関係にあてはまる名前は、今はない。
 顔も名前もなくした俺は、『何か』になりたいと願っていた。本当は、あのひとにとっての特別な『何か』に、たぶんずっとなりたかった。

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