ルール・ブルーに告げる



Ⅱ まざり合えない



   1



 木曜ドラマ『fiction』の座組は、メンバー同士の距離が近い。製作も技術も出演者も皆総じて話好きで酒好き、しきりに宴会を開催したがる。俺が参加したのは最初の顔合わせを含む数回だけだけれど、天城は割と頻繁に駆り出されているようだった。
「だからァ、俺っち意外と立派にリーダー業やってるンですって! だよなァメルメル⁉」
「ううん、どうでしょう。企画書の提出が間に合わなかったとかで、立派に土下座しているところなら見ましたよ?」
「おめェなァ~ここは俺っちの味方しやがれよ」
 先に俺や天城のアイドルとしての姿を知っていた者たちは、素の『HiMERU』と『天城燐音』を暴けるいい機会だと躍起になった。誰も彼も舞台裏というものが大好きだ──当然、そんな価値のあるものをやすやすと渡してやるつもりはないが。
「HiMERUくん飲み物足りてる~? ビールで良かった?」
 クルーが利用しているホテルの宴会場。すっかりでき上がった撮影監督がにこにこしながらやってくる。両手に持ったビールグラスの片方は俺のぶんらしい。
 彼はとてもいいひとだ。現場の空気づくりが上手いし、どうしたらいい画になるか徹底的に考えてくれる。プロとして尊敬してもいる……が、ビールは受け取れない。厚意百パーセントであってもだ。角が立たないよう断りたいが、酔っ払いがわかってくれるかどうか(ここまで0.000005秒で俺は考える)。
「あ、いえ。せっかくですがHiMERUは──」
 言葉を選んでいると、ふたつあったグラスのうちひとつがひょいと攫われていく。目で追った先にいたのは天城だった。
「ちょっとちょっとシゲさん~? こいつ未成年だから勧めちゃ駄目だって前も言ったじゃないっすかァ。ったくベロベロなんだもんなァ」
「あれ、そうだっけ? ごめんごめん」
 いわく〝ベロベロ〟の撮影監督は「HiMERUくんって落ち着いてるから、つい大人だと思って接しちゃうんだよね~ごめんねえ」とちいさくなって申し訳なさそうにしている。お節介なリーダーはそれを見かねたのだろう。
「そ~っす。ってことでェ、これは燐音くんがいただきまァす☆」
 高らかに宣言するや、周囲を煽って注目を集め、グラスの中身をひと息に飲み干してしまう。おいおい。
「天城。大丈夫なのですかそんなことして」
「ビールくらいならヘーキ。テキーラショットとかやり始めたら流石の俺っちも撤退させてもらうけど」
 勘違いしないでもらいたいのは、俺は決してこの男の心配をしているわけではないということだ。もし万が一急性アルコール中毒などでくたばったりしたら、体裁が悪いというだけで。
「無茶な真似はしないでください。ぶっ倒れられても困ります」
「なら俺っちが無茶しなくてもいいように、おめェが自分で、すぐ、断れよ」
「わかってますってば……さっきは助かりました」
 目も合わせない俺に文句を言うでもなく、そいつは「はいはい」と笑って肩を叩いただけだった。



 で、数十分後。
「天城くんはあ、死ぬほどモテてきたんでしょ~? 学生の頃とかどうだったの?」
「いや俺っち学生時代とかないンで! バラエティとかでよく弄られるンすけど、ド田舎出身だから学校行ってねェんすよ! ぎゃっはは!」
「はあ……」
 どうして酔っ払いというのはこう、皆馬鹿みたいに大声で会話するのだろうか。俺はこめかみを押さえつつ嘆息した。
「メルメルどった~? 頭痛ェの? 飲み過ぎ?」
「飲み過ぎはあなたでしょう、声のボリューム落としてください馬鹿」
 HiMERUは一滴も飲んでいない、当たり前だ。ついいつもの調子であしらったところを見ていたらしい監督が、満足そうに頷いた。
「うん、息ぴったりだね」
「──ぴったりなのは撮影中だけでじゅうぶんなのですよ」
「はは、そう? そうしてるとどっちがお兄さんかわかんないな」
 笑顔を返しながらも、足の裏にちいさな棘が刺さるような心地がして落ち着かない。暴かれるのは好きじゃない。やはりこういった場は避けるべきだったか。
 天城の方はいつの間にか、クルーたちの過去の恋愛トークで大盛り上がりしている。
「タケちゃんそれはない。マジでねェっしょ」
「えっ駄目だった? しつこい女の子はさ、〝俺ゲイなのごめんね♡〟って言えば大抵諦めて帰ってくれるじゃん? 合コンでよく使った手なんだけど」
「うわタケクズ~」
「タケちゃんクズ~」
 カクテルパーティ効果というものがある。ざわめきの中であっても、自分に関わること、関心のある事柄は不思議と耳に入りやすかったりする。
 ──否、俺のことじゃない。俺は関係ない。そんな意思を裏切って、監督と談笑しているはずの俺の聴覚はますます尖ってゆく。
「そりゃ駄目っしょ~。実際さ、ゲイのひとの前で同じこと言えンの? 都合良く女の子振る免罪符に使うとかあり得ねェよ、俺っちが当事者ならブチギレてンね」
 だよな、わかる、普通に腹立つ。なんて、口にも態度にも出さないけれど、〝ゲイのひと〟がここにいて聞いてる。
「泣かれたら面倒だとか思ってンだろうけど。まァわかるけど、誰かを傷つける嘘は良くねェぜ。ちゃんと正直に断りなァ? わかった?」
 説教じみたことを説いている天城の顔は真っ赤だ。しっかり酔っている。
「わ~かったよごめん、反省する!」
「よし偉い! 飲め!」
 だはは、と彼らはまた笑う。俺の関心はもっぱらあの男に──天城燐音に移っていた。
 ああいった無神経な見下しに運悪く遭遇してしまい、筆舌に尽くしがたい思いをしたことはこれまで幾度もある。周囲の人間は一緒になって悪ノリしてみたり、無関心だったり、まあ色々だ。
 実のところ、天城はそのどちらとも違った。ああ見えてあいつは、チンピラみたいな見かけによらず良識と思いやりのある男である。こんな時でも周りが見えていて、気が利く。立場の弱い者の味方であろうとする。俺はあいつのそういう、本人が積極的にアピールしたがらない心根の優しさを、それなりに評価している。
 天城を盗み見る。やはり酔っ払いは酔っ払いでしかない。あの男をずっと目で追っていたいと望んでしまうなんて、飲み会の雰囲気に当てられたせいだ。俺が本心からそう思っているわけじゃない。百歩譲って顔(と身体)は好みだったとして、HiMERUが天城燐音に好感を抱いているだなんてあり得ない。
「つーかさあ」
 三十代の人気中堅俳優が俺と天城の顔を順番に眺め、しみじみと零した。
「アイドルってすげえなあ、やっぱり。こうみんなで飲んでてもオーラが違うってか、光り輝いてるもん」
「いやいや、ンなこと言ったらトモさんだって」
「燐音くん男性ファン多そうだよね」
「わかるわ~天城くんかっこいいし。俺天城くんになら抱かれてもいい」
「ぎゃはは、真顔で言うのやめてくんねェすか⁉」
 トモさん真顔怖ェ! なんて大袈裟な悲鳴を上げた天城が俺の背後に逃げてくる。盾にでもする気かこいつ。
「──天城」
「男抱くなんて無理っしょ、俺っちは綺麗なおね~さん……じゃなくてファンのみんながだァい好きなの!」
「……」
 耳元にかかる息が信じられないくらい酒臭い。思いきり眉をひそめてぶんぶんと手で追い払う仕草をしてみせるも、この酔いどれはこちらの意を汲んでなどくれない。それどころかぐいと顔を近づけてきて、甘い笑みで嘯くのだ。
「ん~でも、メルメルなら抱けっかも♡」





   2



 ──それでどうしてこうなった。

 俺と天城がいるのは、先程まで利用していた宴会場のあるホテルの一室。あのあと潰れた天城のためにプロデューサーがとってくれた部屋だ。それはわかる。
 男の俺が部屋まで送り届けるようにと頼まれた。外面の良さに定評のある俺は「うちのがご迷惑をお掛けしてすみません」と、どこに出しても恥ずかしくない相棒顔で引き受けた。それもまあ、構わない。今回きりだから。
 天城を部屋に転がしたら、自分はタクシーで帰るつもりでいた。予定にない外泊は翌日の仕事に差し障るからだ。俺には俺のルーティンがある。ペースが乱れるとパフォーマンスが落ちるだろう?
 ──なのにこれは、どうしたことだ。
「天城っ……どいて、ください」
 部屋に入るなり強く腕を引かれ、ベッドに引き摺り倒された。天井と俺の間に顔を赤くした天城、俺の下に糊のきいたシーツ。体内を血の代わりにアルコールが巡っているんじゃないかと思わされる、熱く熟れた吐息。
 〝抱けっかも〟と言われた。酒飲みの戯言だ、寝て起きたら綺麗さっぱり忘れているような、すこしも笑えない些末なジョークだ。でもまったく期待しなかったわけじゃない。
 いけすかない部分は(それはもう数えきれないほど)あれど、仮に彼との関係が成立するならば、リスクを負ってまでマッチングアプリで男を釣る必要はなくなる。同業者であるぶん秘匿性は高まる。悪くない条件ではあった。だが。
「言ったっしょ? 抱けるって」
「聞きましたけど! 本気で行動に移す奴がありますか⁉」
「何、おめェは本気にしてくれなかったっての? 燐音くん傷つく」
 しゅんと眉を下げ同情を誘うような表情をする。絆されろとでも言うのか? 馬鹿にするな、何が〝誰かを傷つける嘘は良くねェぜ〟だ。
「酒の勢いでこんなことしてっ、正気に戻った時に後悔するのはあなたの方なのですよ!」
「へェ? おめェ側は同意って意味に聞こえるぜ」
「……」
「その沈黙は肯定ってことでいいンだよな?」
「ッ、寝ろアル中……!」
 掴まれた腕を払いのけ、ベッドから跳ね起きる。振り向かずにさっさと出ていこうとした俺の腰に何かが巻きつき、逃亡を阻んだ。しなやかな天城の腕は、再び捕らえた獲物をいともたやすくシーツの海に沈めてしまう。
「な~ァ、メルメル……駄目?」
「このっ……、ッ……、~~っ……!」
 殴ろうと力いっぱい握っていた拳を、解いた。
 好奇心に負けたのかもしれない。部屋に満ちるアルコールのにおいで酩酊した脳は、目先の欲求に心を奪われ、正気を失ってしまったのかも。
 ただひとつ言えるとすれば。この瞬間俺は、たった一晩で泡沫みたいに消えてしまう戯言に、束の間溺れることを選んだのだ。それが何を意味するかも知らずに。




 脳味噌が沸騰しそう。激しく脈打つ心臓が弾けてしまいそう。さざなみのように間断なく俺を苛む快楽は時折大波となり、頼りない理性を遠くへ押しやろうとする。
「はッ、こんなにやらけェとか、聞いてねェんだけど……?」
 後背位で容赦なく貫きながら、天城は無感情に呟いた。当たり前だろ、開通済みだなんて言ってないんだから。嘔吐きそうになるほどの乱暴な抽挿に、俺は気をやらないよう耐えることしかできない。
「う、んぁあ、あッん、っ」
「……ヨくねェ?」
「んうう……ぃ、れす、いいれすっ」
 うわ言のように「いい」と繰り返すたび、嫌でもナカを意識してしまう。結合部がきゅうと締まったことに、この底意地の悪い男が気づかないわけがない。
「ふ、はは、嘘みてェに気持ちい……おめェのナカ、すっげェ悦んでンの、わかる?」
「あっあ! ぅん、それ好き、すきぃ、」
 自分が何を口走っているのかも、もうよくわからない。こうなると気持ちいいことしか考えられなくなってしまうのだ。ベッドに寝ころんだ天城に背中を向けたまま跨り、反り立ったペニスに自ら手を添えて挿入する。
「あう、あ、ッは、ぁん! あ、まぎっ……」
 ディルドに見立てた彼の性器の上に膝を立てて屈んだら、何度も上下に動いて熱い塊を堪能した。髪を乱しながら他人のペニスでオナニーするHiMERUの姿なんて、きっとこの男は考えもしなかっただろう。前立腺に擦りつければみっともなく甘えた声が喉から漏れる。硬く艶のある亀頭が内壁をとんとん叩くのを陶然と受け止めた。
「あ、あ……っ、だめ、ああ、いや」
 天井を振り仰いでは悩ましい吐息を零す。求めていた熱に孔を埋められても、なお苦しい。まだ足りない。もっともっとと腰をくねらせて奥へ導いても満たされない。ずうっと深い所が切ない。なのに腰を振るのをやめられなくて、いっそ惨めだ。
 誰と抱き合っても駄目なのだ。何かが欠けている。性的な快感を得るのとはまた別の器官が、その『何か』を欲している。男に身体の奥を暴かせて高められ、精を吐き出したところで、そのうろは到底塞がりそうになかった。
「天城、あまぎ」
 彼は、どんな顔をしている? わからない。わからないままでいい。彼と一緒に気持ち良くなれさえすれば、もうそれで構わないのに。
「なァに、メルメル」
「ど、して、天城……もっと、ァ、ほし、です……っ」
 誰にも、一度も触れられていないはずの奥の奥が、疼いて仕方ないんだ。あんたなら届くんじゃないのか、天城。欠けたところを埋めてくれるんじゃないのか。なぜだかそんな予感がするんだ。願うだけなら、構わないだろう?
「メルメル、」
 好き放題していた男が身体を起こす気配がする。彼の半身が、俺の背骨の浮いた背中にぴったり沿う。汗で滑ってすこしだけひやりとした。
「──、──」
 骨ばった肩に額をくっつけた天城が何かを囁いている。繰り返し、繰り返し。
 同時に訪れた絶頂に呑まれた俺は、固く瞼を閉ざして大波に身を任せ、暗闇にただ溺れていった。



   ◇



第三話 シーン8
【○○区 屋内】

爆弾魔による爆破で倒壊した建物の中、互いの無事を確認する白幡と黒葛。

黒葛「おう、なんだ……生きてたのか。」
白幡「あんたも。生きててよかった。」
黒葛「……つまんねえ奴だな。」

白幡、話を聞かずに瓦礫を漁っている。

白幡「クロさん、無線は?」
黒葛「ダメだ、壊れてる。」
白幡「こっちもです。」
黒葛「あ〜あ、こんなところでお前と心中か。」
白幡「変なこと言わないでください。俺は諦めませんからね。」
黒葛「バーカ俺だって死ぬつもりなんかねえよ。二人がかりならなんとかなるだろ。出るぞ。」

白幡と黒葛、協力して出口を探し始める。
(エンディング主題歌F.I.)

白幡「クロさん。クロさんはなんで刑事になったんですか?」
黒葛「ここどかせねえかな。」
白幡「無視しないでくださいよ。」
黒葛「うーん……お前は?」
白幡「憧れたから。俺みたいなクズでも生きてていいんだって、教えてくれたのが警察官だったから。」
黒葛「へえ。」
白幡「あんたは?」
黒葛「復讐だよ。」
白幡「え?」
黒葛「俺が組織犯罪対策部にいたのは、妹を死なせた奴らを追うためだ。人を殺すために刑事になったって言ったら、お前は俺を見限るか?」
白幡「そんなこと。」
黒葛「ないって? 本当に? 俺は自分が許せないけどね。わからないか? 俺はね、正義の名を騙ってるだけの偽物なんだよ、白幡。」

(音楽C.O.)
(画面暗転、タイトルC.I.)

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