ルール・ブルーに告げる



0 モノローグ





 夕焼けの橙色と夜の藍色との狭間に、目の覚めるような青がある。それはほんの短い間、世界からあらゆる音を奪い去り、世にもうつくしい停滞の只中に俺を放り出す。
 青の時。
 昼でも夜でもない一刻、青く完璧なしじまと俺の肉体とは、その境界を曖昧にしていく。じわりじわりと、水に落ちたひとしずくのインクみたいに呆気なく。身体が溶けてなくなってしまうのではないかとも思える圧倒的な青を前に、この足は役目を忘れ、蒙昧と立ち竦むことしかできない。
 やがて太陽が完全に去った頃、俺はようやく己の輪郭を取り戻す。地を踏み締める感触を思い出す。闇のにおいが辺りを満たし、つくりものの光が影を成す。
 
 青の時、太陽が盗まれた空。あとすこししたら藍色の帳がおりる。
 蛍光灯やネオンの明かりは束の間の夢想を奪いにくる。現実に足首を掴まれてしまえば俺は再び綺麗な仮面を被り、傷や汚れにまみれた本性を隠して、理想的な偶像を演じて生きていく。





Ⅰ いけすかない



  1



 死んでも守り抜きたい秘密があるのならば、秘密のままにしておく他に守るすべはない。すなわち、誰にも打ち明けず心の内に留めておくこと。
 何を当たり前のことを、と思うだろうか。だがよく考えてみてほしい。果たして本当に当たり前だろうか? 今俺が言ったことを、なんの努力も葛藤もなしに徹底できる奴がどれほどいる?
 〝話題に窮したときに、自分の友人の秘密を暴露しない者はきわめて稀である〟とはかのニーチェの言葉だ。俺には友人がいない、もとい、必要ないからあまり関係のないことではあるが。

「HiMERUくん、撮影お疲れさま。見本刷り上がったら事務所に送るからね」
「ありがとうございます、お疲れさまでした。またよろしくお願いします」
 それでも社会生活を営む人間である以上、仕事仲間とのコミュニケーションは不可欠。大して親しくもない相手とだって会話をしなければならないし、素性すらわからない『自称:HiMERUくんのファン』との接触も多々。
 秘匿すべきことのために嘘をつき続ける生活は、俺がこの性格だから成立しているだけで、いわゆる『いい子』には向かないだろう。はじめは良くても、いずれ必ずどこかに歪みをきたす。
 俺はアイドルだ。そしてアイドルの仕事は夢を見せること──誤解を恐れずに言えば、嘘をつくことだ。

 ドビュッシーは言った。〝芸術とは、最も美しい嘘のことである〟と。
 その理屈なら、『アイドル≒芸術』という公式が成り立ちそうな気さえしてくる。まあ勿論、商業的な思惑と切っても切り離せないものだから、純粋なアート作品とはいくらか違うものではあるけれど。よってニアリーイコール。
 息をするように嘘がつける性分で助かった。俺はアイドルをやっていける。
 その事実だけが、今の『俺』を安堵させてくれるのだ。





 家路を急ぐ人々の群れは、脇目も振らずに改札へと吸い込まれていく。待ち合わせ場所に選んだ駅前広場は人出こそ多いものの、誰も他人になど関心はなく、掌に収まるちいさな世界に夢中だ。
 ガードレールに腰掛けた俺は黒いキャップのつばをつまみ、つい癖で目深に被り直そうとして、やめた。
『着きました。東口の喫煙所前にいます。』
『服装は白のパーカーとデニム、黒のキャップです。』
 チャットに短い文章を打ち込む。吹き出しの横にはすぐさま『既読』の印がついた。
『今、××駅に着きマシタ(電車の絵文字)! 会議が、長引いちゃって。。。待たせて、ゴメン(土下座する人の絵文字)ネ‼(泣き顔の絵文字)(汗の絵文字)』
 思わず「うわあ」と漏らし、スマートフォンの画面から距離を取ってしまった。
 やり取りを始めた当初は丁寧で好印象だったのだけれど、あれはビジネスモードだったということか。痛々しいオッサン構文には目をつぶるとして──それ以外はプロフ通りに、まともであることを願う。
「えーと、『|朱音《アカネ》』……くん?」
「は、」
 降ってきた声に慌てて顔を上げる。小綺麗なサラリーマン風の男が、スマホを片手にこちらを見ていた。四十代後半くらいだろうか。
「ああ──はい。ええと……『ケンヤ@DIY好き』さん、でしょうか」
「ええ、アットマーク以降も読むんだ? 律儀だなあ」
 面白い子だね、と初対面の男は笑った。
「ケンヤでいいよ、健やかに|也《ナリ》」
 そうご丁寧に説明してくれた彼に、律儀なのはどっちだよ、と内心でそっと呟いた。





 駅から十分ほど歩き、ギラギラした風俗街を抜け、やや奥まったところに位置したしょぼいラブホテルに入った。休憩三時間、三八〇〇円から。宿泊、五五〇〇円から。
 部屋に踏み入るなり俺は無邪気で可愛い歳下を装い、明るい声を出した。
「健也さん、健也さん。何かルームサービス頼みます? お仕事終わってすぐ来たんでしょう?」
 言いながらスーツを脱ぐよう促し、形を整えてハンガーに掛ける。相手が振り返ったところでこれ見よがしに小首を傾げれば、大抵の男はこのあたりで落ちる。実に簡単。男心の掌握も俺にかかればイージーモードだ。
「お疲れじゃないですか?」
「朱音くんは優しいね。でも大丈夫、先にシャワー浴びてもいいかな」
「勿論です」
 俺もキャップを脱いでソファに放る。軽く頭を振ると赤いウィッグの毛先が頬を掠めた。
「待ってますね♡」
 ──『朱音』というのは俺のハンドルネームで、そう呼ぶのはとあるゲイ専用マッチングアプリで繋がった相手と決まっている。
 朱音の設定は十九歳、××区在住のフリーター。ブリーチした赤いくせ毛に、人懐っこそうなブラウンの瞳、ややつり目気味。家族構成は父、母、妹。朱音以外は皆ストレート。当然嘘だ。でも全部じゃない。
 嘘を補強するためには、ほんのすこしの真実を混ぜるといい。今回のケースなら「皆ストレート」という部分。
 俺はゲイであることを誰にも打ち明けずに生きてきた。言うべき相手もいなかったし、必要もなかった。『HiMERU』になってからは尚更、誰にも知られてはいけない秘密となった。なぜなら俺はこの身体でアイドルをやっていて、『HiMERU』に恋をしている大勢のファンのために嘘をつき続けなければならないから。
 
「お待たせ」
「俺もシャワー」
「はいどうぞ」
 健也と入れ替わりでバスルームへ。男同士のセックスはまあ面倒だ、そういう構造になっていないのだから仕方ないのだが。
(でももう……慣れた)
 海外にいた頃、ひと回り以上も年上の男に〝仕事に役立つから〟と仕込まれたのが最初だったか。風呂場の冷たい床に長いこと屈んでナカを洗浄して、拡張して……という手順にははじめ手間取ったけれど、それも数回のうちに慣れてしまった。当時の俺はきわめて健康で健全な青少年であったし、面倒臭さなんて有り余る性欲と好奇心があればやすやすと飛び越えていける。しかも俺たちはマイノリティ。この世界のマジョリティたる異性愛者と比べたら、需要と供給の一致する機会がそもそも稀なのだ。
(機会は、ものにしなければ)
 セックスを経験してみてわかったことだが、俺はどうやら平均的な男性と比べて性欲が強いらしい。そしてタチはあまり好きではない。ネコをやった方が断然気持ちいい。一方で、しがらみの多い色恋沙汰にはまるで関心がない。
 特定の相手は作らないにしろ、俺には欲望をさらけ出す場所が必要だった。



 間接照明だけがともる薄暗い部屋の中、肌がぶつかるたび、安っぽいベッドのスプリングがギイギイと鳴く。
「あ、は、ァッ、うあ」
 腹のナカをずりずりと熱いものに貫かれて、俺は息苦しさに喘いだ。
「ひ、うぐ……ぅ、あ」
「はあ、はあっ、ああ~朱音くんのナカ気持ちいいッ」
「ひあ、あっ⁉ あ~っ、そこっ、おれのいいとこ……もっと、ください……♡」
「あかねく……うっ」
 吐息を混ぜて囁いた殺し文句に、ぎくりと反応した男が息を詰まらせる。明らかに圧迫感が増したことに満足して笑いだしたくなる。どこまでもたやすい。自分の一挙一動で男をコントロールする快感を知ってしまった俺は、もうこの遊びをやめられそうになかった。
「あんもう、おっきくしちゃ、ン、だめれす、よぉ」
 甘えた声を出すと男の顔がだらしなくゆるむ。今の表情は減点だ。あーあ、勿体ない。
「朱音くん、可愛い……可愛いよ、朱音くん、朱音ッ!」
「やあっ、急にはげしっ……あッ、いぁ、ああ!」
 バックで突き上げてくる健也のペニスは長さも太さもそれなりで、まあ悪くはない。紳士的だし、詮索してくる様子もない。二回目以降もあるかもしれなかったのに、さっきのはちょっと気持ち悪かった。今日別れたらブロックしておこう。
「うう、イく、出すよっ、ナカに……!」
 頭の中が冷えていたって身体はしっかりと快感を拾っている。無我夢中で前立腺を擦られてしまえば限界だった。ああ、駄目になる。
「けんやさ、んっァ、あん! あっあイく、~~ッ!」
 ちかちかと火花が弾ける感覚。のぼりつめて降りてきた頃に、ようやく射精していたことを知った。襲いくる倦怠感に身を任せ、シーツに沈む。
「はっ、はあ……ふう……良かったよ、朱音くん」
 うつ伏せの背中に熱い塊が乗っかって、ちゅう、と。つむじのあたりにキスをされたらしい。
「……」
 この髪がウィッグだということにも気づけない、馬鹿な男ども。俺の本当の髪色も、瞳の色も、つり目はメイクでつくっただけで実際はたれ目であることすら知らないまま、死ぬまでさようならだ。『HiMERU』が汚れることはない。これまでも、これからもずっと。
「ん、俺も……こんなに気持ち良かったの、初めて、です」
 これも嘘。誰が相手でも行為を終えたら同じことを言うのだ。そうすれば男が喜ぶと知っているから。
 俺には欲望をさらけ出す場所が必要だ。『HiMERU』の秘密を後生大事に守るため、嘘に嘘を重ねてコンクリートみたいに塗り固めて、武装するしかない『俺』には。
 健也からは一万円札を数枚受け取ったが、彼がシャワーを浴びている間にベッドの下へ放り込んで隠してしまった。
 

 
   2
 
 
 
 何度目かのスヌーズで目を覚ました。ゆうべの行為のせいで倦怠感がひどく、寝返りを打つのも億劫だ。
 同室の鳴上さんと南雲さんは、はやばやと仕事へ出掛けたらしい。お陰でHiMERUらしからぬだらしない寝姿を躊躇いなく晒せる。彼らに大欠伸を披露するのは、未だに気が引けるのだ。
「ふぁ……」
 スマホを操作してスケジュール管理アプリを立ち上げる。今日は午後の一時からダンスレッスン。それ以外の仕事の予定は──なし。
「──はあ」
 いつまでこんな生活が続くのだろうか。
 ツアーだロケだとあちこち飛び回っている鳴上さんを、羨ましいとは思わない。『Knights』はESビッグ3の一角だ。南雲さんの『流星隊』だって、老若男女問わず熱烈なファンを抱えた、紛れもない強豪ユニットだ。寄せ集めのメンバーで結成し、すこし前までアイドルの土俵に上がれてすらいなかった『Crazy:B』と比較すること自体、ナンセンスだろう。
 けれど『HiMERU』は別だ。HiMERUは特別なアイドルでなければならない。まばゆく輝く表舞台に他の誰よりも相応しいアイドルでなければならない。
 なのに実際はどうだろう。『アイドルとしての知名度』や『テレビ番組への出演本数』などで比較したら、どうしたって同室の彼らに見劣りする。そんな現状に、『俺』は到底納得できないでいる。





「ヘイヘイヘイ。ちょっと待てよメルメルゥ」
 レッスン終わりに呼び止められ振り返る。声の主である天城燐音は、あろうことか肩に腕を回して絡んできた。俺は奴に聞こえないようこっそり舌打ちをする。
「──なんでしょう。HiMERUは忙しいのですが」
「はい嘘~。このあと予定ねェの知ってンだよなァ」
「天城と無駄話をしている時間はないということです」
 淡々とそう言えば、諦めて離れるものと思っていたのだけれど。
「ふゥ~ん?」
 いけすかないユニットリーダーはどういうわけか、にんまりと笑みを深めただけだった。気味が悪い。
「な、なんなのですか……」
「いや? おめェって隠し事が多い割に、俺っちに対してはなんつーのか……歯に衣着せぬっつうか、ざっくばらんっつーか。まァとにかく正直だよなァって」
「正直に不快感を示しているだけですが?」
「それそれ。俺っち的には愛想笑いされるよりよっぽど好感度高いぜェ?」
「そう言われてもHiMERUは嬉しくないのです」
「うんうん♡ メルちゃんは素直で可愛いでちゅねェ♡」
「……離れてください」
 なんだと言うのだ、一体。いい加減鬱陶しくなって、首に巻きついた腕から逃れようともがく。それにゆうべ、よく知りもしない男と身体を重ねたばかりだ。こいつは無駄に勘がいいから、あまり接近されるときまりが悪い。唯一助けてくれそうな桜河はこちらに一瞥をくれただけで、すまなそうな顔して部屋を出て行ってしまった。くそっ。
「天城っ……!」
「事務所のブリーフィングルーム、八時」
 痺れを切らして声を荒げかけたのを見計らったかのようなタイミングだった。天城は声を潜めてそれだけを告げるなり、ぱっと手を離して身を翻した。
「おうニキ、行くぜェ~」
「ええ? 僕まだ動けないっすよぉ」
 空腹でげっそりした椎名はか細い声で「ひめるくんおつかれさまっす……」と絞り出し、天城にせっつかれるまま防音扉を潜る。ダンスルームにぽつんと取り残された俺は時計を見た。夜の六時十分前。
「──仕事の話じゃなかったら怒りますからね」
 誰に聞かせるともなく吐き捨て、ペットボトルの水をひと口含んだ。ひどく喉が渇いていた。



   ◇



木曜ドラマ『fiction』

第一話 シーン2
【警視庁刑事部捜査第一課第一係 1】

白幡が出勤する。すぐに同僚に絡まれる。

白幡「おはようございます。」
警部補「おお、来た。おはよう。」
刑事A「聞いたよ白幡。お前がそんなに仕事熱心だったとはね。」
白幡「なんの話です?」
刑事A「昨日、ひったくり犯捕まえたんだって?」
白幡「げっ。なんで先輩の耳に入ってるんですか、面倒くさい。管轄外でしょ。」
警部補「本人からお礼の電話をいただいたんだよ。良かったな。非番だったのに偉いぞ。」
白幡「別に偉くはないですよ。警官として当たり前のことをしたまでです。目の前で犯罪働こうとしてる奴がいたらそりゃ逮捕するでしょ。」
刑事A「偉いぞ、よしよし。」
白幡「やめてください、子供じゃないんですから。」
刑事B「おはようございます。主任、今日からですよね、あの人。」
白幡「あの人?」
警部補「おいおい、忘れたのか? 警察庁からエリートが出向してくるぜって伝えておいただろ。」
刑事A「今日でしたっけ。やだやだ、キャリアの連中はお高く止まってて嫌いなんですよ。」
警部補「そう言うな。ほれ、資料。」
白幡「クロ……クズ……読めない。なんて読むんですか?」
刑事B「ああ、なんか難しい読み方の。なんだっけ。」
黒葛「『つづら』だ。」
刑事B「あっ。」

黒葛、白幡の背後から現れる。

白幡「は、誰?」
黒葛「元・警察庁刑事局組織犯罪対策部の黒葛梓。今日からおまえの同僚だ。よろしくな、新人。」



   ◇



 コズミックプロダクション事務所内ブリーフィングルーム、卓上には連続ドラマの第三話までの台本。正面には副所長。隣には天城。──なるほど。
「──それで。誰がどの役なのですか?」
「話が早くて助かりますよ、HiMERU氏」
 俺と天城のふたりに舞い込んだオファーは、刑事ドラマのダブル主演だった。気鋭の若手俳優やアイドルを起用し、深夜帯ながらに悪くない視聴率を叩き出している放送枠だ。一度限りのゲストの経験は幾度かあれど、キー局の番組へのレギュラー出演は俺も天城も初めてのこと。またとない機会に副所長も心なしか浮足立っているらしかった。
「ええ、所謂『バディもの』というやつですね。特に男性同士の関係性を描いたストーリーは人気があり、話題になりやすい。おふたりならよくおわかりでしょう。加えて俗人が……失礼、視聴者の皆さまが大好きな謎解き、ド派手なアクション、手に汗握るサスペンス! こうしたテンプレートにのっとった創作物は枚挙に暇がありませんが、つまりそれだけ需要が高いということであります。『シャーロック・ホームズ』を原典とした数多の作品群のようにね」
 眼鏡の奥の瞳が、ぎらついた光を湛えて上目にこちらを窺う。デスクに両肘をつき組んだ手指の上に顎を乗せ、きょとりと首を傾げる仕草はそれはもうあざといが、この男がやると限定的に鼻持ちならない気がする。これが桜河なら違っただろう。
「勿論、受けますでしょう?」
「断る理由がありません」
「だなァ」
 揃って即答して、目配せをひとつ。俺たちがふたつ返事で承諾すると(元より拒否権など無かっただろうけれど)、よく動く舌が調子良く言葉を継いだ。
「配役は実際に演技を見てから決めたいそうですよ。日程は来週の木曜、朝の十時に××テレビさん本社。製作陣へのご挨拶はおふたりにお任せ致しますので、あとのことは何卒よろしくお願いしますね! ご活躍を期待しております☆」
 上手くやれ、次に繋げろ、失敗は許さない。わざとらしい笑みを貼りつけた上で肺を圧し潰さんばかりにノンバーバル圧力をかけてくる副所長を、「ありがとうございます」とこちらも笑顔でいなす。全部わかっていますとも。上手くやるに決まっているのです、ご期待以上の活躍を約束しますよ、HiMERUに限って失敗などするはずがないのですから。
 逆向きに座ったオフィスチェアの背凭れに腕を乗せた天城は、じっと台本を読み耽っているのかやけに静かだった。



   ◇



第一話 シーン6
【××市 路上】

一係メンバー、現場に急行する。黒葛と白幡、揉めている。

黒葛「信じられん馬鹿かお前、何やってるんだ。」
白幡「痛っ、何するんですか。」
黒葛「何するんですかじゃない。何故単独で追ったのかと聞いている。」
白幡「おれが追わなかったら取り逃がしていました。」
黒葛「マルヒがまだ凶器を所持していたら? 少しでも考えたか?」
白幡「それは……」
黒葛「あいつはまだ殺してない。もし追われて動揺して、お前を刺したら? それでもしお前が死んだら? 殺しをせずに済んだはずの人間を、死ぬまでムショにぶち込むことになるかもしれない。新たな人殺しを生むな。俺たち警察は秩序を守る存在だ。規律を乱すな。独断専行をするな。指示を待て。わかったな。」
白幡「でも捕まえました。」
黒葛「そうじゃない! ああもう、マジで信じられん、ウルトラ馬鹿だなお前は。名前を覚える価値もない。」
白幡「はあ? あんたが優秀なのはわかりましたけど、その言い方は腹に据えかねます。同僚でしょ。」
黒葛「うるせえな。シラ……やっぱやめた。どうでもいい。」
白幡「はあ……。俺やっぱりあんたのこと嫌いです。」
黒葛「ふん。悔しかったら真っ当に活躍して覚える価値を感じさせてみろ。せいぜい努力するんだな。」
白幡「尊敬できない奴相手に努力なんてしません。キャリアだかなんだか知らないけど、俺はあんたの駒じゃない。」
黒葛「安心しろ、使えない駒は手元に置かない主義だ。」



   ◇



「──性格が悪すぎませんか」
 ぽつりと呟いたひとり言は、しかし天城にきっちり拾われていた。
「おめェにぴったりじゃねェ?」
「天城は事故で大怪我を負ったため降板しますとプロデューサーに伝えておきましょうか」
「笑顔で怖ェこと言うじゃん」
 オーディションは滞りなく終了した。結論から言えば、正義感と直感頼みの血気盛んな駆け出し刑事『|白幡惣一郎《シラハタソウイチロウ》』を天城が、元キャリア組のエリートで冷徹な法と秩序の番人『|黒葛梓《ツヅラアズサ》』をHiMERUが演じることに決まったの、だが。
「HiMERUは演技の仕事も得意ですから、当然どんな役にもなれますが。それは大前提として、このキャラクターは本当にHiMERUのイメージに合っているのでしょうか」
「合ってンだろ? 当て書きなんだから」
 なに、なんか納得いかねェの? と天城が台本の表紙を軽く叩いてみせる。今はカフェシナモンの隅っこのテーブルでこそこそと作戦会議中だ。
「俺っちとしちゃあ意外でもなんでもねェけど」
「ダブル主演と言いつつ、どう見ても嫌われ役ですよねこのひと」
「ンなの俺っちの役もっしょ。声のでかい新人はどこの世界でも嫌われンだよ」
「天城みたいですね」
「うるせェな。これからイイとこが見えてくるンじゃねェの、たぶん」
「ふむ……ですが口が悪いのはやはり」
「大体いつものメルメルっしょ」
「は? どのあたりが?」
 反射で噛みついてからしまった、と顔を顰める。したり顔の天城が「それだよそれ」と手にしたペンでこちらを指してきた。仕事ぶりには一定の信頼を置いてはいるが(不本意ながら才能も実力も備えているのだから致し方ない)、やはりこいつはいけすかない。
「ふふん、俺っちが歳下の役。普段と逆だなァ。ファンも面白がってくれそうだ」
「それは……楽しみですね」
 言いながらブラックコーヒーをひと口。この男の発言通り、話題に事欠かない配役なのは間違いない。HiMERUが歳上の先輩を、天城燐音が歳下の後輩を演じるとなれば、ファンに新たな一面を見せることになる。
「……」
 この場所を守るために。『HiMERU』がアイドルで居続けるために、常にアップデートし続けなければ。これは大いなる挑戦だが、必要なプロセスだ。
「──HiMERUの新境地、見せてあげましょう」
 見ていろ。むろん俺はやってのける。きっと想像以上のものを見せてやる。
 乾杯の体でカップを掲げれば、「そう来なくっちゃなァ」と片眉を上げた天城のお冷のグラスとぶつかった。

 
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