短文置き場



25

いってきますの幼い声が響く。
それを手を振り見送るスバルの背は、寂しげだ。
無理もない。唐突に齎された休みにそれなら子供と一日遊ぼうと思い立った直後に予定があるからとお断りされたところである。
最初から決まっていればあの子も喜んで父親と遊びたいとその長い脚にじゃれついていただろうけれど、こればかりはどうにもならない。
逆に、ちゃんと約束を守る子に育っているのだと誇るべきだろう。
「残念でしたね」
傍らに立ち声をかけると、向けてきた顔が情けない色をしていた。
「仕方ないよ。いきなりだし」
……遊びたかったのだろうなあ。
わかりやすくしょげている姿にそんなことを思う。
とりあえず考えるのは、今日の予定。家事はあれども大きな予定は、ない。
「ところで……」
「うん?」
「今日の私は暇なのですけれど、旦那様はどう思います?」
茶化すように声をかけ、笑いかける。
見開かれる目が柔らかく緩んだ様子に今も変わらず心がきゅっとなったところで、縋りつくように力強く抱きしめられたので、宥めるように背中を撫でた。


24

「カグヤは、強くなったな。オレがいなくても大丈夫なくらいに」
そう、その人は言った。少し泣きそうな目をして、それでも笑顔を取り繕って。
「妹の手を引く役目は、これでおわりだ」
伸ばされた手が頭を撫でようと額に触れた。はず、だった。
消える。崩れる。触れた部分から儚く、あっさりと。
慌てて繋ぎとめようと手に触れようとしても空を掴むようにすり抜けていくばかり。
「いや、いやです、スバル!」
そう必死で叫んだところで、目が覚めた。
「……え」
ぱちぱちと、何が起こったのか理解できずに瞬きを数度。
見える景色は竜神社のものでしかない。カグヤの今の住処だ。
もそりと身を起こし傍らを見れば……もぬけの殻。
いつもなら先に起きたらちゃんとカグヤを起こしてくれるその人がいない。
夢での喪失感が現実にも侵食してきて呼吸が浅くなる。心臓が掴まれたように苦しい。
じわりと滲む冷や汗に、段々と滲む視界。手に触れていた布団をただきつく握りしめる。
いやだと叫んだ自分の声が頭の中で何度も響いて、声を奪われたようにただ口を開いた。
どうしよう。動けない。
恐怖と不安で縫い留められたようにうつむいて硬直してしまう。
確認。そう、確認を。スバルはどこ。
……思うのに、動けない。もしいなかったらどうしようと身体がすくむ。
「カグヤ!?」
ふいの慌てた声と駆け寄る足音。
包み込まれるように腕の中、知ったあたたかさと香りに強張っていた腕をどうにか動かしてその背にしがみついたら体が浮いてしっかりと抱え込まれた。
「どうかした?」
耳元で響く優しい声に緊張はゆっくりとほぐれ、ようやくの落ち着きにじわじわと呼吸を取り戻す。
あまりにも時間をかけてしまったけれども、スバルはただ背を撫で宥めながら待っていてくれた。なんてありがたいことだろう。
情けなさを感じながら深く息を吐き、首元にすり寄る。
「……怖い夢を見ました」
「どんな夢?」
「その……もう私は一人でも大丈夫だろうと、スバルに手を離される夢を」
「なるほど」
落ち着いて考えてみると、可愛げがなくなったということだろうか。
手がかかるから放っておけなかったとか、そういったものかもしれない。スバルは優しいから。
「……聞きたいのですが」
「うん」
「私はスバルの隣に立てるようになりたいと思っていますが、スバルとしては手のかかる可愛らしい妹でいたほうがいいのでしょうか」
呻く声が聞こえた。どうやら思うところはあるらしい。何故だかちょっと落ち込む。
待つことしばし。ため息が聞こえた。
「別に、妹だから好きになったわけじゃないよ」
「そうなのですか?」
思わず顔を上げようとしたら宥めるように頭を撫でられ、つい動けなくなった。
気持ちよさに浮かされまどろむように目を細めた先には赤みを帯びたスバルの耳が見える。
「カグヤだから好きになった。だから、隣に立ってくれるのも嬉しいと思ってる。それに……」
笑い声と、揺らぐ視界。
少し離れて顔が覗き込まれる。
楽しそうな様子で伸ばされた手がカグヤの目元を優しく撫でた。
「こんな泣き虫なのに妹やめられると思ってるの?」
「……う」
これは、違うのだ。
そう足掻きたくなったのだが泣いたのは事実。
妹でいたほうが、なんて口にしておいてなんだが、あまりにも受け入れがたい。
口にできない不満をどうにか腹へと押し込んでいたら、笑い声が口元を掠めた。
「そんなに心配しなくても、オレはカグヤを手放すつもりなんてないよ。カグヤの望みだとしてもそれだけは受け入れるつもりはないから」
ふふ、と少しばかり不安になる笑い方をして一つ口づけが落とされる。
他愛のない口約束。けれどもそこに嘘などひとかけらもない。
それを理解しているから、ただ笑って同じことを返す。
嬉しそうに笑うスバルの腹の底、それはそれとしてカグヤの夢に出てきた自分を一発ぶん殴ってやりたいなあなんて物騒なことを考えているとは微塵も知らずに。


23

「そういえば」
ふいに弓の手入れ中のスバルが声をかけてきた。
何だろうと読みかけの本を閉じて目を向ける。
「旅の間はあんまり弓は使ってなかったって聞いたけど……」
そう言われ、つい目をそらす。そういえば前にそんなことを言った気がする。事実だが。
「……矢を……拵えないとならないじゃないですか」
「ああ……」
納得の声が痛い。
旅の最中に安定して矢を確保するのは難しかったのだ。そうなると自分で作るしかなく。
わずかな歪みで軌道は随分とぶれてしまうもの。有事の際にそんな補正を気にして射ていられる余裕などないのである。
そして残念なことに、この手は歪みのない矢を作るには、不向きだった。
まったくなんとままならないものなのか。
そんなため息を零したら、慰めのように撫でられた。


22

「スバル」
柔らかな声に眠りから引っ張り出されてぼんやりと目を開く。
真っ先に見られるのがカグヤというのは、いい目覚めだ。
鈍った頭でそんなこと思っていたらため息と呆れ顔。
「もう、早く起きてください。そろそろ時間ですよ」
「……ん?」
時間、とは何だったか。
瞬きを数度。そして気付く。太陽が真上だ。
「ごめん、寝過ごした?」
「いえ。まだ余裕はありますが」
ならよかった。そんな安堵に気を抜いて、視界の端の白い塊に目を向ける。どうやらこっちも眠っているらしい。
欠伸をして起き上がれば、隣にちょこんと座る姿から軽い笑い声。
「お疲れですか?」
「……そういうわけじゃないと思うけど」
こう、春の里というのはどうしても眠くなるものだ。
話し合いがあるということで早めに来たのはいいのだが、うっかり眠気に負けて約束の時間まで仮眠をなんて思ったばかりに寝過ごすところだった。カグヤには感謝しかない。
それにしても、だ。
「よくここがわかったね?」
よりにもよって里の端。人が来るような場所ではないというのに。
もちろん、予定の時間が近いのに現れなかったから探しに出たというのはあるだろう。カグヤだって話し合いの参加者だ。
それでもちゃんと見つけられるものなのか。つい感心してしまうばかりだ。
「幼い頃はかくれんぼで散々スバルに泣かされたので。おかげで、スバルを見つけることだけは得意になりました」
からかう口調に、あ、と声が漏れた。
確かに幼い頃のかくれんぼに心当たりがある。
特に印象が強いのは、気配を断ち森に馴染む訓練をしていた時期だろうか。まだそういったことに慣れていないカグヤがスバルを見つけられず泣きそうになった姿が頭をよぎる。
「……泣かせるつもりはなかったんだけど」
あったなあ、そんなこと。
けれどそれは一時期のことだ。あっという間に慣れたカグヤはすぐにスバルを見つけるようになっていたではないか。
おかげでかくれんぼの意味はなく、気付いたら違う遊びに取って代わられていたような。確か。
「泣きだしたらすぐ場所を教えてくれていましたね」
「今思うと、大人げなかったな……」
未熟ながらも全力で隠れていたのだろう。少なくとも、カグヤを泣かせる程度には。
「手を抜かれるよりはいいです。それよりももう時間になりますよ」
「そうだった」
慌てて立ち上がり、落ちているモコロンを拾い上げる。
続くように立つカグヤを見れば、浮かぶのはいつもの暖かな笑顔。
「私は手間取っていましたが、スバルはいつもすぐ私を見つけてくれましたね。
……小さい頃は悔しかったのですが、今は感謝しています」
風に流れる髪に散る花弁。きれいだな、とぼんやり思いながら考える。
その言葉はきっと、幼い頃以外も含まれるのだろう。
一度は分かたれた道ではあったけれども、こうしてまた隠れようとしたカグヤを見つけられた。
申し訳ないけれど、スバルだってカグヤを見つけるのは得意なのだ。見つからず泣いたことだって、多分一度もない。
なので、笑って告げる。これは、ただの事実だ。
「見つけるよ。キミがどこにいても、必ず」


21 春を待たず(子時代)

呼ばれた気がして顔を上げる。
もうすぐいくよ。そう囁く声がする。
けれどもどれだけきょろきょろと周りを見ても、部屋にいるのはカグヤ一人。
多分外から聞こえるのだろう。どうにも気になって部屋を抜け出し、あまりの寒さに慌てて戻った。
とはいえ外に出るのは諦めていないので、暖かな上着をもたもたと着こむ。
そうしてようやく準備はできたと改めて部屋を出てさらに寒い外へ。
冷たい空気で鼻と耳が痛くなりながら、雪の中にできた道を行く。
大人の作った道はいつもよりずっとぼこぼことしていて、時々とても深い。
よたよたと足を取られながらなんとなく声がするほうへと進んでいき、ぴたりと足を止めた。
向かいたい先は雪の壁の向こうだ。
まだまだ小さいカグヤよりも高くまで積もっていて、その向こうは雪原。
なんとか乗れないかと壁に手を触れぐっと押したらごぼりと沈む。
それでも行こうとしてみたら、顔から雪に突っ込んでしまって悲鳴を上げながら慌てて戻った。顔が冷たくて痛い。
これはよくないと諦めて違うほうへと進む。
高い雪の壁はちっとも途切れず、どこを曲がろうとも行きたい方向へは行けそうにもない。
ようやくカグヤが登れそうだと思った場所は、雪を除けた際に築かれた雪山だ。積み上げられしっかり固まったそこをどうにか登りよいしょと雪原へ。
どうやら積もったばかりのふわふわした雪ではないらしく、どうにか歩けそう。
時々足がはまって溺れそうになりつつ、カグヤは一人、泳ぐように雪をかき分け進んでいく。
そうして小さな冒険家は声を探して村の端から進むのだった。


スバルがそれに気づいたのは、偶然だった。
用事を申し付けられ渋々ながら出た外は、珍しい晴天ではあるけれどやたらと冷える。
それでも雪が降るよりはいいかとさっさと用事を終わらせての帰り道、雪の道から抜け出す細い横道を見つけたのだ。
スバルよりもずっと小さい足跡があるその道は雪の上を奥へと進んでいく。
明らかに動物などではない人間の形跡に、思い浮かぶ存在など一人しかない。
「……カグヤ?」
足跡は、一つだけ。どうやら一人で行ったらしい。あまりにも危なすぎる。
さすがに心配になったので、追いかけるように横道へと入り込んで、見事に沈んだ。正直帰って大人に報告でもいいのではないかと思った。
けれども放っておけるかという気持ちが勝り、どうにか先へと進むことにする。
時折転んだらしく横道には人の形をしたくぼみが点々と。さすがに顔があったのは面白すぎて笑ってしまいながら、同じようにスバルも跡を作りながら進む道の先、見慣れた後姿を見る。
懐かしい上着は昔スバルが着ていたものだ。
束ねられていない髪が輝くのは、濡れているせいだろうか。
ともかく、そのままにはしておけない。
雪の上をもがくように進んで暑いのはきっとスバルだけじゃない。早く帰らないと。
「カグヤ!」
呼びかけてみるが反応はない。
慌てて雪をかき分け近づき並べば、ゆっくりと顔が向けられた。うっすらと汗をかいて顔が赤い。
よくわからない間が一瞬。その後スバルの姿を認め、ふわりと緩む。
「……あにさま」
「何してるの、一人じゃダメって前にも怒られてただろ」
誰もカグヤの不在に気づかなかったらどうするつもりだったのか。
そんな文句を言ったところで、カグヤには通じず。
ただ、どこか心ここにあらずといった様子で笑う姿に、思わずスバルが首を傾げる。
するりと伸びた手が、正面、南へと向けられる。
「あにさま、はるがきますよ」
歌声のようなお告げだった。くすくすとした笑い声すらも春の気を帯びた吐息のように。
ようやくそこにいるカグヤがいつもとは違うものだとスバルは気づく。
ここにいるのは、人ではないものの声を聞く巫女様だ。
なんだか知らないカグヤが春に連れていかれそうで、雪と一緒に溶けてしまいそうで、怖くなってその肩に触れた。
「カグヤ!」
軽くゆすればぼんやりとした焦点がゆるゆるとスバルに向かう。
ぽかんとした顔で軽く小首を傾げる様子は、いつものカグヤだ。
「あにさま、どうかしましたか?」
「……どうかしたのはカグヤだよ」
思わず呆れてしまいながらため息をついて、手を放す。
「なんだってこんなところに来たの」
「もうすぐ行くよって、声がしたんです」
「誰の?」
「わかりません」
揃って首を傾げ、カグヤが向かおうとした先へと目を向ける。
動植物の目覚めを促す春の呼び声だと、当然二人とも気づくはずがなく、理解の外だ。
結局、難しいことはわからないと諦めたのは無理もなく。
「……ほら、もう帰らないと」
汗が冷えて寒くなってきたスバルはさっさと帰るべく手を伸ばす。
嬉しそうにつないできた小さな手をしっかりと握り、引っ張るように来た道を戻りながら、先ほどのカグヤの言葉を思い出した。
春、早く来ないかな。
あったかくてぽかぽか過ごしやすい時期だ。
何よりカグヤによく似合う。
先ほどの巫女様は冬のようだったけれど、いつも見ているふわふわのカグヤは春のようだ。
そんなことを思いつつ帰り道を二人揃って何度も転びながら帰る。
その雪の冷たさに、春はまだまだ遠そうだとちょっとだけ泣きたくなりながら。

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