君知るや南の国


1

十数年ぶりに譲介が踏んだ異国の地は、真夏の日差しで地上を照らしていた。
東京からクアラルンプールまでの八時間、そしてそこから乗り換えての一時間。
譲介は、微風が運ぶ夏の空気と目の覚めるような空の青さにあくびを引っ込めた。
「暑いな。」
ティアドロップ型の古いサングラスを掛けたTETSUが、眉を顰めたのが分かる。
「暑いですね。」と譲介も相槌を打つ。
インターネットで見た天気予報では、雨季が終わったこの先も小雨は降り続くと書かれていたけれど、見上げる空は晴天だった。
晴れ男の作るてるてる坊主の威力と言うのは、どうやら国境を超えてしまうらしい。
旅行前に、一也に、てるてる坊主を作って祈願しておくから、楽しんで来るようにと言われたのを、――そして、後でオレに言えないことはTETSUさんにはするなよと盛大に釘を差されもしたが――内心では馬鹿にしていたけど、実際はこうだ。
一也大明神様である。
「これだから天気予報ってのは当てにならねえ。」とレンタカーの鍵を片手にぼやいているTETSUは、いつの間にか、機内でジャケットを脱いでしまって半袖になっていた。二年ほど前に買った赤いアロハ風のシャツは、この日差しの下にあるせいか、かつてないほどに似合っている。
譲介は、荷物の中から取り出したキャップを「どうぞ。」と言って差し出した。
ちなみに譲介のいつものキャップとは、サイズと色味は違うものの、同じブランドの同系のデザインで、広義のお揃いと言えなくもない。
「TETSUさん、サングラスしか持って来ないと思ったので。」
譲介の言葉に「空港ん中をぶらつきゃ、パナマ帽みてえなもんを売ってる売店があるんだよ。」と苦笑した年上の人は「貰っとく。」と言って頭に被せた。
珍しく素直な物言いで、譲介は嬉しくなった。
到着時間はまだ八時を回らないくらいだけれど、クアラルンプールまでの移動で朝食を済ませたばかりで、譲介の方は腹は減っていない。
ホテルに行って一旦荷物を置いてくるか、食べ歩きの地図を片手に街中を歩いてみるか。
無計画な旅行ではあるけれど、夕方に海辺に行くことだけは決めていた。
「どこかカフェにでも入ります?」と譲介が観光用の地図を広げると「腹は減ってねぇんだよなあ。」とつれない返事があった。
「昼になったところで、食い終わったら涼しい屋根の下から這い出てホテルに行くことになるんじゃねえか。」
チェックインは何時だ、と言って、TETSUはくるりと鍵を回した。
「日本とそんなに変わらないです。」
予約の時点で、アーリーチェックインのプランがないことは確認済みだ。
好きな人との初めての泊りの旅行だ。譲介はTETSUが好きな映画に出てくるような、風情のあるこぢんまりとしたヴィラで部屋を取ろうかと考えていたものの、そうしたヴィラには、ツインの部屋はほとんどない。部屋が別れるくらいなら、一定の格式があるところで、ふたり以上で使える部屋がふんだんにあり、そうした部屋こそ景色がいい、という、大きめのホテルの方が、この人と一緒の部屋を使う口実になる。
十五時だったかな、と譲介が呟くと、TETSUは大きくため息を吐いた。
「それまでどうするかって話か。まあダメもとでフロントで交渉してみりゃいいだろ。」
年上の人は、デイバックを担ぎ、人波を分けるようにして大股で歩き出した。
「交渉って、チェックイン時間を早めたいってことですか。」
広く真っ直ぐな背中を見つめながら、譲介はTETSUの後ろを歩く。
「どうせ、観光バスを予約して島を周遊するプランって訳でもねぇんだろ。」
「そうですけど、部屋で何をするんですか?」
「寝る。」と言われて譲介は目を剥いた。
まさか、と思ったが、広々としたビジネスクラスの席で、日本では見られない映画に見入ってしまったTETSUの隣の席で、先に寝てますね、とアイマスクを付けた後の譲介の記憶は途切れている。あの後は、TETSUも映画を見終えて寝てしまったと思っていた。
「TETSUさん、あの映画を見た後、どのくらい寝たんですか。」
「寝てねぇ。」
「は?」
「一本目を見終わった後、続きもののマサラ映画を眺めてるうちに日が明けちまったからなァ。日本じゃまだ封切りされてねぇ映画が見れるってのに、寝るか踊るかってんなら踊る方を選ぶだろ。」
「……踊ってはいませんよね。」という呆れたような譲介のツッコミに「ものの例えだ。」と言って年上の人は欠伸をする。
「まあ、デイユースがお断りってんでも、ロビーにそのまま留まってりゃいいだろ。譲介、おめぇはどうする?」と訊かれて譲介は目を瞬いた。
そんなことを突然言われても、そもそも、出掛けるにせよ、彼の隣でカーナビをしながらの移動を想定していたのだ。
TETSUがホテルのロビーのソファなり、プールサイドのチェアでうたた寝を決めるとなれば、当然、その予定は狂ってしまう。
「着いてから考えましょう。」と譲介が言うと、決まりだな、と言って年上の人は笑った。

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