妖怪、恋のから騒ぎ(全年齢版)




「―――やっと会えたな、|夢見鳥《おおかねひら》」

 血潮の如く鮮やかな深紅の袴が、視界にちらついている。
 夜天のような漆黒の翅を広げ、雪のような真白の水干を纏う。揺らめくそれはまるで、陽炎だ。其は人のようなカタチをしていながら、人に非ず。神のようなかたちをしていながら、神に非ず。其は妖の貌が残した、蝶の呪い。

「ああ、起きた。起きたのか、|怪士《くにひろ》。待ちくたびれたぞ」

 黒と、白と、赤。鮮やかな色を纏う影は踊り、声高らかに謡う。
 |天《そら》に舞い上がるように軽やかに、真白の袖が優雅に揺蕩う。

 蝶は、どこにも行きはしない。その背にある漆黒の翅は今や飛ぶ為ではなく、ただ籠の中で舞う為にある。|空《そと》など目指そうともしない。蝶はただ来たいから夢に来て、居たいから夢に居着いている。蝶は開いていた虫籠に、態々自ら降り立ったのだ。

「俺を殺したいだろう。赦す、好きなだけ殺せ」

 我慢なんて、もうしなくていい。斬りたければ、好きなだけ斬ればいい。
 蝶に誘われるまま左手で鞘を掴み、柄を握り締めて―――やっぱりやめた。

「それもいいな。……それもいいんだが、今は」

 怪士はその手を取る。銀の瞳が、ぱっと見開かれる。

「折角綺麗なんだ、あんたが舞う所を見ていたい」

 蝶は蕩けるような笑みを浮かべ、夜天の翅を震わせた。
 ―――怪士は今宵も、虫籠の中で舞い踊る蝶の夢を見ている。






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