妖怪、恋のから騒ぎ(全年齢版)




 このまま死ぬならそれもいい。そう思えたのは、これできっと二度目だ。剣戟の音は千を超え、辺りの地面には血飛沫が飛び散っている。競うように並走し、打ち合いながら駆けずり回り、尚も力の衰えない斬撃。勢いよく振り下ろされる刃を紙一重で躱し、がら空きの脇腹に斬り込もうとして、それよりも速く今しがた躱した筈の鋼によって、国広の一撃は阻まれた。がきん、と鋼の鳴る音が、またひとつ積み上がる。……惜しい、もう少しでその肉を斬る新しい感触が得られたのだが。国広の刃は少しずつ大包平に届かなくなり、逆に大包平の刃が国広へと迫り始めていた。

「……へぇ、間に合うようになったのか」
「は、ッ、当然、だなッ……!」

 最初に遠征任務を共にしていた頃に比べればぐっと成長したとはいえ、練度には差がある。剣術の技量は間違いなく国広が上。膂力も恐らく、未だ国広の方が上だろう。実際死合を始めた直後は一方的なものだった。国広が刀を振るえば振るうだけ、大包平の美しい肢体には至る所に傷が増えていく。纏っていた防具など、とうに全て斬り捨ててやった。結界の験力、霊山からの霊力供給による即時回復などとても間に合わない程、大包平の全身は流した血に染まっていく。一瞬の隙を突いて背後に回り、背中からばっさり袈裟懸けにしてやった時は、我ながらその鮮やかな切れ味に全身が震え、見悶えるような快感を覚えた。けれど大包平も、やられっぱなしで黙っているような男ではない。直後前のめりで地に倒れ伏しそうになるのを歯を食いしばって堪え、すぐに踵を返して身体を反転させ、刀を振り上げてきた瞬発力と根性には感心した。本気の殺意で斬り合って、改めて感じる。この美しい男は、戦えば戦うだけ目覚ましく成長するのだと。あの隔離世界での成長も良いものではあったが、所詮相手は人間の残骸、数だけの存在。この死合での成長とは比ぶべくもないだろう。傷つき、疲弊しながらも、大包平の読みはどんどん鋭くなっていく。一挙手一投足毎に無駄は削がれていき、一太刀振るう度着実に強くなっていく。この山の段に到着した時はまだ低かった日は、そろそろ天の頂点を過ぎる。それでもまだ、死合を始めてから時を数えた所で半日にも満たないだろう。その長いようでいて短い、僅かな時間で大包平の剣はみるみるうちに冴えわたり、その技量は信じられない程の進化を遂げていた。その成長の早さ、劇的な変貌、まさに蛹から羽化しようとしている蝶だ。気を抜けば、その舞うような剣技に見惚れてしまいそうになる。重なり続ける剣戟の音色に、聞き惚れてしまいそうになる。羽化するのも時間の問題だろう。

「―――ようやく貴様に、届いたぞ」

 その時はすぐに来た。確実に避けたと思った筈の切っ先が、ちり、と頬を掠めたのだ。とうとう大包平の読みが、国広の動きを超え始めた。鋭く煌めく鋼色の瞳に射貫かれ、全身がぶわりと粟立つ。咄嗟に間合いを取って頬に伝った血を親指で拭い、舐めた。この程度の傷は即時回復ですぐに治ってしまう。けれどそれが今は、ひどく勿体ないような。気の昂りはそのままに、けれど腹の底が微かに冷えていく心地がした。

「……っは、その程度で俺を殺そうと?」
「まだまだぁ!」

 すぐに一撃は襲い掛かってきた。踏み込んできた大包平の刃が迫る。今度は避けずに己が刃で受け止め、弾き返して身を翻し、刀を逆袈裟に狙って振るう。大包平は国広の刃が届く前に手首を返し、寸でで受け止めてきた。また追いつかれた。そればかりか、今度は己の刃が弾かれて。

「―――ッッ、ぐぅ、ッ!」

 どの道防御は間に合わない。しかし勢いのまま斬りつけられるかと思いきや、飛んできたのは足だ。渾身の力で、腹を蹴り飛ばされた。受け身は取ったが、全身は地面に叩き付けられて転がる。このわんぱくめ、それなりに高貴な出自だろうに随分と足癖の悪い男だ。すぐに立ち上がって土を払い、弾みで手放し転がった刀を拾い上げる。

「っははは、足が長くてすまんなぁ?」
「行儀が悪いぞ、大包平。……余程躾けられたいらしいな」

 大包平が和泉守とのいつかの手合せで喚いていた、「卑怯者め、正々堂々と戦え」という負け惜しみを思い出した。当時こそ実践殺法を得意とする生粋の戦刀に何を言うのかと呆れていたが、実際こうして斬撃ではなく足蹴にされた今となっては、どの口で言っていたのかとさえ思えてくる。それでも、なりふり構っていては殺される……そう思ってくれているなら十分だ。訓練だけではどうにもならない経験の重要さは、もう既に痛いほど身に染みている筈なのだから。

「そら、来いよ。全部受けきってやる」
「ふん、……言われずとも!」

 剣戟の音は尚も響き続ける。大包平の刃が、腕を掠める。時間が経つほどに不利へと傾いていく状況に、国広の心は焦燥で揺れ始めていた。治まってくれないばかりか日ごとに増していく|情欲《さつい》に耐えられず、とうとう愛しい男を殺す腹積もりで死合を始めた。目まぐるしい程に急激な成長を遂げていく大包平に、何ならこのまま殺してくれればいいとさえ思うようになった。あんなにも守りたいと思った仲間を、戦友を、恋刀を、私利私欲で斬り殺そうとしている。こんな男、この場で誅殺してしまえばいい。刃が、今度は脚を掠めた。傷口がじりじりと熱くなり、焼け焦げるような心地がする。それでも未だ、身のこなしに支障などなく。この傷だって、すぐに治る。

「ふはは、っ、どうした、山姥切……! そんなものかッッ!」
「生意気を言ってくれる……!」

 ……別に、どっちだって良かったのだ。この美しい男を殺せたなら、至上の悦びだろう。この美しい男に殺されるならば、本望だ。けれど心はいつだって定まらない。追いつかれてしまった。此処から先はきっと追い越され、引き離されていくばかりだ。古参の導きなどもう要らない。そんなことは、もうずっと前から分かっていた筈だ。もう何も、己にしてやれることはない。もう必要とされることなどない。その事実に、酷く心細くなる。そうだ、国広はそれが、ずっと寂しくてたまらなかった。

 この蝶はいずれ美しく翅を広げ、更なる高み、陽を目指して天へと飛び立つのだろう。その輝かしい成長は殺してやりたい程憎らしくて、疎ましくて、腹立たしい。その翅を、毟り取ってやりたい。斬り落としてやりたい。標本のように一枚一枚串刺しにして、|宙《そら》になんか舞い上がれないようにしてやりたい。……けれど。

「―――嗚呼、やっぱりまだ」

 今ここで殺してしまったら、この男がどこまで強く、美しくなれるのかを、知ることが出来なくなる。見る事も叶わなくなる。それはあまりに惜しい。けれどここで己が負けて、折れてしまえばきっと、この美しい蝶はこんな捻くれた|刀《おとこ》など振り返ることなく行ってしまうだろう。この手を離れて、遠い彼方へと飛び去ってしまう。まだこの美しい蝶を、この手で育みたい。この蝶を、美しく舞わせ続けたい。この男が更なる頂へ昇り詰められるように。けれど決して追い越されることなんてないように―――共に、成長し続けたい。

「負けてなんて、やれないな……!」

 それはなんて、自分勝手な願いだ。それでもどうしても、手放したくない。どこにも行かせたくない。再度合わさった鋼を渾身の力で押し返し、その身体ごと弾き飛ばす。きん、という音と共に、白銀に輝く美しい剣が、その手を離れて宙を舞った。

「なっ……!? ―――ぐ、ぁッ!」

 如何なる状況でも、目の前の敵から目を逸らしてはいけない。弾かれた刀に気を取られた、大包平の負けだ。突進してその身体を押し倒し、貌の真横すれすれに己が刃を突き立てた。

「はッ、は……あ―――……くそ、負けた」

 終わったと思った瞬間、肩を揺らす程互いに呼吸が大きく乱れていることにやっと気付く。まるでそれまでずっと、息を止めていたかのような。

「あはは、ッ、残念だったな」
「あと、もうちょっと……だったのにな」

 地に突き立てた己の鋼に、傷だらけにしてやった大包平の顔がくっきりと映り込んでいる。どれだけ傷つけたって、きっと変わらないのだ。刀に映るその貌さえ美しい儘なのだから、全く腹立たしい。

「大包平」
「はぁ、ッ……なんだ?」
「好きだ」
「今言うのか? それ……」
「今言わずして、いつ言うんだ」

 頬の傷を擦るように頬を撫で、深く口付けて告げる。

「好きだ、大包平。愛している―――殺したいくらい」

 さっきまでの鬼気迫る鋭い眼光は嘘のように、穏やかに凪いでいる。ぼろぼろに傷ついた頬は、仄かに赤らんでいた。それはきっと、興奮冷めやらぬ戦闘の後だから、だけではないのだろう。

「……生憎だが、お前の|我儘《ねがい》は叶えてやれんぞ」
「わかってる。叶えたいとも思わんさ」
「どうしても俺を殺したいなら……こっちで我慢してくれ」

 大包平が、切り裂かれた戦装束の前を開く。露わになった血と汗に塗れた肌を撫でれば、大包平は息を詰まらせひくりと震える。それが、どうしようもなく愛おしい。惚れた相手をめちゃくちゃに傷つけるような、こんなろくでなしの男でも。愚かにもまだ見捨てずに、応えてくれるらしい。殆ど上がらないその腕を助けるように首の裏に導き、影が重なった。頬を伝っていく汗と涙は、丁寧にその唇で吸い取られる。

「……それは、我慢とは言わないんじゃないか?」

 地に突き刺さった二振りの剣は、傾き始めた陽の光を反射して煌めいている。




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