うつくしきかな、蝶の呪い




『部隊長、山姥切国広。此度の任務ご苦労様でした』

 その後、辛うじて動けるようになった和泉守達と霊力を使い果たして刀に戻ってしまった大包平を連れ、誰一人欠けることなく山姥切国広の率いる部隊は無事本丸に帰還した。あの後も大変だったのだ。暴走の止まった大包平を確保した後仲間達を振り返ってみれば、全員がその場に崩れ落ちていた。四振りは大包平が肉体を保てなくなるまでの間呼吸を完全に止めていたことにさえ気付かず、血を吐くほど咳き込んでいたのだ。そんな目に遭っても尚、皆「もう一度あのうつくしいものを見たい」などとのたまった。美とは心を、いともたやすく狂わせる。国広以外の全員が、その意識をずたずたに切り裂かれてしまっていた。本丸に帰還してからも四振りの精神汚染は後を引いていた為、見かねた石切丸がその場で大包平の呪を斬り、事なきを得た。今は手入れも終え各々けろりとしているが、あの時の事を改めて聞くと皆酷く苦い顔をする。「確かにあれは美しかったが、もう二度とあんなおぞましい【大包平】は見たくない」と。……あんなもの、見ない方がいいに決まっている。大包平当刃は刀剣破壊寸前の重傷だった上に化生としての本性を表に出した事で『刀剣男士』という枠組みまで歪んでしまったらしく、刀身自体の修復だけではなく再励起、再顕現にも調整が必要となってしまった。実のところ、人のかたちを再構築できたのもつい三日前だ。それまではソハヤノツルキと大典太光世が交代で傍に付き、自身の霊力の一部を大包平の本体に分け与えていた。今も大包平の意識が戻らず、手入れ部屋から出られていない状態なのは、そういう理由だ。

 改めて感じたのは、妖怪としての顔を表に出した大包平の凄まじい精神干渉だった。帰還した後審神者に一旦預ける決まりとなっている本体に記録された全員の戦闘履歴も、庭園で大包平に遭遇した辺りから皆読み取れない程の|文字化け《バグ》を起こしていたのだ。あの場にいて尚且つ動くことが出来ていた部隊長の国広が、口頭で審神者に説明する他なかった。

 今回追っていた時間遡行軍の目的がどういう訳か歴史改変ではなく、この本丸の大包平であったということ。
 発見当時の大包平は何らかの要因で化生の気が強まっていたこと。一振りではありえないほど多くの敵を倒していたとみられること。
 四振りに掛かっていた精神汚染と戦闘履歴のバグはこの時の大包平によるものだと思われること。
 それと同時に発露した、自身の化け物斬りの衝動のこと。
 
 国広が全ての報告を終えると、審神者はすぐに手入れ部屋にある大包平の本体からも電子化された戦闘履歴を回収し、こんのすけに解析を依頼した。すぐにこんのすけは解析を始め、周辺にはいくつもの電子モニターが宙に浮かび上がる。

『……これは』

 こんのすけは、僅かに顔を顰めていた。曰く、大包平には遡行軍から何らかの呪術……クラッキングを受けた形跡があったそうだ。目的は恐らく、大包平の奪取であると。

 そも刀剣男士とは、刀に宿った付喪神を人の形に励起し、顕現したものである。付喪神とは確かに神を差す言葉だが、その名は九十九の年月を経て魂を宿した道具の化生……妖怪という意味もある。表に出す顔を神とするか妖とするか、その違いでしかない。人間とて他人に見せる顔は必ずしも一つとは限らないだろう。それと似たようなものである。
 そして禍々しい魔性の気を纏った妖の姿をしてはいるが時間遡行軍もまた、皆名も知れぬ刀剣たちだ。ならば政府も時間遡行軍も理屈の上では似通った技術を以て付喪神を励起顕現し、肉体を持たせて戦わせているということになる。残念ながら政府側に付いている筈の刀剣男士を遡行軍が顕現することも、技術的には可能と言えよう。現に遡行軍の手に渡ってしまった刀剣男士もこれまで複数確認されており、数々の本丸から政府への報告がなされている。

 何故、遡行軍は今回この本丸の大包平を引き入れようとしていたのか。以前の遠征任務の失敗で一旦は完全に閉じてしまった隔離世界の入口を、大包平は殿として残った山姥切を助ける為に無理矢理こじ開けたことがあった。隔離された世界に閉じ込められた際の脱出方法。或いは政府の措置で隔離された世界と歪んだ歴史を、大包平の力を以て再び開放する。恐らくは、それが目的だったのではないか。こんのすけはそう結論付けた。

『……あれは火事場の馬鹿力のようなものだろう。あいつにあれをもう一度やれと言っても、出来るとは限らないんじゃないか』
『ですがこの本丸の大包平は、それが【可能である】と証明してしまった。偶然が重なって起こった奇跡でも、傍から見ればそのような力を持っていると見做されてしまいます。ましてや、今回の件はさらに拙いことになったかと。……大包平は、|上《・》|手《・》|く《・》|や《・》|り《・》|過《・》|ぎ《・》|た《・》』

 本体から得た戦闘履歴によれば大包平は敵に囲まれた肥前に加勢しようとした所、蜘蛛の姿をした中脇差の付喪神から不意打ちを受けて捕まり、あの庭園に連れてこられたようだ。そして遡行軍は出来るだけ抵抗できないよう折れる寸前まで大包平を痛めつけた上で、化生の側面を引き摺り出す呪術を施した。これは恐らく、制御しやすい刀剣男士としての枠組みを残したままどこまで妖として行使できるか……実験の意図もあったとみられる。ところが満身創痍の状態から化生としての顔を無理矢理表に出された大包平は、それを利用して呪を撒き散らし、群がっていた遡行軍の意識を縛り上げて悉く蹂躙。返り討ちにしていったようだ。……お陰でこちらはどうにか救出が間に合ったわけだが、本当に大包平は心臓に悪いことをしてくれたらしい。こんのすけから大包平の戦闘履歴の詳細を聞いた五振りは、揃って深い溜息を吐いた。

『……転んでもタダでは起きん奴だな』
『大包平ってよぉ、見た目揚羽蝶だけど中身大紫みてぇな奴だな……』
『あれだろ。天敵が蜘蛛なのは他の蝶と変わらねぇ癖に、羽ばたく力が強すぎて蜘蛛の巣ぶち破っちまう、って奴』
『強いねぇ……雀蜂も勝てないんじゃなかったっけ』
『兜虫とか、鍬形も羽で蹴散らすらしいぜ。そっくりじゃねーか、にゃ』

 政府側が刀剣男士を【神】として扱い、人の形に励起して顕現している理由など単純明快だ。妖怪としての形に励起して招こうものなら人の手には負えないモノになりかねない。これに尽きる。必ずしも全ての妖怪が人に仇なすモノではないが、刀剣の付喪神に限ったとしても史上におけるその扱いから多少なりとも人間への恨みを残しているものも居るには居る。魔性である以上、歴史を護るという秩序からは外れやすい存在であることに違いはないだろう。

『妖怪、ねぇ。俺や肥前が妖怪として顕現してたら、とんでもねぇことになるんだろうな。何てったってバリバリの人斬り道具だぜ?』
『ッハ、そうなったらもう人斬りじゃ済まねぇだろ。しまいにゃ敵味方関係なく、手あたり次第斬っちまうんじゃねぇか。アンタの元主は鬼の副長だし、妖怪になるなら間違いなく鬼だな』
『だなぁ。人間の血なんてどんだけ吸ったか分かんねぇよ!』

 わはは、と他人事の様に呑気に笑い合う和泉守と肥前だが、国広にとってはまるで笑えない会話だった。実際そうなり掛けた仲間が目の前にいて、危うく斬らねばならない所だったのだ。逸話からも多くの人を斬ってきたことが有名であるこの二振りが妖怪の性質に傾こうものなら、本当に大変なことになる。それでも鬼ならまだマシかもしれない。南泉と小竜に至っては名前からして化け猫と竜だ。意思疎通の可能なかたちになるかどうかすら分からない。大包平の件は、当刃が実戦刀ではないだけまだおとなしくて可愛い方だったということだろう。

『……勘弁してくれ。もう懲り懲りだ』
『おっと悪ぃ、山姥切。お前は名前からして妖怪斬る側だもんな……大丈夫かぁ?』
『俺は写しであって【山姥切】そのものじゃないんだが……、何故なんだろうな。今は治まっているが、二度もあんな気分になるのは御免被る』

 人が信仰する|神《もの》として扱うから、概ね刀剣男士は人間全般や所有者に対して好意的になる。同様の理由で遡行軍が禍々しい様相をしていながら刀剣男士と違って没個性的なのは、歴史や伝承に強く存在を遺す名刀である程、妖魔として顕現した際の制御が困難となるからなのではないか。故に、連中は固有の名が確認できないのかもしれない。……まぁ、これに関しては今だ謎が多い。敵側、ないし双方に認識阻害があり、敵側の審神者から見れば遡行軍の刀剣たちにも名前があり、それぞれ全く違った麗しい姿をしているのかもしれない。正しい歴史の認識が違うのであれば、政府側が扱う刀剣男士が敵側には妖として見えている可能性だって無い訳ではないだろう。

『審神者殿には、今後の襲撃に備えた本丸の結界強化をお願いしたく存じます。政府にはわたくしより、全刀剣男士に対して精神保護の強化術式を施す旨を進言致します。今回は山姥切国広がどうにか対処できたものの、次またこのような事態にならないという保証はありません。……ましてこの一件で、大包平は時間遡行軍にとって喉から手が出る程欲しい逸材に昇華してしまった可能性もあります』
『そうですね……結界強化、承りました。刀剣男士たちの精神保護の術式については、突貫ではありますが此方でも可能な限りの術式を組んで対処を進めます。政府からも刀剣男士達の早急な強化をお願いします』

 緊迫した様子で今後の対応を話し合う審神者とこんのすけを尻目に、小竜が呑気に口を開く。

『刀剣としての【美しさ】がそのまま武器になる、かぁ……美の結晶を豪語する大包平らしいね。……そういえば、山姥切がいつも被ってる布を大包平に掛けていたのにも驚いたなぁ』
『なぁ山姥切、ありゃどういう風の吹き回しだぁ? いつものお前ならその布は絶対取らねーだろ?』
『大包平が刀に戻っちゃった後も、ずっと包んだままだったよね? どうしてだい?』

 触れられたくない話題に突っ込まれてしまい、国広は大いに困った。小竜は単純な好奇心から聞いてきたのかいつものおっとりした笑みだが、和泉守の方は何か感づいたかのように意地の悪い笑みを浮かべて口を挟み、身を乗り出して追い打ちを掛けてくる。

『……あ、あれは、その』

 写しである己を見られたくない、名剣名刀と比べられたくないから被っている襤褸だ。あんなことでもなければ決して国広はこの襤褸頭巾を自ら剥ぐことなど出来なかっただろう。それが出来てしまう、そんなことをやってしまう程大包平へ向ける感情が己の内にあったことに、国広はずっと困惑していたのだ。どう言い訳しようか困り果てて口籠っていると、こちらの会話を聞いていた審神者がそっと助け舟を出してくれた。

『美術……視覚に働きかける造形芸術とは、【心】を動かす為にあるものです。刀は古来戦う為の道具でしたが、時代を問わず美術品としても愛されてきた。極限の美とは時に、時間の感覚や意識さえも容易に奪い去ってしまいます。貴方達は、刀の化生としての美を表出した大包平を視てしまい、身動きが取れなくなった。大包平の美しさに、【心】を奪われてしまったわけですね。山姥切国広、貴方の纏う布で彼らの視界から大包平を隠すことで、その力を無効化できると考えたのではありませんか?』
『……まぁ、そんな所だ』
『化け物斬りの衝動に苛まれながら、あの一瞬でそれだけの判断を? 流石だね山姥切……!』
『へー! すげーなお前! 古参として伊達に場数踏んでないってか、にゃ!』

 和泉守は意地悪い笑みを崩していなかったものの、小竜と南泉は審神者の説明に納得したらしい。やたらときらきらした目で国広を見ていた。二振りからの純粋な視線が心に痛く居心地が悪くはなったが、正直な所はとても助かった。けっ、と呆れたように吐き出しただけの肥前には、もしかすると感づかれていたのかもしれない。肥前は鋭いものの余計な口を挟まない男だ、その気遣いは、ありがたかった。


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