帝釈天の衣
おやおや、アシュヴァッターマンさんたら。慰安旅行からお帰りになったばかりだというのに、ずいぶんお疲れなご様子。休憩所の机に突っ伏しちゃって、どうなさいました? もー、折角パールヴァティーさんが淹れてくださった珈琲、冷めちゃいますよー? 閻魔大王のお膝元ならさぞ貴方にとっても居心地の良い空間だろうと思っていたのですけど……閻魔亭、お気に召しませんでした?
……なになに、さっきから色んな奴に話しかけられてるからもう放っておいてくれ? おや、先客がおられましたか。そりゃわたくしだって貴方みたいなヤンキーにこれといった用はありませんけどぉ。むしろわたくしの大元的に耳と尻尾がぞわぞわするので話したくもないですけどぉ。アルジュナさんの件で、少なからず思う所があったもので。ええ、カルナさんもそうですが、わたくしアルジュナさんとは此処から二つか三つ程離れた世界に、奇縁があるのです。カルナさんの方が波長が合うので彼とはあまりお話しませんけど、一応カルデアでも同期。旧施設から共にカルデアを支え続けた古参同士の好でもあります。少しばかり、心配していたのですよ。今回の慰安旅行で、カルデアの責任者方とのひと悶着もあったとか。霊基凍結沙汰なんて話、持ち上がるのは項羽さん以来ですよ? ……一体何があったんです。
あー……なるほど。これは聞かなきゃ良かったかもナー……。
同行していたのがカルナさんであれば、問題はなかったでしょう。常時蛇に睨まれた蛙状態ですから、アルジュナさんはカルナさんの前であれば気を張らざるを得ません。味方であればあのお二人は相互に抑圧し合う関係です。マスターでも、きっと何も起こりはしなかったでしょう。アルジュナさんは日頃からマスターに相応しきサーヴァントで在ろうと努めておられますし。……ですが、貴方であれば別。此度の件は、同行した者が貴方だけだったから起こってしまった。咎めるもの、邪魔するものが存在せず、貴方しかいなかったから、アルジュナさんは食欲を抑えることが出来なくなってしまった。謂わば貴方は神に至る為の供物、贄と同じ。貴方、アルジュナさんにとっては何にも代えがたい程の、御馳走なんですよ。
『アルジュナ』さんという英雄は、最初からそのように造られたモノだった……そう考えればある意味では、アルジュナ・オルタさんの方が正常と言えるのやもしれません。……でなければ味覚や痛覚の殆どを閉ざして視覚を強化し、人と神の血を混ぜて反転衝動まで植え付ける意味などありません。彼は鋳造された目的通り、駆動に成功した存在。アルジュナさんは、何らかのバグで目的通りに稼働しなかった欠陥品なのでしょう。どこから仕組まれていたのかは存じませんが、もしかしたらカルナさんはその抑止力として生み出された存在なのやもしれませんねぇ。
成程成程、さっきからずーっとパールヴァティーさんが遠くから心配そうに見守ってるのはそういうことだったんですね。監督代行とはいえあなた方のそれはパールヴァティーさんの夫の管轄ですから、何も言えないわけです。息子みたいなものだし恋する二人に何とか味方してあげたーい……みたいな視線は感じますが、あまりあなた方に肩入れしてしまうと主神の妃としての公平性を欠くことになりますし、下手に口出すと夫婦仲の危機にもなりかねません。……ほらそこ、女神の心を曇らせてしまって不甲斐ないとか落ち込まない。自信持ってくださいまし、それだって貴方の選んだ道でしょう。女神の珈琲、飲まない方が不敬ですよ?
それはさておき。霊基凍結処分の件ですが、マスターと共にアルジュナさんの処分に異を唱えたその判断は、最善の選択かと。何せそれを許せば十中八九、アルジュナさんへの裏切りです。今頃カルデアのサーヴァントは愛殺反転した彼にその半数以上を喰い殺されて壊滅しておりましょう。……まぁ捕食対象くらいは選ぶでしょうが、回帰願望込みの時点で食べれば食べる程魔力も神性もパゥワーアップ。手が付けられないバケモノになるのは必定。ここで助けなきゃ男が廃るばかりか|バッドでデッドなエンド《ジャガーマン道場》に直行ですよ?
大体霊基凍結した所で|根幹《オリジナル》は人類悪相当。インド異聞帯における神モドキな彼のやらかし諸々を鑑みれば、人類への憎悪を突き詰めやられたらやりかえす精神の真性悪魔に変生しかねない激ヤバ案件です。条件さえ合致すれば、どこにでも顕れましょう。……嗚呼ほんとうに、馬鹿ですねぇ。罰を求め続ける程に|優しい《愚か》だから、貴方はアルジュナさんの手も振り払えなかった。血の因縁など乗り越えるべきではなかったのに、アルジュナさんは貴方に手を伸ばしてしまった。お互い他人のふりをし続けていれば、こんなことにはならなかったでしょうに。
まぁよく考えなくても頼光さんが申し子程度の神霊適正のみで|精神汚染《あんなありさま》なのに、半分も血を継いでるアルジュナさんが大丈夫なワケ無いですよねー……あの人どんだけ精神力強靭なんです? 宝具と霊基の相性の悪さで反転衝動を相殺してるのを加味しても、御父上の白衣なんて筐一つで人寄りに精神保てるとかもはや奇跡ですよ奇跡。……ていうかその衣も無いからほぼほぼ反転してたんですよねぇ!? コロコロされて、パクっと食べられる直前だったんですよねぇ!? それ、アニモー的には欲望に従うとこですよ????? 何でその状態から踏み止まれるんです????? はー……その土壇場の粘り強さがアルジュナさんの真骨頂、と仰いますか。そりゃーカルナさんも必死で衝動に抗う訳ですねぇ。
……はい? 何でそこで|カルナ《あいつ》が出てくるんだ、ですって?
あー実はですねー、貴方が目出度くアルジュナさんとくっついてからというもの、カルナさんの調子がどんどん悪くなっているようで。なんでしたっけ、アルジュナさんへの『穿ちたい衝動』……? とやらがやけに強くなっているとか。生かしちゃおけねぇ、殺さなきゃならねぇという、起源からの指令に悩まされているようです。
ほら、カルナさんってば困っててもあんまり顔に出ない人ですから、分かりにくいですけど。わたくし一応太陽繋がりでして、その関係でカルナさんの相談にも乗っているのですよ。殺し合いが真情の好敵手とて今は同陣営、荒事は問題にもなります。更には生前母に懇願されたものの叶えることができなかった、味方同士、兄弟として共に並び立つという途方もない奇跡。カルナさんたら、そんな奇縁も大切にしたいという気持ちが強いみたいで。アルジュナさんも勇んで相手になってくれる勝負事への闘争心に感情をシフトさせるなど、どうにかこうにか抑えてはいるようですが……。あまり頻繁にアルジュナさんに相対すると、余裕がまるでなくなってしまいそうだと。ええ、特に今日はその|気《・》が強いようで……マイルームから一歩外に出た瞬間、アルジュナの|霊核《しんぞう》に槍を突き立てに向かってしまいそうだ、と物騒極まりない事を仰っておりました。なので今はご要望にお応えして、カルナさんのマイルームのドアにわたくしの護符をペタっと貼り付けております。エッ? そんなに? そんなにです。控えめに申し上げても、やばやばのヤバです。護符も所詮はお祈り程度の気休め。召喚退去にさえなんとなくで抗いやがるカルナさんのやべー精神力でもなければ、とても耐えられるものではありませんよ。実の所心配というのは、そちらの件もありまして。
これはあくまでも、わたくしの見立てですが。カルナさんがアルジュナさんの打倒に固執する理由もまた、原初の意思。太源が定めた方針なのではないかと思っております。言葉の欺瞞に騙されない、ただ真実のみを見抜くカルナさんの眼ととてもよく似た|淨眼《モノ》をお持ちの方を、よくよく存じておりますので。……ええそうです、金時さんのことですよ。
叙事詩出身の方々には馴染みの無い概念でしょうが、|日本《こちら》には淨眼、というものがございます。金時さんの眼の|雛形《オリジナル》は、カルナさんのそれに近いのやもしれません。金時さんの御父上は赤龍。赤龍は雷神の一種ですが、同時に中国神話においては太陽から生まれたとされる龍神でもあります。そしてカルナさんの御父上もまた、|太陽神《スーリヤ》です。よーく聞くと声もそっくりですし? 不思議な縁だこと。双方と交流があるわたくしとしては何やら微妙な気分ですけども。
この淨眼ですが、仏教においては慧眼、真実を見抜く眼を指します。ですが金時さんのソレは羅刹や鬼といった|世にあり得ざるモノ《魔性》に反応する側面もあるのです。金時さんは神秘殺し集団頼光四天王の一角であり、魔性退治のプロでございましょう? 彼自身が魔性に近しい出自とはいえ、そこはあの頼光さんに育てられた|武士《もののふ》。魔性の側面を持ちながら北野天神の申し子でもある彼女同様、遺伝的にも魔性殺しの素質があるのですよ。
人と交わった魔を見抜く、退魔の|術《すべ》として受け継がれる超常の力。『人ならざるモノ』に対する、強烈な殺害衝動を起こす眼。通常は対象が纏う『色』の違いで魔性を識別するようですが、式さんのように魔眼へ変異すると生物無機物を問わずモノの『死』さえ見通してしまうようにもなるとか。カルナさんの場合は変異することなく対象の人となりを見極める鑑識眼として定着したようですが……アシュヴァッターマンさん、お気を付けくださいませ? 貴方の影響でアルジュナさん、ずいぶん気が緩んでいるのでしょう。アルジュナさんの意識が、天魔の血へと傾いているのやもしれません。これはアルジュナさんの反転を止める前に、カルナさんの暴走を止める必要が出てくるかもしれませんねぇ。
……え? わたくしは魔性の癖にノーカンなのかって? そりゃわたくしは確かに、妖として退治された反英雄ではありますけどぉ。カルナさんとは|大元《オリジナル》がアスラ同士ですので、仲は良いですよ? |太陽神《ミトラ》と|水天《ヴァルナ》的な? 持ちつ持たれつの関係、と言いますか。
そも口は壊滅的に悪いですけど、カルナさんはよっぽどじゃなければ他人全肯定な根っからのニンゲン大好き英雄でしょう? 頑張ってニンゲンやってるアルジュナさんの方が好みに決まってるじゃないですか。カルナさんのその気持ち、わたくしにも分かりますとも。……わたくしだって神様です。好きじゃなきゃ霊格落としてまで英霊の真似事なんかやってませんて。
……正直申し上げますと、カルナさんやアルジュナさんが羨ましいのですよ。
私は人間に憧れ、人間に夢見て、されども人間にはなること能わず。
人間以上の力を持ちながら人間一人にさえなれなかった、夢破れし愚かな神です。
|神《わたくし》を|神《わたし》として崇めてくれる人々への、ちょっとしたお返しのつもり。ただ幸せになってほしいからで頑張って人間になりすましてお仕えしてたんですけどぉ……。上から目線な神ほど駄目駄目な奴はいませんから。先にお話した通り、人間は自分たちとは違うモノに対して敏感です。結局最期まで、受け入れられることはありませんでした。どんなに強い力があっても強い|感情《ねがい》があっても、神が人になんかなれるはずないでしょうに。……馬鹿ですねぇ、わたし。
でもなれなくたって、それでも人が好きだから相変わらず此処にいるんだろ、ですって? ええ、そうですとも! 狭量で、独善塗れで、群れていなければ生きられない、弱々しく醜い生き物。それが人間です。そんな無駄と無意味が溢れた悪性だらけの愚かな|人間《いきもの》ですが、時折見せる|善性《あたたかさ》を、わたくしは何より愛しいと思います。故にわたくしは、懲りずに英霊をやっているのです。カルナさんだけじゃなし、貴方だってそのクチでしょう? じゃなかったら|ロクデナシの悪王《ドゥリーヨダナさん》になんか仕えてないでしょうに。
ですが私が人間からそんな扱いを受けても憎しみを抱くことがなかったのは、私という存在が根本から|神《そのようなもの》であるからです。人無くして、神は成り立ちませんので。……ですが彼は、違うでしょう? 人と神、双方の血を持つどちらにもなれない不完全で、不安定な存在。アルジュナさんはどっちつかずの自分に悩みながら衝動を耐え抜き、人間として生を全うした英雄。それは確かに、彼自身のずば抜けた精神力が成せた事ではありましょう。しかし同時に、周囲の人々の愛情がなければ、耐え抜くことなど出来なかった筈。それこそギブアンドテイク、理由や思惑が何であれ、善悪是非がどうあれ、愛とは双方の打算によって成り立つモノ。神の方の血に|悪役《ヴィラン》化確定の因果が混ざっているなら猶更です。初めから誰にも愛されない環境であったならノータイムで角と尻尾がにょきにょき生えちゃってたでしょうし、そうなれば間違いなくわたくしと同じ末路。バケモノ扱いの討伐対象です。
ホントは人間の気持ちなんか分からない……アルジュナさんはそう仰ったみたいですけど。
彼ら兄弟は例え根本が人間でなかったとしても、誰かに『人間として愛された』から、その|期待《ねがい》に応えようと人間で在り続けたのです。
それは純度100%の神であるわたくしには、何をどうしても得られなかったモノ。
……羨ましいったらないです! 隣の芝生は青く見えるということにしておきましょう!
しかし悲しいかな、どっちつかずの半端者とは純正のどちらかに成りきることは叶わない……ということでもあります。限りなく人寄り、限りなく神寄り、何をどう努力してもそこまでにしか至れません。だって人間が絶対持っていない力がその手にあるんです。それでいて神には無い筈の弱さ、脆さがある。加減も出来なければ力を持たざる者たちの心も分からない。わたくしや|貴《・》|方《・》|の《・》|よ《・》|う《・》|な《・》混じり気の無いモノであれば何があろうと最終的には『そんなもんだ』と割り切れてしまいますけどね。人と人でないモノの混血は、双方の性質を持つが故、生涯に亘って悩み続けるのですよ。
それでも尚自分のなりたいもの、たどり着きたい場所を、彼らは己に問い続けねばなりません。答えを裡より作り出し、|自我《じぶん》を確かなものにしていく。人間として悩み、足掻き、尚立ち上がって前に進むアルジュナさんの姿を、カルナさんやアルジュナ・オルタさんは何より眩しく、尊いと思うのでしょう。天魔の血に傾きかけようとも、アルジュナさんは必死でだれかの為に踏み止まり続けている。だから彼は|反英雄《アヴェンジャー》と化す運命を抱きながら、抗い尽くして正英雄に至ることができた。それを分かっているからカルナさんもまた衝動に耐え、抗い続けている。人でないモノの血を引いていようと、|人《・》|で《・》|在《・》|ろ《・》|う《・》|と《・》|す《・》|る《・》|限《・》|り《・》|は《・》|人《・》なのだと。そんなアルジュナさんをこそ打倒したいと思うのは、彼の中にある人としての矜持。まるで自覚はしておられないでしょうが、太源の父に対するささやかな反抗なのやもしれません。それは例え齎す結果が同じであろうとも、太源の意思とは明らかに異なるもの。
ですから貴方も、その手を握ったからには。
どうか|最期《決戦》の刻まで末永く。彼を愛してあげてくださいまし。
誰かの愛ある限り、彼は人で在り続けるのですから。
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