帝釈天の衣
おーいおまえ、大丈夫かァ? 普段はしゃぎまわってるやんちゃな悪ガキが休憩所の机に突っ伏して、どうしたどうした。彼岸手前の迷い家まで、ちょっくら旅行に行っていたんだろう? 遊び疲れた風でも無し、おまえ、全然息抜き出来てないじゃないか。……うん? うっせぇ、何か用かって? また扱き甲斐がありそうな口の悪さだな! うん、気に入った!
いやねぇ、|マスター《あの子》がお前ともう一人の……何やらどことなくうちの馬鹿弟子にも似たクソ真面目で愚直な雰囲気を持つ……アルジュナ、といったか? お前たち二人をやけに心配してたんだ。けどホラ、あの子もあの子で忙しいだろう? 何やらえらく落ち込んでもいたようだし……、代わりに僕がちょいと様子を見に来てやったのさ。
……うん? そういや旅行先で僕に似た奴に遭った?
白い鷲だか烏だかに……はぁ!? 結界で閉じ込められたァ!?
ちょっと攫われる程度で済んだが危うく殺されるかと思ったァ!?
お、おま、おまえそれ、僕の大元……いやよく生きて帰ってこられたな!?
僕は確かに鞍馬山僧正坊で、魔王尊の化身で、数多の天狗を統べる大天狗だけれども! おまえが迷い家の近辺で遭遇したソレは、その|天狗《僕》の原型にも程近いんだぞ!?
あんなしちめんどうな所まで全く|儂《・》は何を考えて……は? パシリ?
|毘紐天 《ヴィシュヌ》の……? あっそう……ウン、じゃあ……しょうがないな……。
……っておまえ、|大黒天《マハーカーラ》の半化身で僧侶なのかァ? 成程そりゃあ無事で済むわけだ。いやなに、今の僕の力はそちらにも通じるものがあってね。まぁその件はひとまず置くとして、するとアルジュナという男が、帝釈天の……。
我が馬鹿弟子は曲がりなりにもかの神秘殺し、源頼光を先祖に持つ。
彼女は祇園精舎の守護神たる牛頭天王の化身だ。血筋からしても、性質が似ている訳だよ。
おや、おまえも覚えがあるのか? アルジュナに、我が弟子の影を見たか。
そうか、そうかァ……であればアルジュナもまた、神々の王たる父から。
怨の一文字を背負わされておったのやもしれぬな……。
何故、と? アレは不要なものと切除され、大陸から追い出された挙句|島国《うち》に流れ着いた神の貌の残骸だろう? 丁寧に信仰を貶めた上で大陸から追い出すとか、そこまでの仕打ちを受けておいて恨まん筈がなかろう。……まぁ、そこまでやらねば人理は確立しなかった、という話でもあるか。神々の王、なんてモノは星の支配者にも等しい存在だ。あの手の神には過去だの未来だのの時間軸など関係が無いからな。元より神なんて連中は、人が『それは神である』と認識することで存在しているんだ。人の理解が及ばぬ|現象《モノ》を、理解出来る範疇にまで落とし込んだ姿を人は神と呼ぶ。当然後世になるにつれて人々の解釈は変遷していくだろう? 他所の神話や宗教観を取り込むことで持ちうる権能を広げ、信仰に不要なものは切除される。人間に都合が悪ければ都合がつきやすいよう新しい神が生まれるし、古き神は追い出される。勝手なものだがね……神は人々の信仰によって成り立つが、同時に人々の流行によってそのカタチを変えていくのサ。
そら、元々インドラという神自体は外敵や障害を排除するという英雄神だ。罷り間違っても疫病神などではなかろうよ。雷霆、嵐を司る自然神とされたのも、バラモン教がヒンドゥー教に移り変わってからの話だろう?
ところがこれが仏教で帝釈天となり中華に渡った時点で、アレは道教の解釈によって三尸の虫を使役し、生者の寿命を裁定する天帝と同一視された。人の命を奪い去る病魔に侵される原因は腹の中に潜んだ三尸の虫にあり、この虫は宿主の業を懲らしめる天帝の御遣いである……という風にな。
更に困ったことに、|日本《コッチ》に伝来する頃には疫病除けの神として民の間で信仰されていた牛頭天王が、素戔嗚尊と共に帝釈天の化身として習合されている。
……結果インドラという神は、逆説的に疫病神の側面まで持てるようになってしまった。
時間軸など関係ない、貌が山ほどあるというのはそういうことだ。まさに鶏が先か卵が先か……そんな話になってしまうのサ。
人あっての神、神あっての人、とはいえその圧倒的な支配力から抜け出すなんてのはまァ、簡単じゃなかろう。メソポタミアの海たる母同様、人類が置き去りにした原初の悪のひとつ……とでも言った方が分かりやすいか?
子はいずれ、巣立たねばならぬ。
例え父母がどれほど惜しもうとも、縛ろうともな。
神々と人間は、そのような間柄だ。
父母に支えられて何を考えるでもなく只生きるのみだった幼年期は、とうに過ぎたのだから。
けれど中には子の巣立ちを認められぬ厄介な親というものもいる。|アルジュナの父《インドラ》にもまた、天空には|父《ディヤウス》がおろう。奴は父に反旗を翻した親殺しの神だ。毒は連鎖するものサ。支配されて育った子は、親になっても支配することでしか子に関われん。いつまでも傍に置きたい、いつまでも|愛玩《めで》ていたい。そのような|親《かみ》が、巣立とうとする|子《にんげん》を恨むのさ。生みの親たる我等を置いて往くなど許さぬ、とね。
……僕は人間じゃあないからなァ、そちらの機微の方がよく分かる。分かるからこそ、それはならぬとも思うのさ。どうあっても僕らと人は、相容れないものだからね。故に線引きとしてあまり干渉すべきではないとも思ってはいるんだが……うん、ちょっと昔、弟子の育て方で大失敗してしまってね。此度は間違えまいと、此処で目を光らせて見守っているのさ。……失礼な! 毒親な神々と一緒にするな! 僕は分別くらいは付いている! ……ちょっと人間が気になるだけだ!
うん? ……やっぱりそこはあいつも父親譲りなのか、と? 異聞帯での記録といいこっちのアルジュナといい、支配欲の塊だったァ?
かんら、からから! その様子では迷い家で余程痛い目に遭わされたんだなァ、お前! しかしお前でそれほどということは、僕の養子兼嫁候補であるあの子を鞍馬に連れ帰る時には……天魔の息子の怒りまで買ってしまいそうだなぁ。……うん? 養子と嫁は両立しねぇ、だとぅ? |大黒天《シヴァ》の半化身たる聖仙がそんな細かいことを気にするのかぁ? 全くくだらん、くだらん! |梵天《ブラフマー》とて自ら生み出した|弁財天《サラスヴァティー》を妻としたろうに! 僕がそうしたいと思ったのだから、それでよい!
なぁに、お前とてどれほど痛い目に遭おうとも、アルジュナを離さんと決めたのだろう? お前たちにも選ぶ自由、権利というものはあろう! そうしたいなら、そうすればいいのだ!
ふふん、僕とて根幹は|迦楼羅天《鳥の王》!
天帝を脅かす為に生まれた、|雷《いかづち》を凌駕する者!
インドラ、何するものぞ。困ったことがあった時は、僕にも頼るといい!
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