100万年きみを愛す


 特別治療室の扉をそっと開き、中の様子を窺うように白露は部屋の中に入った。寝ずの番を続けていた霊砂は、あら、と入ってきた白露と少年に気付き、すぐに立ち上がる。将軍、とすぐに頭を下げた霊砂に、ああ畏まらないでください、と少年は答えた。
「元司鼎様もお座りになってください。僕はただ、お倒れになる直前にお会いした者として、どうしても気になっただけですから。……老君の御容態は?」
 尋ねた少年に、霊砂は後方の治療ポッドへ視線を向ける。御覧の通りです、と。
「精神年齢の方はともかく、身体年齢であればただの青年ですので、呼吸が浅い以外は健康ですね」
「というと……やはり他の被害者と同じですか?」
「はい。どうやらそのようです」
 ふむ、と少年は治療ポッドの中を覗き込み、話には聞いていましたが、とまじまじとその中を覗き込んだ。続けて、計測モニタをじっと見つめる。脳波を見てもどうみても眠っているようにしか見えませんね、と。
「目覚めた被害者の方から調書を取るためにご協力いただきありがとうございます。丁度、部下にその回収を頼んだ際に老君もお倒れになったとお聞きして、馳せ参じた次第です。龍女様が丁度外にいて助かりました。ここまでご案内していただいたんです」
 そうでしたか、と霊砂は少年に頷く。この少年は羅浮の現将軍だ。体躯はまだ少年だが、実年齢は数百を超える天人。
 丹恒は不夜候での食事を終えた帰り、丹鼎司に戻ろうとしたところで、気付くと道端に倒れていたのだった。一人離れて歩いていたから、彼が倒れる瞬間の事は誰も見ていない。外傷は倒れた際の軽い擦り傷程度のもので、全身をくまなくスキャンしたが、暗殺などの可能性は著しく低いと判断された。直前に食べていた不夜候での食事ももちろん調べたが、毒はもともと彼には効き辛く、また誰がどの蒸籠を空けるかわからない状況で提供されたため、食事に毒が入っていた、という可能性も消えた。
 襲撃があったわけでもないのに、彼は突然倒れたのだ。
 たまたま弟子が二人と受肉していた符玄が一緒にいたからよかったものの、と霊砂は小さく息を吐く。彼が倒れていると気付き、すぐに心肺蘇生を行おうとしたが、符玄が呼吸はあるから今すぐ運んで、とシステム権限を利用し、一隻の星槎の権限を書き換えさえ、すぐ傍まで降ろしたので、三人がかりで星槎に彼を乗せ、丹鼎司の病棟まで運び込んだのだった。丹恒の容体は呼吸が浅い以外にこれと言って悪い所もなく、他の患者と同様の処置で様子を見ている。
「それにしても、医館の病棟にこんな場所があるとは。ここへ来るまでにかなりの数のセキュリティゲートをくぐってきたのですが、いくら老君であろうと、この時代にここまで警備が必要なのですか?」
「疑問は御尤もでしょう。……ですが、わが師のみが知っている秘術というのが多くあり、それを狙う不届き物がまた多いのも事実なのです。今頃その不届き物達と繋がりのある者達が老君が倒れたことを伝えている頃でしょうね。外の雲騎は、明日反魂の儀を判官が執り行うまで、身内以外は何人たりとも入れぬようにと符玄様がそれらと関係のない方々を配置なさったのです」
「ふむ。なるほど、納得しました。老君の様子を見に来たと伝えた際に、受付嬢が何も知らぬようでしたから、何かあるのだろうとは思っておりましたが、そのような理由だったのですね」
「丁度わしが通りかからんかったら、将軍もそのまま帰っておるところじゃったのう」
「ええ、僕は幸運でした」
 菓子でも食うてゆくか、と白露が彼に尋ねる。お構いなく、と少年は緩く首を振り、だがすぐに帰るつもりはなかったのか、すすめた椅子には腰を下ろした。すぐには帰らんのか、とぼそりと呟いた白露に、霊砂も同感だったがすっと彼女の口元を手のひらで押さえる。
「ところで……将軍。調書とお聞きして不思議だったのですが、一体何をお調べになられているのです?」
「ああ。その件ですか。ご協力いただきましたし、丹鼎司には今もかなり負担になっていますから、少しお話してもいいでしょう。まあ面白いまとめになりそうです。と言いますのも、倒れた患者に漸く共通項が出てまいりまして」
「なぬ!? それは誠か?」
 そうであるなら、これから倒れてしまう可能性のある患者候補に注意の通達が出来るうえ、搬送などもいくらかスムーズになる。一体何なのですか、と霊砂が尋ねた。うーん、そうですね、と少年はいくらかの収集データを目の前に展開した。
「これが《何》である、と定義づけることを他者である僕らが行ってしまうのは、些かナンセンスですが。……参謀も昔の夢を見た、と言っていた通り、どうやら多くの患者は昏倒している間、長い夢を見ていたようです。覚えている限りでいいので、その夢の話をしてほしい、と皆に聞いて回りました。――こちらは、ある持明の少女の話です。――『たくさんね、ほんがね、あってね、くすりをね、がりがりしてたの。していさまがね、ばあさまと、これと、これをまぜて、ぎゅーっとまるめるんだよ、って!』と。聞くところによると、彼女はつい最近まで、――ああいえ、時間間隔的には最近と言えど五年は経っていますか。その世話役の老婆と暮らしていたそうです。その老婆は持明族ではなく殊俗の民で、短い間ではありますが、丹士として丹鼎司で働いていたそうですね。その老婆は、その五年ほど前にお隠れになったと聞きしました。少女は酷く老婆に懐いていたようで、老婆がなくなってしばらくは、度々既にいなくなったというのに、老婆のことを探して、医館の丹薬調合室に来ていたそうです。最近はそんなことも忘れてしまっているようですが。その子はその老婆と調剤室で一緒に調合の様子を見ていた夢の話を、一生懸命されていたそうです」
「ああ……、……もしかしてあの子でしょうか。覚えがあります。世話役の当てがなかったところを、その者がしばらく引き取って下さったのですよ」
「そうでしたか。――それから、こちらのご高齢の天人。この方も、夢でかつての恋人である、持明族の方と過ごした日々をもう一度見ていた、とおっしゃっていました。他にも、昔飼っていた猫と再び逢った、病死した兄弟との若い頃の夢を見ていた、などなど。子どもも皆、最近の事ではありますが、昔の事を夢で見ていたそうです。それも、普段はもう普段はあまり思い出すこともないような、既にある程度の心の整理がついた時の事を」
「それが共通項だというのか?」
「確証はどこにもありませんよ。ですが、それなりに意味があるのではないかと僕の勘が言うのです。――恐らくこれは、彼らの心に自然と刻まれていた、とても優しい愛の記憶です。自分が誰かに愛されていたことを知るタイミングというのは、……その誰かがいなくなってからの方が多いですからね」
 それらは言葉のないものであることが殆どです、と彼は言った。そして、司鼎様たちも何となく、思い当たることはあるでしょうと。
「あなた方自身の話ではなくとも、あなた方のお師匠様などそれを理由に今日まで記憶を持ち続けているようなものではないですか」
「将軍も師匠の話をしっておるのか?」
「僕が知っていることは秘密にしておいてください。あなた方と違い門下というわけでもありませんからね。……老君が羅浮に留まるようになる前のことを、僕も以前……符玄先生――符玄様に気になって、尋ねたことがあるのです。かの老君は何故一度離れた羅浮に戻ってきたのか、と。彼は権力を望まず、山の奥に密かに流れる清流のように、どの時代も特に目立った功績を立てようともせず、時々研究結果の論文を書く以外は、代々の龍女と丹鼎司司鼎の教育を行うだけでした。彼ほどの長い時間を生き、数々の世界の危機を救ってきたナナシビトとしての実力も備えた者であれば、羅浮の将軍にもふさわしいと言うのに。だから、少し気になったのです。あの方に、野心のようなものは本当にないのかと」
 わはは、と白露は少年の答えに苦笑する。
「師匠にか? ないない。あの者は家の縁側で書物や古い日記を捲りながら、庭を眺めてぼーっと思い出に浸るのが趣味なんじゃ」
「その時の僕はそれを存じ上げなかったのです。……彼の弟子以外に勝手に話すのは、と、符玄様も、その時は話題をさっさと変えられてしまいました。ですが、あの方もわかり辛い方ですので、特別権限に移されていたアーカイブの閲覧権限を、一時的に僕に付与してくださったのです。僕が老君に仕事を頼みだす直前の事でした。彼の人となりや、過去に彼の前世が羅浮で起こした事件を含めた出来事を、僕はその時まで上澄みしか存じ上げず……彼の事をある程度知った上で、業務上の付き合いを重ねた方がよいと判断したのでしょう。彼についての話を読んだ時は、僕も随分引きずりましたよ。誰かを愛し、誰かに愛される、それがこれほどまでに優しく残酷な形のまま、途方もない年月を経てなお、……変わらずに残っているなんて考えすらしませんでしたから。――ですが、もしかすると、もうじき老君もまた羅浮を出て行ってしまうかもしれませんね」
「なぜそう思うのです」
 尋ねた霊砂に少年は言う。それは僕の勘ですかねえ、と。
「そもそも僕は、三日連続で同じ症状の人間が丹鼎司に運ばれた時点で、太卜にこの件を占うように言ったのです。ですが、太卜も首を傾げていました。占いの結果が、原因についてだけ何も見えないのだと。後にも先にも、羅浮の太卜司に残された記録で、『未来を占えなかった』という記録がされた者はたった一人しかいませんでした。その者は、星外からの訪問者。羅浮の盟友にして、当時の羅浮の救世主でした。……それから、面白い話がもう一つ。先ほど、収集した貿易品のチェックが全て終わりました。僕は何かきっかけになったものがその中にあると思い込んでいたのですが、残念ながら、部下から伝えられたのは特にこれと言って危険なものも、変わったものもその中にはない、という報告でした。ですが、商船の代表者たちに事情を聴いていた際、何か変わったことはなかったか、と尋ねると、何故か皆、違う航路から来た船の者達すら口をそろえて、同じことを言っていたのです」
「同じこと?」
「ええ。運搬の途中、――星海を走る列車を見たのだと」

        §

 人々は後ろ向きに歩き、星槎は船尾の方向を前として進み、機功鳥は羽を広げ後退しつつ空を横切り、荷物を置くどころか荷物を取って飛んでいく。夜が明けるように、夕暮れから再びすっかり青い空に戻った星槎海の洞天から長楽天へ移動し、空は常夜に変わった。前を歩く少女と自分だけが人々の流れに逆らい前を向いて歩いているので、穹はどちらが正しいのか歩きながら次第にわからなくなっていた。
 道の端、これ以上進まないようにとつけられた柵の近くから急に出て来た通行人がふと目についた。少女の後ろから少し離れて、どこから来たんだろ、と下を覗き込む。狭い路地だが、下に続く狭い階段があった。
 こんなところに階段なんてあっただろうか? この辺りもよく散策したと思っていたが、まだまだ散策が足りなかったらしい。
 星槎海や長楽天の建造物は縦に長く、メインストリートの下層にも、店や居住区が設けられている。下へ続く階段もメインストリートの近くから伸びているが、下層に行くにつれ治安が悪くなる区域もある。そのため、なるべく用事がない限り下層へは向かわないように、と以前言われていた。夢の中なら下層がどうなっているのか飛び降りて見にいけるかな、とやはり階段を後ろ向きで登ってくる通行人を見つつ、少女の元に戻ろうとしたが、少女はいつの間にか立ち止まっていた穹の近くに戻ってきている。おわ、っと思ったよりも彼女が近くに居たので、穹は驚いて後ろに退いた。がし、っと服を掴まれ手前に引っ張れる。
「落ちるところだったじゃん。落ちたら上がってくるのが面倒だからやめた方がいいよ。ここは夢境でも、記憶域でもないから」
「へっ?」
「あんたは今、《ここにいるけどここにいない》、そういう状態なの。……ほら、金人巷までもう少しだから」
「そりゃ……、道くらい知ってるけど」
 とはいえ、自分が知っている羅浮とはやはり少しずつ異なるようだ。
 見覚えのない店がいくつも長楽天に立ち並んでいるし、あんなに高い塔のような建物は、自分が知る限りどこにもなかったはずだ。知っている光景よりより賑やかになったような気がする。
 洞天間は隣接した洞天であれば星槎での移動の必要はなく、繋がった道から行き来出来る。とはいえ、そうやって目的地の洞天に向かうためにいくつもの洞天を経由するのは時間がかかりすぎるので、歩くのが好きだとか隣の洞天でもなければ大抵は乗り合いの星槎を使って目的地へ向かう。
 金人巷は一度は廃れたものの、一時期復興を手伝ってからは賑わいが戻った歓楽街だ。常夜のお祭りのような賑わいは健在で――いや、健在どころか知っている金人巷よりも随分煌びやかになっている。人々は今が昼か夜かなど関係なく光の中街を歩き、屋台での食べ歩きなどを楽しんでいた。おかしい、と思いつつも、穹は人混みの流れに逆らって歩いていく少女の後をなおも追いかける。少女は真っすぐに、金人巷の端にある港まで歩いていった。
 カクウン運輸の支店があるため、貨物が多く運び込まれるこの金人巷の港は――貨物の一時保管倉庫がでかでかと建造されていた。なにこれ知らん、と呆然として見上げていると、「こっち」と少女がぼうっとする穹を急かしてくる。彼女は穹を引っ張ると、荷下ろしや荷造りを行っている機巧の近くまで寄っていって、あれだね、ととある一つの星槎を目指していった。
「お、……おい。どこいくんだ?」
「どこって。さすがにこのまま歩いていくのは遠いから、星槎を使うんだよ」
「……? ここは乗り合いの星槎乗り場じゃなくて貨物専用の星槎だろ?」
「その方が気を遣わなくていいでしょ。――薬の積み下ろしをしてるから、この星槎は丹鼎司から来たものだよ。ほら、早く乗って」
「はぁ?」
 戸惑う穹を意に介せず、少女はぐい、っと無理に穹を星槎に引っ張り込んだ。ぎゅうぎゅうに出荷用の箱が積みこまれた星槎の隙間に穹は少女と共に乗り込む。しばらくして、星槎は船尾の方からやはり後ろ向きに進みだした。
 訳が分からないまま、穹は貨物用の星槎に揺られて空を横切る。見下ろした洞天は、やはり自分が知っている洞天と似ているようで少しずつ違って見えている。ここが夢境でもなく、記憶域でもないというのなら羅浮はいつのまにこんなに改修工事を行ったのだろう。そんな話は聞いていない。いや、工事の内容を細かく自分に伝える必要はないのだから知らなくとも当然の事なのだが。
 それはそうと、と自分をここまで引っ張ってきた少女と、穹は漸く正面から向かい合う。ついてきて、と言われたからそれに従ってここまで来たが、彼女は本当に丹恒がいる場所を知っているのだろうか?
「…………それで、」
「うん?」
「丹鼎司から来た――ってことは、つまりこの星槎は丹鼎司に行くんだろ? そこに丹恒がいるのか?」
「もう少し前かな。今はまだ神策府にいると思う」
「え。じゃあ神策府に連れて行ってくれよ」
「そんなに滞在時間が長いわけじゃないから、会うだけなら丹鼎司の方がいいと思うよ」
「……? んー……じゃあ、そっか……?」
 何故か彼女の言うことをそっくりそのまま飲み込んでしまう。嘘を言っているようには見えなかったし、穹を騙してどこかに連れて行こうとしているようにも見えなかったのだ。悪意がない、感情も見えない。本当にこいつのことを知らなかったっけ、と穹はじっと少女を見つめながらもんもんと考える。
 星槎はしばらくして、丹鼎司の洞天の上へと進んできた。丹鼎司といえば、建木の時に襲撃に逢い、多くの雲騎軍兵士が命を落としたり、住民体が豊穣の忌み物に追われ住居から退去しなければいけなくなった地域のはずだ。今は医館の周囲や医者広場を中心として常に雲騎軍兵士が見回りをしている区域のはずだが――星槎で見下ろす限り、廃墟同然だったはずの家屋はどこも立派に立て替えられて、大きな棟がいくつも医館の中に増えている。まるで棟の森のようだ。なんだこれ、と先ほどまで感じていた違和感よりももっと明確な記憶との差異に戸惑い、穹は少女を見る。だが、少女は穹の様子を気に留めることもなく、星槎が止まるや否やすぐに降りて行ってしまった。
「あ、待てよ!」
 慌てて穹も少女の後を追いかけて星槎を降りる。
 がやがやと、周囲の様子は知っている丹鼎司と全く違う。医者市場は医館の前の龍樹の周囲の事を指しているはずだが、今はそこから伸びた道路にも店がいくつも増えていて、賑わいも全く以前と違う。知らない街に来たような気分で、やはり後ろ向きに歩いていく人混みの中を歩く。見覚えのある龍樹の傍までたどり着くと、一層周囲が賑わいだした。
 丹薬を扱う薬屋はもちろん、薬草の種類は店の中の棚に入りきらず、店先にも並べているくらいで、紙と電子問わず医学書だけを集めた本屋に、生花店や青果店、ここにはなかったずの診療所に案内所――キッチンカーでの屋台もいくつか出ている。知らない光景だ、ときょろきょろとあたりを見回していると、いつの間にか少女と離れてしまっていた。少女は穹が来るのを待つように、後ろ向きに歩いている人混みの中で、ぽつんと立って穹を見つめている。
「ごめん」
 追いついて謝ると、彼女はいいよ、と答えながら再び歩きだした。医者市場近くの楼門をくぐり、医館の中に入っていこうとする。
 医者市場も賑わっているように見えたが、医館の中も酷く込み合っていた。患者がこんなに、と一瞬考えたが、よく見るとどうやら違う。ただの見物人が医館の敷地内に入り込み、中の様子を窺っているように見えた。何かあったのだろうか? その人混みを通り抜け、穹はどこかへ真っすぐに歩いていく少女の後を追いかける。ふと――見覚えのある誰かが真横を通り過ぎた、気がした。
「…………?」
 見間違いだろうか。首を傾げていると、「はやく。こっち」と少女は人混みから離れるように、人の波に逆らい道を外れ、病棟から離れていく。どこにいくのか、と後をついていくと、少女は植込みの先から、緑が生い茂る獣道に静かに歩いていった。
「なあ。医館にいるんじゃないのか?」
「なにが」
「だから、丹恒だよ。お前が言ったんだぞ、いるところを知ってるって」
「うん、知ってる。でも今は丁度移動中だから、あんたが求めてるような接触は多分出来ないと思うけど。それよりも、ずっと同じところに居るのを見た方がいいんじゃない?」
「……? そりゃ……、……言われてみればそうかもしれないけど……?」
 そもそも丹恒もここに飛ばされているのならずっと同じところに居るのを見る、というのもなんだか妙な言葉だ。どゆこと、と何もわからないまま、既に知っている道から外れ、来た事もない場所を歩いているから、穹は目の前の少女についていく以外の選択肢を持たなかった。
 彼女は獣道から、少し整えられた参道に入り、周囲の景観を少し楽しみながらどこかへ進んでいく。どこまで行くんだ、ともう既に医館の影すら見えなくなっていることに後ろを振り返って気付いた。小一時間ほど歩いているような気がするが、少女がどこかに辿り着く気配はない。これは選択肢を間違えたか、とその背を睨み今からでも引き返すかを考えていたところで、ふっと何か膜のようなものを通り抜けた、気がした。
「……――?」
「ここからは庭だから。普通の人が間違えて入ってこないように、雲吟の術が掛けられてる。もうすぐ見えるよ」
「お、おお……?」
 何が、と尋ねないまま、穹は不安ではあったが、仕方がなく少女を追いかけた。少女の言う通り、竹林の奥へ進んでいくと、漸くぱっと視界が開ける。参道から続いていた竹林は刈り取られ、かわりに整えられた庭が広がっている。庭は池をいくつも有し、その池には蓮の花が丁度咲き乱れている。蓮の甘い匂いが、近づくとほんの少しだけ香ってくる。
 池の中には鯉が数匹。いくつかの樹も植えてあり、鳥がその上に止まって心地よく転寝をしている。猫に犬、それから――「……キメラ?」見覚えのあるフォルムの動物を見つけ、あれ、と穹はそのまま呆然と立ち尽くした。
「…………なんであいつらが、……」
 生命の花園で育てられていたキメラと瓜二つだ。色はまちまちで、身体的特徴にもばらつきがある。そんなところまで記憶通りだ。ここが夢境でも記憶域でもないのなら、まさかオンパロスに――いや、まだあの星は生まれたばかりで、どんな風になるのかすら未知数な場所なのだ。先ほどの少女の言葉が真実である、という確信もない。やはりここは記憶域の一つに違いないのだろう。
 穹は庭の低い橋を渡り、亭の傍を通り過ぎて、漸く広い邸宅に辿り着いた。余程金持ちが住んでいるのか、無駄に広い邸宅には人気がなく、部屋もがらんとしている。少女は庭に面した渡り廊下から邸宅に乗り上げると、穹も同じように邸宅に上ってくるまでそこで待っていた。誰の家かは知らないが、半透明で、どうやら普通の人間には感知できないみたいだし許してくれ、と一言ごめん、と謝って土足で家の中に侵入した。
 人の気配が――ない。
 静かだ。周囲に咲き乱れる花々や木々、苔むした岩――水の潺(せせらぎ)や鳥や動物の微かな鳴き声は聞こえてくるのに、人の気配だけが全くない。誰も住んでいない――にしては、手入れが行き届いている。
 住人はただ家を空けているだけなのかもしれない。少女の後をついていくと、ぬっ、と急に引き戸から人影が現われた。驚いて硬直するが、人影は穹に気付いた様子も全くなく、「?ねよわいいもてっゃちれ入に中、れこ、どけだ更今」ともう一人一緒に出てきたもう一人に尋ねる。何を言っているのか聞き取れないが彼女たちは出て来た部屋からいそいそと廊下に本を積み上げていく。部屋の奥にも本や巻物といった書物が保管されているのが見えた。どうやら書庫のようだ。その書庫と廊下を行き来し、二人の女が何かを話しながら小さく笑い合っている。
「どけいいといなまこぎさふたまが君老」
「ねらしか夫丈大」
「どけだうそさなはで気囲雰いし楽。ねうそ」
「ねりぶし久てんなるなにけかでおが君老」
 よく耳を凝らしても、やはり彼女たちが何を言っているかは聞き取れなかった。いつの間にか少女が少し先を進んでいる。彼女は廊下を進み、追いついてきた穹を見て、こっち、と邸宅の奥へ足をすすめた。
「おい、ここ、お前の家なのか?」
「え? ううん、違うけど」
「ハァ? えっ、じゃあ不法侵入してるってこと?」
「まあ、そうなるけど。ここで暮らしている者達には感知できないなら、別に不法侵入にはならないんじゃない?」
「いやなるだろ」
「意外と真面目なんだ?」
「むしろお前は人んちなのになんでそんな堂々と歩いてるんだよ……」
 まさかもう既に何度もこの家に足を踏み入れているのだろうか。おまわりさーん、ここですぅ、と叫びたいのを堪える。少女はしばらく静かな廊下を歩き、とある部屋の前で足を止めた。部屋のドアを開け、勝手に中に足を踏み入れる。
 部屋の中は、少し独特な紙とインクの匂いで満ちていた。どうやら先ほど見た書庫と同じか、机やソファがあるから書斎なのだろう。ここがなに、と訝し気な表情で穹は少女に尋ねる。彼女は「まあ待ってて」と穹の疑問に軽く答えて、近くの机を椅子代わりに腰掛けた。なんなんだ、と訳が分からないまま、人の書斎でぼんやりと部屋の中を見つめる。まあ確かに、丹恒が好きそうな部屋だが、肝心の本人がいないではないか。得体の知れない少女に、いない丹恒に、少しずつ心細くなってくる。だが、先ほど閉めたドアが不意に開き、そこからやはり後ろ向きで誰かが入ってきた瞬間、穹はあ、と目を見開いた。
「丹恒」
 やっと逢えた、と穹はほっとして丹恒に近づく。だが、やはりこれまで見て来た者達と同じように、彼もまた後ろ向きで部屋に入ってくる。どこか見覚えのある持明族の女性も一緒だ。先ほどの女たちと同じく、何かを話しているようだが何も上手く聞き取れない。知っている単語がないのだ。
「……あれ、霊砂――」
 続けて、白露に、知らない女性に、それから髪を降ろしているがあれは符玄だろう。なんでみんなここに、と疑問に思っていると、丹恒以外の三人は、再び部屋を出て行ってしまった。残った丹恒はソファに横になり、この本の海の中に揺蕩うようにうとうとと微睡み始める。丹恒、と二度呼びかけなくとも、彼に自分の声が届いていない事くらいは、穹にも理解出来た。漸く少女へ視線を向ける。
「案内はした。丹恒の所まで」
「…………、嘘はついてないけど」
「あんたの逢いたい丹恒じゃなかったかもね。……――そろそろ気付いた?」
「何に、」
「鈍すぎ。――まさか皆後ろ向きであるいてるのが普通だとでも思ってる?」
「違うのか?」
 だってここは夢境、もしくは記憶域で、と困惑しながら穹は少女に問う。違うって言ってるでしょ、と少女は呆れたようにため息を吐いた。
「じゃあどこなんだよ」
「百万年先」
「ひゃ、……百万、年? 何がだ?」
「だから、あんたたちが別れて百万年先の仙舟『羅浮』なんだって」
「は?」
 何を言っているんだ、と穹は少女に訝し気な表情を向ける。少女は穹にその表情を向けられる理由が全く分からない、とばかりにきょとん、と目を丸くした。まるで当然のことを言ったかのようにからっとした表情をしている。そこに嘘や冗談といった、穹を騙して揶揄うような意図はないように見えた。
「……ま。信じられないならもう少し見てたら?」
 そう言って、彼女はすとん、と机から降りていく。私はちょっと遊んでくるから、といって、穹の静止も聞かず、瞬きの間に、少女は何処にもいなくなってしまった。

        *

 数歩歩いて、あたりを見回す。また数歩歩いて、じっと周囲の調度品に目を凝らす。天井を見上げ、また少し歩く。幻にしては良く出来過ぎている。いつの間に記憶域に入ったのか――いや、覚えは全くない。羅浮が憶質の影響力の高いアスデナ星系に入ったと言う話は聞いていなかった。思い当たる節といえば――ここに来る前に出逢ったあの少女がきっかけだろう。
 窓の外を眺め、鏡になったその特殊ガラスに、何の影も映らないのを丹恒はじっと見つめる。現在の羅浮の現状、次々と倒れた市民、反魂の儀を行うことで戻った意識。いくらか思い当たる要因を頭に順に並べ、丹恒は自身もまた、丹鼎司へ運ばれて来た市民たちと同じように、体から魂だけが――意識だけが抜け出してしまった状態になってしまったのだろう、と己の状態を結論付けた。
「……体がないから物に干渉は出来ないと考えた方がいいだろうな」
 試しに、近くにあったバーカウンターに触れてみようとするが、やはり物体に触れているという感覚はなく、自分の手も通り抜けてしまう。だが床を歩くことは出来る。恐らく考え方なのかもしれない。試しに、触れる、と思いながらテーブルを撫でた。テーブルの感覚が手のひらを滑る。つまり、意志を持って触れようと思えば、この体でも物体には触れられるようだ。
 頭の中のサンプルは一件のみだが、あの神策府の参謀も意識を失っている間、昔の夢を見ていた、という。昔の夢――まさに今の状況がそうなのだろう。そしてもしも、ここが自分のよく知る星穹列車と同じ場所で合っているというのなら、自分はどうやら、百万年ほど前の過去に遡ってしまったのだ。自分の記憶にある、あの頃の星穹列車に。
 以前にもこんな風に、自分の意識だけが列車に戻ってきたことがあった。今はもうかなり昔の事のように思える。オンパロスでの一件だ。
 あれから長い時が経ち、あの時まだ種が蒔かれたばかりだったあの星は、今星海にその名を正式に連ね、独特の景観や文化を持つ星の一つとして、観光地としても有名になっている。
 現在の羅浮との貿易も、少量はあるが定期的に行っており、代表する商船が、長期ルートに立ち寄りを組み込んでいた。彼等から友好の証に送られたキメラの個体は、現在丹恒の邸宅の隅でのびのびと暮らしているところだ。
 そのキメラたちが言うには、丹恒は昔何処かで会ったことがあるような、懐かしい土の匂いがする、とのことらしい。連れてこられた時から懐いているので、そのまま老君が研究がてらお育てください、と当時の将軍に言われてしまい、仕方がなく今も庭で育てているのだった。
 家の庭のことを思い出し、そう悠長に構えている場合でもないか、と一度息を吐く。あの時と同じような状態ということは、と丹恒は数秒考える。どうやら、自分の本体は、ここから遠い場所にあるようだ。一体どこにあるのかは全く感知できず、自分が今どのような状態かもわからないが、恐らくは多くの市民と同じように意識を失い、昏倒し、僅かな脈で生き永らえていることだろう。
 ――問題は、この星穹列車がいったいどの時代の星穹列車か。
 パーティ車両は穹が自身の部屋を持つまでは、二階を物置として使っていた。この場所が自分がこの列車に乗っていた時と変わらないのであれば、二階の部屋の状態で大体の時期は特定出来る。一旦確かめよう、と歩き出した。その瞬間、ガチャッ、と向かおうとしていた部屋のドアが開く。
「―――……」
 丹恒は思わず呆然として彼を見上げた。記憶よりずっとはっきりと、色鮮やかに――遠い記憶の果てに置いて行ってしまった彼の姿がそこにある。ここの所は夢にだってずっと出てきてくれなかったのに、と呆然として彼を見上げた。彼は――穹は、くあ、っと欠伸をしながら伸びをして、ゆっくりと階段を降りてくる。
 丹恒から死角になっていたソファに誰かが腰掛けていたようだ。あ、とそれに気付き、穹はデーさんまだ起きてたのか、と彼の近くに寄っていく。
「もうそろそろ眠ろうとしていましたよ。穹さんは……今起きたばかりのようですが」
「もっかい寝直すって。ちょっと咽喉乾いてさ。冷蔵庫んなか移し忘れてた。食堂車まで行くの面倒だからここから拝借しようと思ってさ。シャラップは……もうスリープ中か」
 くあ、っとまた出て来た欠伸を噛み殺しつつ、彼は慣れた様子でバーカウンターの中に入っていった。カウンターの足元に小さな冷蔵ストッカーがあり、そこに数本の飲料数がストックされているのだ。ストッカーの中の飲み物の数が合わない、とシャラップが度々エラーを吐いていたのは彼の所為だったらしい。
「デーさんもいる?」
「いえ、お構いなく」
「というか、そろそろ部屋の一つくらい用意したっていいよなぁ? ずっとここのソファーをベッド代わりにしてるだろ。身体痛くないのか?」
「慣れてしまえばそれほど気になりません。屋根があるというだけでありがたい事ですよ」
「そういうもん?」
 じゃあおやすみ、と穹は彼のとの軽い会話を済ませ、部屋に戻ろうと踵を返した。その瞬間、ぱっ、と車両の明かりが急にすべて落ちる。うおわっ! と暗がりの中で声が上がった。
「――穹!」
 思わず体が動いていた。干渉出来ないと分かっていたのに。だが、彼がいた方向から、数秒空けて「ニ”ヤーーーッ!」と悲鳴が響いた。「おっ、――おばけ!」と。
 停電は一瞬で収まり、戻った明かりに一瞬身構えていた彼――サンデーも、天井を見上げて不思議そうな顔をする。そして、真っすぐにこちらを見つめた。
「………………」
「…………――」
 目が合う。だが、すぐに怪訝な表情を引っ込め、周囲へ視線を彷徨わせた。
「おっおっおっあ、ああ、あ!? あ! アー! アアー!」
「落ち着いてください。確かにワタシにも見えていました。少しお待ちを――」
 僅かに険しい顔をし、サンデーは耳元の羽を少し広げ、周囲を探るように注意深く視線を右から左へ流す。ふ、っと緊張を解くように耳元の羽を元の通りに少し折りたたむと、彼を自然に盾にしていた穹を振り返った。
「何事もないようです。少なくとも、危険なものではないのでは……。我々を何かに陥れるような幻術の類ではないようでした」
「ハァ!? 嘘! 嘘だァ!?」
 もっかいちゃんと調べてくれ、と穹は彼の肩を掴んで振るように前後に揺さぶる。あらあら、とそれを少し離れた所から窘めるように、サンデーさんの言うことは間違っていないわよ、と女の声がした。
「ブラックスワン? おまえもいたのか」
 そう名を呼ばれた女――ああ、そういう名前だった。ブラックスワン――彼女はガーデン・オブ・リコレクションに所属するメモキーパーだった。サンデーだけでなく彼女が同乗しているということは、今は少なくとも宴の星ピノコニーへ向かった後なのだろう。
「さっきの影なら私にも見えていたわ。《彼》が何かはわからないけれど、ミーム体や歳陽などのエネルギー生命体かもしれないわね。私の方でも少し調べておくわ。だから安心して今日は部屋に戻って」
「む――」
「む?」
「無理! 絶対無理! え? 俺あのひっろい部屋で一人で寝るの? おばけが出たのに!? 無理無理無理無理もう戻れない、後ろを振り返ったらいたらどうするんだ!? 絶対無理!」
「あら……」
「おや……」
 デーさんあっちで一緒に寝よう、とブラックスワンも一緒でいいぞ、と二人を部屋に連れ込もうとする穹に、二人も酷く戸惑っている。ええと、とサンデーは戸惑った様子で、ちらちらと助けを求めるようにブラックスワンを見つめた。彼女も困った子ね、と少し眉を下げてため息を吐く。穹ははっとして、「丹恒のとこいく」と二人からさっと手を離し――すぐに戻ってきた。
「デーさん送って。後ろから何かが付いて来たら死ぬ」
「死にはしませんよ……?」
 仕方のない子ね、と困ったようにブラックスワンが笑む。送ってあげなさいな、と彼女にまで言われ、サンデーも酷く怯えた穹を気の毒に思ったのか、では丹恒さんの部屋まで行きましょう、と穹を促していった。彼らがパーティ車両から隣の車両へ歩いていくのを見上げていると、どこからか背中を射る視線を向けられていることに気付いた。後ろを振り返る。
「………………」
「…………あら」
 はっきりと目が合った。
 ここに彼女がいるということは、と丹恒はあの頃のことをぼんやりと思い出そうとする。
「……オンパロスでの騒動があった頃、か……?」
 確かその時までは、彼女も確実に一時的に車両に同乗していたはずだ。
 実体を持たないミーム体である彼女は、大抵はその姿を見えるように顕現させていたが、時折は彼女一人で居たい時もあるのか、列車のどこを探しても姿が見えないこともあった。先ほども穹の叫び声を聞いて姿を現したようだ。
 彼女はじっと丹恒を見つめ、頭から足元までをまじまじと見つめてくる。「丹恒さん……かしら?」と尋ねてくる彼女に、丹恒は少し迷って一度だけ頷いた。
「それにしては、少しいつもと性質が違うようだけれど」
「……色々あったんだ」
「さっき、あの子が見たというのは……恐らくあなたの事ね」
「そうだな。……すまない、いくつか聞きたいことがあるんだが」
「ええ。私もいくつかあるわ。でも聞きたいことがあるなら先にいいわよ」
「ありがとう、感謝する。……――ここは開拓暦何年の星穹列車だ」
「んー……そうね。私も開拓暦に詳しいわけではないけれど、ざっと――」
 彼女の口からきいた数字は、自分が覚えている大体の数字と全く同じだ。つまり、どうやら今いる時間帯は間違いなく――約百万年ほど前だ。
「さっき、あの子達はあなたに会いにいくと言って出発したけれど……あなたは? 今の丹恒さんから抜け出してきた、というわけではなさそうね?」
「この時の俺はちゃんと俺でここにいるからな。……信じられないかもしれないが、この時間から遥か先の時間帯からここまで一時的に意識を飛ばしてきてしまったらしい」
「あら」
 それはそれは、とブラックスワンは少し驚いて――同時に、彼女が持つ好奇心をその目にほんの少し滲ませた。
「一体どれくらい先の時間からやってきたの?」
「……ざっと百万年後くらいになるか」
「随分長い時間ねえ。……けれど、あなたは丹恒さん――なのよね? 持明族として、生まれ変わった、次の、次の、もっともっと先の丹恒さん、というわけでなく」
「……詳しい話はあなたもいずれ知るだろうから掻い摘んで省略するが、脱鱗はしているが、完全な脱鱗はあの頃からしていない。……肉体の年齢だけを卵の中で巻き戻し、子供の姿となったとしても……この頃からの意識が、そのままにしておく術をかけている」
「百万年もの長い間?」
「ああ。気が狂いそうなほど長い間」
 だが、彼との約束がまだ残っているから、そんな風に生きられない。
 車両の奥へ消えていった彼の背は、もうとっくに見えなくなっている。そう、と短く頷いた後、ブラックスワンは丹恒をじっと見つめ、「じゃあ」とにこりと丹恒へ微笑みかけた。
「そういうことなら、しばらくはあなたの事を黙っておくわね」
「は?」
「だって、害になるようなことはしないでしょう? ずっとずっと遠くから、またこの時間に戻ってきた理由があるのなら、私は何もせずにそれを見守っておくわ。……彼を揶揄うのはほどほどにしてあげてほしいけれど」
「揶揄うつもりはないんだが……」
 それはどうかしらね、とブラックスワンは我関せず、といった表情で、元居たのであろう、反対のバーカウンターへ歩いていく。メモキーパーの彼女らしい選択であると言えばそうなるのかもしれない。おやすみなさい、と軽く手を振ってきた彼女は、そういうとふわ、っと霧のように消え、視界のどこにもいなくなってしまった。
 丹恒は一人になったパーティ車両を、もう一度見回す。
「……ただいま」
 帰って、きてしまった。ずっと帰りたいと思っていた、あの頃の家に。彼がいる、唯一の場所に。

         §

 日がな一日、彼は本静かな邸宅の中で過ごす。
 この部屋は古い本ばかりだ。こんな風に本を集めた部屋が邸宅の中にはいくつもあって、中には持った瞬間に崩れてしまいそうなほど、ぼろぼろのものもある。だが不思議と、持っても崩れたりはしない。どうやら特殊な加工が施されているようだった。
 ここが百万年後の羅浮なのだと言われても、この家はよくある羅浮建築を踏襲したもので、庭だって真新しいものがあるように見えない。彼は時々、本をいくらか抱えて縁側に向かい、そこに本を積んでしばらくぱらぱらをページをめくる。それを時々、あまり数はいないが邸宅の環境整備や簡単な身の回りの世話を行っているのであろう、この家にいるお手伝いさんたちが、数名でやってきて、静かに片づけていく。
 彼女と彼らは、どうやら丹恒の事を「んくうろ」と呼んでいると分かった。逆から読むと「ろうくん」、つまり老君――おじいちゃんってことだ。あの丹恒先生もそんな風に呼ばれる歳か――と、じっと見てみたが、どうみても今の彼は、自分が知っている丹恒と全く変わらないように見えた。狐族は老いないというが、どうやら持明族も一部の者はあまり老いが顔に出ないらしい。
 穹は気付かれないのをいいことに、思う存分丹恒の顔や姿を見、彼の尻尾が時々本を取り、積み重ねた本の塔を思いがけなくその尻尾で倒してしまった瞬間も、手を使って引き戸を開閉するのが面倒なのか、尻尾で閉じていくものぐさい所も、時々何かをじっと見つめては、一筋だけ涙を流してぼう、っとしていることも、寄ってきた鳥や庭で放し飼いにしている動物たちに懐かれているのを、ただ静かに見守った。すべてが逆再生される、不思議な世界で。
 じい、っと水底で止まっている鯉は発育がよくどの個体も大きい。目があった気がしたが恐らく気のせいだろう。光のある所から影の差す庭に面した廊下に座る彼を見ていると、なんだかどうしようもなく胸が締め付けられた。
 何の本を読んでいるのか、と一度その手元を覗き込んだことがある。多くは生物学の論文や図鑑、生態をまとめた研究書だったが、時々誰かの手記を読んでいた。丁寧で、少し真面目過ぎる字だった、丹恒のものだ。彼が自分の日記を読んでいるときづいて、思春期の子供の日記を盗み見る気持ちだったが、書かれていた内容を目にするとそんなことはただの一つも言えなかった。
「丹恒のやつ、なんで記憶をずっと持ったまま生きてるんだ……?」
 穹は自分が時折、驚くほど勘が良い事を理解している。彼の手記は日付共に、恐らく脱鱗前後の記憶が曖昧な時期から、前までの記憶を己の中にすり合わせていくその過程が書かれていた。もっと古い、黄ばんで、今にも砂になって崩れ落ちてしまいそうな古い手記には、同じ言葉だけが何度も書かれたページがいくつもあった。丹恒と共感覚ビーコンのお陰で声であればすぐに理解出来るものの、書かれた字まではすぐに解読とはいかない。彼がそのページをめくる手はいつもゆっくりだった。
 穹は彼の家の庭を勝手にゆっくりと散歩しながら、考えを整理した。一、丹恒は本当に百万年生きている。二、その間の記憶を、恐らく何らかのきっかけで自分たちが別れた時から持ち続けている。三、列車を降りた後は羅浮に留まって、今は殆ど誰も来ない邸宅で、ほぼ一人で過ごしている。
 何故彼が一人なのかは今はまだ判断出来ない。傍で丹恒を見ていたのはここ三日ほどの事だったから。日の半分は書斎に籠って何かの仕事をしているようで、無数のウィンドウを目の前に並べながら難しい顔をしている。少し疲れたら気分転換がてら庭を見ながら、寄ってきた動物たちを構い、そしてまた仕事に戻る。
 丹恒もよく、用事がなければずっと資料室に引きこもってたな、と穹は思い出す。あの頃から彼は全く変わっていない。恐ろしいほどに――変わっていない。何故だろう、と考えながら胸が騒ぐ。どこかの部屋へ向かっていた丹恒が、ふと部屋からまた廊下に戻ってきた。その後に、どこかで見た覚えのある少女が彼の後を付いていく。
「……白露と霊砂、また来てたのか。……いつもと違う服だ。……雰囲気は似てるけど――きっと俺が知ってるのとは別人、だよな」
 持明族は人と同じような死に方はしない。死ぬ直前に脱鱗し、卵に戻る。再び卵から出て来た彼らはそれまでとは全く別の人間として過ごす。丹恒もまた、前世は丹楓という名の龍尊だった。よく見ると白露の角の形は知っているものと少しだけ変わっているし、霊砂の腕の色だって違う。だが、丹恒だけはまるで時間を止めたかのように自分が知っている姿のままだ。
 何故。どうして。彼は百万年後も変わらないのだろう。――いや、変われなかったのだ。変わらない選択を、きっと彼自身がした。いくらでも待つ、と、彼がそう、自分と約束したから。
「あれ? ……ってことはもしかして、……脱鱗しなかったんじゃなくて、――出来なかった?」
 ――そして、その理由が……《俺》だったんじゃないか?
「……うん。多分そうだと思うよ」
「――!? っび、びびったぁぁぁ!? おまっ、急に出てくるなよ!」
 数日前、もう少し見てたら、と言ったきり目の前から消えてしまった少女がそこにいた。何をそんなにびびってるの、と少女は不可解な顔をしてくる。心の声に答えてくんのやめて、と穹は騒いだ胸を宥めて落ち着けた。
「丹恒って、多分あんたが思ってる以上に頑固だよ。でも、あんたがいなかったら、こんなに長い間耐えなかった。だから丹恒がこうなってるのは《あんたのせい》でもあるし、《あんたのおかげ》でもある」
「………………」
 ああ、知っちゃったね、と少女は笑うこともせず、淡々と穹に告げた。今はただ、その過程を飛ばして先に結果を見ているようなものだが、彼は一体どれだけの間、あんな風に過ごしてきたのだろう。彼が開いていた日記の紙が、まだ白く、美しく滑らかな時もあったはず。
「……百万年って、長いよな」
「言わずもがなじゃない? 一億生きるひとだって、宇宙にはいるけどね」
「どれくらい待ってたら、もう十分約束は果たしたって思えるんだろ」
「さあ。それは本人次第じゃない? だって、果たしてないと思ってるから、ああやって、丹恒は今も生きてる。果たされないかもしれない約束を、自分が守ったかどうか決めるのは、あんたじゃなくて丹恒。……さて――あんたはどうする?」
「どうするって……何が」
「戻って、丹恒との約束を取り消す? 何も、約束しなかったことにする? 本当に待たなくていいって、念入りに言う? それはむしろ逆効果になりそうだけど。……それに、あんたが戻って、丹恒にいつ戻って来るかもわからない無責任な約束をしないで、さっさと脱鱗して、あんたのことなんて何にも知らない次の丹恒になれって言っても、もうここに『丹恒が百万年待ってた』世界は《出来ちゃった》。この世界の丹恒は、あんたとの約束が摩耗して擦り切れて、忘れてしまうまではずっと、ずうっと、《このまま》だよ。……あんたにはあるの?」
「……何が」
「丹恒と同じくらい生きて、この丹恒の所に戻ってくる覚悟」
 想像は、出来ない。
 だからか、うん、とすぐに頷かなければいけないのに、少女の言葉を聞いて穹は黙ってしまった。長い沈黙の後も、彼はどこかへ戻っていった白露たちが来るまで、たった一人で庭先に佇む。風が彼の髪を優しく撫でて、ふと、その視線が真っすぐにこちらを向いた。目が合った、と思ったが、彼の視線はずっと遠くにある。
 穹は彼の視線を追いかけて後ろを振り返った。背後の竹林の一か所に、ふと場違いに紙屑のようなものが見える。いや――紙屑ではなく、花だ。小さな花。
 竹の花は――『竹の花は、その周期が短く、大体百二十年前後に一度咲くと言われている。言われている、というだけで必ず咲くわけでもないし、周期についても百二十年というのは統計的なデータによるもので、きっちり百二十年というわけでもない。天人の感覚で十年に一度程度咲く花も、殊俗の民にとっては一生で一度見られるかどうかもわからない花だからな』。丁度この間、丹恒から聞いたばかりだ。その花が一本の竹に咲いている。
 彼は何度あの花を見たのか。五人しか見たことがないと言う海に出来る天の川も、あれから何人見たのか、記録として残る資料は出来たのか。
 その途方もない時間を、彼は多分たったひとりのために自分のすべてを賭して、選べるのだ。
 穹は自分がどうすればいいのか何もわからなかった。だって、この事を知ってしまった以上、もし自分が元の場所に戻った後、そうならないように彼との約束をしなくとも、ここに残された丹恒が約束なんてものから解放される方法は、彼が諦めるか、自分が彼の元に辿り着くしかないのだから。 彼が自分を思い出した時に浮かぶ顔が、泣き顔や悲しむ顔では嫌だな、と穹は思った。彼の記憶の中の自分が、彼と自分のこの恋が、これからすべての彼にとって、一番優しいものであればいいのに。百万年の孤独の中で、何度膝をついても立ち上がって、歩いて行けるほど、彼のすべてに寄り添えるものであれば。
「――……どんなに時間がかかっても、俺、この丹恒を探しに行くよ」
 それが果たして、正しい選択なのかはわからないけど。
「……このあとの丹恒が、あんたをもう待たないって決めて、どこかに行くとか考えないの?」
 そうか、そういうこともあるか、と穹は彼女の問いにうーん、と首を捻る。丹恒がもう待てなくなって、ここから離れてしまう事自体はそう驚くようなことでもない。何せ彼は「ナナシビト」の丹恒なのだ。一度足を前へ踏み出せたなら、きっとここで止まっていた百万年よりずっと、未知で溢れた星外の方が怖くはないと思い出す。
「まあ、その時はその時だろ。見つけた時にもうここに丹恒がいなかったから、俺は別の所に丹恒を探しに行くだけだ」
 その答えを聞いて、少女はじっと穹を見つめたまま黙り込んだ。そういえば、と穹は少女にずっと尋ねられなかったな、と今更のように彼女に問う。
「お前、……なんか俺と同じくらい美少女だけど、そういや誰?」
「…………。あんたと《同じ》美少女」
「……?」
 ふう、と静かに少女は息を吐く。じゃあそろそろ戻ったら、と尋ねられた。
「戻れるのか?」
「うん。じゃないと今頃、あんたの体はそのまま冷たくなっていくとこだから。そろそろ丹恒が、またトラウマ起こしてめちゃくちゃになっちゃうんじゃない」
「やべ。超特急で帰らなきゃ」
 ほら、と少女が手を差し出してくる。その手を取れば、恐らくもうこの場から自分はいなくなってしまうのだろうと穹はすぐにわかった。ちょっとまって、一度少女の傍を離れ、穹は離れて見ていた丹恒の傍に近づいていく。
 気怠い昼下がりの微睡に、彼はうとうとと瞼を閉じていた。触れられないと分かっていたけれど、少し屈んでその額に短く口付ける。約束するならやっぱくちびるなのかな、と少し考えたが、それは百万年後の自分のためにとっておこう、とそれだけですぐに離れた。自分を待つように立っている少女の元へ戻り、穹はその手を掴んだ。
「そういや、なんで全部逆行する感じで動いてるように見えるんだ、俺」
「……そりゃあ、今のあんたが今から百万年前のあんただからでしょ。あんたの魂がどんなに離れても元居た場所に戻ろうとするから、時を超えて来たあんたは本来の流れと逆向きに進むことしかできないじゃん」
「わかるようで全然わかんないぞ……。んー……ってことは、このままここにいたら、その間の丹恒の事も見れるのか?」
「……――。おすすめはしないけど。何倍速くらい?」
「タイパ重視の現代人か?」
「だって丹恒、同じような事しかしてないよ。見ごたえもないでしょ」
「情緒が一切ないなお前……」
 穹の話を聞かず、百倍速でも遅いかな、と言いつつ、少女がくいっと穹の手を引く。その瞬間――周囲に光が流れた。
 自分が立っている場所すらふわりと浮くようでおぼつかなくなる。ぶわっ、っと風に煽られるように体が浮いた。途方もない時間が一瞬で流れていく。瞬きもおぼつかないほど。何も――見えない。流れていく無数の光以外は何も。
「――おい! 何も見えないけど!?」
「そういうことも……まあ、あるんじゃない? 光速で動いてたら」
「っくそーっ! 騙された! ――丹恒ーッ! 俺! 絶っ……対……ッ! 戻ってくる! からなーッ!」
 待ってろー! と遠ざかっていった光に向かって叫ぶ。きっと彼には届かない。だがまあ、これは決意表明のようなものだ。勝手にする今はまだ一方通行の約束。
 そうこうしているあいだにも周囲は光に満ち溢れ、無数の星々が矢のようにかけていく。羅浮はこの広い星海を航行する惑星ほどの規模の船だ。星穹列車もまた移動を続ける。この広い星海のどこにいるかを探すには少し骨が折れるだろう。その頃の自分は、広すぎる宇宙から静かに動き続ける彼を本当に見つけ出せるのだろうか。ふと――穹は握られた手に目を落とした。
「…………―――、」
 なんというか、自分の手を握っているような感覚だった。自分の手を重ねて、ぎゅっとするような。自分によく似た少女。自分の事を知っている少女。丹恒の事も知っている。まるで自分の頭の中を覗いたように。
 一つの可能性が頭に浮上する。突拍子もない考えではあるけど、彼女が――この子が、どうしても『他人』のようには、もう見えなくなっていた。「……お前は、……俺か?」と、先ほどの彼女の答えが漸く腑に落ちる。少女はちら、と穹を一瞥しただけで何も答えなかった。なるほど、どうやらそうらしい。
「…………、」
「え、何」
 くい、っと穹はこれまで自分の手を引いていた彼女の手を、自分の方へ少し引き寄せる。周囲の光は同じ方向へ向かって勢いをつけて流れていく。このまま流れに沿えば、流されてきた時と変わらず、元の場所には戻れそうな気がした。……となれば。にか、っと笑った穹に、少女は訝し気な表情をする。
「ここまで道案内ご苦労さん。……やっぱ会いに行くまでは心配だからさ、《お前》、俺の代わりに丹恒についててくれない?」
「……は? ――っ、……! ちょっ、まっ――」
 ひょい、っと穹は少女――いや自分の一部を抱き上げる。その瞬間、彼女は体を失い、ただの小さな光の粒になった。星核の光だ。穹はその光を振りかぶり、投げんのは得意じゃないからなあ、とぼんやりと思いつつ、それを流れゆく光に向かって、思い切り振りかぶる。
「もし話す機会があったら――俺も百万年愛してるって言っといて」
 あんたが言えば、という声は、光を波のどこかに投げ入れてから、遅れて聞こえた。もうどこにそれを投げ入れたのかすら見えない。
 一人になっても、静寂の中光は流れる。
 その光の中、近くなっていく今と、遠ざかっていく未知を振り返れないままで、穹は、考えていた。
 
 自分を愛する、自分が愛する、あるひとりの青年の事を。

                *

 資料室に戻ってきた途端、それまで少しずつ忘れていた様々なものが思い浮かんで、けれど、もうまるでここが自分の部屋ではないような――そんな感覚を覚えて、丹恒はただ部屋の中でぼう、っと立ち尽くしていた。それもそうだ。ここで過ごした時間より、今はあの静かな邸宅で過ごした時間の方が長い。
 星穹列車はどうやらオンパロスを起点とした鉄墓による宇宙の危機を最小限の犠牲で救った後の頃のようだった。つまり、あの騒動の後にあった、短い小休止期間である。
 そういえば――と今更になってあの時の事を思い出す。本当にぼんやりとだが、穹が当時、幽霊を見たと酷く騒いで、日がな一日一緒に過ごしたことがあった。
 あの幽霊騒動は結局どうなったのだったか――あまりよく思い出せない。今となってはかなり昔の事だからだろうが、まさかあの時穹が騒いでいた幽霊が自分だったとは丹恒も思いもしなかった。酷く怯え切っている様子で、あまり長く近づくことも出来ない。
 自分の姿が彼に見えるタイミングがよくわからない。少し離れた所から彼を見ていても、彼がこちらに気付かないこともあれば、振り返ったその瞬間、瞬時にさっと顔が青ざめることもある。
 あまり驚かせても可哀想だ、と丹恒は度々穹に近づいていたが、その度にこちらに気付いた彼が酷く怯えて逃げるので、ブラックスワンが自分の事を上手く誤魔化し見て見ぬふりをしてくれているのをいいことに、しばらくぶりの列車の様子をゆっくりと見て回っていた。
 列車は記憶からそう変わっていないが、同時に、いろんなことを忘れてしまっていた。こんなところに観葉植物があっただろうか。こんなところにこんな奇妙な置物を置いたのは誰だ。夜な夜な眠らないまま静かに窓の外を眺めているサンデーに、いつかの丹恒にもそうしていたように、怒りながら早く寝ろとホットミルクを差し出すパムの姿も、それに困惑するサンデーの姿も、バーカウンターに腰掛け、メモキーパーであるブラックスワンが今まで見て来た記憶に、カクテルグラスを傾けながら聞き入っている姫子の姿も、丹恒はあの頃見たことがなかった。
 人は自分の見たいものしか見ることが出来ない不思議な生き物だ。同じ時、同じ場所に立っていても、その視点は人によって全く異なる。
 あの頃の自分はすべてが見えていなかった。興味がなかったわけじゃない。ただ他のものを見続けていたから。彼や仲間を護ろうとしてなるべく遠くや周囲を見ようとしていたけれど、結局その中心はそこから離れなかったのだから仕方がない話なのだろう。
「お師匠様は何故そんなに外での出来事に興味がないのでしょう?」
 以前、いつの霊砂か丹朱だったか――忘れてしまったが、そう尋ねられたことがある。外での出来事に興味がないわけではなかった。ただ、離れてしまったこの場所や彼らの代わりに、今の自分に関わってしまった幾許かの者達の周りの事だけは知るようにしていた。
 白露も霊砂もきっと知らなかっただろう。天人すらその途方もない寿命を全うし、面影のある者とずいぶん長い間経った後で再びすれ違うような――そんな時間の中、何度も隠れては自分の元へ戻ってくる彼女等が、自分の弟子であると同時に、共に長い時間を過ごす友人であったことを。
 丹恒はその友人をもう何百回も亡くしている。脱鱗さえうまくいけばまた逢えると分かっていても、友人との別れはいつも少し寂しいものだ。
 持明族はそういう性質の種族であるから、脱鱗前の時も、生きてさえいれば、たとえ別人だとしても逢えるからと、そのことを嘆かない者ももちろん多くいる。丹恒も何度か彼女達に言われたことがあった。時には、丹恒が別れを悲しんでいるようには見えないことに傷ついたように八つ当たりをしたりする彼女たちもいた。悲しんでいるようには見えないことを笑う者も、そして、本当は悲しんでいることを知っているから、また逢えるではないですか、と慰める者も。
 どの彼女たちも丹恒からすれば、違う人間のようで、同時に同じ人間に見えた。自分の記憶が全くない別人にも関わらず、かつての天人たちが丹恒を丹楓と同一視していた理由も今では理解出来る。
 霊幾(れいき)、砂玄(さげん)、霊瑤(れいよう)、玄砂(げんさ)、霊珀(れいはく)、砂慧(さえ)、霊衡(れいこう)、玄瑛(げんえい)、砂明(さめい)、朱砂(しゅさ)。白霜(はくそう)、露華(ろか)、白雪(はくせつ)、朝露(ちょうろ)、露珠(ろじゅ)、白雨(はくう)、露暁(ろぎょう)、白澄(はくちょう)、秋露(しゅうろ)、白燐(はくりん)。
 脱鱗の度に、彼女たちは丹恒が与えたかつての名を忘れる。だが丹恒は、そうやって彼女たちに与えた名をすべて覚えていた。
 あの場所に留まってから彼女達をある程度自分の都合に巻き込んだという後悔はあり、その贖罪のために勝手に彼女達を護っている。何も知らせず関わらず、竹林の奥で過ごすこともきっと出来ただろう。だがどうしても、本当の孤独には慣れなかった。孤高のままいられなかった。すでに自分は、ここで過ごしたかつての日々の事を、あの騒がしくも輝かしい、黄金のような日々を、もうこの身に覚えてしまったから。穹だけじゃない、他者と関わるその意味を、もう知らなかった時には戻れないと、知ってしまったから。
 積み重なっていく無数の別れの前に、いつしか丹恒は彼女たちの名前を新しく考えるのをやめてしまった。師匠はいつも面倒で脱鱗の度に同じ名を自分たちに付けている、二つの名を交互に付けていると揶揄されるのも当然だ、と丹恒は思う。気付かれないように十数個をローテーションさせた方がよかっただろうか? 今更ではあるけれど。
 たった一度の別れの所為で、自分は今ここに立っている。たった一度の別れのお陰で、自分は今ここに立っている。
 何よりも――本当に何よりも大切だった。自分だけのものにしておきたかった。十度目に目覚め、脱鱗直後でまだ覚束ない自分の記憶を修復していた時、どうしてこの記憶を持ったまま、自分は卵の中でそれが完全に、自分ひとりだけのものになるように、逃げだしてしまわなかったのだろう、と考えた。このまま何も知らない次の自分に彼の記憶を渡さずにいることだって出来たのに。五十度目の脱鱗で次はこの記憶を持ったまま永い眠りにつこう、と考えたこともある。だが結局は、彼を待ち続けることを選んだ。
 百回。二百回。三百、五百、七百、九百。卵に戻っていた期間もあるが、千を超える脱鱗の度、丹恒は実の所、何度も何度も考えた。でも、そうしなかった。
 また穹に逢いたい、と願っていたから。
 あの時穹と別れて、ずっとそう祈っていた。逢えるならたとえ夢でもいいと思ったのに、実際に夢で彼を見ると、夢だけでは到底願いは消えなかった。自分の願いがまるで呪いのように自分をあの地に縛り付ける。自分の選択を、いつも正しいと思って生きて来たわけじゃない。間違えたとしても後悔はない。だが――この願いが叶うのは、本当にあの場所でなのだろうか?
「――……、……もう」
 いいんじゃないか? 待たなくても。あの場所で一人、彼が来るのをずっと待ち続けるより、彼がまた星海を旅していると信じて、同じように星々の間を漂流し、彼を探しにいっても、いいんじゃないか?
 あの頃の彼には、今また逢えた。自分の身に何が起きたのかはわからない。だが、あれだけ逢いたかった彼に、また逢えた。既に自分の中にある無数のノイズ混じりの彼の記憶や、砂のように取りこぼしてしまわないようにと必死で書き留めた無数の記録やデータではない、あの頃の彼に。自分はもう、あの場所で十分待った。時を止めて、願いがまたこの足を未知の中へと突き動かすまで、もう十分すぎるほど待ったのだ。
 彼のことを諦めたわけじゃない。また必ず逢いに行く。きっと逢える。探し出す。彼を探して記憶域の中を彷徨い歩いた千年も、今になって思えばほんの瞬きの間だ。願いは消えない。消えさせない。蝋燭の火のような小さな篝火が再び大きく燃え上がるのは、外の風を受けた時だけ。
「…………戻ろう」
 そして、またこの足で星海を旅(開拓)するのだ。自分の開拓は、彼だった。ならば、彼とはきっと、開拓(旅)の先でしか、また出逢えない。
 どうしてそんな簡単なことにこんなに長い間気付けなかったんだろう? 丹恒は自分の事が可笑しくてたまらなかった。散々な言われようだ、と弟子の彼女たちに文句ひとつ言えない。
 どうやってここに来たのかはわからないが、ここから元の場所に戻る方法もきっとあるはずだ――いや、恐らく、自分が何もしなくとも戻れるだろう。元の時間帯では、判官たちが順に患者たちから抜けた魂の一部を呼び戻そうとしている。自分の本体が倒れ、彼等と同じ状態になっているのであれば、恐らく同じように自分もまた儀式の渦中に放り込まれるはずだ。
 それに、と丹恒は思う。弟子たちや自分の今の立場を思うと、申し訳ない気持ちはあるが、先に倒れた患者たちよりも、周りが先に自分の事を治療させる可能性は大いにある。
 丹恒はその時がいつなのかわからなかったから、いつその時が来てもいいように、もう一度彼の顔を見に行くことにした。怖がられても構わない。そうやって怯える彼の事は、この時の自分が傍にいて、護っていたはずだから。
 資料室の扉が不意に開き、かつての自分がやってきた。かつての自分は机の上や敷きっぱなしの布団の傍に積み上げた本を手にし、いくつかを整頓して、またいくつかを吟味し始めた。自分のことを見つめるのは妙な気分だ。この先途方もない時間を、彼を待って過ごすことになろうとも、この時の自分はきっと、当たり前のように彼の事を百万年だって、一億年だって待てると思っている。何の根拠もなく。
「つくづく、……愚鈍だな」
 けれど、その事を自分はただの一つも悔いない。彼を愛する、というのはそういうことだ。待つことだけが愛ではなかった。自分はこれまでも無数の選択の前に立たされていたことを思い出す。その中でただ、自分は彼を待つことを選び続けて来ただけなのだ。彼を、心の底から深く愛していたから。
 列車の廊下を歩いて、彼がいるはずのパーティ車両まで歩いていく。バーカウンターに腰掛け一人のんびりと窓の外の星を見ていたブラックスワンが、歩いてきた丹恒にふと視線を向けた。彼女はただその眸を少し細めて微笑みかけてくるだけだ。彼女の他に、この車両には誰もいない。シャラップですらバーカウンターから席を外している。
「――こんにちは、ずっと先の丹恒さん。幽霊騒動は続いているけれど、彼とはまだ話せない?」
「……別に、ここまであいつと話をするために来たわけじゃない」
「あら。そうだったの?」
「ここにきたのは……ただの偶然だ。色々あって、……意識体だけがここに飛ばされただけで」
「この世に偶然だけで出来た事象はないわ。ありとあらゆる因果が重なって、結果、偶然に見えているだけ。……もうじき帰ってしまうの?」
「おそらくは。同じように意識体だけになった患者たちに、今順に儀式を行って、元の体に魂を戻しているところだろうからな。俺もそう時間をかけずに引き戻されるだろう」
「あら、残念。もう少し話を聞いてみたかったけれど、それは百万年後までお預けかしらね。……なんだか数日前より吹っ切れた顔をしているけれど、いい事でもあったかしら?」
「……気のせいだ」
「ふふ。……少し占ってあげましょうか」
 別にいい、と首を振ったが、彼女は私からの餞別だと思って、とカードを宙に浮かべた。三つ選んで、と言われたため、仕方がなく順に三つを指さす。彼女の手が指揮者のように横にふれ、選んだ三枚のカードだけが宙に残った。彼女はそれを一つずつ捲っていく。
「恋人の正位置、……戦車の逆位置、……それから――吊るされた男の正位置」
「意味は」
「そう急かさないで。……――強いて言うなら、そうねえ……『急がば回れ』かしら?」
 それを聞いた瞬間、丹恒は数日前に符玄から言われた占いの事を思い出す。「……だからと言って百万年は回りすぎた」と答えて歩き出した。ブラックスワンはふふ、っと短く笑い、軽く丹恒に向かってそれじゃあ、また、と手を振ってくる。
 それに軽く手を上げるだけで返して、丹恒は階段を上り穹の部屋へ向かった。彼は丁度、パソコンの前に持ってきた椅子の上で、くるくると回って遊んでいる。何をしているのかはわからないが、恐らくは何も考えていないだろう。
 彼のそんな姿を見るのも久しぶりだった。ああ、そうだ、こいつはこういうやつだった。いつも何を考えているのかわからなくて、不思議で、奇抜で、万華鏡のようにくるくると変わり続ける、美しい未知だ。そんな彼を、自分はなぜ愛したのだろう? 愛しているのだろう。きっかけすらもう思い出せない。だって、いつのまにかそうなっていた。愛さずにはいられなかったから、ただ愛したのだ。
 近づいてくる丹恒に気付いたのか、穹と視線があった。彼はひゅ、っと短く喉を鳴らし、さっと顔を青ざめさせる。
「――お前……毎日毎日ぼやぼやぼやぼやと……!」
 この時の自分は、彼にはどうやらぼんやりとした霞のような幻としか映っていなかったらしい。彼にとっては得体の知れない何かである自分は、今の彼にはただの恐怖を植え付けるだけの存在だ。腰は抜けているようだが闘志はあるらしく、彼は椅子に座ったままバットを握った。だが、急にきょろきょろとし始める。考えていることが手に取るようにわかってしまった。きっと、バットでは実体のない幽霊に対して不利だとでも考えているんだろう。なんてわかりやすい。彼の視線が丹恒の後ろへ向かう。
「くそっ! 遠い!」
 後ろを振り返る。見えたのは掃除機だった。この体が掃除機で吸い込めることはないのだと教えてやりたいが、どうやらあまり多くの言葉は通じないようなのだ。仕方がなく丹恒は彼を前に佇むことしか出来ない。
 十数秒、睨み合いが続いた。とはいえ睨んでいるのは彼の方だけで、丹恒はそんな穹をただじっと見つめている。穹の頭の中では今も騒がしくこの状態の打開策が巡っていることだろう。彼は掃除機を取りに向かうには自分を越えて先に向かわなければいけないということに気付き、動けずにいる。しばらくして、不意に視線を近くのコレクション棚の方へと向けた。何故か焦ったような顔で、今度は離れたベッド近くの机へ視線を動かす。
「ッ……! ~~ッ!」
 何か言葉にならない葛藤で地団駄を踏んでいる。何かを思いついたはいいが、それを実行には移せなかったらしい。少し葛藤するように間をあけたあと、徐に立ち上がろうとする。だが、腰が抜けていたからか、がくん、と椅子から落ちた。
「あだーっ!」
 一人で騒がしいやつだ、と思いつつも勝手に体が彼を支えようとして前に動く。触れられないのに無意識が足を彼のすぐ傍まで突き動かした。椅子から落ちた時の衝撃に、穹は顔をしかめている。
 近づいた丹恒が思っていたよりも随分近くにあったからか、彼はぽかん、と丹恒を見てまた短く咽喉の奥を引き攣らせた。突然のことに理解が追いつかなかったようで、「おわっ、あっ、あおあえ」と声にならない声で狼狽する。彼を落とした最中にくるりと回った椅子の背が、彼の後頭部にぶつかりそうになる。それを止めようとして、丹恒は腕を伸ばした。感触は感じられても、実際には止められないのに。
「た――丹恒ッ……!」
「――……」
 ぎゅう、っと穹は強く目を閉じる。今の自分ではない自分の名を呼んだ彼だが、そんな風に真っすぐにただ名前を呼ばれたのが久しぶりで思わず手を止めていた。穹はおずおずと、何かの衝撃に備えるように閉じていた眸を開き、それからきょとん、と丹恒の方を見上げる。
「……っ、……あ、あれ……? 丹恒……? いつ来て――おま、……お前なんか《透けて》ない!?」
 本能的にか、穹は椅子を抱えたまま、足で床を蹴って逃げていった。
「は? ――……見えてるのか?」
 尋ねたが、穹にはよく聞こえていないらしい。驚いた表情のまま、彼はじっと丹恒を見つめる。数秒の間があった。
「嘘! そ、そんなめちゃくちゃな体にィ!? 俺の許可なしにそんな体になったのか? 何にも聞いてないぞ!? わかった、今すぐ戻してやる! お前の本体どこだ? 資料室に行って帰ってこないと思ったら幽体離脱してるとか想像もしないだろ!」
「いや、違うんだが……。聞こえて……は、いないんだったな。俺は今の俺から幽体離脱したわけではなく、……どうして急に見えるようになったんだ? お前が名前を呼んだからか……?」
 少し考える。だが、すぐに答えは出そうになかった。「え? なに?」と、丹恒が何かを話しているのだけは分かったのか、彼が尋ねてくる。
「……いやいいんだ。穹、すまない、驚かせて」
「うん? 何だ?」
 そんなに呼ばなくたって大丈夫だぞ、と穹は丹恒に向かって手を伸ばしてくる。彼の事を何度も呼んだわけではなかったけれど、久しぶりに彼と話せている。先ほどまで同じ存在を怖がっていたとは思えない彼の様子に、丹恒も思わず苦笑してしまいそうになった。
 彼が――彼がどんなに自分の事を信じていたか、今になって漸くわかる。
 彼の信頼は、既にもうずっと前からこんな風に彼の中にあったのだ。丹恒は今更その事を思い出した。そして、自分は彼の信頼に答えたくて、どんな無茶でも無謀でも、彼を護る為なら――たとえどんな選択を前にしても、怯んだり、後悔したりしないと。そう、もうずっと前から決めていたことも。
 丹恒は少し迷うように躊躇した後、伸ばされたその手に、自分の手をそっと重ねた。触れられないはずなのに、確かに何かに触れた気がする。彼もまた、同じように少しだけ不思議そうな顔をしていた。その瞬間に、ふ、っと視界がブレる。周囲の輪郭が星の軌跡のように伸び、遠ざかって――無数の光の中を、いつの間にか泳ぎだしていた。
 ――ああ、時間切れか。
 丹恒はすぐに、自分が元の場所から呼び戻されているのだと気付いた。すでにもう穹の姿は目の前から遠ざかってしまって、何処にも見えない。だが――不思議とその事が辛くはなかった。寂しくなかった――また、すぐに逢えるとまたもう一度、根拠もなく信じられたから。
 通り過ぎていく光の中に、無数の声が響き出す。
 丹恒、あのさ。丹恒。……丹恒。――丹恒! 何度も彼が自分を呼ぶ。

 あの時――。

 叶わないかもしれない約束をしてもいいか、と最期に彼に聞かれた。
 いいぞ、と丹恒が答えると、彼は「百万年、俺の事愛して待ってて」と、言った。「そんなにはかかんないかも。でも、その時までにはきっと、また会いにいくからさ」と。
 叶わないかも、と前置きをしたわりに、彼は何故か妙に自信に満ち溢れた表情で、絶対にまた逢いに《行く》よ、と言う。今になって思えば、それは彼が最期に吐いた優しい嘘だったのかもしれないが、彼の言葉を、その時の自分は何の根拠もなく、ただ信じられた。
 だから、あの時自分は、「……待ってる」と、彼に答えたのだ。彼はその答えにどこか――少し寂しいような、悲しいような、でも、心の底からそれを嬉しがるような、慈しみを隠しもしない笑みを浮かべた。ただの一つも泣かなかったくせに、ずっと笑っていたのを覚えている。
「うん。……絶対にまた逢いに来る。――だから、どこでもいいから、迷子にならないようなとこにいてくれ」
 人の記憶なんて、何も当てにならない。
 一字一句、彼の言ったことをすべてそのまま覚えていることなんて出来ない。
 言葉とは所詮、そんなものだ。その時の事を思い出しながら、今はもうぼろぼろの日記にそうやって彼が言った言葉を、これ以上砂のように零れて行かないうちに書き留めようとしたことを、あの時崩れそうになっていた自分の心をなんとか抱き留めて、これ以上崩れないようにしていた時の必死さを、丹恒は今もまだ鮮明に思い出せる。でも、思い出せるのはその時の自分の胸の痛みの事ばかりで、彼の言葉が本当に聞いた時のままだったかどうかなんて気にも留めなかった。
 あの時書き留めることすら出来ず、とっくに忘れていることも、きっと山のようにあるんだろう。でも、それでもかまわなかった。彼に向けていた、彼に向け続けていたものだけが、同じようにいつかの自分を此処に留めた。

 丹恒は光の眩しさに、何度か眉間に皺を寄せて瞬きを繰り返した。

 愛とはなんだろうな、とぼう、っと明るい光の中で、丹恒は瞼を薄く開いて考える。自分のそれはかつての約束の中にあり、そして今、その約束の外に繋ぐ先をまた見つけようとしている。
 それは不変であり、可変であり、形も大きさも性質もその時々で異なる。
 だがどういう形であれ、それらは不思議と光って見えるものなのではないか。丹恒はふと思う。彼の事を思い出す時、自分はただの一度も、記憶の中から彼を見失ったりはしなかった。時に明るい陽のように。時に夜闇を照らす蝋燭の火のように、時に行き先を照らす灯台のように、時に星海に散らばる星のように。言葉にせずとも、それは光る。時々は目尻に浮かんで。
 どういう状態かを知っていて、確実に命に別条がないと分かっていたとしても――心配そうな表情を隠しもせず、自分をはらはらと不安げに覗き込む彼女たちの視線にも、きっと小さなそれは寄り添っているのだろう。

powered by 小説執筆ツール「arei」

540 回読まれています