アシュジュナツイログ




【飼い犬なら飼い主の手は噛んでいけ】

 沸々と湧き上がる怒りに、眉がひくりと痙攣する。
 目の前には、赤と黒を基調とした艶やかな革製の大きな首輪がある。……ご丁寧なことに、それは人間の首にも巻けるくらいの大きさだった。

「…………なぁアルジュナ。コレなんなんだよ」
「見れば分かるだろう、首輪だが?」

 唐突に寄越された首輪を睨みつけた後、持ってきた張本人に正気の確認を取る。きょとんとした顔でさも当然とばかりの返答をされてしまった。残念ながらこれでも正気らしい。何故、首輪を贈られなければならないのだろう。聞けば別の買い物目当てにアマゾネスドットコムのオンラインショップを見ていた時、ふと目に留まって出来心で注文したそうだが。

「なんでそんなもん買ったんだよ……」
「おまえに似合うと思って」
「ふざけんじゃねぇ似合ってたまるか」
「……付けたらきっとかっこいいぞ?」
「首輪のどこかカッコイイんだよ思いっきり犬用じゃねーか何だよこの変な鍵……」

 そう、かなり大きめだが問題はこれ、列記とした犬用である。厳密に言えば恐らくは、犬型の魔獣用だろう。キメラ類を括れる程の大きさではないが、そこそこ頑丈な構造をしている。リードと|魔術錠《ミスティロック》まで付いている徹底ぶりだ。ファッション用のチョーカーと言われても、あまりに苦しい言い訳。あれこれ指図したがるこの男のことだ、何となくその気があるのではないかとは思っていたが、案の定だったらしい。

「……だめ、か?」

 眉を下げたあからさまなしょんぼり顔。ちょっと潤んだ黒目が、切ない視線を送ってくる。己の顔の良さに俺との体格差、共にベッドへ腰かけているという至近距離を利用した、完全無欠なる上目遣い。首輪をつけられそうになっているのは俺の方なのだが、俺に向かってそんな捨て犬のような顔をされても困る。忌々しい。この男、おねだりに限っては嫌か、とは絶対に聞いてくれない。押し通す気満々なのだ。計算されつくしたその態度は、あざといの一言に尽きる。

 ――可愛いな、くそが。

 内心で盛大に毒づく。言葉には決して出してやらない。そんなことを言おうものなら「そんなかわいい私がお願いをしているのに?おまえは聞いてくれないのか?」などと宣っておねだりが加速していく。要は、俺の自業自得なのだ。この男のずば抜けた顔の良さに負けてまんまと甘やかし続けた結果だ。頭の片隅では燕青やラーマ達が「嫌なら嫌って言うべきだぞ」と口々に助言してくれているのだが、こうなると俺が取ることの出来る選択肢など一つしかない。束縛が気に食わないのは当然。まして飼い犬扱いなど言語道断。しかして信頼できない奴でも無し、こいつならそこまで突飛なことはしないだろうからちょっと遊ぶくらいは大目に見てやるか……などと思ってしまう駄目駄目な俺がいるのも事実だった。俺がアルジュナの『おねだり』に弱いのは、人前で痛々しい程に気を張る姿ばかり見ているから……なのかもしれない。この男、兎角寂しがりなのだ。その癖甘え方は下手くそ極まりない。恋人になって漸く分かったことだが、アルジュナは俺が他の奴らに絡んでいると決まって焼きもちを焼き、優等生ぶりながらあれこれと口を挟んでくる。傍目からは単にパーティーのまとめ役にしか見えない辺り、たちが悪い。ツンデレなんて今時流行らないだろう。寂しいなら寂しいとはっきり言えばいいのに、そんな形でしか俺の気を引けない、どうにもめんどくさい奴なのだ。

「……わぁーったよ、やりゃいいんだろやりゃ」
「本当か?……ありがとう!」

 ぱぁっと明るい笑顔を見せて爽やかに礼を言うアルジュナだが、やろうとしていることはどこまでもアブノーマルだ。SMじゃあるまいし、恋人に首輪を付けたがる奴があるか。
 渋々と喉輪を霊体化させ、首筋を晒す。するりと首輪を巻き付けるアルジュナの手付きは、心なしか浮ついているようにも見えた。ベルトを通した中央の穴に南京錠のような形の金具を差し込んでいく。金具に鍵穴など無い。登録した所有者の魔力を流すことで開閉する仕組みの鍵だ。かちりと小さな音を立て、錠が首輪の中央にぶら下がる。これ、後でちゃんと外してもらえるのだろうか。不安だ。

 しかし、折角遊びに付き合ってやると言っているのにこの男ときたら。

「んで?……ご主人サマよ、ご命令は?」
「ええと。……うーん」

 口元に手の甲を当て、思案するように真剣な顔をした後。

「…………何も考えてなかったな」

 などとほざくのである。大真面目に。

「俺は何のために首輪付けたんだよ!」
「いや、本当に似合うと思っただけなんだ。うん、アシュによく似合う。かっこいいし、かわいいな」
「あのな、それ褒め言葉じゃねぇからな……?」
「……違うのか?」
「当たり前だろうが!俺は首輪が似合うなんて言われて喜ぶ性質じゃねぇっての!」
「えぇ……似合うのになぁ……」

 言っておくが、リードを無理矢理引っ張られるだの鞭が出てくるだのの特殊プレイがやりたいわけではない。断じて無いが、遊びどころか俺に首輪を付けてみたかっただけとは、いくらなんでも無邪気が過ぎる。「似合う」という言葉がいつ如何なる時でも誉め言葉になると思っている辺り、こいつも兄同様に相当ズレているのだろう。

 首輪とは、飼い主の目印だ。対象が犬猫にしても魔獣にしても変わりはない。
 鈴を提げれば所在の証明。
 タグを提げれば所有の証明。
 ならばリードを繋げば、支配の証明だ。

 アルジュナがそうしたがるのは、かつて誰かにそうされていたからなのだろうか。今の所実害が無いのは何よりだが、この男の生来の歪みを垣間見ているようで、どうにも苦々しい気分になった。

「じゃあ折角だから、はい」

 そんな俺の心情など知る由もなければ考慮する気もまるでないアルジュナは、ふにゃりと気の抜けた笑みで、両手を広げる。

「おいで、アシュ」

 結局やることと言ったら、いつもとさして変わらないハグだった。そういう所がどこかいたいけで、あどけなくて、突き放せない。言われた通り、その身体をぎゅっと抱きしめる。

「ッチ、これで満足か?」
「うん。……ふふ、いい子」

 俺の腕の中で身じろいで、アルジュナは両手を上へと伸ばしてくる。俺の髪に指を差し込んで、わしゃわしゃと頭を撫でてくる。それこそ犬にするかのように。愛玩にしたいのか、どこにもいかない証が欲しいのか。どちらにせよ確約など出来るはずもない。服従の謂われなど無いのだし、そんな甘ったるくて生ぬるい半端な執着は、何より俺が気に入らない。俺は、俺のしたいように振舞うだけだ。

「なぁ」
「うん?……う、わッ」

 元よりこれは歪な関係。英雄の偶像と|憤怒《エゴ》の残骸、そんな歪な者同士だ。だったら火傷するくらいで丁度いい。すっぽり腕に収まったその細身の体を、ベッドへと押し倒す。了承も取らずに白い衣の首元を緩め、晒した喉に柔く噛みついた。あ、と掠れた声が耳に届く。

「アシュヴァッターマン……?」

 飼い犬の突然の蛮行に驚いたのか、身体を起こして見下ろすと飼い主は目を丸くしていた。……こんなことは、普段なら絶対にやらない。けれどそういう|遊び《プレイ》なら話は別、というだけだ。じゃれついているだけだと思い込んで、無邪気なままでいるならそれでも構わない。その時はまぁ、こっちも馬鹿になって飼い慣らされた犬のフリをしてやればよい。
 ……けれど。

「―――ただ従順なだけの犬なんざ、『てめぇ』はつまんねぇだろ?」

 俺の|飼い主《アルジュナ》は流石にそこまで愚鈍ではない。そらみたことか、夜色の目がすっと細められる。口元が、にぃ、と三日月のような弧を描く。無邪気が裏返って、別の貌が浮かび上がる。ふとした拍子に姿を見せる|こ《・》|い《・》|つ《・》の方が、手に負えない。けれど、|優等生《イイコ》ぶって抑え込んで、いつか爆発するよりかはずっとマシだ。

「……前言撤回だ。わるい子め、仕置きが必要だな」

 ぐい、とリードを引っ張られ、鼻が触れ合いそうなほどに顔が近づく。待てなどしてやるものかと、その唇に喰らい付いた。

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