妖怪、恋のから騒ぎ(全年齢版)




【付喪神御意見番・石灯篭斬りの大脇差】

 人間が形容する所の【神】も【妖】も、大抵は同じ顔を別の視点から見たものでしかないよねぇ。ほら、能面は角度によって表情が変わって見えるだろう? 面を被った能楽師が上を向けば微笑んでいるように見えるし、俯けば悲しんでいるように見える。刀剣男士という僕らの『顔』は、それと一緒だ。刀剣が持つ名前、その逸話のどこを強調するかで、表情はまるっきり変わってしまう。石切丸さんはその典型的な例だよねぇ。腫物、病魔を斬ることに特化した御神刀の【石切丸】と、鎌倉悪源太の愛刀であり血生臭い戦刀の【石切丸】。僕らの知っている石切丸さんは御神刀であり、神社暮らしが長かった彼は戦が「苦手」だと言っていたけれど。……彼の『名』は、きっと自分が何者であったかを覚えている。刀に限らず、名を同じくするモノは互いに干渉し合うそうだよ。例え斬った刀が|自分《それ》でなくても、名が同じならそれは『同じ』モノという扱いに出来てしまう。そういう|呪《まじな》いが、昔からあるそうだ。もしかしたら君達【山姥切】にも、その力が働いているのかもしれないね?

 実の所僕らという付喪神、刀剣男士というモノが成立するにはね、それが何に用いられてきたか、何を斬ったかということ自体はあまり関係が無い。重要なのは、人間が刀に乗せて伝えてきた物語の力であり、空想の力だ。人間は事実を事実と証明出来る程、長生きできない。生きている間の記憶力だって、そんなに良くないそうだよ? 思い出は人間達の中で欠けていき、歪み、どんどん美化されていく。だから過去に起こった事例、歴史を伝える為には、紙に書き留める必要があったんだね。勿論、善し悪しはあるだろう。書き残された歴史の全てが正しいとは限らない。紙と筆だって、昔は高価な道具だっただろう? そんな訳だから、歴史を創り、後世に伝えることが可能なのは、いつだって力のある人間のみだった。けれど伝えられてきた|逸話《れきし》の正誤に関わらず、僕らは付喪神として、刀剣男士という生を受けている。物が語る故に物語とは言うけれど、その根底には必ず僕らを物語った人間達がいる。僕らは結局、人間の想像力、空想の力からは逃れられない。言ってしまえば僕らは、人の夢が集まって出来たモノだ。それ無くして、存在することは出来ないんだよ。

 そもそも『つくも』という言葉自体にも、かつてはたくさんの意味があったものさ。平安の伊勢物語に登場する『老女』や『年老いたことでしなやかさを無くしてしまった女の髪』を意味する『つくも髪』。そんな言葉を始まりとして、室町に入ってからは鬼や狐狸などの憑き物や化生、江戸以降は物に憑いた霊が生類に変生した妖怪の類とされることが多くなった。古くなった物は、即座に捨てるべし。さもなくば物は百年の時を以て精霊を宿し、人に害を為す化生と成る。『つくも』とは本来、そういうモノだった。それを|神《・》|と《・》|い《・》|う《・》|こ《・》|と《・》|に《・》|し《・》|て《・》顕現しているのが時の政府であり、僕らの主……という訳だね。

 疫病、天災。|禍《わざわい》を神として祀ることで、禍そのものを回避しようとする。それはこの国に限らず、世界中に古くから存在してきた伝承であり、世界中で興った宗教の根本であり、文化だそうだよ。その時の文明ではどうしても説明が出来ない、天然自然が巻き起こす不可思議な現象の要因。それを『神』という型に嵌めることで、認識できるものとした。格を落とした……そういう風にも取れるよねぇ。……神なら格が落ちるのは可笑しい、逆じゃないのかって? だって|禍《わざわい》は|話《いのちごい》なんか聞いてはくれないだろう? 禍とは、ある日突然降りかかってくる不運な出来事、不幸だ。生物にとってのそれは生命の危機。襲い来る脅威と理不尽の象徴。意思疎通なんか一切出来ない。けれど数多の禍の中には、確かな恵みも存在している。|旱魃《ひざし》と|洪水《あめ》がなければ、作物は育たないよね。だからもし、世に存在するあらゆる災害が『神様』だったらなら。|話《ねがいごと》をすれば、ひょっとしたら聞いてくれるかもしれない。そう思えるようにならないかい? 人間が|創造《想像》した神と呼ばれるモノは、元は厄災のかたちをしていたのかもしれないね。

 『認識する』というのはそういうことだ。|得体の知れない《分からない》モノを|神と定義《分かりやすく》する方が、|格《ちから》が落ちる。それは名前の無いモノに名前をつけるという行為であり、物事を確定させる事象だ。名前とはもののカタチを安定させる。同時に、弱点も作り出してしまう。名前がなければカタチは得られないが、|形《すがた》が無いからこそ対処出来ない。そういう場合だってあるからね。|本来《正面から》見た顔を以って顕現していない僕らは、むしろ弱体化していると言っていいのかもしれない。神という肩書きは、いわば僕らを縛る枷みたいなものだろう。……ああ、それが悪いと言っている訳じゃないよ? だって理性がないと、加減はできないからね。

 うん、それでもやっぱり見ている角度が違うだけだ。ことこの事実に至っては霊剣だろうと神剣だろうと関係ない。己が妖怪であることを忌避する連中もいるにはいるだろうけど、事実は事実。どちらの顔を表にしようと結局僕は『僕』であり、君の夢に現れる裏を表にした彼もまた、紛れもない『大包平』だ。全く異なる思考形態を持つ二重刃格でもない限り、行動理念なんてそう簡単には変わらないモノさ。その彼が、君の夢枕に立って「ころせ」「おかせ」とせがむってことは、だ。

 ……ひょっとして『彼』も君に。
 「めちゃくちゃにされたい」ってことなんじゃないかい?


次へ

powered by 小説執筆ツール「notes」