妖怪、恋のから騒ぎ(全年齢版)




【付喪神御意見番・六百巻経典の太刀】

 やぁ、どうしたどうした、山姥切国広。朝っぱらから随分顔色が悪い。まるで化け物でも見たのかってくらい、真っ青じゃあないか。……いや、あんたはいつもそうだったかい? なんせ布が邪魔で顔がよく見えないからなぁ! 折角のびじ……いやいや、何も言ってないぞ? 隠しちまうとは、勿体ないもんだ。

 んん? ……なんだって? 
 こないだ確かに殺してしまったはずの|恋刀《こいびと》が、死んでなかった?
 あんたの恋刀ってのは確か……ああ、なんだ。夢の話か。
 成程なぁ。そりゃ|当《・》|た《・》|り《・》|前《・》じゃないかい?

 蝶ってのは古今東西、神秘の蟲と称される。大陸よりこの国へと伝来した仏教においての蝶とは、魂を極楽浄土へと運ぶ仏の御使いであり、輪廻転生の象徴。西洋圏のキリスト教においては救世主復活の象徴だ。ギリシャ圏でも不死の象徴とされていたかねぇ? 卵から孵り、|幼虫《いもむし》から蛹へ、蛹から|成虫《ちょう》へ。全く別の身体機能と外部構造を持った生物へと美しく形態を変化させていく蝶は、どこの国に行こうが死と再生の象徴とされてるもんさ。そんな蝶の概念を池田家の紋から賜った|妖《かたな》が、一夜の惨殺から蘇らない筈が無い。ましてあんたが自力で我がものにした呪いだろう? いくらあんたが化け物切りの写しだろうと、あんたの一部になっちまった以上、何度でもあんたの夢へと優雅に舞い戻ってくるに決まってるさ。だからあんたに「好きなだけ殺せ」、そう言ったんじゃないか? いやぁ良かった、良かった! 殺しても生き返るなら、本当に殺し放題だ! 国すら傾ける程の絶世の美刃が蘇って尚夜這いを仕掛けてくるんだぜ? お熱いこった、言うこと無しのハッピーライフじゃあないか! ……まてまて怒るなよ、そういう話じゃないって? エッ、殺したくなんかないに決まってる? おいおい山姥切国広、あんたマジで言ってるのかい? それ、本当に? 朴念仁にも程があるだろう!
 
 ―――好きだからこそ、斬りたい。愛おしいからこそ、殺したい。
 それって俺たち刀にとってみれば……ひとつの憧れみたいなもんじゃないか?

 刀ってのは美術品だ。けれど同時に、とんでもなく良く切れる|刃物《どうぐ》でもある。刃物がなにかを切るのは道理だが、本来なら何を切るかなんて選べない。人間に限らず、あらゆる知性体が利便を求めて使うからこその道具であり、使われる道具そのものには意思がないのが大前提だ。けれど、俺たちは違う。ヒトに使われる道具でありながら、道具を使うヒトの手足がある。独立した一己の意思をもつ。つまり己の意思で、何を斬るか決められるんだ。理由なんてものは何でもいいのさ、その斬る相手として強い奴でも美しい奴でも……、自分が心底気に入った奴を選べたなら。どうだい? 喜ばしいことじゃあないか? ホラ、すこぅし昔に人間の間で流行った時代劇や物語でもよく言っただろう。「つまらぬものを斬ってしまった」ってさ。どうせ斬るならつまらないモノより、己が刃で斬る価値があると思うモノの方がいいに決まってる! けれどそれは……俺たち刀剣男士にしてみりゃあ、決して赦されないことでもあるなぁ。それは|主命《しごと》ではなく、歴史を守るという|使命《ほんのう》でもない。ただ「斬りたい」という私情で刃を振るうって事だから、な。道具でありながら意思を持つというのは、ここが厄介でなぁ。

 だが……、如何なる|感情《どうき》であったとしても、だ。
 己が|欲望《さつい》に従ってものを斬る。
 それはまさしく【鬼】の所業だ。そうだろ? 

 なぁに、あんたに限ったことじゃあない。それは傍目には見えていない、見せていないだけの激情。ココロさえあるなら誰しもが持ちうる、ごく普通の感情だ。そもそもの【刀】というモノを生み出した、人間だって同じだろう。美を追求しながら、命断つ為のカタチからは離れられない、刀ならば猶更だ。ひとごろしなんざ、感情と環境という状況さえ整っちまえば、誰にでも起こり得る衝動であり現象だ。だから無くなることがない。人が、モノが、これまで歩んできた歴史でも無くせなかったように。この先どれだけの|屍《ぎせい》を積み上げ続けようと、あらゆる文明、あらゆる技術がどれだけ進歩しようとも。遍く存在する全ての|世界《いのち》が滅ばない限り、殺害という罪過が無くなることはないんだろう。

 ―――そうとも。
 ヒトもモノも変わらない。
 生きてさえいるのなら誰だって、【鬼】に成れちまうのさ。


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