煙管の雨、ひとつぶ





「ぅー……ん……うん……?」

 いつも通りの時間に目を覚ましたつもりだったのだが、首を伸ばして枕元を見上げても時間が分からなかった。何故ならいつも枕元に置いて寝ているはずの、時計が無い。当然ながら、目覚ましの音も鳴ってはいない。目覚めは良い筈なのに、今日はどうにも頭が重いような気がした。

「んー……ぅ、どこだ……ここ……?」

 ついこの間までは暑くて寝苦しくてしょうがなかったのに、近頃は随分と過ごしやすい気温になった。湯帷子の袖が捲れて晒された腕に、微かな肌寒ささえ覚えるほどに。……その割には、今朝は身体の内側がぽかぽかしている。ぬくい。しかし片腕がやたらと重かった。なにかの下敷きになっている。みちみちとした温かくて硬いものを抱きかかえているらしい。過ごしやすくなったというだけであり、流石にまだ湯たんぽが必要な時期ではない。そも湯たんぽは抱きかかえて寝るものではない。ということは抱き枕だろうか。しかし自室には抱き枕なんてもの、置いてはいない。そもそも抱き枕はここまで密度も温もりもないような気がする。明らかに自分のそれではない、仄かに煙草の香が交じる嗅ぎなれない匂いもした。……だめだ、今日はどうにも眠い。目は開いたのに頭が中々起きてくれない。時計を探して上を向いていた首を、うろうろと下に向ける。

「……山姥切国広? なんでだ?」

 手前の胸板より少し高い位置。美しい金糸に包まれた、でかい頭がそこにあった。珍しい。襤褸布が頭からずり落ちて、ひかり輝く中身が見えてしまっている。未だ微睡の只中にある脳内で何故、を三度繰り返して、ようやく思い出した。そういえば、山姥切国広から差し飲みの席に呼ばれていたのだった。延々と話をさせられた末に、寝てしまったのか。他刃の部屋で堂々と寝転ぶような粗相をした覚えは全くないのだが、どうやら布団まで運んでくれたらしい。こんなに狭いひとり用の布団で、しかも大包平はこの男を抱き枕にしてしまっている。運ばれた時に寝ぼけて抱きしめて、そのまま布団に引っ張り込んでしまったようだ。それなりに付き合いも長くなってきた気安い仲とはいえ、これは流石に無礼な振る舞いだろう。申し訳ないことをした。これは相当、窮屈だったのではないか。過ぎた酒でもなし、起こしてくれればきちんと部屋まで戻ったものを。普段は当たりが強くぞんざいに扱ってくる癖に、何故昨夜に限って変な気を遣ってきたのやら。それにしても、困った事になった。

「くそ……何故時計が無いんだ、この部屋は……。こいつはいつもどうやって時間を把握している……?」

 首を回して時計を探すがどこにも見当たらない。棚や箪笥の上にもない。柱にも掛かっていない。寝転がっていると分からない場所に置いてあるのだろうか。それでは時計の意味がないのではないか。起き上がればもう少しくらいは部屋を見渡せるのに、山姥切国広もまた大包平の腰へしっかりと腕を回して抱き枕にしている為、これ以上動けもしない。となれば障子戸越しに部屋へと差し込んでいる陽の光を頼りに、時間を推測する他ない。障子戸から落ちる影がやや短くなっている所を見るに、少なくとも早朝の時間帯は過ぎてしまっているようだった。……これは完全に、寝過ごしている。後で大倶利伽羅にも謝らなくてはいけない。まぁ、彼方は元々自主的に朝稽古をしている。相手が居らずとも、困ってなどいないだろうが。

「おい、山姥切国広。起きろ、朝だぞ」
「…………ぅ……」
「おーい……いつまで寝ている気だ貴様。起きてくれー、山姥切ー……」

 ひよこのようにふわふわした、しかしそれにしては大きな稲穂色の頭へと、緩く声を掛ける。山姥切が起きたらまずは、昨晩世話を掛けたことを詫びなくては。正確な時間は分からないが、このままでは朝稽古どころか朝餉の時間にも間に合わない。しかし抱きしめたままの身体を軽く揺すってみても、起きる気配は全くない。それどころか腕の中で眠りこけている男は、少しむずかるような籠った声を上げたかと思えば。大包平を抱きしめる腕の力を更に強めて、深々と寝入ってしまった。困った、さっきよりも身動きが取れなくなっている。練度と膂力は未だにこの男の方が上だ。振りほどける筈もない。煩いと文句を言われるには違いないが、腹の底から声を出せば、流石に山姥切も目は覚めるだろうか。……けれど。

「ぅん……まぁ、いいか」

 何故だか今は、まるでその気になれなかった。酒は残っていない筈なのだが、どこか気だるいからだろうか。自分の部屋できちんと眠らなかったからかもしれない。先に寝落ちたのは此方で、この男は手前の布団で丁寧に寝かせてくれた。寛政の遠征任務から帰還したばかりで、疲れてもいるに違いないのに。そもそもこの男がしっかり休んでいる所を、大包平は見たことが無かった。いつも蔵で歴史資料を読み漁っていて、暇さえあれば剣の稽古に励み、内職に内番の手伝い、広大な庭園に咲き乱れた花と草木の世話に勤しんでいる。常に仕事をしている印象しかない。帰還したばかりでしばらくは出陣の予定などないだろうし、当番も割り当てられてはいなかった筈だ。普段働きづめの男が一日くらい寝過ごした所で、審神者も長谷部も怒りはしない。大包平自身も、今日一日は何の予定もないから昨夜の差し飲みに応じている。朝餉は食いはぐれるだろうが、もう一度寝て起きたら厨に行って、軽食でも作ってやればいい。それから……ああ、一緒に本を読むのもいいかもしれない。昨夜何かを蔵で調べてこいと言われたような気がする。正直委細を覚えていないのだが、何の話だったか聞けば手掛かりくらいは教えてくれるだろう。……何より。

「はは。……美しい顔だとは思っていたが、お前は髪も美しいな」

 布に遮られていない黄金色の髪は、滅多とお目に掛かれない。目にしたことこそあれど、それはいつだって戦場での窮地だ。こんな穏やかな心地でじっくりと眺められる機会など、中々巡ってこないだろう。山姥切の背に回したままだった手をそろりと上げ、柔らかい金糸を指で梳いて、そっと撫でてやる。じろじろ見るなとも、触るなとも言われない。それはとても気分が良くて、もう少しだけこのひと時を堪能していたくなった。お互い様ということにしよう。この男もきっと、いつもなら絶対にしない寝坊なのだろうから。






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