6-4 Ω
翌朝、二人は箱猫市のあちこちを巡った。鳳子はいつもに増してどこか無邪気で甘えん坊な様子を見せたりしていた。だが、時折ふとした瞬間に、彼女の瞳が遠くを見つめているような気がしてならなかった。まるでここではない別の場所、別の時間に囚われているかのように。その微かな違和感が、風雅の心に小さな棘のように引っかかり、不安を感じさせた。鳳子が甘えれば甘えるほど、彼女が自分の届かないところにいるような気がして、彼の胸の中で妙な焦燥感が広がっていく。
夕方、二人は箱猫駅前のスタバに立ち寄り、テラス席で並んで腰掛けた。街が夕焼けに染まり始め、柔らかなオレンジ色の光が鳳子の横顔を照らしていた。彼女は温かなカフェラテを両手で包むようにして持ち、カップから立ち上る湯気をぼんやりと眺めている。その姿がどこか儚く見え、風雅は胸が締めつけられるのを感じた。
「今日は、楽しかったか?」
風雅が優しく問いかけると、鳳子は一瞬驚いたように目を見開き、そして微かに微笑んで小さく頷いた。
「はい! 今日を一緒に過ごせたのが風雅くんでよかったです! ……貴方は私に幸せを与えてくれました」
彼女の声は確かに微笑んでいた。しかしその微笑みの奥には、どこか遠くを見つめるような、掴みきれない寂しさが漂っているように感じられた。その寂しさが風雅の胸に静かに染み込んでくる。
「ねぇ風雅くん。私達は友達ですか?」
秋の冷たい風が鳳子の髪をそっと揺らしながら、彼女は風雅に問いかけた。それは昨夜、彼が一度は考えたものの、答えを出せなかった問いだった。
「……さぁ?」
「じゃあ恋人?」
「……それも違うな。まだ出会ったばかりだろ」
「家族でもない?」
「当たり前だろ……」
尋ねなくても分かるはずの問いを重ねてくる鳳子に、風雅は一つひとつ丁寧に答えた。そんな風雅を見つめ、鳳子はふわりと穏やかな微笑みを浮かべる。
「……よかった。それでは、私たちはれっきとした赤の他人ですね!」
その瞬間、風雅の胸がひどく詰まるのを感じた。彼女が微笑みながら言い放ったのは、彼が避けようとしていた結論そのものだった。しかも、それは今まで過ごした時間や共有した思いを無視した、まるで突き放すような残酷な答えだった。昨日も今日も、あんなに楽しそうに一緒に過ごしていたのに。そして何度も彼女の支えになろうと手を差し伸べてきた風雅にとって、鳳子は「赤の他人」とは到底思えない存在だった。
確かに二人の関係性は曖昧で、適切な言葉を見つけられない部分もある。しかし、少なくとも「赤の他人」という言葉では片づけられないはずだ。風雅は胸の奥に微かな怒りが芽生えたが、それは鳳子に対するものではなかった。何故なら、彼女は微笑みながらも、その瞳には涙が浮かんでいたからだ。
彼に芽生えた感情は、彼女をここまで追い詰めた何かに向けられようとしていた。けれど、その正体が掴めず、もどかしさが彼の胸を締め付けた。
「……よかった。赤の他人なら、胸は痛くなるはずありませんよね」
震える声で言い放つ鳳子の言葉に、風雅はますます混乱した。彼女の真意が掴めず、彼の心にはかすかな不安が広がっていく。しかし、その一言一言が切実で、確かに彼の心に訴えかけてきた。
「私にとって風雅くんはこの世界で一番大切な人です。そして特別な人で、傷付いて欲しくない。だから――」
その瞬間、少し離れたテーブルに座っていた高校生たちが何かの話題で大きな笑い声を上げた。鳳子の言葉はその笑い声にかき消されるように、
――この世界に帰る場所を失くした私は安心していなくなれる。
鳳子の唇が静かに動き、彼女の瞳は遠い場所を見つめていた。その目の奥にある何かに気づきながらも、風雅には、彼女の心のすべてを掴むことができないままでいた。
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