ある姉妹との出会い



「そうだ、タヌライ君。少しいいか?」
「ん、なに?」
「きみの斧、良ければ見せてもらえないか?」
「僕の斧? うん、いいけど」
 傍に寝転がしていた斧をタヌライから受け取り、リョウはその刃先を見つめた。
「……ふぅむ」
 やはりというべきか。彼女が背負っていた時は見えづらかったが、タヌライの斧はところどころ小さく刃こぼれを起こし、錆も見える。恐らくは血を拭き取るだけで使用し続けてきたのだろう。無理な使用が祟っているのは素人目にもわかる。
「きみには、旅の師とかはいるのかい?」
「師匠? ん-ん。ずっとクレバシと二人旅だよ」
「時々、他の連中と組むこともあるけど、幼い頃からあたしたち二人旅ですね。分からないことは色んな人に聞いて……我流の旅とでも言えばいいのか」
「なるほどなぁ……」
 それならば納得も出来るというところだ。
 リョウはには師事する相手がいた。幼い頃から旅をしてきたのである程度の知識はある。だが、彼女たちが何歳の頃から旅をしてきたか定かではないが、基礎的なところを他者から学べる機会がなかったのならば、武具の整備が行き届いていないこともあるのだろう。
 見たところ、タヌライの武器は業物とまではいかないまでも、決して安いものではなさそうだ。ならば使い潰すのも忍びない。リョウは荷馬車の中から小さなツボを取り出した。
「ん、なにそれ? 新しいご飯ですか?」
「違うよ」
 苦笑しながらツボの蓋を外す。中には水が満ちており、そこへ手を突っ込んだリョウは、ずっしりとした長方形の石を取り出す。
「え、石?」
「砥石さ。いいか、タヌライ君。よく見ておくんだ」
 大きく水平な石の上に砥石を乗せる。その横に斧の刃を寝かせ、道具袋から細長い棒状の鉄板を取り出した。それはなんだ、と言いたげにタヌライが身を乗り出して覗き込む。
「これはヤスリだよ。良いかい、まずは斧の刃先。この銀色に光る部分があるだろ? そのさらに先端。わずか数センチのここを見るんだ。刃こぼれしてるのがわかるか?」
「うん」
「このエッジをヤスリで軽く研いでいく。この刃先の部分は上下から見た時、三角の形になっているんだ。そのバランスを崩さないように砥石で研いでいくんだが、まずはヤスリでチップを修正する。あぁ、チップってのは刃こぼれのことな。まずはこれを擦っていこう」
 そう言いながら、リョウはヤスリを何度も何度も擦り、刃先を磨きながら小さなチップ埋めるように周りの刃を削って合わせていく。
 ちゃんとした設備のある街の鍜治場なら完全な修理が可能であろうが、旅の中で、ましてやずっと放置されていたものとなると完全な修理は難しい。リョウは最低限整える程度にヤスリ掛けする方向に変え、しばらくカシカシ全体をまんべんなく擦り続けた。
 表面が終われば次は裏面へ。
 同じように刃をヤスリ掛けし、時折、刃の角度が極端にずれていないかを確認していく。この作業が大事で、片方だけ、一部分だけを擦りすぎるとどうにも切れづらくなる。この話を魔法使いの友人に話した時、「絵描きが絵を透かして左右反転させながらバランス崩れていないか確認してるみたいだね」と笑っていた。それを聞いていた画家志望の女は、苦い顔をしていたのを覚えている。
 一通りエッジ全体にヤスリ掛けを終えると、リョウはツボの中の水をカップで掬い、ザっと斧に流して浮き出た汚れを洗い流す。
 そうして今度は砥石の上に刃を乗せ、前後にシャッシャッとスライドさせていくのだ。右手で柄の根元を掴み、左手の指は添えるように刃の手前に当てて刃を砥石に当てて滑らせてる。
上の刃から下の刃まで、小刻みに前後へと動かしながらゆっくりと全体が整うように研いでいく。刃はみるみる輝きを取り戻し、鋭さが戻っていくのがタヌライにもわかるのだろう。まるで新しいおもちゃを見る子供のように煌めいた瞳で見つめ、クレバシもいつの間にか酒を飲む手を止めて、ほぉ、とため息を吐きながら見つめている。
「こうやって研ぐんだ……」とタヌライは零す。
「知らないのも無理はない。ほとんど二人旅だったんだろう? 話を聞く分に、まぁたぶん刃物を使う人とはあまり組んでいなかったみたいだしな。ほら、やってごらん」
「う、うん」
 リョウはタヌライを傍に呼び、斧を渡して本人に研がせてみせる。ゆっくりと真似をするが、砥石に刃が引っかかったり、研ぐ角度が急すぎたりと不慣れな様子だが、その度にリョウが止めて教え、何度もやり直させることでしばらくもすればタヌライはスムーズに刃を動かせるようになった。
 よほど楽しいのか、シュッシュッと刃の移動に合わせて「ふん、ふん」と息巻いて体を揺らす。
「じゃあ、刃の角度の確認だ」
「はーい」
 表の刃が全体的に整っているか、どこかに変な角度はついていないか。目視で確認し、問題が無ければ水を掛けて汚れを落とし、次は反対側の刃を同じように研ぐ。今度は最初からタヌライに任せた。
 彼女は初めて触れる作業にもすぐに慣れと楽しみを見出し、楽し気に刃をスライドさせている。
「はぁー……ありがとうございます、リョウさん。お恥ずかしながら武器の研ぎ方の一つも知らずに今まで歩いてきました」
「結構不便だったんじゃないですか? あまり長持ちしなかったでしょう」
「えぇ、まぁ。タヌライは力が強いので強引に使っていたんですが、それでも今までの斧は折れるか壊れるかまでは無理やり使い続けて、壊れたら買い換えるという感じでしたので。一度街を離れたら、次の街に到着するまでの間に壊れることもしばしば……辿り着いた先に鍛冶屋がなければ修繕も出来ずと、正直うちの懐事情で言えばなかなか金銭面を圧迫する問題でしたので」
「なら、これからは少し楽になるな」
 クレバシから注がれた酒を飲み、返しでクレバシの杯にも酒を注ぎ返す。その傍らでタヌライは刃の角度を確認し、また研ぎ作業に戻る。
「壊れなくても、鍛冶屋に研ぎ依頼をすればそこそこ料金を取られるでしょう」
「あはは……実はそうでして。教えて頂いて本当にありがとうございます」
「せっかくだ、砥石も持っていくと良い。そのツボが邪魔なら、濡れた布に包んで持っていくといいですよ。砥石は使う一時間くらい前に水に浸しておきたいから、川辺でやるのがおすすめだ」
「何から何まで……でもリョウさんの砥石は大丈夫なんですか?」
「あぁ。俺にはまだ予備が一つあるから問題ありませんよ」
「……世話になりっぱなしだなぁ」
「そういうときもあるもんです。俺だって一方的に誰かの世話になることが多い。助けられるときは助けて、助けられるときは助けられる。冒険者なんてそんなもんでいいんですよ。それは旅を続けている貴女達だってよくわかっているはずだ」
「うーん。返す言葉がない!」
「なら返さなくていいさ」
 互いにまた乾杯をし、ぐびりと酒を飲んだ。
「リョウさん、どう? こんな感じ?」
「む? ……あぁ、良い感じじゃないか」
「ほんと? やった!」
「角度の付け方も申し分ない。刃も十分に磨かれてるな」
「にへへ」
「じゃあ水で金属粉を落としたら、続いて砥石を裏返して仕上げの研ぎに入ろう」
「げぇーっ! まだ続くの!?」
「今までのは荒砥石。反対側は仕上げ砥石というんだ。頑張ろうな」
「やること、結構多いなぁ……?!」
「それだけ手入れは大事ってことだよ。ちなみにそれが終わったら洗い流して、布でしっかりと汚れと水気を切ったら別の布にオリーブオイルを塗布して全体に塗る作業もあるぞ。錆止めの効果があるんだ」
「……子供の時に覚えてても、さぼってたかも」
 タヌライは大きな溜め息を吐き、リョウとクレバシはその様子を微笑まし気に笑った。

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