ある姉妹との出会い
「なるほど。そういう経緯でうちのタヌライがお世話に……本当にすみません。ほら、あんたも頭下げるのよっ!」
「い、痛い、痛い! 耳引っ張らないでぇ!」
「ほっぺたつねるよ!」
「もっとやめてぇ!」
「あははは。賑やかになったなぁ」
姉のクレバシは、タヌライと比べてどうやら少し勝気なようだ。一回り大きな体の割に身体の線はタヌライよりも細身である。旅慣れているようだが、筋肉の付き方や所々の所作、何より身に着けている物から判断するに戦闘を得意としているわけではないらしい。
ツバの広いハットを被り、土ぼこりを被って汚れたモスグリーンのコートを羽織っている。コートの下は動きやすさを重視してか、長袖と分厚いロングパンツで、ブーツも厚い革製の物だ。
焚火に照らされて、ハットの下の銀の髪がうっすらと輝く。タヌライと同じ色の髪が冷たい風に揺れると、ぶるりと寒さに体を震わせた。金の瞳が、仄かに揺れる。
「せっかくだ。クレバシさん、貴女も少し休まれていってはどうだ? ほら、魚も良い具合に焼けてるぞ」
「さかな……い、いえ! これ以上、見ず知らずの人にご迷惑をお掛けするわけには……」
「でもお姉ちゃん、ドワユだよ。美味しいよ。ほら、僕も頂いたし」
「うわぁぁあ! あ、あんた……どんだけ食べてんのよ! 遠慮ってものがないの!?」
「……さすがに今回は限界だったし」
「それ、お兄さんの夕飯でしょうが! す、すみません。不詳のいも……弟に代わりまして、姉のわたくしが謝罪を……少しばかりですが手持ちもありますので」
「いやいや、構いませんよ。元々、予定よりは獲り過ぎた魚です。きっと神が貴女達の訪れを予見して俺に与えたのでしょう。なら、これは貴女達の分だ」
「し、しかしですね……」
「ほらぁ。食べて良いって」
「あんたねぇ……」
口では遠慮をするが、クレバシのお腹もまた、ぐぅ、と大きな音を立てた。恥ずかし気に腹を抑える彼女に、リョウはくつくつと笑いを押し殺して顔色を伺う。タヌライが三日も何も食べていないと言っていたのだ。それは彼女とて同じだろう。
「それに、そろそろ冷え込む。戻るにしても体を温めて動けるようにしてからのほうが良い。無理して倒れるより、その方が得策だと思いますが?」
「……んんんー」
数舜、腕を組んで悩む。
彼女の中で冒険者としての矜持、体力の限界、人としての誠実さ、この場を離れることへのリスク。その他諸々が脳内を駆け巡っているのだろう。とは言え、彼女の表情を見るに答えはどうしても一つの方向にしか向かないのは見て取れる。
本人たちに自覚があるかわからないが、顔色が悪い。はっきり言えば土気色だ。タヌライが現れた時もそうだったが、二人は極限状態である。目の下に浮かぶ隈は何日も満足に眠れていない証拠だ、薄紫の唇は気温の寒さだけではない。食料を得られないことで体内の温度調整が著しく狂っているのだ。
いつ倒れてもおかしくはないし、これを見過ごすのも気が引ける。何よりリョウ自身、こういった状態に陥った時、過去幾度も他の冒険者たちの情けに助けられてきたのだ。
ならば情けは人の為ならず。
かつての恩は、今の冒険者たちに報いるべきである。
「……わかりました。正直言って、あたしも戻れるか自信がありません。少しばかり腰を下ろさせていただきます」
「ああ。その方が良い」
少し待って、ようやく折れた。
リョウは予備の杯をもう一つ取り出して、彼女のために水を入れて歓迎の意思を伝える。クレバシもまたその杯を受け取ることで受諾の意思を見せた。
彼女は責任感が強いタイプなのだろう。極力自分たちのことは自分たちで何とかしようという気概が見て取れる。しかし現実も見えているタイプの様で、これほど疲労の色を浮かべていても冷静さは残っている。
矜持と本能のバランスを、ちょうど良いバランスで保っている女だ。この手のタイプの冒険者はとてもしぶといと相場が決まっている。
こんな山の中で巡り合うには勿体ない相手に、リョウは気を良くしてもう一杯、酒を注いだ。
「……? ……っ! ぁ、ぁぁあ……あぁぁあっ!!?」
「——っ!?」
突如、クレバシが発狂したことに、リョウは飲む手を止めて瞬間的に剣を握り、辺りを探った。
音は何もない。自然の中を揺蕩う、風と川と葉の音だけだ。獣臭もなく、野盗や何かの類の足音も聞こえなければ、エレメント系や飛行系の魔物の気配さえない。
なんだ。
敵の襲来かと備えながら、目線でクレバシに探りを入れる。彼女は何を見た。その視線の先に答えが——いや待て。彼女の視線はリョウへ向いている。いや違う。よく見ろ。あの目が映している先は……酒瓶?
「は?」
と、思わず声が漏れるのも無理は無かろう。いきなり奇声を発したから何者かの急襲かと思って警戒したのに、剣を置いて酒瓶を持ち上げれば、クレバシの目が完全にそれを追い掛けている。タヌライは、驚きのあまり魚の身が喉に詰まったのか、胸を叩いて大暴れしている。可哀想なので水を杯に継ぎ足して渡してやったら、ごくごくと飲み始めた。ぷはぁ、と大きな溜め息を吐いて無事飲み込めたらしい。
「そ、そそそ、それは……そのお酒は!?」
「あぁ、これか?」
「ガタラ銘酒コンペ会場で、来場者にのみ配られたという記念酒『ザルバド』!」
「……知ってるのか?」
「知ってるも何も。酒好きで知らぬものはいないとまで謳われた幻の名酒! 入場には一定以上の地位を持ったうえで安くない入金が必要になり、その上で! その上で! 抽選に投票してようやく入場できる高いハードルを乗り越えた者だけが手に出来る一品! その味は至高とまで噂され、こいつを巡って血みどろの争いと、転売カスどもがゴキブリの如く群がったという、まさに、まさに、真の酒好きならば一度は味わいたいと言わしめたウィスキー!! な、なぜそんなものが、ここに!?」
「詳しいなー」
熱弁し出したクレバシに、リョウは少し困惑気味だ。君の姉はこういう人なのか? という意味を込めてタヌライに目を向けると、彼女は6本目の魚に向けて手を伸ばしていてこっちを見ようともしない。どうやら、珍しいことではないらしい。
「………っ!」
ごくり、と。とてつもなくでかい生唾を飲む音が響いた。微かに口の端からよだれが垂れている。
「……飲むかい?」
「いいのぉ!? いただきます!」
この反応、さっき見たなぁと、思わずタヌライを見てしまう。彼女は幸せそうに魚に被りついていた。
〇
「う、う、う……うまーい!」
感極まれりとはこのことか。
リョウはウィスキーを注いでやると、クレバシは一口含み、ゆっくりと嚥下した後、涙を浮かべて絶叫した。
「……これは、美味しい。余計な言葉なんか要らないわ……転売カスどもマジ死ねや」
「君のお姉さんだいぶ面白い人だな」
「でしょー?」
二口、三口……ゆっくりと味わうように、杯を回しながら琥珀色の液体を眺め、飲み、ブルリと身体を震わせて味わう。これは相当な酒好きのようだ。
「生きててよかったぁ……」
「まぁ、そこまで喜んでもらえたら、この酒を譲ってくれたやつも満足してるよ」
「んふふふふー」
上機嫌にも鼻歌を歌いながら、ウィスキーを片手に焼き魚を頬張る。そこにさっきまでこちらを警戒していた姿はなく、まるで少女のように——いや。この姿は酒場でよく見る酔っ払いたちのそれと同じ笑みである。
こく、こく……とゆっくりと味わい、ふぅ、と一息つき。数舜置いてから魚に被りつき、咀嚼した後にまたそれを酒で流す。もう何も言わなくても顔が満足であると訴えていた。飲ませた甲斐があるというものだ。とは言え、疲労の中に酒だけというのもあまりよろしくないので、彼女の分も水を用意しておいた。
「お姉ちゃん今日は静かに飲むね」
「うん? いつもは違うのか?」
「普段はね、馬鹿みたいにガバガバ飲むんだ。安酒ばっかりだし味なんてどうでもいいんだよ。僕はよくわかんないけど。あいてっ」
「余計な事言うんじゃないの!」
「うぅー……本当のことじゃないか」
頬を紅潮させているが、泥酔とは程遠い。決して度数が低い酒というわけではないのだが、ひょっとしたら彼女はなかなか酒に強いのかもしれない。となれば、まだまだ飲むだろう。クレバシの杯が空になったところを見計らって、次の分を注いでやる。一瞬遠慮しがちな表情を見せたが、注がれた酒を見ていると「えへぇ」とだらしなく頬を緩めて、すぐに飲み始めた。
「気持ちが良い飲みっぷりだな」
「いやー、ははは。お酒は大好きでして。あ、リョウさんも注ぎますよ」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
こうして旅先で誰かと杯を交わせることは幸せだ。明日は朽ち果てていてもおかしくない身である。この一瞬の出会いと、共に飲める幸せに浸るのも悪くはない。互いに注ぎ合った杯を打ち合わせて、少し遅れた乾杯をする。タヌライは少し羨ましそうにそれを眺めていた。
「いいな。わ……僕はお酒の味とかよくわかんないからさ」
「タヌも大人になったらわかるわよ……いやあんたは分からないかもね」
「もー。クレバシ!」
「あははは。良いのよ、お酒なんて無理に飲まなくても」
「そうそう。体質的に合わない人もいるし、無理に飲んだって気持ちが悪くなるだけだ」
「……なーんか、子ども扱いされてる感じだよ」
ぷくぅ、と頬を膨らませてタヌライは膝を抱えた。
彼女の手が次の魚に伸びないのが不思議だったが、なるほど。もう残り二本か。ほとんど自分が食べてしまったことに遠慮を持ったのだろう。ちらちらと姉の魚を見つめているが、クレバシもクレバシで空腹なのだから、当然二匹目の魚も口にした。ぽかりと空いた小さな口がなんだかおもしろい。
「あ、そうだった」
ふと、思い出す。
もう一品作っていたではないかと、リョウは大きめの枝で焚火の燃料を退ける。
「リョウさん、どうしたの?」
タヌライが不思議そうに小首を傾げる。リョウが灰と木材を退けた中にはこんもりとした土の山が出てきて、これが何だと言いたげにタヌライは訝しげだ。
「そろそろ出来上がってるはずだが」
がつん、がつん、と固くなった泥を叩いて割ると、中からは高温で包まれたハボの葉包みのウサギ肉が現れる。立ち込める濃厚な肉の香りが、タヌライから言葉を奪い、クレバシの目を引いた。
土の中から取り出した葉包みを、まずはタコ糸を切って、順番に葉を外す。どうやら中には土が入ることなく、良い感じに熱が通っている。火が通ったウサギ肉は胃を刺激する強烈に香ばしい匂いを発した。
「うわ、お肉だ……」
「しかも獲れたてのウサギ肉さ」
半身ずつに切り分けて、姉妹の分は別皿に取り、ナイフとフォークを取り出して二人に渡す。
「悪いが、予備のナイフとフォークは無くてな。十分に洗ってあるから清潔ではあるが、まぁ我慢してくれ」
「いただきます!」
こちらの遠慮も気にも留めない。さっそく食べようとしたタヌライをしかしクレバシが止め、「あんたは食べすぎるからあたしが切り分けるわよ」と制止させられる。タヌライは少し不満そうだ。
リョウも肉に被りつく。弾力が強いが、速めに内臓と血の処理もしたことで臭みなどは無く、塩と胡椒だけだが味はしっかりと付き、塩と胡椒の辛みが熱々の肉と絡み合い、口の中で強い刺激となって、噛めば噛むほどに肉汁と共に味わいを増す。
「ん、上出来だ」
旅の中で食べるには十分なご馳走である。隣を見れば姉妹もニコニコとした表情で肉を食べている。彼女らにも満足できる味だったらしい。二口目に被りつき、肉の脂が口の中に広がったところをウィスキーで流し込む。塩分とはまた違う、アルコールの辛みが咥内を駆け回り、胃の腑へと落ち、これは……幸せである。
「おいしいねぇ、お姉ちゃん!」
「そうね。ふふふふ」
誰かがいる食事時というのも久しぶりだ。これはこれで、良いものである。
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