ある姉妹との出会い

 街道を流れる風が幌を揺らし、車輪の音がごとごとと静かな山林に響く。馬と呼ぶにはあまりにも巨大な黒馬がたった一頭で大きな幌馬車を引き、手綱を握るオーガの男が馬を引きながら辺りを見回した。
 小川のせせらぎは心地よく山間を流れ、青々とした葉が樹枝から伸びる。辺りには動物の気配もなく、どうやら一息つくには申し分無さそうだ。
「ここならゆっくり休めそうだぜ。シーザー」
 仕留めたばかりの野ウサギを片手に、男は街道から反れて脇道の樹林の傍に馬車を止めて輪留めを掛け、馬具を外して愛馬を撫でた。旅を共にする愛馬も疲れたと言わんばかりに川辺に向かって水を飲みに向かう。その間に男は馬車の中からテントを取り出し、その場で組み立て始めた。
 街道の脇にあるこの川はドワーフ族が多く生息するこのドワチャッカ大陸の中でも比較的森林が多い山間部の合間を流れ、その道筋の先にはいくつもの集落や町が生まれた。ドワチャッカは水不足に悩むことも多いから、川に沿って下っていけばいずれは人が住むところに辿り着ける。
 男はそんな話を思い出しながら傍に合った平べったい大きな石を拾い、川の水に浸した。腰に付けたポーチからやや薄汚れた荒い麻布を取り出し、ごしごしと乱暴に擦り、石に付着した砂と汚れと、微かなぬめりを取り除く。
 そうして洗い終わった石をまな板代わりにして、男は山の中で仕留めた野ウサギを乗せた。頭と内臓は山の中に置いてきた。獲物をしとめた時、自然に少し返すのは旅人にとってのマナーである。
 着込んでいたジャケットを脱ぎ、腰に差していた長剣を外して地面に転がした。赤黒い肌の男は、ごつごつとした手でナイフを取り出すと四肢の関節にナイフを入れ、一本一本、切り落とす。後ろ足は腱が発達しているから頑丈だ。切れ込みを入れた後、軽く折るようにして足を外した。この足も、あとで自然に返すべきものである。
 そうして次は肛門の辺りに刃を入れ、皮と肉が広がるようにする。汚物は捕らえたときに内蔵ともども、既に取り外している。そうして後ろ足から手を付ける。内側からひっくり返すように皮を剥き、肉と密着している部分は慎重に刃を通し、どちらも傷つけないように引き剝がしていく。
 ウサギの皮もまた、生活用品として売り物になる。血の付いた部分はあとで洗い流し、なめして、後日商人に売る予定である。こうして小遣いを稼ぐ旅人は多く、このオーガ族の戦士、リョウ・ドラドもまたその一人だ。
 黒いシャツに血がつかないように血だまりを落とし、腿を落とす。子供の頃はこの腿がなかなか切り落とせず、涙目になりながらぐずぐずの肉塊になったうさぎを見つめたものだ。それはそれは不味かった。
 前足を落とす前に脂を落とし、肩甲骨を持ち上げてナイフを滑らせると、肉はするりと落ちる。合間の骨も骨も外しながら、今度は骨盤を落とす。鼻歌を鳴らしながらセルの部分を切り離し、フィレの余計な脂も切り捨てた。
「お。おかえり、シーザー。今飯作ってっから、これ食って待ってろよ」
 水を飲み終えた愛馬が戻ってきたので、馬車の中の小タルからリンゴを取り出して食べさせてやろうとするが、愛馬は疲れていたのだろうか、ごろりと横になる。痛くないのだろうか。
「なんだよ。先に寝るんか?」
 すぐにイビキをかき始める姿を見て、起きてから飯をやればいいかと思い直した。
 肉の解体が終わると一度川に漬けて内臓と血を洗い流し、清潔な布で肉を拭いて水気を取る。
 馬車の中に入れてある鞄から岩塩と胡椒がそれぞれ入った小瓶を取り出し、少しだけすり鉢に中身を出してすりこぎ棒でゴリゴリと潰す。すり潰した塩と胡椒を肉に塗りたくると、リョウは山の中にあるハボの葉を数枚ちぎった。
 ハボの木はドワチャッカの山間地帯に多く生息する植物だ。その葉は分厚くしなやかで、多量の水分を含んでいるからそのままでは着火剤には使い難い。しかし燃やす以外の使い方もあるのだ。
 リョウは茎を切り落として肉に葉を何枚も巻き付けた。隙間なくハボの葉を何重にも重ね、それをタコ糸でしっかりと縛る。そうすることによってウサギ肉の葉包みが出来上がった。
 あともう一息だ。
 グローブを外して手で土を掘り返す。ある程度小さな穴に出来たら掘り返した土を集め、今度は小川から水を汲んできて今度は掘り返した土に水を浴びせるのだ。ドワチャッカの土は他大陸と比べてもとりわけ粘度が高く、少し泥を捏ねているだけで程よくどろりとしてくる。
 それを葉に包んだ肉の上に被せるのだ。何度も何度もあちこちに泥を掛け、しっかりと形を整えて固める。これで隙間が出来てしまえば台無しになるので、リョウは念入りに泥を塗りつけた。
 水気を含んだ土の香りは、不思議といつも子供の頃を思い出す。師に連れられて世界中を渡り歩きながら、至る所で修行に励み、幾度もボロボロに打ちのめされた。毎日痛みに泣き喚きながら、それでも師は厳しかった。きっと甘やかせば育たないとわかっていたのだろう。お前は剣の才も武の才も無いと何度も言われ、それでも師は見捨てなかった。
 血まみれの手で土をこねくり回しながら何度も夕飯の準備をしたものだ。その時の記憶がぼんやりと蘇る。強くなることも、料理を美味しくすることも、生きることも、皆手間を惜しんではならぬと、ちゃんと準備が大事なのだと、それはもう何度も言いながら師は横でやり方を説明していた。
「こんなものでいいかな?」
 しっかりと整形して、土窯焼きの準備は完了だ。
 固めた泥を掘り返した穴に入れ、辺りに散らばっていた枯れ草や枯れ木をポイポイと放り投げていく。冬の時期はありがたい。木々に付いた葉や枝は水分を多量に含んでいるから着火剤とするには火の立ち上がりが悪い。しかし冬の時期は乾燥した葉や枝があちこちにポロポロ落ちているから着火剤に困らないのだ。
 葉を被せ、枝を組み立てるように重ね、準備が出来たら「メラ」と小さな火球を指先から飛ばす。火球はふわりと葉と枝の隙間に入り込むと、小さくぼぉ……っと灯り、しばらくすると煙がゆっくりと立ち込め、徐々にパチパチと音を立てて赤い炎を燻らせた。
 少しの間眺めながら、リョウはさらに枯れ枝を何度もくべる。火の勢いが増していくと、大きめの枝をどんどん入れて火が安定するようにした。土とハボの葉に守られながら高温で肉が熱されるのだ。
「よし、こんなもんか」
 焚火が安定する頃には夕日が傾き始めている。せっかく川辺にいるのだ、もう少し夕飯を欲張ってもいいだろう。
 リョウは腰を上げ、小川で手に付いた泥を洗い流した。そうして水面下を泳ぐ影をいくつも見つける。なかなか活きが良さそうだ。
 拳を水面に当てる。風揺られ、水流にゆられ、ふわりふわりとした冷たい感触が拳を伝う。清涼感のある川と、枯葉の匂いが混じり合ってどこか物悲しい香りが鼻孔を擽った。
「……はっ!」
 パァンッ! と、耳をつんざく甲高い音が水面を走った。しばらくして、ぷかりと魚が数匹、いや、十匹ほどが力なく浮き上がり、川に流されていく。水を伝う拳の衝撃波によって昏倒させられた魚たちが、今夜の獲物だったのだが。
「やべっ、獲りすぎたか」
 リョウの想定以上に数が多かった。
 慌てて川に入り、仕留めた獲物を捕りに行く。

 〇

 獲れた魚はドワユという、ドワチャッカ大陸に生息する川魚の一種だ。淡泊な身は食べやすく、生息域が広いため昔からドワーフ族に好まれている。本来であればもう少し冬が深まってからが一番おいしい時期ではあるが、今の時期でも十分に美味い。
 リョウは手早く下処理を済ませにかかる。
 お尻から切れ込みを入れて頭の方に滑らせ、腸とエラを指先ほじくり出す。川の水でざっと魚の中を洗えば終わりだ。そうして次は大きめの枝の樹皮をナイフで削り、先を尖らせて波のように魚をうねらせながら串打ちをしていく。
 思えばこの作業、とても嫌だった。
 リョウは不器用極まりなかったので、子供の頃はこの串打ちの際、魚を押さえつけていた手をうっかり串で刺してしまうことが何度もあったのだ。師が持っていた薬効の減りは今思えばだいぶ早かったのだろう。
 串打ちが終わればあとは塩を全体にまぶすだけだ。味付けが塩しかないので、少し多めにまぶしていく。
 焚火も随分と落ち着いてきた。火の回りをぐるりと囲むように魚を地面に突き刺し、炉端焼きの準備は完成である。あとは焦げないように回しながら火入れをしていくだけである。
「よぉし、一息つくか」
 食事の準備も終わった。この合間に、テントの中に分厚い獣の毛皮を数枚内向きに並べて、その上に大きめの毛布を敷いて地面からの痛みを和らげる。比較的砂利が少ないところを選んだとは言え、見えないところにある尖った石が寝ている間に食い込んで痛みで目を覚ますことがあるのは、冒険者ならば誰もが覚えのあることだろう。それを防ぐためには、こういう備えは必須と言える。
 掛け毛布も用意し、やることが終われば、あとはもう、朝が来るのを待つだけだ。太陽は既に赤みを帯びて西に傾き始めている。
 リョウは荷台の中から銅製の杯とウィスキーが詰まったボトルを取り出し、中に注いだ。
 こいつは、とある知り合いの商人から譲ってもらった希少な酒だ。なんでも大きな取引を結んだ際、相手方から贈られたのだという。しかし知り合いはリョウが酒好きということを覚えており、その酒を譲渡してくれたのだ。時々、彼から依頼を受けて希少品を探して旅をすることもある。その恩としては、なかなかに贅沢な物を用意しやがったと、リョウは苦笑した。これでは、次の難しい依頼も断れないではないか。
 琥珀色の酒が注がれると、アルコールの香りが広がり、その中に芳醇なバール樽の香りがする。バール樽と言えばガタラ酒造においてもメジャー中のメジャー樽だが、その中でもこれは特に香りが良い。
 リョウは酒が好きではあるが、酒造の知識にはそれほど富んではいない。酒場で飲んでいるとへべれけたちが面白いウンチクを語ってはくれるが、こちらも飲み漁っているのでその時は面白いと思っていても、朝になれば忘れてしまうのだ。
 だから今は、この香り深さと、鼻を突き抜ける複雑な味わい、舌の上で踊る辛みと、どっしりとしていながらもまろやかな存在感。それを味わうだけでいいではないか。
「………美味い」
 ふぅ、とため息を一つ。
 本当に美味いものを口に入れた時、人は余計な装飾をした言葉など出て来ない。ただただ美味い。それだけなのだ。
 二口目に口を付けようとして、ピクリと、尾が揺れた。
(……なんだ?)
 林の奥に、何かの気配を感じる。
 耳をすませば林の奥に足音が微かに聞こえる。足取りは軽やかだが、少し重い。それにこの歩き方と体重の乗せ方……女か。少し重めの足音なのは、こんな山奥だ。装備を整えている登山者か、はたまた冒険者か。
 どちらにせよ、野盗の類ではなさそうだ。そうであるにしては、歩き方にあまりにも慎重さがない。気配を隠す気はなく、一直線にこちらに向かっている。途中途中に聞こえる、ぎぃっ、ぎぃっ、という鈍い音は刃物の音……ナイフを何かにこすりつける音か? 微かに聞こえるパキッという音は恐らく樹皮を切りつける音か。なるほど、旅慣れている冒険者がよくやる動作だ。
 山の中や自然が深い場所を歩くとき、冒険者たちは自らが進んできた道を見失わないように木や、あるいは地面に目印をつけて歩く。この人物も、木々にナイフで目印をつけてこちらに向かってきているのだろう。
 となれば、街道から外れていた者が道を探しているのか。
 警戒する必要はあまり無さそうだと判断し、リョウは掴んでいた長剣を傍らに置き直した。襲撃をしてくる算段ならば、切り伏せてから問いただせばよい。
 二杯目を口にしながら徐々に近づいてくる足音のする方向に目を向けていると、のっそりとした人影が枝葉を腕で払いながら、林の中から現れた。
「うぅ、こっちから良いニオイが………あれ?」
 現れたのは少年——いや、少女だ。
 羽がついた大きなハットを被った少女。小さな体をマントとぶかっとした旅衣で覆って体格を誤魔化している、男装の少女だ。
「……………しゃかな」
 背には身の丈ほどもある大きな斧。とても振り回せるほどには見えないが、彼女が着込んだ服装と、手甲や脚甲についた傷がどれほどの修羅場を潜り抜けて来たかを物語っている。
 見目に反し、少女は十分な経験を積んだ冒険者であることは間違いなかった。
「……………」
「……………」
 だというのにだ。
 少女は山の中で出会った正体も分からぬ自分を気にするでもなく、炉端で焼いている魚にばかり目を向けている。輝かんばかりの翡翠の瞳は炎を映して黄金に輝き、口元からは涎が垂れている。ぐぅ、と大きな腹の音が鳴った。
「……えっと、食べるかい?」
「いいのぉ!? ありがとー!」
 二の句もなく、少女は隣に腰掛けるとグローブを投げ出し、斧を地面に投げ捨て、ハットを脇に置き串を掴んだ。大きく口を開けて満面の笑みで魚に被りつくと。銀色の髪がふわりと揺れ、口の中で咀嚼するほどに頬が元気に動く。
「んんー!!!!」
 と、一層エメラルドの瞳を煌めかせたかと思いきや、がつがつと乱暴に食べ始める。あまりにも食いつき方が良いものだから、リョウは思わず笑ってしまった。
「美味しいか?」
「おいひー! ありがとーおじさん!!」
「お、おじ……あぁ、うん」
 ニコニコと人に好かれやすいであろう笑みを浮かべる少女の言葉に、リョウは少し傷ついた。
 確かにリョウも三十手前の歳まで来た。だが現役で戦火の中にいるオーガ族の中では若い方だし、実際オーガ族は長年肉体が衰えづらい。
 しかし人間の少女から見れば自分はもうおじさんなのだろう。その現実を直視して、少しばかり胸が痛んだ。少女はそんなこと知ったことかと言わんばかりに、魚が骨身になるまで綺麗にがっついている。
「ぷはー。美味しかった! ありがとね、おじさん」
 丸々一本、綺麗に食べきった少女だが、その瞳は満腹には程遠いと雄弁に語っている。何せこんなでかい斧を扱っているのだ。恐らくは戦士系の近接戦闘を得意としているはず。ならば華奢に見えても服の下は十分に鍛え上げられているだろうし、ということは、間違いなくよく食べるはずだ。
「もう一本食うか?」
「いいのぉ!? いただきます!!」
 こちらの返事を待ちもしない。許可が出ると知るや、さらに次の魚に手を付けていく姿があまりに愛らしく、リョウは少女が魚を食べている間に自分の傍にあった魚を数本、彼女の前に刺してやった。

 〇

 4本目の魚を食べ終えたところで、ようやく少女の食欲は少し収まった。
「タヌライっていうんだ。よろしくね」
「俺はリョウ。タヌライ……くんは、冒険者か?」
「……。うん、まあね。僕は一応戦士だよ。お姉ちゃんと旅をしてるんだ。あと、たまに仲間が増えたりする」
「そうか」
 やはり、男装しているようだ。
 女性の二人旅ともなればやはり危険は多い。そうであれば彼女が男装をしていることに対して指摘するのも憚られる。オーガ族は生まれつき嗅覚が優れているから匂いだけで相手の性別がわかるのだが、それは言わない方が良いだろう。
 にやにやとしたいたずらっこの笑みを浮かべているが、こちらが気づいていないのがおかしいのだろうか。あちこちに飛び跳ねたくせっ毛が彼女の活発さと子供のような純粋さを表している様に見えた。
 ならばここは、彼女を男として扱うのが礼儀というものだ。
「随分と腹が減っていたんだね。見ていて気持ちの良い食いっぷりだ」
「たはは……ごめんねおじさん。三日くらい何も食べてなくて、ちょっとマジでやばくってさぁ……」
「あぁ、冒険者にはよくあることだな。俺も一人旅を始めて間もなかったときは何度も餓死しかけたよ」
「おじ……リョウ、さんも冒険者なんだ?」
「まあな。旅の戦士さ」
「ふーん……」
 タヌライは次の魚に手を付けながらリョウの剣を興味深そうに見る。その瞳の中には好奇心の光がある。それも当然と言えるだろう。冒険者といえば基本的には孤独の旅路だ。稀に他の冒険者と顔を合わすこともあれば両者の持つ情報の交換は娯楽であり、他人の武具や戦い方、生き方などは今後生死を左右するほどの宝である。
 彼女が刀剣類を得意とするかは分からないが、剣を得意とする者の得物がどんなものか気になるのも分かるというものだ。
「持ってみるか?」
「いいの?」
 魚の時とは打って変わって、今度は随分としおらしい。それもそうだ。冒険者にとって自身の愛用する武器は手足と同じであり、命と同義である。軽々しく他者に触らせることはない。
 けれどもリョウは愛剣を鞘から抜いて柄をタヌライの方に向けると、タヌライは魚を地面に刺し、おずおずといった様子で受け取り——。
「うぉっ?! お、おっも……!!」
「ほぉ」
 あわやというところで地面に落とすところを何とかこらえたが、タヌライの顔は真っ赤だ。腰に力を込めて何とか身体をゆっくりと起こし、両手で持った長剣をふらふらと身体を揺らして持ち上げる。
「な、な、な……なに、これ……!?」
「こいつは驚いた。正直言って持ち上げられるとは思ってなかったぞ」
「こ、これ……ッ選ばれ、し、者じゃない、とッ……振り回せ、ないぃ……でん、せつの……剣な、の……っっ!?」
「まさか。ガキの頃から愛用してる、ただくそ重くて頑丈なだけの剣さ」
「こども、の、頃か……らぁっ!? うそ、でしょ……こんな、の、振れる、わけが……ふんぬぅ……っ!」
「おー」
 言いながらタヌライは立ち上がり、ゆっくりながらもぶんぶんと剣を振り回す。リョウは素直に驚いた。この剣はオーガ族でも満足に扱うとなると、相当な鍛錬が必要になる。それを少女は一度だけで見事に振り回すことに成功したのだ。
「っは、はっ、ぅっ、はぁ、はぁッ……こんなの、よく振れるね」
 剣を下ろし、座り直して、タヌライはぜぇぜぇと息を吐いた。彼女の膂力が如何に優れているかわかる。あの斧は決して分不相応な武器ではないのだろう。一方タヌライは少しばかりショックを受けたのか、悔し気に剣へと目を下ろしている。もっと重い大剣も扱っていることは、彼女のプライドのためにも伏せておくべきだ。リョウは剣を鞘に納めた。
「リョウさん、こんなの使ってると腰壊すよ?」
「子供の頃に何度も痛めたさ」
「そりゃそうだよ!」
 タヌライはがぶり、と食べかけの魚に被りつきながら頬を膨らませる。
 そんな彼女に、リョウは荷台の中に置いていた銀塗りの小タルと杯を一つ取り出した。蛇口の付いたこのタルは、さる科学者の実験品である。旅の中でも安全な水を、というコンセプトで作られた試験品であり、リョウはこれの感想を寄越せと言われて押し付けられた。すっかり忘れていたが、ちょうどタイミングも良い。
 蛇口を捻ると、中からはキンキンに冷えた水が流れ出す。それを杯に入れてタヌライに渡すと、嬉しそうな顔でごくごくと飲み始めた。「おかわり!」という声も元気が良い。このタル、いつでも冷たい水を飲めるという触れ込みで胡散臭いと思っていたが、どうやら嘘偽りないらしい。タヌライの杯に水を注いでやると、彼女は何度でも気持ちよく飲み干した。
「しかし大したもんだよ。君は相当な怪力だな」
「だいぶ自信あったんだけど……へこみそうだ」
「これが持ち上げられるなら大半の武器は十分に……ん?」
「どうしたの、リョウさん? ……ん、足音?」
 タヌライと話していると、彼女が来た方向から足音が早足気味で鳴り続けていることに気づいた。足音の主はまっすぐこっちに向かってきている。心なしか、タヌライより少し重みのある足音だ。
「……あっ」
 と、タヌライが小さな声をこぼす。思い当たることがあるのか。タヌライに聞こうとしたその瞬間、ガサリ、と葉を蹴っ飛ばす音を立てて、怒声が飛び込んで来た。
「タヌ! タヌライ! いつまで放っつき歩いてんの!」
「ク、クレバシ……っ!」
「何時間待たせて……っ! あ、あら……?」
「……や、どうも」
「……どうも、こんばんは。えっと、どちら様でしょうか?」
「……タヌライ君、お知り合いかな?」
「……は、ははは……。お、お姉ちゃんのクレバシです。こっちはリョウさん。えっと、ご飯もらってました。ごめんなさい」
「そ、それはどうも。タヌライがご迷惑を……」
「いえいえ。こちらこそ勝手に申し訳なく……」
 タヌライの姉を名乗る女性。
クレバシの登場に怯えたタヌライは、リョウの後ろに隠れ姉の怒りが収まるのをうかがっていた。

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