勿怪面妖奇譚


当主は麻昼の前にしゃがみこんだ。
「あなた、私と共にきてくださる?」
「わ、たし……?」

「当主様が人間をどう使うつもりか知りませんが、そいつは臆病ですよ」
不機嫌な御影とは対照的に、化面屋は上気分だった。報酬目的で麻昼らの捜索に手を貸しただけだったが、思いもよらぬほど愉快なものが見れた。人の子は可哀想だが、この世で己の愉悦に勝るものなど、どこにも存在しないのだ。
「しかし女を手渡してよかったんですか? 当分は女の方が必要だと伺っていましたが」
料理店までの道中、化面屋は気絶した朝緋を抱えながら御影へ問いかけた。同じく気絶した朔夜を担いだ御影は舌打ちして答える。誰の元で商売やってるつもりだ、と。


別世界のような場所だと、麻昼は思った。
泣きじゃくり恐怖に怯えたせいで、頭がぼんやりする。瞼も少し重たい。それでもこの場所はあまりにも広大すぎて衝撃を与えるには十分だった。
「おかえりなさいませ、当主様」
屋敷の中は黒服の妖があちこちにいて、すれ違うたびに当主へ頭を下げている。映画のような光景に麻昼は置いていかれそうだった。
絢爛豪華な部屋。ふかふかの椅子に座り、久遠と名乗った当主は麻昼に様々なことを話して聞かせた。人々の言う妖世界とはこの街を示すこと、自分がこの街を統べる二代目当主であること。街には人食文化が存在すること。どれも今更驚くことではなかったし、久遠の優しげな雰囲気に麻昼は少しだけ絆され始めていた。
もしかするとこのひとは、御影のように危害を加える人ではないのかもしれない。話せば分かってくれる、お願いすれば、或いは。
「あなたを買ったのは、他でもありません。私は以前から人に興味があったんです」
「人、に……?」
そう尋ね返せば、久遠はにこりと笑って麻昼の手を取った。
「だからあなたを私の傍におきたいんです。うちでも人間は風当たりが強いので、面を被ってもらうことにはなりますが」
面という言葉に麻昼の肩がびくりと跳ねた。つい先ほどあんな目にあっておきながら、また面を被らなければならないのか。自分は騙されているんじゃないかと、緩み始めた緊張の糸が再び張りつめる。
こちらを。そう彼女から渡されたのは化面屋から受け取った梢と近しい、一つの面だった。
「面の名を橘。箔はつけませんからご安心ください」
麻昼が震える手で受け取れば、つけろと言わんばかりの視線が突き刺さる。面をつけるのは怖い。だが断ればどうなるか分からない。いつまで怖いことが続くのか、現実から目を逸らすように麻昼は目を瞑り面を被った。

久遠に手を引かれ、敷地の様々な場所を案内される。帰り道が知りたいでしょうと言われれば、もう振り払うことなど出来なかった。
「これが妖世界と人間界を繋ぐ扉です。秩序を守るため、通れるのは許可証と検査証を持つものだけです」
監査官や守人だろうか、顔を隠した妖が至る所に配属されている。今あの扉に飛び込もうとしても無駄に終わるだろうことは想像に容易かった。この部屋は自分を惑わす囮だ。麻昼は中の景色を覚えておこうと、必死に頭を働かせた。いつか朝緋と朔夜と再会した時に自分から動けるように。
「賢明な判断ですね、麻昼さん」
お利口に出来れば帰してあげる。それまでは逃がさない。久遠は一人笑みを浮かべ、再び麻昼の手を取った。

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