勿怪面妖奇譚


当主は朝緋の頬に触れた。
「あなた、私と共にきてくださる?」
「あたし……?」

「当主様が人間をどう使うつもりか知りませんが、そいつは気が強いですよ」
不機嫌な御影とは対照的に、化面屋は上気分だった。報酬目的で朝緋らの捜索に手を貸しただけだったが、思いもよらぬほど愉快なものが見れた。人の子は可哀想だが、この世で己の愉悦に勝るものなど、どこにも存在しないのだ。
「しかし女を手渡してよかったんですか? 当分は女の方が必要だと伺っていましたが」
料理店までの道中、化面屋は気絶した麻昼を抱えながら御影へ問いかけた。同じく気絶した朔夜を担いだ御影は舌打ちして答える。誰の元で商売やってるつもりだ、と。


柔らかな風が提灯の灯火を揺らすたび、街行くものの影が伸びていく。
久遠と名乗った女当主は、涙をこぼす朝緋に対して妖世界の多くを話して聞かせた。人々の間で語られる妖世界とはこの街を示すこと、自分がこの街を統べる二代目当主であること。街には人食文化が存在すること。
どれも都市伝説を面白半分で信じたのとは違う、信じざるを得ない現実の話。そして麻昼と朔夜を守れなかったこと、離れ離れになってしまったこと、現状自分だけ命拾いしていること、それら全てがのしかかって朝緋は押しつぶされそうだった。
「私は人を美味しいとは思わないけれど、大抵の妖は違います。ここは人食文化で発展した街ですからね」
久遠は変わらず優しい雰囲気で朝緋の隣を歩いている。それでも朝緋が逃げ出せなかったのは、今久遠の元を離れれば即座に殺されると感じていたからだ。例え久遠が手をかけなくとも、すれ違う妖の目は違う。今は隣に当主がいるから襲われない、ただそれだけの話だ。
「どうして、どうして止めないの?」
「その質問は、人食文化を、ということであっていますか?」
朝緋はこくりと頷いた。もうあの場所から、随分遠くまで来てしまっていた。
「では逆に聞きましょう。どうして人は牛や豚の肉を食べるのでしょう?」
「それは、だって当たり前だから……」
「ならば私たちもまた、それが当たり前だからですよ」
踏みしめた土の感触が変わって、朝緋はようやく景色を認識した。大通りから見た料理店の風貌とは違う、いかにも格式高い和風建築。広々とした庭のあちこちにも家が点在している、広大な敷地だった。
「人も妖も肉や魚、野菜といった命を食べている。それなら、どうして食べられることを拒絶できるというのでしょう」

「人は人というだけで許される。そんなこと、本当はあってはならないのです」
妖もまた然り、と久遠は付け加えた。朝緋はまだその言葉が忘れられないでいる。
いのちの食べ方を説かれたあの夜は、今も瞼を閉じれば鮮明に思い出せる。簡単に妖の手を取り街の空気に酔いしれ、恐怖と共に麻昼と朔夜と離れ離れになってしまったこと。久遠は優しくしてくれるけれど、いつ手の平を返すかは分からない。だから今は大人しく、彼女に与えられた面を被ってやり過ごすのだ。

powered by 小説執筆ツール「arei」