鳴かぬ蝶こそ身を焦がす
ささやかな八つ時の茶会を終えた後、食べ終えた食器を盆に載せて廊下を行く。蝶は新しい主人を認識しているらしく、たまに肩や頭に留まりながらずっと後を付いてきていた。そんな折、縁側に差し掛かった所で、一振りで腰掛けてのんびり茶を飲んでいる刀を見掛けた。鶯丸だ。夏は過ぎ、照り付けていた日差しは幾許か緩やかになり、風も涼しく心地良い。秋の訪れを感じる、絶好の日向ぼっこ日和だろう。
「ああ山姥切国広、いつものか。うちの兄弟が世話になっていてすまないな」
「構わない。俺が好きでやっていることだ」
以前は鶯丸も茶に誘っていたのだが、此方があの男に想いを寄せていることを気遣われたのか、今ではふたりきりにしておいてくれる。「お前になら任せられる」と、認められている証拠でもあるのだろう。正直、あの男の兄弟刀を味方に付けられたのは心強い。
「お前、それは……」
「ん? ……ああ、さっき貰ったんだ。大包平に」
肩に留まる蝶を見て、鶯丸は目を丸くしていた。普段あまり表情を変えることがない冷静な鶯丸が、珍しく心底驚いたような顔をしている。これをあの男から貰ったことがそんなに意外だったのかと事情を話せば、何を思ったのだろう鶯丸は腹を抱えて笑い始めた。
「な、なんだ? 何がそんなに可笑しいんだ?」
「あっはっは、いやぁすまん! まさかそこまでとは思わなくてな!」
「どういう意味だ?」
「あいつ、お前が可愛くてしょうがないらしい。それ、御守にでも入れておけと言っていなかったか?」
「確かに、言われたが……」
素直に答えれば、鶯丸は更に笑い出す。縁側に寝転がって腹まで抱え始める始末だ。なんなんだ。それにしても鶯丸から見ると、あの男には可愛いと思われているのか。よく知る身内目線なら、多分確実なのだろうが、そちらの方が意外だった。
まぁ小童扱いなど最早今更だ。
この際脈があるなら何と思われていようが構わないが……なんて思っていたら。
「何、自分の神使を付ける程度にはお前の身を強く案じている、ということだ。心配性な奴め」
掛けられた言葉に、耳を疑った。盆を取り落とし掛けて、寸でで堪える。
神使。この蝶は、あの男の正式な使わしめなのか。
「……そう、なのか?」
「俺にも鶯の神使はいる。古い刀なら大体扱えるだろうな。……まぁ、他所の神に使わすことなどまずないが。それこそ用途は虫除けだろう」
「虫除け……?」
「お前は名の通り変なものなど自分で斬れる刀だからなぁ、魔性に関してなら不要そうだが。それでも可愛いお前が他の刀や他所の神々に誑かされやしないか、心配でならんらしい。虫除けとはそういう意味さ」
嗚呼、そういうことか。
鶯丸が教えてくれたこの蝶の意味に、納得する。
受け取るばかりでは気に入らないと思われて当然だ、それはあの男が望んでいる関係ではない。
あの男は言葉の通り、最初から此方を対等な|刀《おとこ》として見てくれていたのだから。
「ああくそ、やっぱり敵わないな……」
「はは、年の功という奴だ」
「何でここまでしておいて応えてくれないんだ……!」
「そう心配するな。この調子ならあともう少し押してやれば、折れてくれるさ」
顔が熱い。
もう嬉しさと恥ずかしさで盆など持っていられなくなって、縁側に置いてしゃがみ込む。布が恋しい。
肩から離れた赤い蝶と共に、季節外れの桜の花弁が舞っている。
終
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