鳴かぬ蝶こそ身を焦がす
「いつも思うんだが」
「なんだ?」
「お前、俺の眷属にでもなりたいのか?」
真っ赤な髪をした美丈夫が、皿に盛り付けられた洋菓子をまじまじと見つめながら心底不思議そうな顔をして問う。本日のお八つは万屋街での買い出しついでにこっそり寄った菓子屋のショートケーキである。最近演練場でも話題になっている新しい店だ。とはいえ城に在る刀は大所帯過ぎて、全員分の土産などとても買えない。仮に此方の金銭面では問題なかったとしても、ついでに寄ったからなんていう急な注文など店側が困るに決まっている。こっそり買ってきたというのは、そういう理由だ。主の分と、兄弟二振りの分と、目の前の刀と一緒に食べる分。凝性で菓子を自作する刀もいれば、通販で取り寄せるなり己の様に万屋街まで買いに行くなりで各々好きなものを好きなように用意している。特に誰かにとがめられることはない。……まぁ、短刀達に見つかると絶対に俺たちの分は無いのかと冷やかされるからこっそり用意している訳なのだが。
それにしても、眷属。眷属とはこれ如何に。突拍子のない質問をされて、煎茶を注ぐ手が一瞬止まった。本当は紅茶を持ってくるつもりではあったのだ。脇差の兄弟に勧められたものの、どうにも美味く淹れられなくて泣く泣く断念したのだが。菓子についても燭台切や小豆、歌仙の様に細やかで凝った真似が出来ればいいのだが、無骨な己にはこれが限界というものだろう。かといって他者に頼むのも、違うと思ってしまう。この刀へのもてなしは、出来るだけ自分でやりたい。
眷属が従者という意味合いであれば、主である審神者に所有されている身の為どうあっても無理だ。親族、身内という意味であれば、「俺でよければ喜んで」と返すまでなのだが。
「どういう意味だ?」
「どうも何も、そのままだが。俺の眷属神にでもなりたいのかと」
「そういうつもりではないが……いや、それはそれで良いかもしれないな……」
「本当になりたいのかお前……」
残念、前者の意味合いだったようだ。本音で言えばそりゃあもう、前者の意味でもなれるものならなりたいに決まっている。眷属神は主神に追随する神なのだから、基本はいつでも一緒にいられるだろう。心置きなく世話も出来る。所要で離れても会話だって出来る上、主神に喚び戻されればどこにいようが会いに行ける。何なら活動に必要な霊力全て、直々に工面してもらえる。陰陽師等の呪術師が扱う式神や西洋の魔術師や悪魔が扱う使い魔に近い。それが眷属神というものだ。長年想いを寄せ続けている男の眷属神になる、か。四六時中この美しい刀の傍に控えて世話が出来るというなら、喜んでさせてほしい。ましてや我が身をつくる霊力さえ、この刀に与えられて生かされる訳で。所有されて使われるという刀の二大欲求のど真ん中を貫く誘惑には、中々抗いがたい。……などとこの男の前で口を滑らせてしまえば、お前は|刀剣男士《神》としての本分を忘れたのか、矜持はないのかと怒られてしまいそうだ。
八百万から数えれば末端の低級と言えど、この身は独立した一己の神。審神者に仕える刀剣男士。ましてや主に合わせて、修行で調整まで施している。この身の全ては既に、主に捧げてしまっているのだ。主を差し置いて他の神に仕える、なんて我儘は流石に通せない。盛大にぐらつく心を叱咤し、軽く咳払いする。
「……魅力的な誘いだが、俺は主の為の刀だからな。口惜しいが、そこまでの期待には添えない」
「それは分かっている、別に誘ってもいない」
「そこは嘘でも誘っていると言って欲しかったんだが」
「冗談でも言うか。お前全力で乗っかってくるだろ」
「当たり前だろう、俺が何年あんたに片想いしてると思ってる! ……いつまで逃げる気だ」
片恋中の男は相変わらずあっけらかんとした受け答えをしてくる。最初こそ勇気を振り絞って想いを告げたのだが、「俺が欲しくば応じたくなる程度には口説いてみせろ、小童め」と言われてから告白を続けていく内にいつの間にか好意を口にすることに慣れてしまった。当初は本当に、餓鬼扱いで相手にもされていなかった訳だ。そんなこんなで出会ってから五年もの月日が経ってしまっていた。刀の身であれば五年など瞬きにも満たないが、今は人のような身体を得ている。生身の身体で体感する五年の歳月ともなれば、十分長い付き合いだ。
「俺は逃げても隠れてもいないぞ? こうして茶の誘いにも乗ってやっている」
「逃げてるだろう。俺の気持ちなんかとうに知ってる癖に、のらりくらりと……」
「ふん。俺が応じる程には至っていない、それだけだ。未熟者め」
「くそ……ちょっとも絆されてくれないのか……」
「悔しかったら土産ではなく俺が負けたと思えるくらいの口説き文句を持ってくるんだな。その為の機会なら、いくらでもくれてやろう」
腹立たしいが、見透かされている。好意を伝えるばかりでは、流されてくれない。しかしてどうにも上手く口説けないから、こうして土産を持参して茶に誘っているというのに。やっぱり写しだからなのか。本歌の長義であれば想いびとを口説くことさえそつなくこなしてしまうのだろうか。布を被っていた頃に戻ってしまいそうだ。さくりとフォークを差し込んで土産のケーキに舌鼓を打つ美丈夫を、恨めしく睨みながら自分もケーキを口にする。土産ではなく口説き落とせと言う割に土産もしっかり受け取るのだから、全く調子のいい刀だ。出自が出自なだけあって、所作まで上品で美しいのが余計腹が立つ。それでも美味いな、と顔を綻ばせる男を目の当たりにしてしまうと、もうどうでもよくなってしまうから困る。落としたいのは勿論本心だが、その喜ぶ顔も見たくて茶に誘っているのだ。土産の菓子を餌に誘うお茶会は、やめられそうにない。
当初は「貴様」と呼ばれていたが、「お前」と呼ばれるようになっただけ全く脈が無い訳ではないのだろう。進展……していると、思いたい。しかしこうも鳴かず飛ばずだと流石に歯痒い。
「それで。……何で俺が眷属なんだ?」
「お前、万屋街だの遠征だの行く度にこうして土産を寄越してくるだろう。そもそも俺とは別段関わりもないというのに構いに来る。貢物や供物のつもりなのかと思っていた」
「成程、あんたにはそんな風に見えてたのか」
流石は池田家伝来秘蔵の宝剣だ。本尊はまともになにかを斬ったことさえない生ぶのままという、筋金入りのお坊ちゃんである。此方としては周囲の刀が親密な相手に対して手土産を渡していることが多かった為、それに倣っただけなのだが……これはかなり人間寄りの感覚だったらしい。そういえばこの刀、池田家にあった頃は年中行事として毎年具足始の儀式を勤めていたのだとか。祀られることが板に付き過ぎて、儀仗気質が全く抜けていないようだ。
作刀から殆ど姿が変わらないまま時代を超えて大切に残され続けてきたが故に、この男は国宝となった訳だが……人に近い身体を得ても儀仗気質が抜けないのはそういう箱入り息子のような扱いからも来ているのだろう。戦士としての役割を求められて顕現した今は活発な気性で戦闘も十全にこなすが、本来はもっと淑やかな気性をしているのかもしれない。
「気にしないでくれ。俺があんたを好きだからやっていることだし、あんたが美味そうに食っている所を見るのが好きなだけだ。他意はない」
「それが供物を奉げられているように見えると言っている。……お前、他所の神にそれやったら間違いなく勘違いされるぞ?」
「それも問題ない。主と兄弟以外に土産を買う相手なんて、あんたくらいだからな」
確かに男の言う通り、自ら繋がりを持たない限り何の関わり合いもない。この城の刀達は何かしら接点のある者同士でつるむ傾向にある。しかしそんな中で、我が身と男に共通する項目など殆ど無いと言っていい。刀種が違うのは当然のこと、つくられた年代も離れていれば、刀派も異なる。鍛法も彼方は備前伝、此方は相州伝。前の主も違えば、本尊の保管場所だって遠く離れている。この男が顕現したての頃こそ補佐役として共に戦っていたが、今は練度の基底が異なるため同じ部隊に配属されることもなくなった。内番だって、殆ど一緒にならない。
それでも。
何の共通点もなくても、どうしてもこの男と共に在りたいと思ってしまう理由がある。焦がれてしまった始まりの理由は、出会った時点で「烏滸がましいが、自分に似ている」などと思ってしまったからだった。刀工を代表する傑作としての誇りなら、自分にもある。しかして写しという言葉本来の意味を多くの人間たちにより履き違えられ、長らく刀としての正当な評価を受けられなかった悔しさがある。逸話という拠り所が乏しく、日本刀の最高傑作と称されながら天下五剣には選ばれなかったが故の口惜しさを抱えているこの男と、少しばかり境遇が似ている……なんて思ってしまっていたのだ。修行を終えた今では似ているどころかまるで異なる性質だったということに気付いてしまい、烏滸がましいにも程があろうと落ち込みもしたのだが。
けれど初めに抱いた強い憧憬と恋慕は、今も変わらず胸に在る。心を腐らせることなく前を見据え、必ずこの境遇を超えてみせると男は真摯に研鑽を積む。人に愛されたが故に自由に動ける肉体を得たこの男だが、それさえ己が最も美しい剣であることを証明する為の手段に過ぎない。しかしてそれは単なる誇示ではなく、結局のところ己が唯一無二の傑作であることを強く信じて必死に守り続けた人間たちに報いる為だ。その美しさの証明は、人間たちが掛けた心は真実であったという証明になる。だから男はどれだけ血と泥に塗れようが立ち上がり、戦い続ける。見目の美しさのみではない、その清廉な心の美しさに、焦がれてやまないのだ。昔はどうにかしてその気高い心に近づきたかった。誰に何と言われようとも堂々と胸を張るこの男の様に、なりたかった。けれど今は違う。称号に囚われ、いつかどこかで崩れてしまいそうな危うさを纏う、この男を支えるものの一つになりたい。この男に、肩書きなんか最初から要らないのだから。
「……はぁ、これだから餓鬼なんだお前は。そんな調子ではまだまだ応えてやれんな」
「何故だ……!?」
「献身は結構だが受け取るだけでは此方がつまらん。お前、もうちょっと隙を見せろ」
「隙……?」
「餓鬼は餓鬼らしくたまには見返りを求めろ、と言っているんだ。そら、手を出せ」
釈然としないまま、渋々掌を差し出した。正直見返りなら菓子を食べている時の嬉しそうな顔で事足りるのだが、多分そういう意味ではないのだろう。しかし他に見当もつかないのだから、全く他者の感情に鈍い頭が嫌になる。
長く美しい指と一回り近く大きな掌が甲を支え、どきりと心の臓が跳ね上がった。これだけでどうしようもなく喜んでしまうのだから、まるで己が生娘のようで気恥ずかしい。掌にふぅ、と息を吹きかけられる。きらきらと赤い光の粒が散ったかと思えば、玉の様に収束する。やがて翅を広げた、小さな赤く光る蝶を形作った。
「それはお前にやる。好きに使え」
掌の上で、蝶がゆっくりと翅を動かしている。本物の如きそれは、この男の霊力の断片なのだろうか。前触れもなく掌を離れた蝶はひらひら、ふわふわと舞うように周囲を飛び回る。蝶に手を伸ばせばあっさり戻ってきて、指先にちょんと留まった。
「使えと言われてもな……俺はこういうものに疎い、使い方なんて分からないぞ」
「言伝くらいはこなせる。俺の霊力の塊だからな、御守にでも入れておけば有事の際には即時修復の足しにもなろう」
「勿体ない。その使い方だと無くなるだろう……」
「よく言う。お前、御守など一度も使ったことが無い癖に」
御守に入れろというのは、無茶をするなという忠告のつもりなのだろうか。実戦刀とはいえ、戦場で折れる気など毛頭ない。簡単には死んでやれないくらい、この城には大切なものが多過ぎる。しかしまぁ、長年の想い|刀《びと》から貰ったものだ。どんな思いが込められているにせよ、嬉しいことに変わりはない。肝に銘じておくに越したことはないだろう。
指先から離れてはまた留まるを繰り返す蝶はまるで戯れているかのようで、すっかり愛着が湧いてしまった。誘いには応じてくれる癖に中々捕まってはくれない、元の主のように気まぐれそうな蝶だ。男が言うような用途になど、とてもじゃないが使えない。
「お前が俺に寄越してくるその心は、俺にとっては信仰だ。ならば加護をやるのは、当然のことだろ?」
此方を見つめながら頬杖を突いてそう言った男は、穏やかで美しい笑みをしていた。
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