ハッピーフェイカー



 結論から言うと、朔夜の家に住まわせて貰ったのはたったの三日間だけだった。
 運命の分岐点であったファミレスの夜の翌日、就活には必須だろうとスマートフォン端末のシム契約を朔夜の名義でしてもらい電話番号と住所をものの一日にして手に入れ、早速近所のコンビニや清掃業社、引越し業者に営業マンなど求人サイトの上から順に応募していったのだが、一番折り返しの連絡が早かったのが「求む!新人ホスト!」の求人だった。
 一応、ホストと聞けばやはり見栄えを気にした方がいいのだろうとは思ったが、文無しには無論一張羅など無い。出来る限り精一杯身なりは整えつつも、正直予測能力に欠けているので受かるとも受からないとも何の気負いもないまま自然体で向かった先ではあっさり即雇用が決まった。瞬く間に入寮も決定した。ついでに給与面の相談もして、あれよあれよと話が決まり気が付けば明後日勤務開始という充分すぎる手土産でさすがに朔夜と朗二、両方の目を丸くさせることに成功した。
 肝心の職種を聞いた朔夜は最初こそ顔面で「こいつ本当に馬鹿なのか?」と物語っていたが朗二が嬉しそうにおめでとうと言うのを横目にして最後には仕方なさそうにガンバレと言ってくれた。
 ここ一年、生活に手一杯でろくに確かめもしなかったのも悪いが、思えばこの時点で既に大学は辞めさせられていたのだと思う。何はなくとも学校に行くという発想がなかったのは、学びたいことなんて本当は無かったし、もしかしたら自分で学費を払わなかったからなのかもしれない。
 そもそも、昔から二つ以上のことを両立して考えるのがとても苦手だった。だからこの頃にはもう、お母さんの振る舞いのことやどうしてあの家を出たのだったかなどほとんど忘れかけていた。
 自分の中心に今あるのはただひとつ。今日から自分はホストという仕事で稼いで生きていかなくてはならないのだから頑張ろうと、これだけだった。
「勿斗~♡今日は絶対ラスソンとろうね♡」
「うれし~! でも無理は禁物って綺羅さんが言ってましたぞい。今日勝つより美奈と毎日会いたい」
「美奈ちゃンちわす! ごめんちょっとだけ! 勿斗」
「……すぐ戻る~~。ちょっと行ってくるね、ごめんね」
「はーい大丈夫♡言われなくてもすぐ戻すから♡」
 とかくホスト業を死ぬ気でやっていく上で、順風満帆だったのは金回りだけだった。
 毎晩毎晩狂っているぐらい酒を飲んでお客の女の子と喋って遊んで抱いて寝る。どれだけ飲んでも吐いても次の日は来るので、今日は飲めないが通じる世界じゃまるで無い。世間一般の誰もが想像するホストあるあるなどそれこそ日常茶飯事で、路上で一ミリも記憶がない目覚めなど始めた当初はもはや毎日のルーティンだった。
 それでも、顔がいいからかノリがいいからか、はたまた誰にでも優しく出来るからか、入店から約半年でナンバー入り、そして一年を待たずして行われたバーイベにて初めての大台を売り上げていた。
 その頃になると、枕は悪いことじゃねえと開口一番で唆してくれたくそみたいな先輩と相部屋で使っていた会社の寮から出られるぐらいの金額は稼げていたし安定的に来店の見込みのある太客もついた。ここまで本当に夢中でやってきたので、自分にとっての及第点というか、何だかほっと気が緩むようなそんな時期に差し掛かっていた。
 いつものように営業後のアフター、ホテルから早朝出勤しているさなか朝焼けに照らされた汚い歌舞伎町の路上を見た瞬間本当に突然、朔夜から契約してもらった電話番号やファミレスでの奢り、三日間の生活の保障のことが目の前に蘇った。
 生活環境ががらりと変わったせいか、単に自分がアホなせいか、その時思い出すまで朔夜のことも朗二のことも、増してや他人の家を転々とした一年間のことなど本当にすっかり忘れてしまっていた。
 忘れることなんてある? とさすがに自分で自分に疑問を持ちながら昔の端末の存在について思い出そうとする。今は新しく契約した仕事用のスマートフォンしか使っていないので、恐らく寮のどこかに仕舞ってあるはず。充電なんてとっくの昔に切れているだろう。どころか、契約なんてそもそも切られているに違いない。
「…………」
 あんなに世話になったのに順調ですと連絡一つも出来ないなんて、本当ダメなやつだなあと一人ため息を吐いた。
 実際朔夜に借りた金は新宿までの交通費だけ。でも、三日分の食費と宿代として換算したならやぱりそれなりにかかっている。迷惑料とか感謝の気持ちとか、なんでもいいからお礼分と一緒に、今度の休みにちゃんと返しに行こうと思った。
 が、その時はちゃんと心からそう思ったのに、店についてまたアホ程飲んでお客とセックスして眠ったら、やっぱりどれもすっかり忘れてしまっていた。

 それからまた半年が経ち、朔夜のことは愚か、昔のスマートフォンを見つけることすら忘れてひたすら毎日ホスト業に明け暮れる日々の一環である日の暑い日中に太客の女の子と同伴している時だった。
 基本的に店外でお客の子二人きりでといるときには被りの客と会うのは極力回避しなければいけない。食事をするのもなるべく個室を選ぶし昼間から遊ぶ場合など場所に気を遣うのは必至。
 その日も、先輩から教えてもらった行きつけの隠れ家的レストランでご飯を食べようと店の前まではタクシーで向かった。
 最も、喋るのは好きなので、この仕事をしてから会話や雰囲気づくりで困ったことは一度もない。三階建てのビルの狭い階段を登ろうと女の子の手を握りふと上を見上げると”見慣れた男女”が踊り場のところで抱き合ってキスをしていた。
 因みにその頃が自分史上一番安定して多く稼げている時期で、エースは毎月締め日にラスソンを獲らせてくれるために来るし、他にも月に最低でも百万近く使ってくれる女の子が複数人いた。
 それでも、辛うじてナンバー入りをキープ出来ているぐらいの人気店の中ではすごく売れっ子で目立つというわけでもなし、自分で言うのもなんだが無理なく適度に稼げるいい位置にいると感じていた。
 容姿で目立つことが多くあった人生だったが、それが特に嬉しいとは思ってこなかった。競争思想や争い事が苦手だと思う節もあったしなるべく人間関係で角は立てたくないのが本音。
 だから、店ともキャスト同士ともうまくやってきた自信もあったし、増してや嫉妬ややっかみ事とは無縁だと自分ではそう思っていたのだけれど。
「…………」
「うそ」
 その衝撃的な光景には、さすがに驚いた様子の女の子の声が後ろからした。
「…………」
 数秒固まったままだったが、あまりにも突然の出来事にどうしたらいいか分からなくなって咄嗟に目を逸らし握っていた女の子の手を強引に引いてその場から立ち去った。結構乱暴にしてしまった自覚はあったが黙ってついてきてくれた女の子がぼそっと「爆弾初めて」と口にしたのが聞こえた。
 その夜、相部屋のパートナーで新人時代から良くしてくれていた先輩である綺羅さんは店には来なかった。十中八九、昼間のことが絡んでいるのだろうと察したが、何も言えなかった。
 だって、あの時綺羅さんと一緒にいた女の子は間違いなく自分のエースであるアスカだった。即ち、担当を変えないで担当以外と店外で会う「爆弾」というこの業界一番の御法度をどういう因果か直接目撃してしまったのだ。
 普通なら担当以外と店外デートしているアスカにぶち切れていいところだ。そして、どういう経緯があったのかは知らないが一緒に居たホストを糾弾するべき。
 でも、それがあの場で出来なかったのは常から二人の事が好きで信頼していたが故に裏切られたという紛れもない事実から自分の心を守ろうとしてパニックになったからだ。
 綺羅さんは確かにいつもいい加減だが、これまでずっといい人だと思ってきた。いろんなことを教えてくれたし勉強になったこともたくさんあった。アスカだって毎月毎月締め日に華を持たせにきてくれる綺麗な人だったし、出来る限りのサービスはし尽くしてきたという自負があった。
 別に二人が好き合っていることには何の感情も沸かない。それよりも、ホスト社会においての重大なルール違反が自分の身に絡んでいる出来事だと思うと、怒りというよりもショックの方が俄然大きかった。
 だって、綺羅さんが好きなら好きで仕方ないのだしどれだけ言いづらくとも担当を変えたらそれでいいだけの本当に簡単な話なのだ。その後であれば二人がどこで一緒に居ようと自分には関係のない話になる。
 勿論、担当を変えられたら基本的に困るのでキャスト側は必死になって日々それをさせないように努力している。でも、どんなに努力しても人の心の移ろいを止められないことはあるもの。
 二人だって分かっているはずなのに。
 気分的にはかなりへこんだので、営業をこなしつつ店に言うべきか悩んだ。二人はあれから店に来ていないしいつものことだが綺羅さんは寮にも帰ってこない。
 悩んだ末に、このまま店には黙っていようかと思っていた矢先、店のオーナーから綺羅さんの退店を知らされてしまった。
 聞けば、ここ最近指名数が伸び悩み売掛も容量オーバー、加えて本営していたエースに切られて売掛を全額負債していたとか。あるあるだが悲惨な話ではある。でも、そんな話今まで一ミリも知らなかった。
「あと、美沙ちゃんから爆弾の話聞いたんだけど、本当?」
「……いやあ、分かんないっす……びっくりして逃げちゃったんで……」
「はあ? おま……自分のエースにちょっかいかけられてる現場見て逃げたのお??? 腰抜けにも程があんだろ……」
「まあ……。だって、綺羅さんにもアスカさんにも裏切られるとは思ってなくて……なんかショックで……」
「か~~~。甘すぎ! エースに切られて余裕ってわけでもないくせにさ~~~。だからあと一歩でナンバーワンになれないんだよお前はさあ~~~っっ」
 とても核心的な意見だとは思うが、どうしても今は心に響かない。締め日明けで店も暇だし、初回もそれなり。指名はあったが細客で、こまめに卓を空けようとヘルプで他の卓を回りながらずっとそのことばかり考えていた。
 ふとスマートフォンを見ると、メッセージが数件きていた。
 なんとなく裏に入ってゆっくり眺めてみると、アスカから「今店行くから」と一言だけ送られてきていた。それはあの日から数えると二週間ぶりだった。
「…………」
 いい意味ではきっとないのだろうと流石に察する。勿論、飲みにきてくれたわけでも。
 複雑な気持ちでカウンターに顔を出すと、ちょうどのタイミングで上着のポケットに手を突っ込んだままの不機嫌そうなアスカが入口の階段を降りてきた。
「……アスカさん」
「ツケ、払いに来たの。これ綺羅の分」
「…………」
 バッグから分厚い封筒を五つ出してカウンターに置く。それを黙って横から見ていたが、次の瞬間アスカはこちらを向いてニコッと笑って一歩近寄った。
「これ、勿斗の分ね」
「……え」
 ギュッと鈍い音がした気がして目線を落とすと、小さなナイフの黒い柄が着ていた白のTシャツから突き出ていた。
「え」
「綺羅を嵌めたのはあんたでしょ? さっさと死ね」
「!?!? い、っ…………えっ、……えっ……?」
 柄まで深々と刺さっていたナイフを問答無用で腹から引き抜かれてその何とも言いようのない感覚に膝から力が抜けて崩れ落ちた。痛くもなんともないような気もするし、熱いような冷たいようなそんな気もする。でも、どの事実より一番納得がいかなかったのは一体全体、何で、どうして、俺が悪いことになっているんだ、ということだった。
「え待って……! なんで、俺はっ……」
「勿斗……!」
「はなせよ! ぶっころすぞ!」
「おさえて! 誰か来て!」
「まっ、てよ、アスカさんっ……俺悪くないでしょおっ……!?」
「さわんじゃねえよ! はなせ! はなせコラァ!」
「俺先輩も、アスカさんもっふたりとも大好きだったのにっ、なのに、なのにズルしたのはっ……」
「勿斗、血がすごいから、……誰か店クローズしてきてー!」
「なんで……? なんでですか……」
 頭の中はこんなに熱く興奮しているのに身体は冷たく痺れて徐々に動かせなくなってくる。男のスタッフにすぐに拘束されて罵詈雑言を喚き散らすアスカの声を聞きながら、なんでだよ、とようやく憤る。
 たった一つのルールすら守れないでズルして勝手に自滅したくせに、全てのはらいせに人を殺して鬱憤晴らし? なら憂さ晴らしして何が変わるのか。今日までの自分の生き方が変わるの?
 なんでもやっていいなら俺だってとっくの昔に死んでるよ。生まれてきたことになんて何の意味もないただのおもちゃなんだから。人生に意味も意義も感じない。必要とされない命なんてあってもなくても興味なんて無かった。
 でも、そんなお母さんの子供という枷から逃れて一人の人間として生きてみたいと思ったからには、いつか一つでも何か自分のものだと思えるものが出来たら、それを死ぬまで一生大事にしてあげたかった。醜くても眩くても重くても大変でもいいから、大好きで仕方ないほど、愛してみたいと思っていた。
 なのに、それを奪う権利は綺羅さんにもアスカさんにも誰にも無いでしょ。謝れ。俺の大事な人生を容易く軽んじたことを、誠心誠意。
 冷たい床に横たえられてゆっくりと薄れゆく意識の中でお前が死ね、くそ女、と息も絶え絶えに呟いた。

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