ハッピーフェイカー
幼い頃から源氏名みたいだと揶揄されたナイトという読みの名前。名は体を表すとは良く言ったもので、フランス人形みたいな白くて綺麗な肌と薄い色素、男の子というには華奢でやや発育に不安はあったが若い頃からクラブのホステスとして生きてきた美人の母親に連れられて街を歩けばたちまち誰もが振り返るような目立つ容姿を授かった。
でも、そんな見目の華やかな二人が帰るのは入り組んだ住宅街の奥にある狭くて汚いボロアパートだった。物心つく頃には既にお母さんの記憶しかなかったので、小学校の手前ぐらいまでは”お父さん”がいないのはどの家庭でも当たり前のことなのだと思っていた。
夜は押し入れで一人こっそりと寝るもの。お酒は飲むと気持ちよくなれるもの。部屋は常に清潔にしていて。風呂は少なくとも日に一度は必ず入ること。
女は男が好きで男も女が好き。なぜなら愛にセックスは不可欠だから。生きるためにはお金が要るからお母さんは昼も夜も帰って来ない。寂しいなんて言ってられない。お金がないと生きていけないのだから。
それから出来るだけ大人の言うことは聞くこと。そうしないと、
「勿、あいつが風呂入ってる間に酒と煙草買ってこい」
「……えー怒られるよ」
「俺が優しいうちによお。聞き分けないなら児相にぶちこむぞ」
「……お金は?」
瞬く間に世界の均衡が崩れることを知っていた。帰る場所、眠れる家、いけ好かなくともお母さんの大事な人。そう噛み締めながら放られた母の財布を持って夜のコンビニへ出向く。今は社会的に厳しくなったから明らかな未成年者には酒もたばこも売らないけれど、少し昔なら平気だった。平坦な暗い道を急がずにゆっくりと歩いた。
だって、この手の話の結末は大体いつも同じだった。
案の定、鍵をかけられて開かない玄関の前に座り込み、買ってきた菓子パンを頬張る。夜が明ける頃には開くだろうがこのドアの向こう側に常に充満する疎外感は自分にはどうしようもないものだった。どれほど惨めに思えたところで結局どこに行きようもない。何も持たない自分はここに帰るしかないし、ここにしか安心して眠れる場所はなかった。
都会の熱帯夜。この壁の薄いボロアパートは言わばケンネルだ。外灯にぶつかる蛾の鱗粉がはらはらと舞うのをみつめる。
「…………」
でももうとっくの昔に本当のことは全部分かっていた。優しいお母さんは週に一度だから優しいこと。中にいる男じゃない別の男と住む高層階のマンションがお母さんの本当の家であること。本当の暮らし。本当の人生。これも、知っていてもどうすることも出来なかった。
自分には、自分で稼いだお金が無かった。
「ナイ? ごめんね、暑かったよね。もうお母さん出るから、ご飯これで食べてね。家は綺麗にしてて。お風呂もちゃんと入るのよ。何かあったら電話してね」
「…………うん」
不満は山ほどあれどこうして柔らかくていい匂いの身体に抱きしめられると、一時的にすべてが麻痺してしまえたのは多分、お利口にしていたらいつかは自分もお母さんの本当の人生に混ぜてもらえるかもしれないことをずっと期待していたからなのだと思う。
テレビで流行りのネグレクトや虐待であるのならこんなに愛してもらえないはず。生活用品なんて補充されないしご飯もお金も貰えない。だから自分は、世間一般的に見ても親から結構大事にされている方なのだと、思っていたかったからなのだと思う。
(ハッピーフェイカー)
高校三年間では十一人の女の子と付き合った。見た目は最悪のボロ部屋でも、中を綺麗に掃除していれば普通に住めたし水道も電気もガスもちゃんと通じていたのでラブホ代わりには十分だった。
「親いないの楽だよ。金は置いてってくれるしさ」
「え~いいな~毎日外食?」
「別に自分の食う分ぐらい自分で作るけど」
「すご~、あたしも料理しよ~~」
誰とどれだけいても、そちら側の当たり前はいつも羨ましかった。一家団欒、兄弟喧嘩、親がうざいとか小遣いが少ないとかそういう話題を必死に普通の顔をしてやり過ごすのは多少なりとも辛かった。
お母さんがこの家に来るのは中学を卒業する少し前から月に一度になって、辛うじて生活費を渡しに寄ってくれているのだと思った。実を言うと、いつこの緩い支配関係が切られて路頭に迷うのだろうかとその頃から毎月ドキドキしていた。
中学に入った節目で月一なら、恐らく高校を卒業したらもうきっとお母さんがここに来ることはなくなるだろうと覚悟していた。生活能力がないから可愛い自分の子。別に庇うつもりはないのだけれど、責任感はある人だと思うのだ。きっと少なからず、愛情も。
「やだ勿斗! 服買いなさいって言ってるでしょ? いつまでも古い服着てないで。身なりには気を遣ってなさい。髪もトリートメントちゃんとして。月に一回は美容院行きなさいね。あたしの行きつけ紹介しようか? これ、肌に合わなかったらすぐやめて。使い方は動画たくさんあるから調べてみて、自分に合った使い方してね」
「……うん」
「歯磨きもちゃんとしてる? 見せて。煙草もいいけど、ヤニ汚れははやいうちからクリーニングしておくのよ。ついたら取れないんだから。病院の支払いはカード使って。やだ口内炎? ビタミン剤置いてくから。治るまでちゃんと飲むのよ」
「うん」
「もう。いい? あなたカッコいいんだから、自分の顔鏡でいつも見て、綺麗に努めてね」
うん。
大事にされていないわけじゃない。寧ろ余計な美容代や十分過ぎる生活費の金銭的な負担は大きいはずなのにそれは微塵も厭わない。大事でないはずがなかった。それなのに、一緒にいてはくれない。
そのジレンマが、心的負担が、自分にとって何よりどれほど重たかったことか。
どこに価値があるのか、何故大事にしながら側においてはくれないのか理解出来なくていつも心はひどく焦燥しカサカサに乾いていた。どうすれば今以上に気に入ってもらえるのかばかり考えた。どうすればあの本物の人生を与えて貰えるのかといつの間にか震えるほど欲しがっていた。
そのためだけに言いつけも守ってずっとお母さんの望むままの人形でいた十八年間。鬱憤は全て女の子に優しく甘くすることで得られる見返りで賄った。人を好きになるのは簡単。でも逆に嫌いになることはほとんどなかったので飽きたとか他の子が好きになったとか別れる理由はいつも相手側が持っていた。寂しいけれど男女の付き合いとはそういうものかとも思った。
だって、幼い頃にお母さんが連れてくる男と言えば大体いつも違う顔だったのも覚えているから。
しかし、結局どれだけお母さんにとってのいい子でいたつもりでもケンネルからは一向に抜け出せず、お母さんの本物の世界にはいつまで経っても加えてもらえないままだった。
十八歳も間近になるといよいよ焦燥は加速した。万一このまま卒業を迎えこの支配関係、親子関係から逃れて一人路頭に迷うのは絶対に嫌だ。悩んだ末にダメ元で大学に行きたいと電話で相談したらあっさり許諾されて、学費も全て出してくれることになった。
ボロアパートのケンネル暮らしはいとも簡単に継続し、高校を卒業しても変わらず月に一度生活費を入れ、身なりを整えろと干渉してくるお母さんが何を考えているのかは全く分からなかった。
だからある日、お母さんのバッグに盗聴器を仕掛けた。
高層マンションの部屋の中には入ったこともないし、どんな人とどんな暮らしをしているのかは知らなかった。
「ちょっと、こんな高いケア用品いらないでしょ。ブスが何つけても一緒よ。思春期なんだからニキビぐらい出るもんなの」
「もうほんっと、嫌になる顔ばっかりねあんたら。今から必死に整形代貯めておきなさいよ」
「あなたもう高校生になるんでしょ!? ケータイ代ぐらい自分で稼ぎなさいよ! なんでもかんでもたかろうとしてほんっと卑しいんだから、勘弁してよ!」
「うん、そう。そうだよ。あの時は勢いだもん。だってハヤトがいない歌舞伎町なんて……。今の旦那が水揚げしてくれたのには感謝するけど、劣勢の遺伝子強すぎて最悪の顔面が二人も生まれてほんともう地獄。ううん。ハヤトとの子供産んでるって知られたらそれはそれで面倒だし、あの子は観賞用に親のアパートで飼ってるだけ。え~? 犬より楽だよ。お金もあげた分でやりくりしてるみたいだし、構えってうるさくしないし。問題も起こさないし。何も言ってこないのが一番いいかな。人形みたいでほんと助かる。顔だけはホント最高なんだから。ハア、もうそんな前か……。あたしだってハヤトにあの時結婚なんてされなきゃ今頃こんなことなってなかったのにさあ」
どうせ、いつかこうなるということは薄々感づいていたのに、一人でいる時間が長かったせいか自分に都合のいい夢を見るのをなかなかやめられなかったのは認める。でも、中途半端にやめたところで、少し前の自分ならきっと何も出来なかった。
だって、今もこうしてお母さんのペットとしてボロアパートで自分を磨き続ける愚かな生活を続けてきたのは結局甘えでしかない。現状を一つも書き換えようとは努力しないでただ漫然と生きてきた自らの堕落の結末だと強く自覚していたから。
「……何で俺がお前に金貸さなきゃなんないわけ」
「言い訳はしない! お前が窮地の俺の目の前を通ったからっっっ…………! 頼む……! この通り…………!」
「知らねえわ。お前に貸すぐらいなら朗二にあげたいわ。ふざけんなよ」
「えっやっぱまだ二人でつるんでんの?? なかよし~~……!」
着の身着のままでケンネルを出てからは早一年。急にいなくなったらもしかしたら捜索願でも出されるのかと懸念していたが、やっぱりそんなことはなく後日こっそり覗きに行ったボロアパートの角部屋は空き室になっていた。一応書き置きはしてきた。
彼女と同棲します、と。
言いつつ、その時彼女はいなかったので嘘をついたことにはなるが、元彼女だった女の家を思いつくまま片っ端から転々としていたら、いつの間にか住所不定の連絡先不明という最悪の状態から抜け出せなくなってしまった。いざ稼ごうとしても住所不定では書類選考で落ちまくるし、本当に人の厚意でなんとか今日まで生き繋いできていた。
実際、一年もよく持ったと自分でも思う。所持金もないとなると住居として使っていいよなんて言ってくれるほど寛大な女の子など一人もいなく、少しの間ならとか早く仕事見つけなよとかいい顔をされない。短いと二週間、長くても三ヵ月程度が自分の面の皮の限界だった。
最後の当てだった女の子の家もなんやかんや一か月半程で出てしまい、結局行く当てもないまま新宿のガード下でぼんやりと途方に暮れていたところだった。
だからそんな時、この救世主(神に見えた)の嶋田朔夜が偶然目の前を通ったからには、なりふり構わず泣きつかないでいられる余裕などありはしなかった。
契約の切られたスマートフォンの電話帳をいくら漁っても、頼れそうな知り合いの番号なんて一個も入っていなかったから。
ともあれ、高校の卒業式以来なので約二年ぶりだろうか。咄嗟に声をかけたのに、すぐに気づいてくれてそれだけでも泣きそうになった。その必死の形相が功を奏したのか、ちょっと話そうと連れ込んだファミレスに朔夜は超渋々だったが何も聞かずについてきてくれた。
席に座った瞬間、訝しげな顔つきで「宗教もねずみ講も投資もやんないよ」と言われたがここは誠心誠意、単刀直入に、金を貸してくれと正直に頭を下げたというわけだ。冒頭に返る。
つい、なかよし~~とでかい声が出て、人が疎らな店内にこだました。
ウェイターが運んできてくれた水を無言で一口飲んだ朔夜が、チッと舌打ちをしたのでハっとする。
朔夜は昔から朗二の話題になると過敏に反応する。理由はないし今は全く関係ないが、その真意をついぞ真面目に確かめたことはなかった。勿論、機嫌を損ねるつもりはない。話を戻そうと慌ててかぶりをふる。
「いや、部屋! 部屋借りたいだけなんだって! マジで仕事見つかったら稼いですぐに返すからっおねがいっ……!」
「部屋借りたいってどんだけかかると思ってんだお前……てか家なくて今日までどうしてたわけ」
「……か……元カノ、とか……の家を……転々と……」
「まじかよ……このご時世にさすがに引くわ……」
「…………ゥ……」
「……」
そのまま黙ったので、ちらっと顔色を伺うと頬杖をついてじっとこちらを見つめていた朔夜と真正面から目が合った。
「結論言っていい? 金は貸さない」
「…………そ、こを……なんとか……」
「部屋借りられても仕事決まる保障がない。当ては?」
「ない、っないけど……、住所あることで信用されんなら俺なんでもやる、だから……」
「うーす。勿斗おつかれ。相変わらずチワワみて~な顔して。人生佳境なんだって?」
「……へ……」
突如テーブルの真横に立った背の高い男を見上げると、なぜだか頭をぽんと撫でられた。そのまま朔夜の隣にするっと納まった姿をまじまじと見つめる。
「朗……!?」
「腹減ったあ。とりあえず何か食おうぜ~」
「おつかれ。しゃーねーな。勿斗、これはつけとくからな」
「ファミレス久々なんだけど! なにくお~。今の限定メニューなんだろ?」
うきうきでテーブルいっぱいにメニューを広げてあれだこれだと一人で喋る朗二に呆気に取られていたが急に我に返る。のんきに飯を食っていい立場じゃ絶対なかった。再び小さくかぶりを振る。
「いや、いやいやいや……俺はいい……あの、何で朗二……」
「俺はもともとバイト終わりの朗と待ち合わせしてたんだっつの」
朔夜が不機嫌そうに鋭く呟く。
「……そ、そうなんだ……ごめん……」
「俺これにしよ。さくと勿斗は? てか金なら貸そうか俺」
「は? ダメだ。アホか」
一瞬で顔色が変わった朔夜を横目に見ながら朗二は別にいいじゃんと笑う。
「俺今困ってないし。偶然見かけたさくに声かけるぐらい”今”大変なんでしょ勿斗?」
「お前なあ……。てか、金あったって部屋借りれるかは別問題だから」
「部屋? 家なくなったの? じゃ俺ん家きなよ。俺と相部屋だけど……外よりはマシでしょ」
「はあああああ? ないでしょ、なんでそうなる」
「だってそしたら今日どこ行くの? 野宿? ホテル行ける金ぐらいはあるってこと?」
「知るか。自己責任だわ」
「そんなの可哀想じゃん。とりあえず今がどうにかなんなきゃ、落ち着いて明日のことも考えらんないもんだろ人間さあ」
「…………朗二くん? 君ちょっとこいつに甘すぎねえ?」
疑念を持たないであんまりよくしてくれようとする朗二の対応に、とうとうふんぞりかえって呆れた朔夜から鋭く指をさされていたたまれなくなる。
だが実際、その通りだとも思う。無条件に優しくされていいような立派な独立の大義も、失敗を慰めてもらえる権利もちょっともないのは自分で良く分かっていた。
バイトを見つけて多少なりとも金を用意してから犬小屋を出ても遅くなかったんじゃないか、 家族のよしみで最悪カードでキャッシュを多少、拝借してきてもよかったんじゃないか、勿論、返すのは大前提だけど、いやそれとも、事情を話して頼み込んだら何とか働けるところはある? ああ、考えれば考えるほどバカだな自分は本当に。
この一年、ぐるぐる頭の中だけでそう考えてはその場しのぎの現状にずっと甘えてきたのは事実。要は何も変わっていないのだ。だからさっき朔夜と会わなかったらどうしていたかなど、今ここでは見当もつかないのだからしょうがない。しょうもない人間。自分が一番よく分かっている。
すると、むっとした顔で立ち上がった朗二が急にとなりに来て無言で詰め寄ってくる。何事かとびっくりして固まっていたら横からがっちり頭を抱きこまれて若干パニックになった。正面で見ていた朔夜の眉間が恐ろしく寄るのを見て一気に全身が硬直する。
「っ……ろ、朗二、やめて……ころされるっ……」
「優しくしないんだったら最初から同情すんなよな。お前だってほっとけなかった癖にさ」
「あのね、犬猫じゃないんだよ朗二クン、仮に金貸したところでそいつがすぐに家見つけられて、稼ぎ口まで見つかる保障ないでしょお?」
「犬猫じゃねーよ、バカかお前。勿斗がなんでもするって言ってんだから、なんでもやれんだよ! 大体、マジで金ない時のほんとのクズが一回受け入れてくれた女の子のとこからわざわざ出て来たりしねーだろ。居づらいって遠慮出来る時点で本物のクズじゃないの勿斗は! もっかいやり直すチャンスあったっていいだろ!」
朗二の言い分が優しすぎてなんだか具合が悪くなってきた。不甲斐ないが久しぶりに優しくされて嬉しくて情けなくて涙が出そうになる。頑張りたいのはいつも本当。でも何においても限界まで頑張れないのは、自分に甘いダメな人間だから。分かっていても人はそううまく変われない。長い間曲がりなりにも与えられ続けてきただけの無駄な人生を身に染みて感じる。
「朗……ごめ、あの、朔夜ももういい……俺がわるか……」
堪えきれずにほろっと右の目の端から涙が零れた瞬間、朔夜がテーブルを拳で小さく叩いた。ゴン、と鈍い音がする。
「ああ~そおお~~~、いーよ別に好きにしたらあ? 俺はこいつがどうなろうと知ったこっちゃないし、金でも何でも貸せばいいじゃん。でも、世の中そんな甘くねーよって俺は言っとくからな!!」
音にびっくりしたのかぐっと腕の力が増した朗二が、朔夜の言いぐさを聞いて更に強く首元を締め上げてくる。聞いてはいないだろうが、軽くギブ、と零す。
「ぐ、う、し、まってる……ろおっ……」
「ふん、だったらおまえが世の中のいかほどを知ってんだよ!? 俺もお前も勿斗も、失敗する時は平等にするだろお! なんだよ、俺が来たからってツンケンしてさ。感じ悪い。どうせ家連れてく気だったくせにさ。馬鹿みてえ。とりあえず金のことはまた後でいいから、勿斗は今日から俺んち来る、それでいいよな!!」
「いやなんでもいいけどそれだけはダメだわ!!!」「いやなんでもいいけどそれだけは許してください……!!!」
「え!? 何で!?!?!?」
ぱっと朗二が手を離したすきに急いで窓際ギリギリまで引っ込むと、今度は正面から伸びてきた朔夜の手に胸倉をきつく掴まれた。
「うぐえっ……」
「おい勿斗クン、分かったわ、今日のところは良かったらおれんちにきなあ?」
「い、いい、もうい……」
「っせ、下手に路頭に迷ってたらまた隣のやべーのに掴まるよお、来いっつったら黙って来りゃいんだよ、返事ィ……」
「う、は、はい……」
何とか頷くと死ぬほど苛立った顔の朔夜が盛大に舌打ちをして手を離した。
高校時代の印象からすると、もっと建設的な話が出来る人だと思っていた、否、本来の朔夜ならきっと出来るのだろうがこの朗二という人間が一人絡んだだけで、行かなくてもいいとんでもない方向に話が一旦捻じれた気すらする。
変な汗を額から拭ってやっと横を見ると、当の朗二は頬をふくらませて不満げにしていた。
「……ちぇ。俺弟欲しかったから、弟にしようと思ったのに……」
「馬鹿かてめー。こんなん弟にしたら苦労しかしないんだから絶対やめろ」
「なんで。可愛いじゃんか勿斗。詰め甘いけど、いっぱしの苦労もちゃんとしてるもんね。俺は何があっても味方だからな、勿斗~」
「詰め甘いとかいうレベルじゃねんだよ。何も考えてないからこういうことになんの。稼ぎ口見つかってもしばらく俺が金回り管理するからなお前。俺から金借りて自由に生きれると思うなよ」
「ほら。結局自分が面倒みたかったんじゃん。ほんっと素直じゃね~。最初からそう言えばいいじゃん。なあ勿斗」
「うるさいわ! 誰のせいだよ!」
「………………はい……」
こうして、色んな意味でギリギリ難を逃れたものの、朗二に促されて口にしたミックスフライ定食を食みながらついつい今がどうにかなったことにほっとしてしまう自分がやはりいた。
でも、正面でじいっと睨んでくる朔夜と目が合う度に現状は特に昨日までと何も変わってはいないしどうにもなっていないのだということを顔圧で主張してきて今の自分の立場をまざまざと突きつけられた。
甘えてばかりではいられない。まずはお金、働き口。それから住居。ここで二人にどれほど迷惑をかけようとも、やれないからともう目は背けられない。
何が何でもやるしかないぞと、ここでやっと、ようやくそう決心できたようなものだった。
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