とびきりのめるてぃはーと・すいーとをどうぞ





「……はぁ」

 はてさて決戦の日、二月十四日である。国広はもうはちゃめちゃに不安な心持で、大包平の部屋の前に立っていた。なんせ湯煎に失敗したチョコは、チョコレートケーキにもガトーショコラにもリメイクさせてはもらえなかった。当たり前だ。なんせ湯煎に失敗したチョコに他の食材をあれこれ放り込んで全く別のお菓子にするということは、普通にチョコを溶かすよりも格段に難易度が上がるということだ。菓子作りに慣れた者にのみ許される、高等テクニックである。運良く食べられるものになればいいが、基本のきの字もないようなド素人が迂闊に手を出せば、大抵は更なる大惨事に発展する。千年早い、という奴である。
 それでも小豆からアドバイスを受け、監督してもらいながら湯煎に再挑戦。幸いにも取り返しがつかないレベルの分離には至っていなかったようで、自分の手でどうにか食べられる形にはできた。味見もした。舌にあまり自信はないが、違和感なく食べられるものにはなった、と思う。小豆にも兄弟にも味見をしてもらい、「これなら大丈夫、きっと喜んでくれるよ」と言ってもらえたから、問題はない……とも思う。が、元があの|暗黒物質《ダークマター》である。これを恋刀に渡すのは、多少どころか、物凄く気が引ける。どうせすぐ食べてもらうのだから当日は皿のまま持っていけばいいだろうと半ば自棄になっていたのだが、兄弟からはきつめに咎められた。贈り物である以上、ラッピングすべし、と。仕方なく電子端末から速達対応の備品通販サイトを開き、兄弟とラッピングの素材を選んでいたのだが……その内演練から帰ってきた燭台切や、伊達縁の刀達が集まり始め。

『やっぱりラッピングも格好良くしたいよね。シックな黒で統一してみたら……どうかな?』
『……それはお前の趣味だろう。渡すのは切国だ、当刃に選ばせてやれ』
『真っ赤なリボンとか付けてみたらカッコいいんじゃねぇか? 大包平って【赤】って感じだし!』
『黒と赤ねぇ……似たような色合いの刀も多いな! 加州に肥前に日向……大千鳥にも渡す気かい?』

 騒ぎを聞きつけた粟田口の短刀達が集まり。

『うーん……大包平の奴、形に拘るからなぁ。俺は袋じゃなくて、ちゃんとした箱のやつ選んだ方がいいと思うぜ?』
『ねー切国さんこのリボンどう? バレンタインにはぴったりのピンク色! 可愛いよ!』
『ええと、その、折角なら、切国さんの色も入れてみるとか、どうでしょう……?』

 果ては世話焼きな本歌までもが加わり。

『……このチョコを、態々箱に詰めるのかい? 見かけ倒……、流石に仰々しくないかな』
『なーに言ってんだよ。だからこそ、だっての!』
『ち、チョコに自信がないなら、その分飾り付けに力を入れるのも、ぃ、良いと思います……!』
『まぁ、確かに見た目も大事だけどね……』

 結果あーでもないこーでもないと四方八方から飛び交うお節介で喧しい声を聞く羽目になった。やっとの思いで選んだのは、紺の地にストライプ柄の化粧箱と、橙のリボン。……それから。

『チョコレートの出来はギリギリ。不可寄りの辛うじて良、と言った所だが。俺の写しであるからには、この程度の気概は見せなよ?』

 と、本歌から蒼碧のインクと万年筆を借りて一筆書き添えた、薄い黄色のメッセージカードも挟んである。これ、本歌の言う通り中身の出来が微妙な割に外身に気合いが入り過ぎてないか。しかもラッピングに選んだ素材の色合いは、普段己が纏っている服や装飾と全く同じである。確かに誰かが言った通り、黒と赤では恋刀の他にも似た色合いの刀が多い。それなら贈り主を連想させる色合いにした方が良い、という意見も、分かる。が、ここまで徹底して自分の配色を使っていると、まるで「自分だけを見ていて欲しい」と強く主張しているようでしぬほど恥ずかしい。けれど泣いても笑っても、結果は変わらない。当たって砕けろの精神で、箱を携えた国広は大包平の部屋の障子戸を開ける。

「大包平、邪魔をする」
「―――来たな。待ちかねたぞ、国広」

 自室で待っていた大包平は、軽装の衣に身を包んでいた。恋刀同士で過ごす時の、彼なりの礼儀らしい。このまま逢引にも連れ出せそうだが、今日の目的はあくまでもチョコの受け渡しである。……正直な所、下心の方が今は強い。それでもまずこの美しい|刀《ひと》と一日どうにかなれる許可が下りるかどうかは、チョコの評価次第だ。

「さて、見せてもらおうか」
「……っこれでいいんだろう! 受け取れ!」

 半ば押し付けるような形で、ぶっきらぼうに箱を突き出す。それを見た鋭い薄鈍色は、ほんの一瞬丸くなったかと思えば、うっそりと笑みの形に緩んだ。

「ふはは、いいぞ。俺の好みを熟知しているな」
「熟知、してはない。あんたにやるんだから、本当はあんたの色にしたかったんだが」
「お前に貰うなら、お前の色を使ってもらう方が断然好みだ。……謹んで受け取ろう」

 骨張った長く美しい指が、橙色のリボンをするりと解く。挟んだカードのメッセージはチョコを食べてから読むつもりなのか、裏返しで机に置いていた。大きな掌が、紺の箱の蓋を開く。心臓が、ばくばくと煩いくらいに早鐘を打つ。のどの渇きが酷くて、大包平に出してもらったお茶は一気に飲み干してしまった。一気飲みすることは想定済みだったらしく、少し温めの茶だったのが猶更恥ずかしい。大包平の指の先は、箱の中の少し歪な形のチョコの表面をゆっくりとなぞる。表面にまぶしたココアパウダーが、指の先に茶色の痕を付けた。

「ほう。些か不格好だが、トリュフチョコか。頑張ったな」
「……ッ」
「では……、ん、そうだな。折角だ」
 
 食べてくれるのかと思いきや、大包平の指はチョコを取らなかった。ココアパウダーが付いた指先をちろりと舐めると、なぜか開けた箱をそのまま差し出される。……返品、なのか。泣きたい。しかし同時に大包平は此方に向き直ると、徐にあ、と口を開く。

「……え」
「お前が作ったんだろう。食わせてくれ」
「ッ、はぁ!? 何故俺がッ」
「いいから、ほら早く」

 何を言い出すんだ、この男。菓子ぐらい自分で食べて欲しい。けれど図々しくも餌を待つ雛のように、素直に口を開いて待っている男を目の前にしては、なにもしない訳にもいかず。国広は仕方なく、溜息を吐いてチョコを指でつまむ。チョコの下に敷いた紙のカップが、かさ、と乾いた音を立てた。開いた唇から覗く赤い舌へ、不格好なチョコをそっと乗せる。

「……ッ、そら」

 国広の視線は、チョコを咥える大包平の口元へと向かっていた。一口に収まる大きさのチョコは、大包平の口の中へと包まれていく。ころ、と飴玉のようにチョコが歯にぶつかる音が聞こえる。かり、こり、と微かな音を立てながら、大包平はその切れ長の目を閉じてチョコをゆっくりと咀嚼していた。……ただチョコを、食べているだけだ。それだけなのに、小さく動く口元や時折唇を舐める仕草が、酷く艶めかしい。なんだか見てはいけないものを見せられてような、いたたまれなさを感じてしまう。いや違う、今注目しなければならないのは大包平からのチョコの評価であって、彼が食べている時の仕草ではなく。

「ど、どうだ。美味いか……?」
「ん? んー、味は普通だな。……ぅん? 僅かだが中の方は舌触りがざらつくな……お前これ、一度湯煎に失敗したか?」
「ッな!? なんで分かるんだ……!?」
「成程、だからトリュフか。料理が苦手なお前にしては随分洒落たものを作ってきたと思ったが……生クリームを混ぜてガナッシュに寄せたのは、小豆の入れ知恵だな? あれなら確かに温めて混ぜれば、分離したチョコを復活させることもできる。ココアパウダーは表面に上手く艶が出なかったから、まぶして誤魔化したという訳か」

 国広はこの男と交際を始めるまでに、あれこれと有名店の銘柄菓子を差し入れて貢いでいたのだが、物で釣るという過去の行いを若干後悔した。この坊ちゃんめ、舌肥え過ぎじゃないか。小豆に助けを求めたところからアドバイスの手順までしっかりバレている。こっちはトリュフがどうとか、ガナッシュが何なのかもよく分からんというのに。

「ふっはは、お前、湯煎雑だなぁ」
「うぐッ……」
「だが―――」

 嗚呼、駄目かもしれない。大包平は何故だかやたらにこにことご機嫌だが、やっぱり小豆や兄弟に無理を言ってでも、新しいチョコで一から作り直すべきだったのではないか。がっくりと肩を落とし項垂れていると、顎に手を添えられ上を向かされた。言葉を紡ぐよりも前に、美しい唇が降ってくる。仄かな、チョコの香ばしい匂い。ちゅ、という音で、軽く口を吸われたのを悟った。

「これがいい。俺はこれが食べたかった」
「は……?」
「ほら、手が止まっているぞ。次も食わせろ」
「っ……あ、あぁ」

 促され、慌ててチョコを手に取って大包平の口へと放り込む。
 小豆の言う通りだった。大包平は一度湯煎に失敗したことをたった一口で看破しながら、その後も喜んでチョコを食べてくれている。必死になってチョコを作っていた時に何度も抱いた、「これでいいのか」という漠然とした疑問が過ぎった。小豆にも言われた、「おいしいチョコが食べたい訳じゃない」の意味。普通のチョコなんて、どこにでも売っている。何も有名店でなくとも万屋街には菓子屋など沢山ある。直接店に行かなくても、通販サイトで頼めばすぐに届くだろう。そっちで選んだ方が、洗練された美味しい菓子に巡り合えるに違いない。それでも、国広のチョコでなければならない、理由。

「なぁ、大包平」
「なんだ。……んむ」
「なんでそんなに、俺の作ったチョコが食べたいんだ」
「もぐ……んっ、……まだ分からんのか、鈍い奴め」

 国広はチョコを大包平の口の中に放り込みながら、問う。行儀よく咀嚼したチョコをこくりと飲み込んでから発したその声は、呆れ交じりの色をしていた。

「歌仙や燭台切の味付けは美味い。お前も好きだろう」
「……? そうだな。何を食べても美味いし、好きだぞ」
「ではお前の兄弟達が作る料理はどうだ」
「飾り気こそ少ないが、兄弟の飯だって美味い。歌仙や燭台切には負けていないと、俺は思う。勿論好きだ」
「そうか。ならばお前は、それが|他《・》|所《・》|の《・》|本《・》|丸《・》に行った際に同じ刀から出された料理だとしても、全く同じように『好きだ』と思うか?」
「……あ」

 ―――そうか、そういうことか。
 付喪神の癖に、とんだ鈍い|刀《おとこ》で情けない。付喪神でありながら肉体を得た刀剣男士は、料理と想い、そのどちらもを味わうことが出来る。他所の本丸に行く、ということは客分としてもてなされるということなのだから、味が美味いのは当然だろう。けれどそれは、あくまでも客分としての扱いだ。同じ刀と言えど、此方は部外者。日頃共に戦っている、命を預け合う同胞たちとは違う。訪れた客をもてなす為の料理と、普段何気なく用意する仲間の為の料理。そこに込められている、想いの|色《あじ》が異なるのだ。そしてそれはどちらが良いか、どちらが優れているかという話ではない。

「俺たち付喪神は、人間の想いが長い年月を掛けて器物に積み重なっていくことで生まれる。調子のいいほら話であれ勇ましい逸話であれ、積み上げられた人の想いが俺達の物語となり、付喪神で在り続ける為の糧となる。如何なるものであろうとも、込められた想いには敏感だ」

 刀剣男士は毎日の食事と共に、料理に重ねられた作り手の『想い』も糧にしている。小豆が言っていたのは、国広がこのチョコに込めた心のことだったのか。だから渡すのは、湯煎に失敗したチョコで良かった。……否、一度失敗して諦めかけて、それでもどうにか取り繕ってやっとの想いで作り上げた、不格好なこのチョコが一番良かったのだ。

「随分苦労したんだな、口に入れて噛むと真っ先に強い苦みが来る。不安だったか?」
「ッ……あんたに喜んでもらえないかもしれないと考えたら、怖かった」
「僅かな渋みは、俺の要求に対する困惑と不満か」
「あんたの為とはいえ、『何で俺がこんなことしなくちゃいけないんだ』とは、正直思った」
「それでも後から甘みはしっかり主張してくる。後味の甘さが舌に纏わりついて離れん。少しの酸味は、返礼への期待か。お前は俺が好きで好きでしょうがないらしい」
「当たり前だろ。返礼が魅力的だったのは認める。喜んでもらえたら、あんたを独り占めにできるという下心も、大いにある。でも……あんたが、俺の作ったチョコが食べたいと言ってくれたから」
「お前、俺に尽くすのが大好きだもんなぁ?」
「―――嗚呼、そうだ。だから俺はきっと……とても、嬉しかったんだ」

 込めた想いを取り零すことなく、大包平は全て拾い上げて、丁寧に大切に味わってくれる。自分では気付かなかった気持ちすら、チョコを通して汲み取ってくれている。どんな出来になろうとも必ず|感情《こころ》を込めて作ってくれると、信じてくれていたのか。それにしたって自分の抱いた感情すら今の今まで分からなかったなんて、鈍い恋刀で申し訳ない限りだ。箱の中のチョコは、あと一つしか残っていない。自分で食べている訳ではないのに、名残惜しく思ってしまう。こんなに喜んで食べてくれるなら、不器用な出来でももっとたくさん作ってやればよかった。最後の一つを摘まんで、大包平の舌に乗せる。彼も名残惜しいと思ってくれていたようだ。今度は極力噛まずに、ゆっくりと口の中で溶かし、時間を掛けて味わってくれた。国広の手を取り、指先に纏わり付いたココアパウダーと体温で少し溶けたチョコを、綺麗に舌で舐め取って。

「ッ、おい、大包平っ」
「ん……? ふふ」

 お陰ですっかり忘れていた鼓動の高鳴りが、ぶり返してしまった。知らず、こくりと生唾が喉を通る。指を咥えたままの唇から、微かな笑みが漏れていた。いつもの露骨な誘惑か、この確信犯め。大包平はちゅう、と音を立てて国広の指を強く吸うと、漸く口を離す。

「馳走になった。こんなに美味なチョコレイトを食ったのは初めてだ」
「ッ、それなら」
「文句なしの出来栄えだ。むしろ期待以上だな」 

 此方に向き直った大包平だったが、ふとその視線は、机の上に裏返しのまま置かれていたメッセージカードへと逸れた。捲ったカードに記した蒼碧の文字を指でなぞって、愛おしそうに、うっとりとした笑みを浮かべる。

「本来であれば、返礼の品は一月後の三月十四日に贈るのが通例だそうだが。今の俺は気分が良い。そこまでけち臭いことは言わん」
「どの口が言うんだ……。今まで散々焦らしておいて……」
「それについては謝ろう。応じる意思は前々からあったんだが……些か準備に手間取っていたのでな」
「……準備?」

 それは、思いもよらない言葉だった。
 実の所ずっとお預け状態だった為に、今回も返礼は一月先まで延ばされるかもしれない……という諦めが微かにあったのだ。……ということ、は?

「何せ情交に|肉《・》|体《・》など使ったことがないのでな。お前を受け入れる為に、柔く馴染ませるのには苦労した」
「ッ……!」
「……まぁ、俺に抱かれたいというのならそちらでも構わんが」
「っ抱きたい! 俺の為に、準備してくれたんだろ。だったら、猶更抱きたい……!」
「ふはは、だろうなぁ。チョコにもカードにも、俺を暴きたいという欲が駄々洩れだ」

 いつの間にか大包平の指が絡んでいた己の手は、ゆっくりと彼の腰へと導かれていた。手を重ねる様に辿り着いた先は、銀の帯。結び目に触れた指先が、歓喜と緊張で露骨に震える。

「―――さて、待たせて悪かったな。山姥切国広」

 低く甘やかな声で囁かれた、己の名。どくりと、心臓が跳び上がる。
 今日一番の強い鼓動は、痛みにも似ていた。

「極上のチョコレイト、馳走になった礼だ。……極上の【俺】を、味わわせてやろう」

 漸くだ。張り詰め続けていた理性の糸を断つことを、今やっと許された。銀の帯を解くと同時に、締めていた青のネクタイをするりと抜き取られる。重ねた唇も絡めた舌も、味見したチョコよりずっと、蕩けるように甘かった。この日まで丹念に丁寧に準備してくれていたと言うのだ、きっとどこを口にしても甘く感じるのだろう。
 メッセージカードには『早くあんたを食べたい』なんて身も蓋も無いことを書いてしまったが。
 格好がつかなくたって、これで良かったのかもしれない。





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