惚れた因果に付きまとわれる。




「うん、善哉」
「……何なんだ、お前は」

 腕の中で愛玩動物のようにぐりぐりと額を胸板に押し付けてすり寄ってくる様からは、これが顕現初日の大包平を手合わせで徹底的に叩きのめした鬼のような神であることなどまるで感じられない。……二百年これと共に在った我が身からすれば、刀を振るう姿よりも見慣れた光景ではあったのだが。努めて見ないように関わらないようにしていたというのに、結局はこうなってしまうのか。抗えない自分自身が、情けない。

 引き摺られる形で三日月の部屋まで連行されたかと思えば、逃げる間もなく握られた腕は肩に担がれ敷かれた布団に向け容赦のない背負い投げである。咄嗟に取った受け身と布団の御蔭で怪我こそしてはいないが、手合わせに引き続いた仕打ちは中々に乱暴だった。城内の刀達の中ではそれなりに体格の良い方である大包平を敷布団の上に叩きつけたのだから、あの派手な音は両隣の部屋にさぞかし響いたのではなかろうか。そして怒鳴り声を上げて起き上がろうとすれば胸板に向かってとどめの突進攻撃である。その程度で折れる程軟ではないものの、投げ飛ばされた後のこれは効いた。

『ぐ……ッ、お前、な、ぁ……ッ!』
『ふふ、……ぬくいな』

 本当ならすぐにでもこの爺を引っぺがして部屋に戻りたい所だった。けれども盛大にぶつけた背中と頭突きを喰らった胸板に響く痛みで抵抗する気さえ起らず、結局大包平は諦めて暫くされるがままになることにしたのだ。先程の鶯丸の様子からもきっと、どうせ部屋に戻れたとしても門前払いを喰らうだけだろう。三日月はひとしきりくっついて額やら頬やらを胸板に摺り寄せた後、退けられていた掛布団をもそもそとふたりの身体に被せ、尚も胸板に顔を埋めてくる。「背中がさむいぞ」と湯帷子の襟元をくいと引っ張って促され、仕方なくその背に両腕を回して抱き込んでやった。そうして、今に至るわけだ。

 それにしても布団を敷く気力どころか此方を引き摺ってきて投げ飛ばす程元気があるなら、わざわざ人肌で暖を取る必要などあったのだろうか。添い寝をしろと頼むにしてもこの乱暴さ、ひとにものを頼む態度ではないだろう。

「こうすることができるのも、今だけだからなぁ」
「……なんだ、急に」
「お前は強くなるさ、いずれ俺も敵わんほどになぁ。俺の好きにできる今のうちに、と思っただけだ」

 こういう傍若無人な所は肉体を得た分、博物館に居た頃より性質が悪くなっている。己の居ない間これの世話をしていた者はどいつだ。この爺に一体どういう教育をした。

 しかし見目こそ麗しいが、これも列記とした刀剣男士である。大包平程ではないにせよ筋肉はそれなりに付いているし、やや細身故に骨張っていて硬い。ついでにするすると遠慮なく絡めてくる素足もやはり、骨同士がぶつかって硬い上に痛い。相も変わらずお世辞にも抱き心地がいいとは言えないものだった。けれど抱き締めると三日月は、心底心地よさそうに目を閉じて吐息を漏らす。

「お前は霊体で見ていた頃からよい体付きをしていたから、此処に来た時は『きっと冬は重宝する』と思ったんだ。はは、正解だったな」
「お前は俺をなんだと思って……いや待て、俺が来るまでの間はどうしていた」

 最初から此方を湯たんぽにするつもりだったのならば、大包平が来るまでは代わりのものを抱えていたのだろうか。これの性格と特性上大体想像はつくものの、物か者、どちらであろうとも正直あまりいい気はしなかった。遅れてやってきた己に、そんなことをあれこれ考える権利がないことくらい承知ではあるのだが。

「んん? そうだな……冬は本物の湯たんぽを抱えて寝ていたのだが」

 しかし三日月は意外にも、ふるりと首を横に振った。

「……だがなぁ、あれは俺には合わん。すぐに冷えてしまう」

 ずっと布団の中で抱き締めてきた御蔭で飛びついてきた時よりか幾ばくかマシにはなったが、それにしてもその手も抱き締めた身体もまだやけに冷たい。湯も浴びただろうし、外に出ていたわけでもないだろうに、少し廊下を歩くだけでこの男はこんなに身を冷やしてしまうのか。
 恐らく端からこの男の肉体は、体温を確と留めておける程の肉が付かないようになっているのだろう。本体である刀身の姿を反映した為か。

「お前はずっとぬくいから、良い」

 この男は、不変だった。
 肉体を持ったことで僅かに変化した所もあるやもしれないが、根本は全く変わらない。遠慮するということを、敢えてしない。付喪神としてのこの男が博物館から離れる前の、あの頃と今も何も変わっていなかった。此方は自ら手を伸ばすことさえ躊躇い隣に並ぶに相応しい力を付けるまではと耐え忍んでいたというのに、お構いなしに踏むべき過程を全てすっ飛ばして触れてくる。此方の想いも矜持も、気にも留めずに。

 ―――けれどそれもこれもすべて、この男にとっては『誰でも良かった』筈なのだ。

 この寒い冬の夜、添い寝の相手は何も大包平でなくても、体温の高そうな厚みのある体格の者なら他にも多数いる。世話をしてほしいと請わなくても、誰かしら周囲には集まってくる。これはそういう|刀《おとこ》だからだ。けれどこの翁月は、誰を傍に置くこともせずにずっと、この大包平を待ち続けていたというのか。
 腕のなかにおとなしく収まる細い月は相変わらず、飼い主に甘える猫のように胸板に額をすり寄せてくる。その艶やかな藍の髪に指を差し込み、頭をぎゅっと抱き寄せた。

 ……もう、辛抱堪らない。

「ッ、煽るなじじい、喰われたいのか」
「んん? ……はっはっは、爺に欲情するか! お前も物好きだな」
「ぅ、煩い! 年なら俺もお前も、そう変わらんだろうが……!」

 「お前がうつくしすぎるのがいけない」だなんて言葉、意地でも口に出してはやるものか。三日月の後頭部と背に回していた腕を離し、身を起こす。布団の中で膝を立てて身体を少し浮かせ、閉じ込めるようにその頭部の両隣に腕を突いて逃げ道を塞いでやった。
 嘗て、霞むこの男の霊体を現世に繋ぎ止める為霊力を分け与えてやった、あの時。何故そんな行動にでたのか我が事ながらまるで理解ができなかったが、しかし今ならば嫌になるほど分かる。寝転がったまま身じろいで此方を向き直る三日月の、その薄く軟そうな唇。見れば見るほどに己のそれを押し当ててやりたくて、大包平は性急に首を伸ばす。

 ……しかしそれは、寸での所で三日月の手に阻まれてしまった。

「今は駄目だ」
「……ッ、何故」
「折角お前の体温であたたまってきたというのに……脱いだら寒い」
「何なんだお前はッ!」

 前に唇を重ねたときは夢うつつなのかと思う程しあわせそうに蕩けた顔をしたくせに、今は拒むのか。そうかと思えば湯帷子の袖から伸びた雪の如きしろい腕は、するすると首の裏と後頭部へと回って蛇のように巻き付いてくる。

「褒美がある方が燃えるだろう?そうだな……、手合わせで俺から一本でも取れたら、その時はまぁ……抱かれてやってもいいぞ?」
(この、魔性め……!)

 付喪神は神の類であると人は言うが、こいつにこそ妖の名が相応しいのではないか。口付けを拒んでおきながら尚煽るとはこの男、やはり性格が悪い。
 頭を抱き寄せられ耳元に一気に近づいた、甘やかな声が腰にずんと響き渡る。三日月の肩口に顔を埋めるような体制になったことで三日月自身が纏う匂いが鼻孔を擽り、眩暈がした。
 これでお預けとは、生殺しにも程があるだろうに。

「……だから俺は、お前がだいきらいなんだ……ッ!」
「そうか、大包平は俺が嫌いか。……して、どうする? 乗るか? 乗らんのか?」
「俺が乗らぬ訳がないだろう!その言葉、……覚えておけよ」

 相分かった、と先程にも増して嬉しそうにぎゅうぎゅうと頭にしがみついてきた三日月を再び腕に抱え直し、ごろんと横になる。別に潰れるほど軟ではない筈なのだからそのまま圧し掛かってやっても良かったのだが、それがどうしても出来ないのは、心の何処かにあの蒼く月のように細い鋼の姿が引っかかっているからなのかもしれない。

「俺はな、お前に追われるのが好きだったんだ。俺が蔵を抜け出す度に文句を垂れながらも律儀に追いかけてくれるお前が、どうにも可愛らしくて好きだった。だからな、お前を置いて先に此処へ来てみたら、たった二年の歳月しか経っていないというのに、もう待ち草臥れて飽いてしまった」

 頭に巻き付いていた白く細いその腕が離れていき、代わりに掌がぺとり、と大包平の両頬へと添えられる。表面こそひやりとしてはいるが、その奥には微かな温もりがある。……否、確かな熱が、生まれていた。

「肉体とはおそろしいな。俺にとっては、時が過ぎ去るのが遅過ぎる。此処での体験は何一つ取っても新鮮ではあったが……いつも蔵で一緒に居たお前が傍にいないと、やはり何か物足りんのだ。お前が付いてきていないか、ついつい後ろを振り返ってしまう」

 変わったのか、この男も。
 大包平という刀と出会い、二百年を共にするうちに、この男の中にも新たなこころが生まれていたらしい。

(俺だけでは、なかったのか)

 今はまだ。
 この男に力が追い付いていないから言えはしない、けれど。

「もう待つのは止めだ。俺は気が長い方だと思っていたんだがなぁ……。いつまでもお前を待ち惚けていたら、俺は終ぞ錆びてしまいそうだ」

 ついて来い。
 そう言えるようになる日は、遠くないのかもしれない。







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