惚れた因果に付きまとわれる。
鋼から抜け出しては都をうろつく、気儘な瑠璃の背。何度追いかけ、その蒼の袖を引っ掴んだことだろう。捕まえる度に見せた、ほけほけと浮ついた暢気な微笑みがどうにも記憶に焼き付いて離れてくれない。出会った時からずっと変わらない、あの余裕綽々で公家のようにまったりとした振る舞いがこの上なく気に食わなかった。散々此方に世話を掛けさせておいて、涼しい顔で「すまんな」の一言だ。全く、偉そうな奴である。
保管庫から忽然といなくなるあれを追いかけ、捕まえる都度「貴様のような奴などだいきらいだ」と吠え掛かっていた。それでも彼奴の苛立つ位整い尽くした顔は、いつだって微笑みを崩さない。むしろ喜んでいるかのように、笑みはより一層深まっていくのだ。何故嫌悪感を露わにされても尚、笑えるのか。その微笑みの裏で何を考えているのかさっぱりわからないのが、余計癪に障る。
――――が、しかし。
見たくもない筈のその面がぱたりと見えなくなると、今度は何故だか落ち着かなくなった。ふと気づけば、もう居もしないとわかっている筈のあの男を探し、視線を彷徨わせてしまう。本当は己が戦に喚ばれるその時まで、気を静めて鋼の中で眠っているつもりだった。けれど記憶にへばりついたあの男の姿は、離れても尚安眠を妨げてくる。腹立たしい、何だというのだ。何故こんなにも、あの男に振り回されなくてはならない。
「……おお、漸く来たか」
審神者の霊力によって編み上げられた肉の体、その足が、確と土を踏みしめる。漸く使われる時が来た喜びに、実体を得たばかりの心の臓は大いに高鳴り、打ち震えるはずだったのだ。ようやっと喚ばれて機嫌よく出てきたというのに、誠に遺憾である。出来ることなら聞きたくなかった声に、薄らと開きかけていた瞼は勝手に固く閉じてしまった。
見覚えのありすぎる男が、恐らく今、己の前に立っている。見たくない。その声を聴いた直後腹の底がかっと熱くなったのだ、姿を見とめれば得たばかりの臓腑が瞬時に煮えくり返ることだろう。どうせ此方のそんな反応だって楽しんでいるに決まっている。その忍び笑い、聞こえていないとでも思っているのか。
それでも、分かってはいる。
その男がどれほど疎ましかろうと、まなこは開かねばならない。
いつまでも視界を閉ざしたきりではいられない。
固く閉じた瞼を恐る恐る解けば、その男の姿は季節外れの桜の花弁と共に、何の断りもなく視界に映り込んできた。
纏う蒼の衣は目にも鮮やかでありながら、更けていく夜のように深い。
月星の意匠や金の鎧、房の装飾は柔らかな陽の光を受けてきらきらと煌めき、それがどうにも眩しくてならなかった。
「やぁ、久しいな。……俺が、分かるな?」
己が纏いし霊気より溢れ出た桜の花弁が、ふわりと宙を漂い目の前の男の元へと流れていった。
男はひらひらと流れてきたまぼろしの花弁を、黒皮の手袋に包まれた指先でなぞり、弄んでいる。本物の桜ならば、まだ蕾も膨らまぬような寒空の下だ。しかし、男の周囲だけを切り取ってしまえばそこは麗らかな春そのものであった。
その優美な立ち姿が、見惚れる程様になると思わされてしまうことに、虫唾が走る。
(馬鹿にするな! どれだけ貴様の世話を焼き続けたと思っている!)
人が巡った過去、現在、そして何れ辿り着く未来を護るための戦い。刀剣が美術品ではなく嘗ての在り方であった【戦道具】として使われる、最期の大戦。その先鋒に選ばれた目の前の刀神が一足先に現世の都を離れてから、そう時は経っていない。今迄生きてきた千年という途方もない時間に比べれば、この男神と離れた二年の月日など瞬きひとつするにも満たない程短い筈だろう。それなのにもう何百年と顔を合わせていなかったかのように、目の前の男の姿が懐かしく思えてしまう。それでもそんなこと、この男の前では口が裂けても言えなかった。
人々が生み出した至高の美術品として同じ場所に保管され、二百年程の時を共にしただけで、己はすっかり変わってしまった。けれど目の前の男は、腹立たしい程不変なのだ。
「待ちかねたぞ、大包平よ」
在りし日の暢気な微笑みを湛える男は、在りし日と同じ仕草で、さも当たり前のように、その指の先まで整ったうつくしい手を差し出す。
確かな肉体の感触を持った我が手は、この男にはとうに必要のないものである筈だというのに。
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