ヒカセンマリィさんのはなし
暁の仲間達の訓練にしばし付き合った後、アルフィノと二人で先に切り上げて石の家に戻って来た。
かなりの人数が出ているから、今は談話室は人もまばらで、閑散としている。
そうでなくともきっと、その一角に置かれたテーブルを前に座っているその人の存在は、とても目を引いただろうけれど。
「戻ってたのね、マリィ」
「あら、アリゼー。アルフィノも、今日も訓練に付き合っていたの?」
「ああ。いつ何時、事態が始まるか分からない。備えは、いくらしておいても損は無いからね」
声をかければ、長い緑色の髪を揺らして振り返り、微笑んでくれる。
落ち着きのある女性、という意味ではヤ・シュトラとマリィは近いのだけれど、その笑い方や人当たりというか、立ち振る舞いがヤ・シュトラよりももっと柔らかに感じるのよね。
手にした書類のようなものに目を通していたらしい様子を見るに、これからすぐに発つという雰囲気でもない。
だから、私はマリィの右隣に、アルフィノは左隣に、当然のように腰を下ろす。
「たまにはボクも付き合うべきかしら?」
「あー、皆喜ぶだろうけど、逆に気合入り過ぎて新人が倒れる気がするから、いいんじゃない?」
「暁には、君のファンが多いからね。監督役のホーリーボルダーが張り切ってしまって、倍の鍛錬を言い出しても不思議じゃない」
「ああ……、目に見えるわね」
「そもそも、君は暁の血盟の要だ。何かが起こればどうしても頼らざるを得ないのだから、今は身体を休めて欲しい」
「……って言っても、どうせ冒険者の仕事はするんでしょうけど。今度は何?」
せめて、合間の凪の時には休んでくれと誰もが言うけれど、そういう時の彼女は冒険者稼業に励むのは目に見えている。
時には職人仕事に精を出すんだろうけれど、どちらが楽かって、一概に言えないわよね。少なくとも、後者は切った張ったではないから怪我の可能性は……減るだけで、無くならないか。
どうせ依頼書なんでしょ、と手にしていた書類に目をやると、マリィもまたそれに視線を落とす。
途端に、今まで浮かべていた優し気な微笑みが失せて、なんとも浮かない表情になった。
「……ごめん、聞かない方がいいやつね?」
「ああ、いえ。これ自体は、タタルから頼まれた、ただの採取依頼なんだけど……そのうちの一つが、ちょっとね」
「そうなのか。どこか遠い地域の珍しい素材かい?」
「いいえ、グリダニアの黒衣森で採れるものよ」
「黒衣森ってことは、許可を取るのが難しいとか? もしくは、危険な魔物の生息地が近いとか」
「そんな事はないわ。精霊の許可は貰えているものだし、近くの村の住人が採取に訪れるくらいは安全のはずよ」
どの質問にも否定が返って、私はアルフィノと同時に首を傾げてしまった。
思いつく限り、一般的に採取が難しいと思える理由のどれも当てはまらない。
仮にそのどれかが理由だとしても、彼女なら平気な顔で採取して無事に戻るとしか思えないし。
「では、何を躊躇っているんだい? 問題が無いなら、聞かせて貰えないだろうか」
「そうよ、相談する事で解決策を導き出せることだってあるでしょ?」
正直な所、ここまで彼女が困っているという状況は少ない。
大抵の事は出来てしまう人だから。勿論、専門的な分野の知識が必要となれば、賢人達の知恵を借りる事は珍しくないけれど、多分これはそういう事じゃない。
何か、彼女独特の理由で困っているのだと、たぶんピンと来たのはアルフィノも同じだったと思う。
左右から同じタイミングで覗き込むと、やっぱりマリィは少しだけ困った顔をしていた。
「……採取するだけなら、何も問題は無いのよ。危険な魔物も少ない筈だし、まあ……少し入り組んだ場所にあるのは確かだけれど、険しい訳でもないの」
「ああ」
「ただ、先程も言ったけれど、だからこそ近くの村の住人が採取しに来る事が、ままある筈なの。有用な植物だから」
「そうなのね」
私とアルフィノを交互に見て、また依頼書に視線を落としたその表情は、やっぱり浮かない。
それにしても、妙にその採取物について詳しい。
場所も周囲の状況も、よく知っている。きっと、その『近くの村』とやらの事も、知っているんじゃないかしら。
まあ、世界中の採取場所に詳しくても、何も不思議じゃないけれど。
なのに、その辺りに問題がないと語った後の言葉が、何故か続かない。
「もしや、その『近くの村の住人』に会うのが、困るという事かな」
「……そうね」
「え、人間が怖いパターン? 黒衣森に、そんな蛮族みたいな村なんてあるの?」
「そういう訳でないのよ」
未開の地のジャングルでもあるまいし、精霊に見守られる黒衣森に、好戦的な蛮族は……居るには居るけど、森に許され共存して生きる人間達が、そんな野蛮な筈がない。
しかし、それにも彼女は頭を横に振った。
命の危険は徹頭徹尾、無い。
であれば、彼女の懸念は。
その『近くの村の住人に出会ってしまう』、という状況そのもの。
「近づくだけなら、隠れていく事は出来るけれど、採取するとなると……見つかってもおかしくないし」
……そういえばこの人、忍者の技術も持ってるんだった。そんな事を、ユウギリが嬉しそうに話していた覚えがある。
そうして隠密に特化して行ったところで、何かを採取しているその間はどうしても無防備になる。
いくらなんでも、四六時中住人が出入りしてる訳じゃないだろうし、隙を見ればいいんでは、と思っちゃうけれど。
それで起こる万が一、すら回避したいらしい。
相当な事よね。マリィにも、絶対に、どうしても、何があっても会いたくない人、というのが存在する事に驚いてしまった。
逆なら、マリィに会いたくない人は山ほど居るだろうけれど。帝国の人間とか。
でも、会いたく無さそうな割には、嫌悪の様子は見られない。と言う事は、会う事も嫌な邪悪な人間ではない。……そもそもそんなヤツらは、黒衣森で村を作れる訳もない。せいぜい密漁者のアジトくらいで、もしそうならマリィが容赦なく叩きのめすだろうし。
よく知っている間柄なのに、嫌悪ではなく、会うわけにいかない相手……?
尚も依頼書に目を落とし、問題をどう解決するかを考え込んでいる様子を見ていたら、ふと気が付いた。
向こう側のアルフィノに目をやると、やはり何かに気付いた顔をしていて……けれど、切り出すのを任せると言うように頷いたので、遠慮なく私から言う事にする。
「ねえ、マリィが行くのが難しいなら、私達が代わりに行ってきましょうか?」
「え?」
「特に危険も無いって言うし、マリィが無理でも私達がその住人に会うのは、別に問題無いんじゃないの?」
マリィが見つかりたくないなら、代理の誰かが行けば良い。
話を聞く限り、それが一番の近道に感じた。
どこのどんな村かは知らないけれど、口ぶりから察するに、特に危険もない普通の村なように思う。
まあグリダニアの辺鄙な場所にある小さな村なんて、悪い意味でグリダニアらしい可能性はあるけども。それでも、出身は違うとは言え森に多いエレゼン族である私達なら、多少は態度も軟化するだろうし。
顔を上げたマリィの目が驚いたように丸くなっていたから、名案でしょ? とばかりにニっと笑みを返す。
「どうせ、私もアルフィノも今は手が空いてるもの。ね?」
「ああ。それくらいはお安い御用だ。たまには、私達を頼ってくれないか?」
本当に、こういう小さな事ではなかなか声をかけてくれないんだから。
貴女は些細な事さえ気が付いて、手を差し伸べてくれるっていうのに。
一人で悩まないでよ、水臭い。お互いの不得手をカバーしあうからこその仲間でしょ?
手伝いを申し出た私とアルフィノに、マリィはもう一度手元の依頼書に視線を落として、それから瞳を閉じて、静かに考え込む。
深く思案する時のいつもの様子で、けれどいつもよりも、随分時間が長い。
たっぷり1分は考え込んで、それから瞳を開いて頷いた。
「そうね。……あなた達なら」
認めてくれた!
ただそれだけの事に浮足立ちそうになるけれど、ぐっとこらえて。代わりに、口元の笑みは深まっただろう。
頼って貰える喜びを感じているのはアルフィノも同じなようで、マリィの向こう側でにこにこと満面の笑みになっている。
そんな私達に微笑ましそうな顔をしてから、彼女は荷物の中身をごそごそと探して、何かを取り出して私に手渡した。
「ついで……じゃないけれど。これを持って行って貰えるかしら」
「なあに? 手紙?」
「ええ。見ればボクからだって分かってくれると思うわ。採取場所は少しだけ入り組んだ場所にあるから、先に村に行って手紙を渡して、渡し主に聞いてみて。きっと教えてくれるから」
今書いた訳ではない、既に用意されていた手紙。
渡し主として教えてくれた人の名前は、私達には聞き覚えの無い男性のものだった。
それから、採取する予定の植物の名前と特徴。近くにある村の名前、その行き方も。
やっぱり、彼女は非常に詳しく知っている。
もう、これだけ揃えば、誰にだって想像がつく。
「……あと、一つだけ」
「なんだい?」
「その村で。その手紙を渡す人以外に、ボクの名前は決して出さないで」
そこはきっと。彼女の、故郷なのだ。
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