いざいざ、差出人不明のプレゼントで勝負。
*
ささやかな想いを込め、とあるサーヴァントへこっそりとチョコを贈ってから早一ヶ月。三月十四日である。素材回収を目的としたいつもの短期レイシフトより帰還し、マスターと別れてマイルームに戻った時のことだった。
「ッ……!」
照明を点けた途端目に映ったそれに、心臓がどきりと跳ね上がる。部屋の主が居ない間に机の上に置かれていたそれは、赤い天鵞絨の生地で覆われた、掌に乗る程度の小さな箱だった。添えられているメッセージカードに、震える指先を伸ばす。
【捨てるか使うか、好きにしろ】
カードには名前がない。けれど遠い昔に見たことのある筆跡に、じんわりと目頭が熱くなった。心配なんてしていなかったけれど、チョコはちゃんと食べてくれたらしい。誰が贈ったものか伝わっていたようで、ほっとした。返礼の品なんて要らないのに、義理難い所も変わっていない。……否。義理人情に厚い、優しい『彼』だから。例え向かい合うことはできなくても、今日という一日が終わるまでにはなにかあるかもしれない。そんな風に、ほんの少しだけ期待していたのだ。本当は話の一つでもできたならそれが何よりの返礼だったのだけど、十分じゃないか。戦闘任務は終わったのに、胸が熱くてたまらない。
「……?」
捨てるだなんてとんでもない。けれど【使う】とは、どういう意味なのだろう。
書かれた言葉に疑問を抱きながら、箱をそっと開いた。中に入っていたのは、丸く研磨された艶のある赤い石を金の枠にはめ込んだ、左右一対のピアスである。少し橙が混ざったような色合いの石には、見覚えがあった。|故郷《インド》で産出される鉱石の一つ、カーネリアンだろう。幸運を呼び寄せ心身の活力を引き出す御守りとして、神代から世界各地で装身具に用いられていたというパワーストーンだ。『彼』らしい色だと思いながら箱からピアスを取り出して、気付いた。
「……?ッ、な……!」
触れただけで分かるそれは、ただの石ではなかった。
指先に感じる、石の内部に巡るその力の流動は、純然たる魔力だった。
これは……魔術礼装、というものではないのか。
何らかの自然霊が宿っている様子はない。しかし1カラット程度の小さな石から感じる魔力はあり得ない程多く、濃く、強い。魔術師ではない為専門的な知識はないが、天然石にこれほど魔力が宿る筈がないということだけは分かる。どうやったらこれほど膨大な魔力を、こんな小さな石に圧縮して込められるのか。一体どこで手に入れて、何故こんなものを返礼にしたのか。
気付けば自室を飛び出して、廊下を駆けていた。誰でもいい、この石に心当たりのある人物はいないか。時刻はまだ夕刻、サーヴァントたちが各々の自室に戻るには早い時間。何としても今日中に、この贈り物の意図を知らなければならない。だって、……だってこのピアスをチョコの返礼にされては、此方が贈ったものが返礼に全く釣り合わない。確かに、チョコに想いは込めた。マスターと手作りチョコの交換をするにあたって、ついでのように思い立った贈り物だ。チョコを贈り合うのが親愛の証なら、嘗て友誼を結んだ彼に贈っても良いのではないかという、そんな軽い気持ちだ。これをきっかけに、いつかまた面と向かって他愛のない話が出来るようになればいいという、その程度のささやかな想いだった。けれどいくらなんでも、ここまで大仰な返礼をされる理由は無い。それでも何をどう考えたって、このピアスはチョコの返礼として彼が用意してくれたものである。おいそれとは突き返せない。けれど理由も分からない今のままでは、とてもじゃないが受け取れない。
とある仮面の魔術師は言った。
「主成分は二酸化ケイ素。人の肉眼では視認できない、細かな石英の結晶体。橙色に近い赤は不純物によって色づいたものだろう。……うん。君の見立て通り、どこからどう見ても|紅玉髄《カーネリアン》だね。しかし……ふむ、興味深いな。魔術に使われる鉱石はね、ダイヤモンドやルビーといった、宝石類が最も適している。風化することなく残り続ける頑丈な鉱石は、それだけ魔力を貯蔵しやすいんだ。しかしこの種のような半貴石は、総じて脆い。砂埃にさらされるだけでも傷つき、削れてしまう。故に、この石には本来魔術的な価値はない筈なんだ。どれほど良質な石でも、魔術の触媒にするには不向きと言えよう。しかしよもやここまで多量の魔力を込めることができるとは……。並大抵の石なら耐えきれず、粉々に砕けてしまうものだがね。うん、素材として見ても羨ましい一品だ。ゴーレムの核にしたいくらいだよ」
とある黒髪の艶やかな、金星の女神は言った。
「へぇ、カーネリアンねぇ。……え? これを彼に譲渡したのは貴女じゃないのかって? 私は知らないわよ。宝石は私の手元にあってこそ! 献上は大歓迎だけど、他人に譲る分なんてこれっぽちもないわ! それにこの石、かなり良質だけどちょっと小さ過ぎるから、私の趣味じゃないし。貴方の手作りチョコへのお返しなら妥当な品だと思うけど…………って、な、何よこの魔力!? いくらなんでも多過ぎ…………あー、ねぇちょっと、前言撤回していい……? やっぱりそれがチョコのお返しじゃ……いくら貴方と言えど、授かり過ぎじゃないかしら? ほら、魔力が籠ってるなら話は別っていうかー、釣り合い取れてないっていうかー……、コレ三倍返しどころじゃない値打ちだと思うの! 貴方もそう思うから、こうして私に聞きに来たのよね? もし、もしもよ、どーしても手に余る程困ってるなら……ね? その、私が代わりに貰ってあげても、いいわよ? …………あ、駄目? これは私が貰ったものだから、貴女には絶対に渡さない? ……やっぱり? ッチ……」
とある大魔女の妹弟子は言った。
「ふふ、授かりの英雄と呼ばれるだけはあるわね。チョコレートのお返しとは思えないわ、とても良いものを貰ったじゃない。貴方の実力ならこの石の力が必要になる時なんて滅多とないでしょうけど、今は人理漂白という未曽有の危機ですもの。ここぞという時は、躊躇せずに使いなさい。……それにしても、変ね? 良質でかなり古い、恐らくは神代に近い時代から採掘された鉱石よ。これほどなら相応の大きさもあった筈だけど、込められた魔力の規模に石のサイズが比例していない。小さすぎるわ。ピアスの形に削り出すには勿体ないし……。ひょっとして何度か失敗して、完成までこぎ着けるのにかなり苦労したんじゃないかしら? 単純に魔力を込めるだけなら、もっと良い宝石はいくらでもある筈よ。……どうして態々、扱いにくいカーネリアンにしたんでしょうね?」
とあるフランスの初代皇帝は言った。
「おお、カーネリアンじゃないか! オレも好きな石だ! この石で印章を作らせて、生涯持ち歩いたくらいだからな! 持っているだけで、全身に力が漲ってくるぞ! ……んん? 渡したチョコがまるで石の価値に釣り合わない? なぁに、今更遠慮するものでもないだろう! お前も王族だったなら、生前は数ある装飾品の一つとして身に付けていたんじゃないのか? ハハッ、心配するな! それは間違いなく、お前が渡したチョコの返礼に相応しい石だ! 返礼をした奴がそこまでやる価値があると思ったなら、お前は胸を張って受け取るだけでいいのさ!」
他人に聞けば聞くほど、ピアスをくれた理由が分からなくなっていく。上質で、けれど扱いにくい石を、そんなに苦労してまでどうして。普段は決して走ることなんてない廊下を駆け、食堂、大図書館、レクリエーションルーム、とにかく人が集まりそうな場所を探し回った。行儀が悪い、危ないなんて、気にしてもいられなかった。話をした何人かのサーヴァントには、珍しいものを見るかのような表情で見送られたが、何でもないなんて言葉をかける余裕すらない。こんなに人を探し回っているのだからいっそピアスをくれた本人にも鉢合わせてしまえばいいのに、今日に限って彼はどこにもいないのだから困る。いつもならすぐ目につく場所に居るから極力目を合わせないように避けねばならないのに、どうしてなのか。走り回りやがてたどり着いた先は、カルデアベースのロビーだった。
「ッ誰か、この石についてご存知の方はいませんか!」
高い天井のロビーは、音が響きやすい。オートドアが開くと同時に発した声は、自分でも驚くほどに大きくこだまし、慌てて口元を手で抑えた。幸か不幸か、ロビーには一人の女性サーヴァントしかいなかった。
「あら。いつもは淑やかな貴方にしては珍しく荒げた声だこと。らしくないと言うべき所なんでしょうけど……『彼』のサプライズが成功したようで何よりですわ、授かりの英雄さん?」
「……ッこれをご存知なのですか、女神アストライア」
カツンと青いハイヒールの靴音を高らかに鳴らし、天秤の女神はソファーから優雅に立ち上がる。
「ええ。何せその石は、わたくしが彼に依頼されて用意したものです。ふふ、不器用そうな彼のことですから、どうせ書き置きのメッセージにもろくに説明がなかったのでしょう? 此処で人払いをして貴方を待っていた甲斐がありましたわね」
「……だから此処には、貴女しかいないのか」
「ふふ、だってそれは貴方の為に彼が作り上げた礼装ですもの。その石の真価、意味を知る権利があるのは、貴方だけですわ」
ぴんと背筋を伸ばした天秤の女神は、一際目の引く縦巻きの金髪を揺らめかせて此方へと歩み寄ってきた。掌の上の赤い石を見とめた女神は、目を細めて笑う。
「嗚呼それにしても、随分小さくなってしまったのね……。彼にお渡しした時はどちらも10カラット以上はあった筈だけど、魔力の転換と加工に余程苦心したのかしら。けれど流石、インドのあらゆる武術と学問を修めた最高位の|神仙《リシ》ですわ。こうして美しい贈り物の形にできたということは、血の滲むような彼の努力の賜物でしょう。言っておきますけど、わたくしがお渡ししたのは素材となる石のみ。恐らく後の仕事は全て、彼の独学ですわよ? あまり褒められた所業ではないのだけれど、チョコレートの返礼の為だけにたったひと月で転換の魔術をものにしてみせるなんて……彼、とっても情熱的な人なのね?」
女神の話に、頭が痛くなった。手順や分量をしっかりと守り、コツさえ掴めば初心者でもある程度の形にはできる菓子作りとは訳が違う。それは本来魔術師のみが成せることであって、我等戦士とは全く別の分野である。誰にでも開かれている学問ではない、迂闊に手を出してはいけない領域だ。確かにサーヴァントにも魔術回路があるとはいえ、慣れない魔術の制御によるリスクも当然あった筈である。転換の魔術とやらの構造自体は単純なものであったとしても、神代由来の彼の魔力であれば猶更危険を伴うだろう。少しでも制御を誤れば、彼自身の霊基の損傷にも繋がりかねない。チョコの返礼如きに、そこまでのリスクを冒す必要などない。……それに。
「カーネリアンの石言葉、貴方はご存知かしら? 喜び、落ち着き、連帯、それから……友情。此処で再び貴方に出会い、かつて貴方に抱いたあらゆる感情と向き合い、共に人理を立て直すために戦う。例え過去の遺恨、己が矜持の為に貴方と直接言葉は交わせずとも、この途方もない奇跡を貴方と共有している、喜び。その祈りと彼自身の魔力を、ひと月掛けて少しずつカーネリアンに込め続けたんでしょう。どうしても魔術には向かない石ですから、わたくしからお勧めはしなかったのだけれど。貴方の贈ったチョコレートに相応しい返礼は、その石以外にはありえませんわね」
―――してやられた。
頬が、熱くてたまらない。たまらず手で顔を覆ってしまった。単なる伝え聞いた石の価値だけではない、込められた感情までもが大きすぎる。「いつかまた話が出来たらいい」なんて、あまりにもぬるい。生半可な気持ちだったのは、自分の方だったのだと思い知らされた。彼に渡したチョコそのものには、不足などない。見た目で愉しめる美しさは勿論、どれを食べても美味しく感じるよう持てる力を尽くして作ったのだから、それは胸を張って言える。けれど、……嗚呼、嫌だ。贈り物に込めた気持ちで『負けた』と思わされるなんて、屈辱が過ぎる。
「――…………ッ、そんな、困ります……!何も、ここまでやらなくても……!これでは彼の方が、とても割に合わないじゃないか……!」
「あら、インドの神々から多くの武器や知恵を授けられてきた貴方が今更遠慮なんて、本当にらしくないこと。貰えるものは何であろうと貰っておくべきですわよ?そのピアスの本質は装身具でもなければ御守りでもない、携行用の|火力増幅器《ブースター》。使い捨ての礼装ですわ。貴方の鏃に嵌め込んで炎神アグニの弓で放てば、都市一つ焼き尽くす規模の火柱があがることでしょう。緊急時のサーヴァント用レーションとして使うのも有用ですわね。その石に込められた魔力量なら、消滅寸前の魔力枯渇状態でも貴方の宝具【|破壊神の手翳《パーシュパタ》を全力で撃てる程の回復は見込めます。マスターによる補助も必要ありませんから、単独行動中の不測の事態にも対処できるのではなくて?」
何よりも許容し難かったのは、このピアスがいつか必ず自分の手で始末しなければならない物である、ということだった。例え昔のような睦まじさは取り戻せなくても、この石を身に付けてさえいれば、彼との友誼は確かに存在したのだと感じられるだろう。けれどそんなたくさんの想い、彼の祈りを込めたこの石を、自ら焼べろというのか。なんて、……なんて残酷なことをしてくれる。
「……ッだから、猶更困ると言っているのです! 我等はサーヴァント、過去を生きた死者の記録、人理の影法師だ! 生者のように現世に留まっていられる存在ではない! この石を、いつまでも手元に残しておけない……! 彼の血と精神と時間と魔力を惜しまず注ぎ込まれたこの輝石を、私の手で灰にしろと言うのですか……!」
「―――だからこそ、ですわよ」
「…………ッ!」
「宝石魔術とはそのように扱うもの。だってチョコだって、いつかは食べてしまわなければならないでしょう? その石だって貴方が使わなければ、本当にただの石屑になってしまう。貴方が使った瞬間、その刹那にこそ価値が生まれる石ですわ。貴方が贈ったチョコは、彼にとって『いつまでも手元に残しておきたい程美しいもの』だったということよ」
天秤の女神は、心底愉快そうに声をあげて笑った。
「要は貴方、|や《・》|り《・》|す《・》|ぎ《・》|た《・》ということですわ! そんなつもりがなくても、貴方は彼に喧嘩を売ってしまったのよ! 貴方が彼に贈るチョコに凝らす趣向は、ただ『名前を書かない』だけで十分だったの! それだけで貴方からの贈り物だと分かるのに、貴方ったらマスターへの贈り物と|同《・》|じ《・》|く《・》|ら《・》|い《・》、持てる力の全てを揮って作ったチョコを『信用できなければ捨ててもいい』なんてご丁寧なメッセージまで付けて贈ってしまった! そこまでされたら彼だって、全力でお返ししなくてはならないじゃない!」
「―――っ私はただ、彼と」
「また話がしたかった。ただそれだけだったのでしょう? それなら躊躇わずに、面と向かって渡せば良かったのですわ。だって貴方は知っているじゃない、彼がどんな好意も無下には出来ない、貴方と同じくらいお人良しな性格であると。貴方も彼も、互いの弱みに付け込んでしまえばよかったのに、本当に不器用な方々だこと! ……うふふ! 今すぐ彼に会いたいでしょうけど、残念ね! 今頃彼は宝物庫に籠り切りですわ! 何せわたくしへの報酬の支払いが、まだまだ終わっておりませんので!」
「……は? 宝物、庫?」
嗚呼、嫌な予感がする。もうたくさんだ、迂闊なことをしてしまったなんて嫌と言う程分かった。それなのに、まだ何かあるのか。食堂、シミュレータールーム、大図書館。いつも居る場所が決まっている筈の彼が、どうして今日に限ってどこにも見当たらないのか。誰から聞いても素材のみで相当な価値を持つらしいこの鉱石だが、具体的な金額など知らない。一体この石に、彼はいくら払わなければならないのか。
「……ッ、確認ですが! 如何ほどの報酬を彼に要求したのですか!」
「まぁ、贈り物の値段を知りたいだなんて、無粋なことを仰るのね?」
「それは承知の上です! ですがこんな手の込んだものを貰ったまま! おとなしく引き下がるわけにはいきませんので!」
「あはは! 貴方、本当に面白いわ! なんて飽きない人なのかしら! その負けず嫌いな所、わたくしも嫌いじゃなくてよ? この石はわたくしが魔力を込めるに適するものとして探し求めて選び出した、最上級の一品ですもの。わたくしに支払われるべき報酬は最低でも一億QPに相当しますが……。此度は『今はリソースに余裕など全く無いが、どうしてもカーネリアンで礼装を作りたいからどうにか負けてくれないか』という彼の懇願とその熱意にお答えして、今現在保有している全リソースに加え宝物庫周回一か月分のQPを支払うという条件で手を打ちましたの! 礼装用の鉱石としては投げ売り同然、破格の安値ですわよ? どんな形であろうと報酬をいただけるのであれば結構、何なら貴方に肩代わりしていただいてもわたくしは構いませんが……それだと彼、余計に怒るでしょうね?」
「な…………ッ」
―――絶句した。
確かに女神の言う通り、魔術資源としてみれば安すぎる値段だ。しかし黄金律等の資金繰りのスキルを持たない一介のサーヴァントが、簡単に支払える額でもない。
依り代の男が現代魔術の講師を勤めているという、中華の軍師曰く。日々微小特異点や異聞帯などでかき集めているサーヴァント用の強化素材、中でも鳳凰の羽根や竜の逆鱗等といった銀以上のランクに分類される資源は、現代魔術世界においてはたった一つでも屋敷が何件と建てられるレベルまで価格が高騰しているらしい。その取引金額はQP換算で最低でも数億規模の相場である。カーネリアンという鉱石自体にそこまでの価値はないとはいえ、用途が極めて困難な転換魔術用、その為の素材厳選という途方もない手間を考えれば、宝物庫周回一か月分プラスαという値段は衝撃的な安値だ。が、すぐに払えるかどうかもまた別の話である。
カルデアのサーヴァントは各々の手段でQPを集めリソースとして保有しているが、手っ取り早くQPを集める手段として提唱される宝物庫に一騎で一日中籠ったとしても、稼げる見込みは多くて百万程度だろう。一か月間朝から晩まで休む間もなく通い詰めて、ようやっと三千万に届くくらいだ。去年夏に発生したラスベガス微小特異点のカジノのような一攫千金を狙える場があればいいが……普通はこの額のQPを一括でどうにかできる者など非常に少ない。それこそぽんと支払えるのは、固有スキルで一生金に困ることはないと約束されている英雄王や巌窟王といった者に限られる。つまりこれから一か月以上は、彼の顔を見ることが出来ないということだ。最優先任務であるレイシフトのパーティメンバーに選出されれば、返済期間は更に伸びる。今すぐにでも彼に会わなければと思っている程なのに、こんな悶々とした気持ちのままひと月以上もおとなしく過ごせというのか。
「これに懲りたなら、次回は安価でジャンクな板チョコにでもしておくとよろしいのではなくて? 今度はホットミルクを片手に、貴方の部屋を訪ねてくれるかもしれませんわよ?」
最初からそれが出来たなら、悩むわけがない。来年のことだって、分かる筈もないのに。けれどこんなものを貰ってしまった以上、リベンジしなくては気も済まない。何時まで経っても一向に引く気配を見せない顔の火照りに、授かりの英雄はただ項垂れて黙る他ないのだった。
終
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