いざいざ、差出人不明のプレゼントで勝負。





 とある探偵は、興味無さげにパイプを吹かせながら言った。

「差出人不明のチョコレート? キミはそう言うが……謎にもならないな。答えが全て見えてしまっている。……ほう、それでも私の助言が必要と? ならば一つ、ヒントをあげよう。キミに名を明かせず、チョコレートを面と向かって渡せない理由を、今一度考えてみると良い。キミには心当たりがある筈だ」

 とある勇ましき大盾の乙女は、目を輝かせて言った。

「わぁ……! 素敵なチョコレートですね! キャレにトリュフ、種類も豊富で宝石のよう……このボンボン・ショコラに施された蓮の花のデコレーション、とても美しいです! 高級ブランドチョコに勝るとも劣らない出来栄えですね! ……えっ? 種類はよく分からない? これはどこかで手に入るものなのか、ですか? うーん……そうですね、どれもバレンタイン限定の売店では一度も見掛けたことがないラインナップです。なので、これは恐らく手作りかと! 素人でも作れるものなのか……ですか? これほど繊細なお菓子となると、普通なら専門のパティシエでなければ困難だと思います。……ですが! サーヴァントの皆さんは手先の器用な方が多いですし、十分に可能なのではないでしょうか!」

 当世で新たに得た我が主人は、穏やかに笑って言った。

「それ、俺も貰ったよ。デコレーションは違うけど、チョコの形は一緒なものが多いし。口当たりが滑らかで、一つ一つ味が違ってて、どれもとっても美味しかった! ……え? 何でお前も貰ってるんだ、って? お、怒らないでよ! ずーっとお世話になってるから、去年の今頃も俺からチョコをあげたんだけど……その時はとんでもないお返し貰っちゃって。こ、今年はチョコの交換にしよう! って話になったんだ。……よりにもよってコレと交換したのかよ、って? そりゃ俺があげたチョコに比べたら、クオリティーが段違いで流石に恥ずかしかったけど……。『貴方が私の為にと作ってくれた、これが一番良いのです』って言ってすごく喜んでくれたから、まぁいいかなって。あーでもこんなに綺麗だと、流石に食べるの勿体なくない……? 結構、凝り性なんだろうね?」

 とある金髪碧眼の少女軍師は、半笑いの呆れ顔で言った。

「えぇ? メッセージカードに名前が書いてないのは何故か、だって? そりゃあ君、名前を書かない理由なんて知られたら拙いからに決まっているじゃないか! 差出人不明の贈答品なんて、封も開けずに即廃棄が鉄則だぞ? 自分の名前もロクに書けないような代物、一体何が仕込まれているか分かったものじゃない! どんなに綺麗で美味しそうなお菓子でも、食べて何があっても文句は言えないくらいには、思っておいた方がいいさ!」

 とある黒い長髪の軍師は、溜息を吐いて言った。

「……ライネスの言葉を真に受ける必要はない。それはあくまでも、魔術師同士に限った話だ。バレンタインデーの一般的な意味、感謝や親愛といった愛情を込めた、真っ当な者同士の贈り物であれば話は別だろう。そもそもバレンタインの贈り物に名前の無いメッセージカードを添えるという風習は、マスターの祖国ではなく我々の祖国が発祥だ。名前を書かない理由は人それぞれだが……中身次第で誰からの贈り物か、ある程度察しが付けられるということもあるだろう。ふむ、それにしてもそのメッセージカードは妙だな。本来ならば名前を書かない代わりに、愛の言葉の一つや二つ、綴られているものだが……。『信用できなければ、廃棄していただいて結構』などという、贈り物には無粋な言葉しか書かれていない。その割には随分凝った作りのチョコレートだが……、捨てられても構わないなどと思う物に、果たしてそこまでの労力を掛けられるものかね?」

 とある数学者は、にやにやと人の悪い笑みを浮かべて言った。

「おやおや、これほど美しいチョコレートを置き去りにしておきながら、怪しいなら食べずに捨てろだって?なんともまぁ残酷なことを言うものだ! 君、そう勘繰らずに受け取ってあげなさいよ! マスタ―君の国の言葉では確か……『モッタイナイ』と言うのだったかな? ……何? 名前がないとお返しが出来ないから困る? 君がそんなことを気にする必要はない! 名前も知らせず、信用ならないなら捨てられても構わないとまで言っているのだよ? だったら相手は、見返りなど端から期待していないということさ! 君のファンからのプレゼントだとでも思っておきたまえ~! ……あ、しかしだね君。もしも贈り主に心当たりがあるというなら……ファンサービスくらいはしてあげなさいよ?」


 出所不明の贈り物を手に朝から晩までカルデア中を彷徨っていた男は、疲れ果てた様子でどうにか捕まえた専門家達の意見を自室へと持ち帰った。事の発端は男の部屋の机の上に置き去りされていた、この謎のチョコだ。男はこの『バレンタイン』という異国発祥の祭事に疎く、精々友人達から聞きかじった程度の知識しか持ち合わせていない。どちらかと言えば友人達同様、男も無頼漢の部類だ。当事者になるとも思っておらず、特に興味も無かった。が、仕える主人から感謝の気持ちとしてチョコを賜ったとあっては、祭事の風習に則って返礼をしなければならないだろう。散々悩み、男は縋る思いで崇敬する女神に相談したのだ。そして女神の助言を元に温めた牛乳を用意して主人の部屋を訪ね、中々自分の話をしたがらない彼と夜通し語り合うという形に落ち着いたのだった。しかし喜んでもらえて良かったと胸をなでおろした後で、男が自室に戻ってみればこれがぽん、と机の上に置かれていたのである。頭が痛い。差出人不明の箱を恐る恐る開けてみれば、中身は宝石の如く煌びやかなチョコの詰め合わせだった。心の籠った贈り物を貰えるというのは、それだけでも嬉しい事だ。しかし正直な話、チョコの返礼をしたばかりの所でこれを見つけてしまった男は心底げんなりしていた。先の返礼にも苦心し慣れない気を遣ったというのに、また何かお返しに悩まなくてはならないのか、と。

 とはいえ主人以外の者から何かを贈られるような覚えがまるでないのかと問われれば、嘘だ。そも男に対して名を名乗れない、手渡しが出来ないという時点で当てはまる人物はほぼ断定できてしまう。が、如何せん男はこの祭事に疎い所為で、チョコに込められた意図をうまく読み取ることが出来なかった。名乗らない時点で信用も何もあったものではないというのに『信用できなければ廃棄していただいて結構』なんて態々書き残していくなんて、意味が分からない。途方に暮れて今朝からずっとこの手の問題に詳しそうな者達に聞き込みを続けていたわけである。……何せ頼みの綱としてかの女神に助けを求めようにも、女神には既に主人への返礼の件で「次からは自分で考えなさい」と窘められてしまっていたが故に。

 誰の目から見ても洒落ていて美しい、凝った造りのチョコ。恐らくは手先の器用なサーヴァントの手作り。此方には直接渡しに来ない癖をして、一方で共に仕えている主人には同じような品を堂々と手渡している。聞けばそいつは去年もバレンタインを経験しており、当時は主人への返礼に何やらとんでもないものを持たせてしまったらしい。カードに名前がないのは、差出人の名前が書かれていると男が受け取れないという気遣いなのだろうか。捨てられても構わないものであると伝えておきながら、中身には徹底的に趣向を凝らす矛盾。これを捨てられることなどまずありえまいという、絶対の自信が見える。……となると相手は自分の名前など書かずとも、男が贈り主に気付くと想定してチョコを置いて行ったのではないか。誰からであれ贈り物は無下に出来ないという男の性格を十二分に理解している、賢しい奴の犯行だ。

 得られた情報を集めても、概ねチョコの贈り主自体は男の予想通りだった。この条件全てに合致するサーヴァントなど、カルデアのどこを探したって一騎しかいない。ならば送り付けておきながら『捨てられても構わない』なんて伝えてくる意味不明なメッセージに込められた感情は、言葉通りではなく純粋な罪悪感から来るものではないのか。差出人が推測できても当人からの通告などないのだから、部屋に置かれていたそれは不審物であることに変わりはない。贈り物を無駄にできないと分かっている相手の部屋に不法侵入し、食物を置いて行くなど無礼にも程がある。贈り主のそんな後ろめたさが、他人の意見を取り入れたことでようやっと男にも見えてきた。

 拗れに拗れてしまった複雑な間柄では、直接渡すことなど憚られる。けれど異国の祭事を機にしてでも、贈り物をしたいと考えてくれたのだろう。だから差出人の名を伝えなくてもよいという、英国のバレンタインに倣った。……男が今返礼に頭を悩ませているように、相手も男にチョコを贈るかどうか随分悩んだのだろう。贈り主にそのような遠回しの気遣いをさせてしまったのは、紛れもなくチョコを受け取った男の責任である。が、今更それを謝ることだって出来はしない。相手を遠ざけているのは、男自身の意思に他ならないのだ。本来ならばこんな贈り物をもらう資格も無ければ、受け取る義理だって無い廃れた関係である。だというのに尚こんなものを寄越してくるとは、良くも悪くも『あいつ』らしいと男は思った。

 丁寧に箱へと収められたチョコを一つ摘まみ、口に放り込む。ただ甘いだけではないほのかな苦みも感じられ、それでいてどちらも強く主張し過ぎないという絶妙な味のバランス。箱の一番隅っこに入っている見事な蓮の花が描かれたチョコは、最後に食べるとしよう。造形が美麗過ぎてちょっと、いやかなり食べにくい。よくもまぁこんなひとくちサイズのチョコに、繊細な花の絵など描けたものだ。

「ックソ、美味ぇじゃねぇか……」

 歯を立てればぱきん、と小気味の良い音を立てて砕けるチョコもあれば、舌に乗せただけですぐに蕩けていくチョコもある。見た目は良くても味はそれほどでもない、なんて代物も世の中には山ほどあるだろうに、どちらも優れているだなんて全く小癪なチョコである。箱に収められたチョコはそのどれを食べても味や食感、鼻を抜けていく香りが異なり、チョコどころか菓子にも疎い男の口でも全く飽きることはなかった。

 ―――ええい、腹立たしい。

 チョコの微かな魔力がエーテルの肉体に溶けていく感触に、腹の底から烈火のような怒りがこみ上げてくる。これほど手の掛けられた極上の菓子に『怪しいと思うなら廃棄しろ』などと書き残すのか。男と贈り主が話も出来ないほどに歪んでしまった関係であるからこそ浮き彫りになる、『返礼は不要』という一方的な拒絶。食べてくれたならそれだけでも十分だなんて、反吐が出る。誰の目から見ても真剣であることが分かる程に感情が込められている贈り物に対して、お返しは要らないなどという残酷な仕打ち。此処で再会しても尚、憤怒も憎悪も悲哀すらも投げ返してくれやしなかった、『あいつ』が考えそうな贈り物だ。

「何か……何かねぇか……これにふさわしい返礼……」

 しかし、男が昨日主人に渡したようなホットチョコレートの返礼はできない。掛けられた手間、という点でもってまず釣り合わない。いつ部屋に戻るか分からないのに、温かい飲み物など置き去りにもできないだろう。直接手渡そうにも差出人の名が書かれていない以上『身に覚えがない』と相手が白を切ればそれまでである。第一、顔もまともに合わせられないからこんな面倒な事態になっているのだ。昔のような語らいなど、今の二人には夢のまた夢だ。

 このチョコのように名前がなくとも誰が贈ったのか、一目でわかる品。突き返せず、容易く捨てられもしない程に手の掛かる品。同時にチョコと同じく、いつかは処理してしまわなければならないもの。いつまでもその手には残らないもの。それが一番良い。が、果たしてそんなもの用意できるのか。

「………………大図書館、行くか」

 聞く所によれば、バレンタインデーにはホワイトデーという返礼の猶予期限があるらしい。当日即座に返せなくても、ゆっくり考えて用意すれば良いようだ。確か期限日は、三月十四日である。候補はある、しかし専門外である自分にも作ることは可能なのか。何はともあれまず調べることから始めなくてはと、男は重い腰を上げた。最後に残ったとっておきらしい蓮花のチョコを、意を決して口に放り込む。

「ん、……甘ぇなコレ」

 舌に絡んで後を引く程に甘く濃厚なそれは、当分忘れられそうにない味だった。



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