配布SS+後日譚


────────【後日譚】────────
「妖が妖を襲撃!」
そんな話はすぐさま世間に消費され、一人の妖──もとい人間──が起こした事件は予想通り大した話題になることもなく消えていった。妖は皆利己的な生き物であるから、結局のところ自分に関係がなければどうでもいいのだ。誰が襲われようが、死のうが、捕らわれようが、自分でなければ所詮は他人事。ましてや他人の不幸は蜜の味とさえ言う。
天干の街は今日も賑わい、大通りは喧騒に包まれている。笑い声や世間話、まだ自制を知らぬ子供の叫び声。時々は怒号も聞こえてくるだろう。
紫乃は大通りが嫌いだった。関心の有無に関係なく耳に入る雑言は酷く不快だったし、態度の悪い奴らはもっと嫌いだった。数が多ければ多いほど気に入らないものが見えてしまう。紫乃にとって情報は全てだ。故に世間の一般論を知ることも大切であろう。だがそれは自分で選び取ってこそ価値がある。噂ではなく、本当を知りたい。掌握すれば情報の、自身の価値も跳ね上がる。
「よくこの場所を覚えておいででしたね」
「なに、長生きすれば記憶は積み重なるものよ」
天干の街は当主屋敷へ繋がる大通りを繁栄の基準とし、端へ広がるにつれ寂れたものへ変わっていく。この場合の“寂れ”は治安の不安定さを指す言葉だ。路地を外れるほど水面下のやり取りは公に晒されていく。極端に言ってしまえば、端ほど無法地帯となる。
紫乃は大通りから離れた小道の角で酒屋を営んでいた。各所へ繋がりを持った妖故に、その酒は御影の料理店へも卸されているのだが、普段店に訪れる妖はそう多くない。少なくとも酒を買いに来る妖は月に数えられるほどしかいなかった。紫乃の屋敷へ訪れるのはほとんどが皆、その寂れを利用する妖だ。
「貴方が天干に来るのって、もう随分久しいことじゃありませんか?」
「最後に会ったのはお主が縁に来た時だからなあ。儂がこっちに来るのは……数十年ぶりか?」
「お会いするのだってもう数十年ぶりですよ、葛さん」

葛は紫乃と同じく狐の族で縁の初代長だ。ただの横丁であった縁の発展に大きく貢献し、縁横丁運営陣の設立も彼が行ったという。現役を退いた今、彼は女心を虜にするコンコン様として縁の地を闊歩しているようだが、どうやら天干でもその才は十二分と発揮されているようだった。葛が紫乃の屋敷に辿り着く頃、腕中には女からの貢物がいくらか抱えられていた。
紫乃と葛が出会ったのは随分と昔のことだ。まだ葛が縁の長を務めている時代、放浪者であった紫乃は偶然葛と出会い、意気投合し友人となった。紫乃が天干に定住してからも細々と交流は続き、葛が長の座を降りたことで少しばかり交流の活気が取り戻されたのは二人の記憶に新しい。とはいえ、それも百年以上前のことだ。
紫乃は葛を店内へ案内し、戸に鍵をかけた。今日の営業は終了だ。力で生み出した分身に接客させることも出来たが、来るかも分からぬ客の為に労力を割くことも惜しい。そも紫乃にとって酒屋の売上は物のついでにすぎかった。
「わざわざ天干に足を運ばれたのは、今回の件で?」
普段贔屓客との団欒の為に設置された机に、紫乃はいくつか酒を並べてそう聞いた。
「お主に会いに来た、といえば波風立たずにすむかい?」
「はは。八俣さんはもう縁に戻られたはずでしょう」
「儂は隠居爺だからなあ」
葛は道中女から渡された包みをいくらか開いてみせた。少しばかりよそから来た妖であることを喋ったからか、渡されたのは多少値の張る天干土産だ。まさかあの女も、好意で差し出した土産が天干で酒の肴になると思っていないだろう。とはいえ持ち帰ったところで運営陣へ差し入れるわけにもいかないし、一人で食べるのも味気ない。なにせ今回の来訪、完全にお忍びなのだ。
「彼のこと、随分と気にかけているんですね」
「あれのおかげで隠居の夢が叶ったしなあ……それにまあ、これでも監督者だ」
「……なるほど。貴方が上手く救済出来るよう、二代目には適当に話しておきましょう」
縁から訪れた白蛇について、紫乃は昔葛から話を聞いた事がある。当時「隠居したい」が口癖だった葛の元に八俣が引き渡されたこと、そして八俣の出自。口を渡り歩くことで生まれた妖の境遇はどれも所謂悲劇ばかりだが、その点で八俣は立派に成長したともいえる。それは葛と紫乃、両方の所見だった。
とはいえ白蛇の正義は他者を刈り取る。過去にもあった事例だ。葛はそのことについてぼやいていたこともあるが、他者の性格は人格形成が済んだ後で簡単に変えられるものではない。外野が出来ることは警戒と監視、それだけだ。
「それで、久しぶりの天干はいかがですか」
「相変わらずな街だなあ。ああなに、人食は悪い文化とは言わぬよ。本を正せば種族問わず生活に染み付いた儀だ」
「貴方の白蛇が起こした水面下の革命は、その儀に一石を投じました。時代は踏み出した足で天干を踏み潰すでしょう」
とぽぽ……と酒が注がれる音が耳に残る。盃に並々と注がれていく透明な水が波紋を広げ、いよいよ零れそうになるところで紫乃はお酌を止めた。
「とはいえ草木はやがて瓦礫をも覆い包むものですから、ここもいつか自然へ還りますよ」
「環境の輪廻か。ならば紫乃、人間は葦であるというがお主はどう思う?」
「思考という偉大なる知恵を持ち得ても、所詮は自然界で最も弱い植物。そして天干の文化は人間の上に立つ」
「……お主もすっかり天干の狐よな」
葛はぐいっと一息に酒を呷った。天干は人食文化で繁栄した地、つまり発展の基は食となる。それ故天干には人間以外にも美味なる食べ物が沢山存在する。のどごしの良い辛口の酒も葛の好物の一つだった。
「考えることを辞めてしまえばよろしいのだと思いますよ。そうすれば人間は葦などと無用な形象に囚われず、樹形そのものとなる。私にとってはそちらの方が非常に魅力的ですし、典型的な人間像ともいえます」
「他人から与えられた添え木と、施される剪定と選別。天干に今いる人間も、将来はそうなっていくかもしれん」
紫乃は土産品の饅頭に手を伸ばす。甘みを控えた餡子は程よい水気を含んで食べやすい。破かれた包装紙を見て老舗の饅頭であることを知り、紫乃はひとりでに納得した。
「彼らがいかなる道を選ぼうと、それは彼らの決めたこと。とはいえ自然界には進化がありますから、仮に人間が妖を食うようになればさぞ愉快でしょうねえ」
「……此度の件。少なくとも天干から見れば、人間が武器を持ったことに変わりはない」
「…………葛さん。貴方、やがて糾弾されるのは妖側だと仰りたいので?」
寂れが蔓延っている。この地にも、妖の心にも。
「進化とは環境への適応であり、その点で縁と天干は違う。儂としては、いかなる場合も人間と妖は対立すべきではないと信じているよ」
「ふむ。対立関係にあるべきでないことは理解できます。ただね、私達は決して分かり合えないのですよ」
蒔かれた種は土壌に眠る栄養を食い日の目を浴びる。懸命に生きる苗は代を替えその地に見合った形へ成長するが、長い時を生きる妖には代替わりなど必要ない。故に、かつて放浪者だった紫乃がここへ腰を据えたのも必然だったのかもしれない。
「儂らも所詮は同じだ、やむを得ないな」
「それ故に話が面白いのでしょう」
「それ故に酒が美味いともいう」
指し示すわけでもなく二人は声をあげて笑った。久方ぶりの再会と酒の気で饒舌にでもなっていたのだろう。だがそれが良い。世間話のように語り合う他問自答こそが楽しみだった。
紫乃の隣で生まれ落ちた一匹の白狐が器用に鍵を開けて外へ走り出していく。紫乃の仕事はここから始まる。


・・・ ・・・ ・・・


葛は数日間天干へ滞在することとなった。というのも、紫乃が上手く二代目久遠と話をつけたからだ。
元々葛は紫乃の手を借りるつもりだったし、救済を目的とした以上、滞在は視野に入れていた。だがこれほど早く事が進むのはありがたい。久遠の予定に食い込ませた会談は三日後。それまで葛はのんびりと街を見て回ることに決めた。ついでに天干の寂れを多少かじることが出来れば、もう少しこの街の実態も理解できそうだった。
葛にとって街への理解とは知見を広げることだ。本人の意向から発揮する機会こそ減ったものの、広げた視野は決して無駄にはならない。

三日間の観光を経て、葛は別角度から妖という定義を垣間見た。
天干の妖は実に利己的で、他者を見下し貪欲に地位を求める。適切な対価を得ることに拘り、支払うことを惜しまない姿勢は縁にいる妖よりもある意味で誠実といえるかもしれない。結局のところ天干の妖とは、天秤のつり合いを深く正しく求めるだけに過ぎないのだ。
どれだけ奥底に仕舞い取り繕えるか。それだけの体裁が我々に与えられた環境による区別だ。妖とは、正直な欲求そのものである。
「こうしてお会いできて光栄です」
「突然にも関わらず時間を作ってくださったこと、感謝します」
「いえ、いつも紫乃さんにはお世話になっていますから」
それで言うならば、彼女は天干より縁の方が似合いそうなものだ。葛は二代目当主、久遠を前に考えた。
現当主である三代目は、捕縛した白の管理を二代目に丸投げしているらしかった。それもそうだろう、今三代目久遠の脳中には今後の方針でいっぱいだ。利益だけを考えた結果不利益を被ったとなれば呑気にもしていられない。三代目の求めた対価はその身に不相応だった。同伴した紫乃はそれを想像し、鼻で笑った。
重く厚い扉が開く。警備についていた妖が久遠を見るなり一斉に頭を下げ、久遠は適当に挨拶して通り去る。葛と紫乃も後に続いた。
「随分と空室が増えましたね。貴方の代より治安がいいのでは?」
「通り魔のおかげかもしれません。恐れる妖が多ければ犯罪も減るでしょう」
三人は地下へ続く階段を下りる。紫乃は何度かこの牢獄に訪れたことがある。ここでは表沙汰に出来ない、裁けない面倒な妖ほど地下へ入獄させる規則があった。
一つの檻の前に妖が立っている。黒と深い青を纏った妖だ。それはこちらに気付いて向き直った。男の妖が面を付けたまま、真っ直ぐに三人を見ている。
「こちらです」
檻の中、壁に背をつけている茶髪の女は紛うことなき妖だ。白。その身に宿した潔白は今不純の証明となった。額から生えた角は到底人間の形相を保てず、ただ濁りきった身を持て余している。
紫乃はちらりと背後に控えた男を横目で流し見た。彼は二十年以上前に久遠に見初められ付き人となった。つけている面も恐らく久遠が渡したものだろうから、作者は卯木だろう。妖にとって面はそこまで特別なものではないが、完全に全てを欺けるほど精度が高く精巧な面は現状卯木にしか作れない。そういった意味では十分特別といえた。つまるところ、その面を久遠から与えられる彼は曰く付きなのだ。
「彼女は今後処分するおつもりで?」
「まだ決めかねています」
「……まあ、このまま生殺しにされることが最大の苦痛でしょうね」
葛は少しばかり憐みの表情を浮かべた。通り魔は彼女の本意であったが、妖へ堕ちることは決して本意ではない。人間の救済という目的の為に自身を手段としていただけだ。それがいつしか、白の目的すら他人の手段となった。それは八俣であり、久遠であり、天干である。
「葛さんが彼女を引き取りたいというのなら、私としては構いません。今回の件に関しては全て水面下での処理となりますし、世間はもう誰も彼女に興味を抱いていませんから」
「仮にも彼女を通じて、縁は天干に干渉した。現当主にもお伺いを立てるのが筋ってもんでしょう」
「あの子がおいたをするなら私には止める義務があります」
現当主はまだ若い。それでいえば八俣と三代目久遠は同じ穴の貉だろう。だが上に立つ者として私情に流され、感情で物事を動かすのは間違っている。その点で二代目久遠はよくできた統治者だった。例えその腹の内がどれだけ黒くとも。
「今回の外交は縁の長である八俣さんが天干へ来訪し、有意義な会合をして解散した。それからは貴方もご存じでしょうけれど、通り魔のことは妖が妖を襲撃した事件として処理されています」
天干に住まう妖は皆、当主と長二人に危害が及ばずよかったと口を揃えている。もう誰も捕縛された通り魔のことは気にも留めていないのだ。これを獄中で聞かされている白の気持ちは誰が尊重しようか。あまりな扱いだと思えるのは、葛が縁の出で立ちだからだろう。
妖はみな欲深い。それはそうだ。だが剝き出しの欲と隠された欲のどちらが慎ましく見えるだろうか。白はまだ人間の心を捨てていない。ならばぎらぎらした言葉も深く刺さっていく。八俣がどうして善悪に固執し人間に肩入れするか、それはこうした場所から生まれる傷が原因なのだ。
「お互い様なんですよ、ねえ」
これは言い訳であり、理由付けである。今両者共に思っているにも関わらず決して口に出来ない言葉は、第三者である紫乃だけが口にできた。その言葉に久遠も葛も表情に大きな変化こそないものの、少しだけ空気が柔らかくなる。互いの中で折り合いがついたのだろう。
「ならば久遠さん。葛として、正式に白を貰い受けたい」
「はい。彼女のことはあなたにお任せします」


多少の手続きを踏んで白は晴れて自由の身となった。これからは妖として身分を偽ることなく、自分を隠すことなく堂々と生活ができる。
とはいえ白に行き場はなかった。身を寄せる場所や今後については葛の厚意で援助を受けることこそ出来たが、それはあくまで物理的な救済にすぎない。まだ白は自分を受け入れることが出来ずにいる。人間故に刻まれた屈辱はあれど、人生の全てで憎しみを募らせた相手は妖だ。自分が同類になってしまったこと、もう戻れないこと、それは白の心を打ち負かすに十分だった。
今後については、とても考えられない。今と向き合うことも、まだ出来ない。

真の救済とは納得できる形を提供することである。では誰が何を与えれば、白にとって本当の救済といえるだろうか。

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