配布SS+後日譚
────────【久遠】────────
三代目になりたい。
これは、有り触れた子供のわがままではない。
母が羨ましい。天干の眼差しを欲しいままにして、妖からも慕われていて。
民が街の象徴なら当主も街の名を冠するだろう。頂点に立ち名声を欲しいままにする母の姿があまりにも輝いて見えたのは、私が物心ついた時からずっと変わらない。
「お母様」
「なに?」
「私、三代目になりたい」
母は笑った。それは決して嘲笑などではなく、純粋な微笑みだ。子から夕飯の献立を注文された時に見せるような。
「何かやりたいことがあるんですか?」
そう問われて私は言葉に詰まった。お母様が羨ましいんです。当主になり民から注目されたいんです、とはとても告白出来なかった。そんなことを言ってしまえば、子供の戯れと一蹴されるに決まっている。
「この座を譲ることは構いません。ですがやりたいことが曖昧なままでは、当主として責任を負いきれませんから」
やりたいことは決めておきなさい。ゆるりと頭を撫でられ、母は目を細める。
私のやりたいことは影響力を持つことだ。ではこの街で輝くには、関心を集めるには、もっと偉大になるには何が必要か。
──必要なのは変化だ。それも大きな、世間を揺るがす変化。
「天干が人食文化で発展した街なのは理解しているわ。でも他の街は人と歩み寄っているし、何処もここほどじゃない」
あれから一ヶ月、私は当主としてやりたいことの尤もらしい理由を考えていた。
「だから、この街も改革させたいと?」
「お母様。思考や構成を時代と呼ぶのなら、今こそ変化の時じゃないかしら」
つまり、人と私達は手を取り合うべきなのだ。
勿論それら全ては建前に過ぎない。この衝撃的な政策により、中身はどうあれ民の関心は私に向く。私は地位という影響力と、口を渡り歩いたことによる力を手に入れる。
人間など下等種族だ。素晴らしい肉を提供してくれるだけの家畜に共存の権利を与える必要は無い。表向きだけ、時間をかけて手を取り合っている姿勢さえ晒しておけばいい。
「……変容の姿勢は若者の象徴ですからね。いいでしょう、その代わり上手くやるんですよ」
妖は所詮利己的な生き物だ。この政策に伴う料理店からの文句は、私が裏で糸を引けば解決するだろう。
これで私は街を掌握しながら人食を享受出来る。馬鹿ではない私は、全てを手に入れてみせる。
────────【白】────────
「時々いるんですよね、逃げ出せる人間」
天干に訪れた秋が随分深まった頃。私は明かりの灯らぬ路地裏で一人の妖に見下ろされていた。
人肉提供。人食文化。
この街に蔓延る人間への風当たりと処遇は決して許されるべきものではない。それでも私達は冷たい檻の中、何もかもを諦めて屈辱を味わい続けている。
帰る場所はない。料理店で生まれ育った私には家も本籍も存在しない。あるのはただ、料理店で管理される家畜という事実だけだ。
──それが嫌だった。
「名前は?」
「……」
「取って食うなんて行儀の悪いことはしませんよ。とはいえ、ここに一人でいれば文字通り食われることになるでしょうけれど」
妖の目が細められる。暗がりでも色褪せない紫色だった。
「……夕李」
取って食わないとは言ったものの、やはり信用ならない。結局人間に対してそんな慈愛深い妖などいないのだ。私はずっとそう信じている。
連れ込まれた店の奥の部屋。出された水の一杯にも口をつけず二時間が経とうとしていた。逃げ出したあの時から、手の震えが止まらない。
「これからどうするか、当てはあるんですか?」
「ない、けど……死にたくない……」
俯いた視界の隅に一匹の白狐が映る。この妖が飼っているものだろうか。
「……死にたくない貴方はこれからの道を考えねばなりませんが。この街で、人間はその格好で生きていけませんよ」
檻の中で育った私には土地勘があるわけもなく、あちこち逃げ回ったのだ。この街はどうやら大通りによって東西が分けられているようで、その時はなけなしの体力を振り絞って駆け抜けた。
街では暮らせない。そんなことはよく分かっている。私だって妖とは暮らしたくない。
なら本来私の母がいた世界、人間社会へ行くか? 例え行けたとて、人は私を受け入れてくれるだろうか。
それとも荒野を彷徨い鬱蒼とした森の中で息を潜めるか? きっと草葉の揺れる音に怯え続けるのだろう。
死にたくない。だけれど、生きられないかもしれない。
「貴方の飼い主、御影はこの街で一番大きな料理店を営んでいる。抱える人間の数も他とは桁違いです。さて、そんな御影は他でもない貴方、ただ一人の捜索を開始しています」
分かっていた。分かっている。でも受け入れたくはないのだ。
「随分遅い捜索ですよ。それも仕方のないことでしょうね、あの料理店は規模の割に捜索や潜入向けの妖がほとんどいないんですから」
「皿の数を数えることしか能がない、だが使い物になる従業員。うちはそんな奴が多いんでね」
「ヒッ!」
声の主を私はよく知っている。知りたくもなかった相手だ。黒ずくめの目付きの鋭い男。
私の、飼い主。
「随分奔走したようだなァ。一生見ることが出来なかった景色を見た感想はどうだ?」
「あ……やだ……ごめ、なさ……!!」
やっぱり妖など信用ならない。さっさとここから逃げ出せばよかった。死にたくない、戻りたくない、これ以上尊厳を失いたくない。
涙が零れる。こんな相手に怯えることしか出来ない私は、一体何を乞うて誰に頭を下げ続けるのだろう。
「さあ、交渉の時間です。御影さん。夕李に相応しい対価について、どのようにお考えで?」
「お前にとってこれは価値あるものか?」
「いいえ。少なくとも、私にはどうでもいい存在ですから。でもほら、面白いでしょう?」
私は。私はお前らの見世物ではない。怒りと慟哭とで、感情がぐちゃぐちゃに掻き乱されていく。
「捕まえて報告したのは私ですよ。少しはこちらに利があってもいいと思いませんか」
「なら、それをどうするつもりか聞かせてもらおうか」
「そうですね。夕李さん、どうします?」
「…………え?」
選択を与えられたのは、これが初めてだった。
とはいえ選び取った道に対する筋道は他人が決めたもの。私はこの街の下水を伝い、人の臭いを誤魔化しながらどこへ続く道かも分からない道を走り続けた。
「なら、縁へ行きなさい。あそこなら貴方も歓迎されるでしょうから」
人と妖が共存する街。私はそこで二年を過ごし、再び天干へと戻ることになる。
────────【八俣】────────
「天干から一人客が来る。よくしてやってくれと、お主へ言伝だ」
「天干から? 珍しいこともあるね」
縁横丁運営本部。僕ら運営陣が集う屯所へふらりと現れたのは黄金の毛が美しい妖狐だった。
葛。この街、縁をまとめあげた初代にして、僕を育てた妖。街ではコンコン様と呼ばれ女の心を虜にしている。よく考えればまだ幼かった僕には随分な教育だったように思うので、その辺はあまり思い出したくない。
「妖なら適当に街の散策でもさせればよいが、此度は人の子だ。心の療養でもさせてやるといい。なんと言ったか……リラクゼーション?」
「君に言われなくとも、僕はいつでも人間の味方だよ」
天干。妖が上位種として実権を握る、人食文化の蔓延る街。縁とは真逆といっていい。
「人、ね」
それから数日、例の客人は僕の想定より随分早く縁の土を踏んだ。
ボロボロのドロドロ。決して背の高くない痩せぎすな体はこちらの方が痛ましく感じるほどだ。どうやら本部に辿り着くまで、街の人にも何度か心配の声をかけられていたようだった。
「君が夕李、だね?」
「…………はい」
土と下水の臭い。体内を流れる人の血。内に秘められた憎悪と恐怖の香り。嗅覚を伝って僕に流れ込むのは強い負の感情だ。
「まずはお風呂かな。その後はご飯だけど、食べれないものはある? アレルギーとか」
「……ない、けど」
控えめな子だ。いや、ただの警戒心か。
出自や環境は人生に大きく影響を与えるから、きっと夕李も妖を信じてはいない。信じていないのに、憎んでいるのに、従うことしか出来ない。彼女が自分を解放出来るようになるのはいつか。
僕はその手助けをしてやりたい。
「おいで。縁は君を歓迎するよ」
この街は人と妖が共存できる。関わる相手を選べる場所だ。
季節が巡り、時が進む。妖は人とは比べ物にならない長寿種が多いから時間感覚にもかなりのズレがあるが、この街では共存関係故に人の一年を妖が受け入れている。
──あの日から、二年が経った。
「大丈夫なの? 白」
一枚の面を被った妖。薄暮に落ちるすももの実は与えられた識別名を捨て、自らを白と名乗った。それは自身の潔白を示している。
身も心も清らかに、疚しさの一つもない。全てを正とする白。
「私がやらないといけない」
人を妖に化かす面。その為に僕が与えたものだ。そうでなくては困る。
白が天干に戻りたいと言い始めたのは僕にとっても好機だった。彼女の抱える憎悪と信念は感じ取っているし、目指す場所も同じだ。
ならば僕は、君の手助けをしてやる。
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