死体がぶら下がっている本丸の話
池田の刀は子供好き
「大包平さん見てください! 小さい子ですよ!」
毛利は勢い良く大包平の部屋の障子を開けた。中から制止する声がしたが、興奮しきりの毛利の耳には届いていなかった。
「毛利!!」
切羽詰まった声がもう一度響く。部屋の主は大典太に押し倒されてTシャツの裾もめくり上がっていたが、合意の上であることは毛利もよく承知していたので気にならなかった。むしろこの喜びを分けあえる相手が増えたのだ。
ずいと右足を大きく踏み出す。
「小さい子です!」
濃紺のズボンからすらりと伸びる太腿に、拳大の赤ん坊の顔が浮かび上がっていた。
「何だそれは!!!」
状況を忘れて大包平は叫んだ。ほとんど怒号である。あまりの声の大きさに赤ん坊はぱちりと目を開けた。黒々とした瞳はちょうど同じくらいの高さにあった大典太を捉えた。目が合う。火が付いたように赤ん坊は泣き出した。
「あーよしよし、怖くないですよー」
毛利はくるりと大典太たちに背を向けると己の太腿をあやし出した。今まで誰も聞いたことがないような優しい声色だった。
大包平は茫然としている大典太の下から這い出すと、毛利を後ろから問答無用で抱え上げた。
「何するんですか!」
「手入れ部屋行くぞ!」
審神者が手入れをしても赤ん坊が消えることはなかった。手入れの最中も赤子は泣きわめき続けたせいで、審神者の隠し子がやって来ただのついに子泣き爺が出現しただの、本丸中に様々な誤解が広まったが、夕飯時に近侍が事情を周知したおかげですぐに根も葉もない噂は立ち消えた。世に言う人面瘡であろうというのが薬研と審神者の見立てだった。ご神刀連中が何も霊的なものを感じないと断言したことも大きかった。
毛利によると、短刀たちとかくれんぼをしていた際、草むらに入って鋭い葉に太腿をほんの少し切ってしまったらしい。何とも思わずその場で身を潜めていくばくか、ふと下を見てみると己の太腿に赤ん坊の顔がくっついていたのだそうだ。
件の赤ん坊は乳を必要とすることもなく、もっぱら寝ているか、起きていても人見知りもしなかった。物珍しい赤ん坊に皆が毛利の太腿に顔を寄せ合ってもきゃっきゃと喜ぶだけであったし、いないいないばあを連続で百回近く見せられても律儀に笑ってくれるサービス精神旺盛な子供だった。どうしてそうなったのかというと、単にどの男士もそれ以外に子供の興味を引く方法が分からなかったのだ。
悪いものではない。概ね迷惑にはならない。こうなれば毛利が手放すはずがなかった。なにより寝ても覚めても愛らしい赤子が常にそばにいるのだ。
「僕はなんて幸せな刀なんでしょう!」
毛利はうっとりため息をついた。場所は大包平の部屋である。このところ毛利は大包平のところに居座っていた。
「骨のある赤子だな。将来有望だ」
大包平が寝ている赤ん坊の頰をふんわり撫でる。ぷっくりとした膨らみは赤らんでいてとても愛らしかった。
「男の子ですかね、女の子ですかね」
「おのこじゃないか? 血の臭いが漂って来ても熟睡していたからな。健やかに育てよ」
「女の子かもしれないじゃないですか」
「この男所帯では苦労させることになるぞ」
「小さいままでもいいのに……」
「子は育つものだ。ずっと見守って来ただろう」
「そうですよね」
毛利の声は寂しげだった。だがふうと息を吐き出すと正座をして背筋を伸ばした。大包平もつられて居住まいを正した。
「大包平さんに一つご相談があるんです」
「珍しいな」
「僕も明日から本格的にお役目を果たすことになります」
毛利はまだこの本丸に来て日が浅い。先日特が付いたところなので、これから怒涛の出陣の日々が待っていた。
「どうしたってこの子を連れて行くわけにはいきません。それで主さまにもお許しを頂いたので、僕が出陣の間、大包平さんにこの子を預かって欲しいんです」
「お前の言うことももっともだ」
大包平は一も二もなく賛成し、大きく頷いた。
「……どうやって預かるんだ」
「それは簡単です。ちょっと傷を付けて、その上にこの子を貼り付ければすぐに癒着します。要するにできものですから」
「なるほど」
「今からでも良いでしょうか? 僕も万全の体制でお役目に臨みたいので」
断われるはずがなかった。このところ毛利は太腿に人面瘡があるために寝相も制限され、湯船に浸かることもできなかった。
「どこが良いですか?」
毛利が検分するように大包平を見つめる。大包平も自身の体を見下ろした。そのとき大包平は内番着姿だった。
「お前のように太腿というわけにもいかんからな」
「ホットパンツ履きます? 大典太さん喜ぶんじゃないでしょうか?」
「裸の方が喜ぶ」
「子供がいるんですよ。破廉恥な」
「お前が振ったんだろう……!」
赤ん坊はすやすやとよく眠っていた。
「露出していて、かつ安全な場所……」
首を傾げて毛利はひとりごちる。
「ここでしょうか?」
大包平の膝に乗り上げて、人差し指をとんと置いた。Tシャツの襟元、首と鎖骨の間だ。
「くっつくか? あまり肉はないぞ」
「大丈夫だと思います。失礼しますね」
毛利はさっと自身を鞘走らせると、切っ先で少し大包平に傷を付けた。傷口に血が滲む程度の浅いものだ。それから躊躇なく己の太腿に刃をあてがって、ハムを切り分けるように人面瘡を切除した。赤ん坊は熟睡していた。
「はい、どうぞ」
「おう」
大包平は神妙な顔で受け取った。失敗したらこの赤子は腐り落ちてしまうかもしれないのだ。緊張もする。
赤ん坊の両頬と額の三点で掴み、顔の真裏の肉の部分を首元に押し当てた。生温かくて粘膜のような、濡れたぶよぶよとした感触だ。ぞわぞわと背筋を悪寒が走った。
「結構気持ち悪いぞ、これ」
「子育てにはオムツの世話もよだれを拭うのも吐き出しちゃったものの後片付けも入っているじゃないですか」
タオルで傷口を押さえながら毛利は言った。
「それもそうだな」
赤ん坊を育てるのは大変なのだ。たかだか不快感程度で泣き言を言った己を大包平は大いに恥じた。
赤ん坊は無事にくっついた。
さてその晩も大典太は風呂上がりに大包平の部屋にやって来た。別に自室があるのだが、寝泊まりはずっと大包平の部屋でしている。
大典太は表情には出ていなかったが、内心では今にも鼻歌を歌い出しそうなくらい機嫌が良かった。何と言っても明日は非番だ。大典太と大包平が恋仲なのは皆が知っているから、非番の日程は事務方が合わせてくれる。規則正しい生活を心がけている大包平も非番の朝なら朝寝もした。今晩から一日丸ごと独占することができるのだ。
「寝るぞ」
大包平の言葉に大典太は手を伸ばしたまま固まってしまった。抱き込もうとしていたものだから手の行き場がない。困惑していたが、そのまま肩を抱き寄せ口吸いしようとした。勢いよく大包平の掌に口を塞がれた。
「子供が見ているだろう!」
「は?」
「ここだ!」
「うわああ!!!」
大包平が自身の襟元を引き下げる。あの赤ん坊がいる。真っ黒でつぶらな目を細めて、にこおっと笑っていた。不気味だった。
「え、なっ……毛利の、え? いや、どうしたんだ!?」
「毛利は池田屋だ。だから預かっている」
「なんでよりによってあんたなんだ!?」
「毛利とはともに池田の子供たちを見守ってきた仲だからな!」
随分と誇らしげである。大典太には分かった。大包平は毛利に頼られて嬉しかったのだ。
「だから今日は寝るぞ」
「何もしていない!」
「子供がいると言っているだろう!」
さらに大典太が口を開く前に灯を落とされてしまった。ごそごそと布団に入る音がする。暗さに目が慣れてから、ご丁寧に隣に敷かれた布団に渋々入った。いつもは一組しか用意されていない。
寝るには少々早い。寝息は聞こえない。沈黙が落ちていた。
「大包平」
「なんだ」
横を向いて話しかける。暗闇だと不思議と囁くような声になった。隣の大包平は仰向けで大典太に目線もくれない。いくら子供を預かっているのだとしても、ちょっとひどくないか。
「口吸いしたい」
「だから……!」
「暗いから見えない」
「屁理屈だろう!」
だが大典太が覆いかぶさっても、大包平は顔を背けなかった。唇を重ねるつもりが夜目がきかないせいで位置がずれてしまった。予想していたより硬い感触は顎だろうか。上に唇をずらせば、よく知った柔らかい皮膚が大典太の唇に応えた。首に腕が回された。舌を入れることは許されなかった。だが今までで一番長い接吻だった。
同じ布団に入ろうとしたがあえなく追い出され、大典太は結局隣の布団に横たわった。
「次の非番は俺に空けてくれ」
大包平の布団に手を差し込んで、触れた手を握った。
「分かってる。……我慢させて悪いとは、思っている」
「あんたは我慢してないのか」
「してる」
手が握り返された。温かい。仕方ないからこういう夜も良いじゃないかと自分を納得させることにした。そうして手を繋いだまま眠った。
流石に毛利と大包平だけで赤子の世話をするのは難しかったので、すぐに赤ん坊は持ち回り制になった。とはいえ頻度が一番多いのは毛利で、その次は大包平だった。基本的に人見知りもしない子供だったが、この二人には異様に懐いていた。夜泣きもしない。起きているときはずっとにこにこしている。
そもそも刀剣男士なんてものが集っている場なのだから、今更人面瘡の一つや二つ増えたところで困ることも別になかった。腐りかけの死体に比べたら見目もだいぶ良い。皆が赤子を住人として認め始めたその矢先のことだった。人面瘡の群れが現れた。
折しも本丸は新しく実装された藤の景趣に変えたところだった。捩れる木の幹、垂れ下がる藤の花。そこに浮かび上がる顔、顔、顔。右を向いても左を見ても、見上げれば顔、下を見れば地面にも顔、水路に流れる花びらにも顔。どこを見ても顔である。近づくと老若男女、大きさも指先ほどのものから広げた掌ほどのものまで多種多様だった。
運が良いことにその日は毛利も大包平も本丸に揃っていた。獅子王が二人を呼びに大包平の部屋に行った。すっかり赤ん坊は赤ん坊らしくなって、毛利の太腿にくっついた状態でおしゃぶりをくわえていた。ちなみに大包平の部屋にはガラガラもあるしおもちゃもある。二人で赤子を連れて万屋に買いに行ったのだ。
「庭にすんごい数のお仲間が来てたぜ」
毛利と大包平は顔を見合わせた。
「何でしょうか」
「もしかしたらこの子を迎えに来たのかもしれん」
毛利は少し悲しげな顔をした。
「大きくなるまでうちにいたって良いのに……」
「とにかく庭に出ねえ?」
獅子王がせっついた。
毛利が庭に足を踏み入れると、顔たちは騒めいた。ぼそぼそ何か言葉を発しているようだが、それが大きなうねりとなってぶおんぶおんと大量の羽虫が羽ばたいているかのようだった。
「どうしましょう」
困惑して毛利は大包平を見上げた。大包平も困っている。意思の疎通が取れないことにはどうしようもない。もしかしたら害があるものかもしれないのだ。大包平も毛利もいつでも抜刀できるように柄に手をかけていた。
おしゃぶりがぽとりと落ちた。あっと二人の意識が地面に向いた。赤子の泣き声が辺りに響き渡る。耳をつんざくような泣き声だ。聞いているだけで心が痛む。顔を真っ赤にして、大粒の涙がぼとぼとと毛利の太腿を濡らしていた。ぴたりと群れは黙り込んだ。泣き声だけが響いていた。
一面覆い尽くしている顔は皆、狼狽えていた。木の幹のいかにガラの悪そうな青年(の顔)は眉を八の字にしているし、その下の四十がらみの女性(の顔)は必死の笑顔で泣きやませようとしている。毛利は赤ん坊をあやすのに忙しそうだったため、大包平が手近な顔に話しかけた。
「お前たちはこの子を探してやって来たのか?」
髭を生やした老人(の顔)は緩慢に顔を上下させて頷いた。
「お前たちのところで幸せになれるのか?」
大包平が最も気になるのはこの点だった。子供というものは須らく大切にされ、愛情と健康的な生活を惜しみなく与えられねばならないのだ。
「ここにいる一族郎等全てがあの子を守り慈しみ育てていく」
人面瘡が口をきけることにもこの何千何億もの顔が一族であるらしいことにも驚きつつ、大包平は老人の重々しい口調を信じる気になった。それに周りの顔たちも泣いている子供に気が気ではないようで、悪いものたちには思えなかった。
「分かった。毛利、返してやろう」
毛利は一瞬何か言いたげな顔をしたが、「仲間のところが良いですよね」とぽつりと言って、慣れた手つきで赤ん坊を切り取った。そっと地面に置くとたちまち赤子は土と同化した。
ざわめきがこだまする。波が引くように人面瘡たちは藤の庭から去って行った。
「達者で暮らせよ!」
「また会いに来て下さいね!」
大包平と毛利の声に赤ん坊はきゃっきゃっと笑って、それからふっと消えてしまった。
「行ってしまいましたね」
「ああ」
「寂しくなります」
毛利は水路脇に腰を下ろした。太腿には布が巻かれている。毛利は最近、本丸にいるときは常に傷口を押さえる布を持ち歩いていた。
「いつでも俺の部屋に尋ねて来い」
「赤ん坊いないんですよ」
「関係ない。昔馴染みと茶を飲むくらいするだろう」
そうは言うものの、赤ん坊が来るまで二人きりで話をすることもなかったのだ。毛利は顕現したばかりで大包平も任務があって、気がつけば疎遠になっていた。
「大包平さんは来ないんですか?」
「尋ねよう」
「ふふ。でも暫く経ってからで良いです」
「どうしてだ」
「馬に蹴られたくないですから」
大包平は少し思案してから言った。
「あいつも連れて行けばいい」
「良いんですか?」
「子供の世話もなくなったからな。二人きりの時間も取れる。大典太はああ見えて意外と話すぞ」
「お話聞けるの楽しみにしています」
毛利はふわりと微笑んだ。
実は群れが来襲した際に獅子王の鵺にも人面瘡がくっついていた。大包平と会話をしたのとは別の老人の顔だった。だがかなり高齢だったようで、一週間も経たずに獅子王に看取られながら、ただのできものに戻ってしまった。そのできものも獅子王が軽傷で手入れを受けたときに跡形もなく消えてしまった。
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