死体がぶら下がっている本丸の話
桜の樹の下には
桜の樹の下には死体が埋まっているとはよく言われるが、この本丸の桜の樹には首吊り死体がぶら下がっている。縄を切って死体を埋めても焼いても海に流しても、結局元の場所にぶら下がっている。かなり気骨のある死体だ。程よく腐っているせいで性別は分からない。骨格を調べれば判明するかもしれないが、誰もこの死体にそんな手間はかけなかった。そしてこの死体は大包平に恋をしていた。大包平が通ればぶらぶら揺れて何もない空っぽの眼窩で追い、会えない期間が長くなると心なしか縄の首への食い込みがきつくなる。長いこと皆を悩ませていた腐敗臭がピタリと止んで、大包平が庭を通りすがると若干良い匂いを漂わせるようになった。
大包平は青葉の生い茂る桜を見上げる。まっすぐ見つめる先には死体が夏の匂いを帯びた風に揺れていた。ふんわりと薫香が鼻をかすめる。大包平が顕現する前は死体は死体らしく腐敗臭を漂わせていたらしい。姿に慣れはしても臭いには慣れないもので、真夏など庭に面した廊下は通行止めになるのが通例だったそうだ。だがこの話は全て伝聞で、大包平自身はこの死体を臭いと思ったことはなかった。いつもそこはかとなく良い匂いを漂わせている死体だった。
「お前が俺に惚れているという話を聞いた。誤解だとしたらすまん」
死体は答えない。
「悪いがお前に応えてやることはできん。酷なことを言うようだが死体はそういった対象外だ。了承してくれ」
死体はぶらーんぶらーんと左右に揺れていた。
しかし好意を寄せられて悪い気はしない。特に大包平は数多の刀剣男士の中で己を選んだ死体の慧眼を買っていた。見る目のある奴だと大包平は機嫌良く兄弟に語ったものである。兄弟は茶をすすりながら目玉はないがなと仕様のないことを言っていた。
大包平は生真面目な刀剣男士であるからして、失恋の傷を抉るのは不憫だと死体を振ったその日から庭に出ることは控えていた。ところがである。恋の相手が現れなくなって、また死体は以前のように腐敗臭を放出するようになってしまった。困るのは他の刀剣男士である。戦場ならまだしも、本丸でまで時間が経って饐えた肉体の臭いなど嗅ぎたくない。是非会いに行ってやってくれと審神者含めて皆で大包平に頼みこんだ。大包平も思うところがなかったわけではないが、皆の気持ちもよく分かる。重い腰を上げて葉の生い茂る桜を訪れた。
大包平が現れると、たちまち白檀の香りが辺りに漂いだした。恋の力とは偉大である。何とも言えずそれがいじらしく感じられ、大包平はよくよく死体に言い聞かせた上で定期的に桜の樹の下でお茶をするようになった。根元に座るとちょうど見上げたところに死体の爪先が来る。その変色した足先に近況を話すのだ。そうすると春夏秋冬常に庭には白檀が香るようになった。たまに着物に香を焚き染めようと死体の近くに着物を引っかけていく者もいる。死体は時折風に揺れるだけだった。
さて大包平が桜のそばでよく出くわす刀剣がいる。大典太だ。大典太は顕現時期が近かったせいでずっと同じ部隊で、そのせいで非番が被る。大典太も気晴らしに庭にやって来るのだが、彼の目当ては鳥だった。
大典太は逸話が足を引っ張ってか、近くに鳥が寄って来ない。意外と愛らしいものが好きな彼はそれをひどく気に病んでいたが、この本丸には大典太が近づいても鳥が逃げない場所があった。死体のそばである。厳密には鳥が夢中で屍肉を啄ばんでいる最中のことだ。
「来たか」
大包平は庭にのっそり現れた大典太に片手を上げた。桜にぽつりぽつりと花が付いた季節だった。空は春らしい淡い青空だが、まだ肌寒い。今日も今日とて大包平は樹の根元に座って先日の任務について話していた。綺麗な晴天だからカラスでも来るだろうと思ったら案の定だった。カラスが現れれば大典太もどこで気づくのかのっそりやってくる。それを予期して水筒に茶を入れて、湯のみも二つ用意していた。
大典太は大包平の隣に陣取ると頭上の死体を見上げた。カラスが肩に止まって肩口から首の肉を一心不乱に啄ばんでいる。その動きに合わせて縄がギシギシと軋み、死体が痙攣するように小刻みに揺れていた。少し耳をそばだてれば、他のカラスたちの羽ばたきや縄張り争いをするような鳴き声も聞こえてくる。
「今日も鳥たちは元気そうだな」
大典太は湯のみに口をつけながらしみじみと言った。
「ああ。死体も心なしか肌ツヤが良い」
新たに現れた一回り大きなカラスが肉を貪っていたカラスを力づくで追い出したようで、その振動で死体がびたんと跳ねた。ぎーぎーと揺れるたびに縄が低い音をたてる。
「何の話をしていたんだ?」
「この前出陣したときのことをな。お前が勢い余って蓮根畑に頭から突っ込んで泥だらけになった話だとか」
「あんたが俺の背後からぶつかって来たんだろう。おい死体、俺は悪くないぞ。大包平のせいだ」
「だからと言って助けてやろうとしたのを引きずりこむ奴があるか!」
「俺だけ洗濯に苦労するのは納得がいかない」
結局帰陣してからふた振り並んで泥落としに励むことになったのだ。
「大包平」
大典太はずいと身を乗り出して、大包平を見つめた。いつになく真剣な表情だ。
「どうした」
少しどきりとしたが、大包平は平静を装った。
「カラスも悪くないんだが、もっと小さな鳥を愛でたい」
「俺に言われても」
「早朝なら雀がたかっていると聞いた」
「良かったじゃないか」
「あんたも一緒に来ないか」
「え……」
何故だか暫く見つめあってしまった。
「行く」
大包平は頷いた。
「俺は恋をしたらしい」
大包平が死体に打ち明けたのは桜が満開の頃だった。死体は相変わらずぶらーんぶらーんと揺れていた。
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